第十四話:喫茶店『狐狗』店員、ときどきサトリ
「え?私晴明の仕事を手伝うだけじゃダメなの?」
私は、視線を落として”ご隠居”にそう尋ねる。
「普通なら夜BARで働くだけでもいいのじゃが、お主は住み込みじゃからのう。昼もここに住む以上は、喫茶での勤めも果たさんとなら・・ふにゃ!?」
「わーい!”ご隠居”ちゃんはっけーん!相変わらず可愛い!マジ可愛い!モフモフペロペロしちゃうー☆」
”ご隠居”の私に対する返答は、目を輝かせながらカウンターを跳び越えてきたぬいに抱き着かれて妨げられた。突然の事態に固まる私の目の前で、ぬいは宣言通りに舌を出して”ご隠居”の耳を舐め始めた。
「こ、こら!耳を舐めるでない!くすぐったいじゃろうが・・。あー!くそ、これだからお主のことは苦手なのじゃあ!」
”ご隠居”は顔を真っ赤にさせながらそう絶叫する。どうやら、先ほど私の後ろに隠れていたのはぬいに見つかりたくなかったからのようだ。ただ、そんなことをしても、いずれは見つかったと思うのだが・・・。
しばらく”ご隠居”を堪能したぬいは、すっきりとした顔でこちらに向き直った。
「ふふふ・・ご馳走様でした。さて、喫茶店で働くならアタシが話を聞くよ?オーナーは晴明だけれど、一応喫茶店の責任者はアタシだし。」
・・アンタ、”ご隠居”と私の会話ちゃんと聞いてたんだね。先ほどまでの行動を一切スルーして本題に入るその切り替えの早さには尊敬の念すら抱くよ。
まあ、”ご隠居”が言ったように私は住み込みで働く以上、ぬいたちの手伝いはしなければならなそうだから、あちらから話を振ってくれるのであればありがたい。
「はい。じゃあ、これからは喫茶店のほうでも働きたいと思います。」
「そっかそっか!人手が増えてくれるのは助かるよ。ねえ、君料理は得意?」
ぬいにそう尋ねられ、私はしばし考え込む。得意か不得意かと聞かれれば、料理に関しては得意な方だと思う。何しろ、一人暮らしを始めてからはずっと自炊をしていたし、味もなかなかだと自画自賛できるくらいだ。
「はい、得意です。」
「そっか~!良かった~。実は、厨房係は今まで”ご隠居”ちゃん一人に任せてたから大変だったんだよね。うちの喫茶店そこそこ人気あるから注文に追い付かなくてさ~。」
「ふむ。確かにそれは助かるな。儂も助手が欲しいと思っていたのじゃ。これからよろしく頼むぞ、カナウ!」
満開の桜を思わせるような笑みと共に差し出された”ご隠居”の手を振りほどけるはずもなく、私は問答無用で喫茶店の厨房係に任命されていたのだった。
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私は、晴明が用意してくれた『叶』と書かれたネームプレートをエプロンにつけ、開店直前の喫茶店店内を見渡した。晴明は、喫茶店には関わっていないため、下の居住スペースで居眠りをしているが、それ以外のメンバーは全員いた。私の隣には、同じようにエプロンと三角巾をつけた”ご隠居”の姿が。そして、メイド服姿のぬいは接客担当。先ほどからテーブルを拭き客を迎える準備をしている。その夫、ごんは入り口付近のレジの後ろに立ち、妻の様子を愛おしげに見つめている・・ご馳走様です。
そして、なぜか、店の中にはあのサトリもまたメイド服姿でいた。先ほどから店の隅にある椅子に座ってじっとしているそのサトリに、私は厨房から声をかけた。
「サトリ、あんたも働いているの?ぬいさんと同じ接客係?」
しかし、私がそう尋ねると、サトリは表情は変えないまま私をふっと鼻で笑ってこう言った。
『「サトリは、何係でもない。敢えて言うなら、私は私をしているだけだ。」サトリは、ドヤ顔でそう言った。』
そのサトリの意味不明な言葉の意味は、店がオープンすると明らかになった。
驚いたことに、先ほどぬいが言ったようにこの喫茶店はそこそこ人気があるようだった。まだ開店したばかりだというのに、こんな辺鄙な場所にある喫茶店にもう何人か客が入っている。入ってきたその客の姿を見たサトリが、厨房の方にぼそっとこう呟いた。
『「ナポリタン一つ、それからオレンジジュース。」』
その呟きを受けた”ご隠居”は、早速ナポリタンを作り始める。ポカンとしてその一連の成り行きを見つめる私に、ぬいが近づいてきてウインク混じりにこう言った。
「・・サトリちゃんが来てくれたおかげで、お客さんに注文を聞く前にお客様が一番食べたいモノが分かるのよ♡すごいでしょ?」
そして、ぬいは席に着いたお客さんにメニュー票も渡すことなく、客と雑談を始める。お客さんも、常連なのか全く注文をする気配もなくぬいとの雑談に花を咲かせていた。私は、思わず椅子に無表情で座るサトリの方を見た。
・・なるほど。他人の心が読めるサトリにとっては、当たり前のことをすることが店に貢献していることになっているのだ。
そして、私は、この店の人気はおそらくこのサトリの存在が大きいのだと気付いた。何しろ、自分が今一番食べたいものが出てくるのだ。やたらと色々な食材が置かれている厨房は、客の最も食べたいものを提供するために必要不可欠なものだった。
そのことに気付くと同時に、私は、「あれ?もしかして厨房係って一番しんどくない?」ということに気付き、戦慄するのであった。
次回は、新たな依頼です。