第五十八話:私の未練
俺は、ここ数か月毎日そうしているように、仏壇に向かって手を合わせていた。仏壇には、俺の恋人の鏡夜叶の写真と・・彼女の弟の鏡夜響の写真が置いてある。俺は、そんな二人の写真を見て再び手を合わせ・・
「すまない・・。」
と、そんな言葉が口から零れ落ちた。俺は、あの時俺達を轢いたのが響だということを知っていた。あの事故の時、俺はトラックの運転席に座った響の顔を見ていたからだ。しかし、そんな彼に俺は罪悪感こそあれども恨みなどは全く抱いていない。
なぜなら、俺は彼・・いや、彼女と呼ぶべきだろうか?とにかく、響が俺に抱いている好意に気付いていながらそれに気づかないふりをしていたからだ。俺は、彼女のことを理解すると言っておきながら、いざその好意が自分に向いていると知った時に、その思いに向き合うことをせず逃げてしまった。
その結果が、目の前に並んだ二つの遺影だ。
少なくとも、響は俺に出会っていなければあんなことをすることはなかっただろう。そして、叶も響も死ぬことはなかった・・。
俺が、あの姉弟の人生を無茶苦茶にしてしまったのだ。
―ピンポーン
「宅配便でーす。」
玄関から響くその声に、最近つい沈みがちになってしまう思考から現実へと引き戻された俺は、立ち上がって玄関へと向かった。
(今日は珍しくよく人が来るなあ。)
そんなことを思いつつドアを開けると、そこには予想外の人物の姿があった。
「・・誰だお前たち。」
思わずそんな言葉が口から飛び出してしまう。目の前にいる人物が明らかに宅配業者ではなかったからだ。まず、目の前に立つ男。身長は高めで、スーツがよく似合っているが、顔だけ見れば高校生と言っても通じそうな程若々しい男だった。その整った顔を、胡散臭い笑みで固めている。
そして、その男よりもさらに奇妙なのは、隣に立つ女性だ。現代日本には珍しい桔梗の柄の青い着物がよく似あう黒髪美人・・この時点で宅配業者とはかけ離れた存在だが、彼女の見た目は隣の男以上に幼かった。というか、小学生くらいにしか見えない。それなのに、立ち姿には妙な貫禄のようなものを感じさせた。
「はいこれ、宅配便です!」
「わ!ちょ、ちょっと!」
不意に目の前の男が手に持っていた段ボールを俺の目の前で落とし、俺はそれを反射的に両手で受け止めてしまう。その結果、ドアノブを握りしめていた俺の右手は外れ、その隙に謎の男女が勝手に俺の部屋の中に入り込んでしまった。
「何勝手に人の部屋に入り込んでいるんですか!警察呼びますよ!?」
俺はポケットに入れていたスマホ片手に二人を脅すが、その二人は俺のことなど全く気にする気配も見せず、仏壇の前に立っていた。
「・・どうやら、この男はお前を恨んでいるわけではないみたいだな。良かったな“鏡夜”。」
脅し通り110番を押そうとしていた俺は、男が言ったその名前に固まってしまう。
「い、今、お前なんて・・。」
「とうっ!」
隙だらけになった俺の手から、着物姿の女がジャンプしてスマホを叩き落とす。あっと声を漏らした俺に、その女はぱちっと可愛らしくウインクをして、「念のためじゃ。」と呟いた後、こう言った。
「さあ、お主の出番じゃ、『ヒビキ』!しっかりと自分の気持ちを伝えるのじゃぞ!」
そして、着物姿の女はパチンと一度だけ指を鳴らす。
―その瞬間、俺の目の前に一人の男が姿を現した。俺は、思わずその男の名前を呼ぶ。
「“響”!?何で君がここにいるんだ?」
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「何でここに君がいるんだ!?」
私の目の前では、響也が物凄い動揺した表情を浮かべている。まあ、それも当然だろうな。突然、目の前に死んだと思っていた恋人の弟が姿を現したわけだし。
ここまでは、全て晴明の計画通りだ。全く、晴明たちには結局最期までお世話になりっぱなしである。そして、ここまで晴明たちがしっかりと場を用意してくれた以上、私はしっかりと自分の役目を果たさなければならない。
「それは、ここにいる二人に私が響也兄と話せるようにお願いしたから。もう分かっていると思うけれど・・私死んでいるから、二人にお願いしないとこうして話すこともできないの。」
私が、生前と同じように響也のことをそう呼ぶと、響也は思わず息を呑んだようだった。そして、数秒ほど私をまじまじと眺めた後、絞り出すような声でこう言った。
「・・本当に、響なんだな?」
私は、その問いに無言で答える。すると、なぜか響也は私に向かっていきなり頭を下げてきた。
「お前にずっと謝りたかった・・。お前の好意に気付いていながら、その気持ちを無視して・・そして、あの時お前を止めることも出来なかった。本当にすまなかった!」
「・・え?」
思わずそんな声が出てしまった。自分では分からないが恐らく相当間抜けな顔をしているだろう。いや、響也に罵倒されることは覚悟していたが、まさか謝られるとは思ってもいなかった。どう考えても、悪いのは二人を轢いた私で、響也は全く関係ないだろう。それなのに、響也は心から申し訳なさそうな顔で私に頭を下げている。
(・・本当に、この人はとてつもなく優しい人だ。)
思わず口から笑みが漏れてしまう。それと同時に、涙がつたってきて私の頬を濡らした。私は、こんな彼の優しさに惚れてしまったのだ。そんなことを今更ながらに再確認し、私は大きくため息をついた。
「あーあ。折角どんな罵倒を受けても耐えようと思っていたのに、これじゃあ覚悟した意味がないじゃないですか。本当に、響也兄はお人よしすぎるんですよ。」
私の言葉に顔を上げた響也に、私は涙を拭って優しく微笑みかけた。
「・・私は、響也兄と出会ったことを後悔なんてしてませんし、むしろ謝らなければいけないのは私の方です。それこそ、どんなに謝っても取り返しのつかないことをしました。本当にごめんなさい。だから・・響也兄は、もう私たちに謝る必要はありません。どうか、その太陽のような眩しい優しさを、他の人のために使ってあげてください。」
私がそう言うと、響也は目に涙を溜めて私に必死に訴えた。
「でも・・俺が二人に出会ってなければ、叶も響も死なずに済んだかもしれない・・!」
そんな響也に、私は彼の眩いほど人を恨むことを知らない優しい心に目を細めつつ、ある条件を出した。
「・・では、どうしても響也兄の心が晴れないというなら、私の手助けをしてくれませんか?」
私がそう言うと、響也は「手助け?」と首を傾げて私の言葉の続きを促した。そこで、私は響也にあるお願いをした。
「・・私のことを、抱きしめてくれませんか?そうすれば、私は成仏することができるんです。」
私が、自分の未練が何なのか。それに気が付いたのは先ほど、消滅することを望んだ私が“ご隠居”に目を覚まさせられた直後のことだった。
私の未練・・その謎を解くカギは、舞が握っていたのだ。私が、あの夏の依頼の時立てなくなった舞を抱えた時、舞はこんなことを言っていた。
『い、いや、うちのことを触れると思ってなかったもんやから、ちょっとビビってな。』
あの時は、混乱しててそんな変なことを言っているのかなーと思っていたが、自分が既に死んでいることが分かった今なら分かる。晴明が語った幽霊の決まり、その一つにはこんなものがあった。
―『幽霊は、生きているモノには触れない』―
舞は、この決まりを知っていたからこそ、私が自分に触ることはできないと思っていたのだ。
それでは、何故私は舞に触ることができたのか?・・答えは簡単だ。それが、私の未練に関係していたからである。『幽霊は、未練に関する特別な現象を起こすことが出来る』。私が舞を触ることが出来たのは、それが私の未練に関係する行為だったからだ。
それでは、私の未練とは一体何か?・・ここまでくれば答えを出すのは簡単だった。
私は、図々しくも、自分で傷つけた最愛の男性に、ただ力強く抱きしめてもらいたかっただけなのだ。
「・・というわけで、響也兄が私を抱きしめてくれたら、私は成仏できるんです。」
私が、響也に簡単に未練のことなどについて説明して、改めてそう言うと、響也は、先ほどまで涙で濡らしていた瞳に強い意志を込めて、私を真っ直ぐに見据えた。
「分かった。それで響が天国にいけるんなら、俺はどんなことでもするさ。」
響也はそう言ってくれたが、私は恐らく天国にはいけないだろう。成仏=天国へいくことではないのだ。人を殺している私は、ほぼ間違いなく地獄に送られるだろう。
それでも・・響也から伝わってくる、私を思いやる気持ちが素直に嬉しかった。
だから、私も最期に今まで言えなかった自分の気持ちを伝えた。
「響也兄・・大好きだよ。」
そう言って、私は響也を強く抱きしめる。響也もまた、私を強く抱きしめてくれた。すると、私の身体から光があふれ始めた。それでも、私は成仏が完了するその時まで、響也を強く抱きしめ続けた。
ふと視線を横にやると、晴明と“ご隠居”がこちらを優しい眼差しで見つめていた。私は、そんな二人に「ありがとう」と伝えたかったが、既に話すことはできなくなっていた。それでも、私の気持ちは伝わったのか、晴明と“ご隠居”は二人とも笑顔を返してくれた。
そして、私の身体が完全に光に包まれ、もう少しで消えるというその時、それは突然私の隣に現れた。私に負けず劣らず強い光を放つそれを見て、私は思わず叫んでいた。
「姉さん!?」
見ると、響也や晴明や“ご隠居”も驚いている様子だった。そんな一様に驚きの表情を浮かべる私達を一瞥し、姉さんは私の肩に手を置くと、優しく微笑んでくれた。
「あ・・。」
・・それだけで、私には十分姉の気持ちが伝わってきた。
「叶!響!」
響也が私たちの名前を叫ぶ。しかし、私達はもう消える寸前だ。最期に、姉さんは響也の耳に口を添え何かを囁いた後、私の方へとその手を差し伸べた。そして、私はその差し伸べられた手を取る。
―こうして、鏡夜キョウの幽霊は、完全に成仏したのだった。
いよいよ次回で第一章完結です!これまで読んでくださった読者の皆様、本当にありがとうございました!




