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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
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ハートに込めた想い

 放課後、人も少なくなった教室で三人そろって昼食を食べる。入学してから三日目、今日が最後の午前中授業の日なので、皆それぞれの時間を過ごしているのだろう。入部届を顧問の先生に渡しに行く生徒もいれば、終わりの挨拶と同時に教室を立ち去った生徒もいた。せわしなく動くクラスメイト達を見て、明日から本格的な高校生生活が始まるんやなぁ、と感慨深く思う。

「友哉ー? ……友哉ー、おーい!」

 誰かの呼び声に意識を戻す。葵が僕の顔をじとっ、と睨んでいた。

「全く、友哉はすぐにぼけーっとするんやから……。直した方がええで、それ。やないと、ホンマにホームから突き落とされるでっ」

「……突き落とされるって?」

 笑顔なのか険しい表情なのかわからない顔で忠告される。弁当のおかずについていたのであろうマヨネーズが、上唇にちょっとついているのが面白い。良太の質問にはあえて答えないことにする。

「まぁ、九割冗談やから!」

「あと一割は?」

「本気!!」

 けらけら笑う葵。本当に楽しそうである。

「で、何考えとったん?」

 その良太がコンビニのサンドイッチを咀嚼そしゃくしながら訊ねる。先ほどの質問は社交辞令しゃこうじれいのようなものだったのか、深く探求しようとはしてこなかった。

「……ま、明日から午前中やなくなるし、ほんまに高校生活が始まるんやなぁって。そう分かっとるんやけど、まだ実感湧かへんくてね。知らん間に想像の世界に行っとった」

「想像の世界?」

 良太が僕の言葉をオウム返しする。その口調こそいつも通りなものの、良太にも不安や緊張と言った感情があるのだろう。良太の瞳に映る僕の顔が、ゆらゆらと揺れていた。

「あぁ。僕らーが入学してまだ三日……いや、もう三日やな。色んなことがあって、めっちゃはよう感じたこの時間やったけど、まだまだ先は長い。千日以上ある中で、果たして僕はどんな高校球児生活を送るんやろう、夏とか秋には勝ち進めるやろか、新しい友達はできるんやろか、恋人とかももしかしたらできるんかなあ、とか考えてた」

 僕の言葉に二人は黙り込む。野球の話は、完全に僕の願望か我儘わがままみたいなものだ。でも、友人の件は別だ。早三日が経つが、僕に『友達』と呼べる関係のクラスメイトは目の前の二人以外にいない。以前からの知り合いらしきクラスメイト達が話している姿は時々目にするものの、クラス全体が大きな喧騒に包まれることはない。お互い、ぎこちなさを感じる空気が未だに蔓延まんえんしていた。

 そしてそれは良太と葵も一緒だろう。良太はもともと人見知りするタイプの人間だ。そのため、あまり自分から他人に話しかけることはしない。休み時間の最中にはちらっと良太の方を見ることもあるが、誰と話すでもなく一人で本を読んでいたりしていることが大半だ。中学時代からずっと見慣れている光景なので、特にそれについて責めたり異論を唱えたりする気はない。けれど、充実した生活を送るためには僕たち以外の友人を作ることも大事だと、僕は考えている。

 対して葵はこのようなことには積極的なタイプだ。誰にでも話しかけることができるし、友達を作ることは得意な方だと思う。クラスの誰かと会話している姿をたまに見かけるが、まだ少し余所余所よそよそしく感じる。このクラスにみんなが馴染むまでには、まだまだ時間がかかりそうだった。

 僕らの周りにも、同じように昼食を摂っている生徒がちらほらいる。電車の時間まで暇があるのか、それとも僕らみたいに部活か。けれど、誰も口を開くことなく、ただ目の前の昼食に集中している。勇気を出して話しかけてみようかと何度も思ったが、その身体から話しかけづらいオーラが発せられている気がして、あと一歩が踏み出せなかった。

 そして静寂が僕らを感化したのか、何を話せばいいのかもわからなくなってしまう。箸がぶつかり合う音や、ペットボトルのキャップを閉める音、弁当箱を仕舞うといった、普段は聴こえない微かな音でさえも明瞭に耳に届く。僕を含め、誰もが居づらく感じる空間にその小さな声を発したのは葵だった。

「恋人、かぁ……」

 既に食べ終わり、自動販売機で買ったらしいジュースを飲みながら呟く。ラベルにハートの模様が意匠いしょうされている炭酸飲料だった。

「なに、葵は好きな人とかおるん?」

「えっ!?」

 良太の意地の悪い質問に、葵は頓狂(とんきょう)な声を上げる。これはいるパターンやな、と僕は心の中でニヤニヤする。

「どうしたー、葵? そんな変な声上げてー」

 からかう視線と共に、棒読み気味に葵に訊く。あわあわする葵は、自らの気持ちを抑えつけるようにグイッと手にしていたジュースを飲んだ。

「うぐっ! うっ!!」

 あわてて飲んだためか、口の端から液体が流れ出てしまった。葵は急いで手で止めようとするが、あふれた分は戻らず、床に零れてしまった。

「あー、もう全く……」

 僕は呆れながら、ポケットティッシュを取り出し、一枚取って葵に渡す。そして零れてしまった分も綺麗にふき取った。

「大丈夫か、葵?」

 肩をポンポンと叩きながら良太が訊ねる。しばらく咳き込んでいた葵だったが、やがて落ち着き、椅子に腰を落とした。

「はぁ、もう……。二人が変な話するから……」

 残りが少なくなってしまったペットボトルを小さく振りながら、葵がため息交じりに呟く。その視線は、パッケージのハートに固定されている。まだほんのりと頬は赤い。だが、その瞳に映る感情はそれよりもあかいだろう。左半分には自分の名前を置いているのだろうか。そして、右半分にはいったい誰の名前が並ぶのだろうか。じっと見つめる葵の表情が、ふっと柔らかになった。そんな、気がした。


 昨夜、僕は入部届を両親の前に差し出し、常楽の野球部について説明した。できることなら危ない橋を渡るようなことはしたくなかった。だが両親は、野球をする僕を中学校の時から見続けてきた。練習試合がないことなどを理由に現状がばれてしまうかもしれない。そうなれば最悪の場合、退部させられる可能性もある。だったら……と考えた末の行動だった。

 もしかしたら「そんな安定せえへん野球部になんか入るな」などと言われるかもしれない。でも僕は、三年の夏までの二年半を、今の仲間と野球部で過ごしたいと切に思っている。もしそのような口を利かれた場合は、こちらも応戦するしかない。中学校の野球部だって決して人数は多くなかった。二人以上欠けたら試合ができなくなるほどの、ぎりぎりの野球部。その時も、初めは渋い顔をされたが、説得の末許可してもらった。今回は果たしてどうだろうか。

 全てを話し終えた後、僕は視線を膝の上に落とした。両親は顔や視線を動かすことも、表情を崩すこともなく僕の話を聞いてくれた。そんな二人の顔をまともに見られなくなってしまった。固く握ったりょうこぶしが、じんわりと汗ばんでいるのがわかる。握り替えることもせず、ただじっと力を加え続け、静かな時間を耐えた。時計が時を刻む音が、僕の鼓動と同期するメトロノームのように聴こえた。

「……それで、あんたはその野球部でやれる自信はあんの?」

 母さんがいつもの、穏やかな口調で訊ねる。僕は力強く頷いた。それを見て、一つ息を吐く。

「そう。葵ちゃんとか良太くんも入ってん?」

 僕はおそらく、とだけ答える。良太は、貴浩が既に入部していることもあるので入部に関して親と揉めることは多分ないだろう。仮に反対されたとしても、あの二人なら強引に認めさせてしまいそうな気がする。ただ、葵はどうだろうか。中学野球部への入部の際は特に難なく許可がもらえたらしい。当時、そのことを葵は半信半疑といった表情で語っていた。まさか認めてもらえるとは思ってへんくて、だから今、めっちゃ驚いてるし嬉しい……とのようなことを言っていた気がする。今度もそのような展開を期待したいが、そううまくいくだろうか。一抹の不安があった。

「勉強の方は、ちゃんとやれるんか?」

 高校の授業は中学とはちゃうんやぞ、と少し厳しい顔で父さんは言う。普段は温厚な人なのだが、学校が関連した話になると厳しくなることが多い。数年前まで些細なことで怒鳴られた。そのたび、僕は歯を食いしばりながら、こんなに怒らんでもええのに、と心の中で繰り返し続けた。そしてそんな父を母が宥めるというのがお決まりだった。

「数Ⅰ、数Aとか入ってくるんやで。ついていけるんこ?」

 問う父さんに僕は何も答えられない。高校生になれば、国数理社英だった科目は細分化され、より専門的な授業が始まるということは何度も聞いてきた。だからといって今、自分に何かできることがあるかといえば決して多くはなく、この場ではただ沈黙することしかできなかった。

「どうなんや」

 しかめっ面のまま、僕を正面からその視線で射抜いぬく。この場から逃げたくなる衝動を根性で何とか封じ込め、僕は小さく頷いた。

「……頑張る」

 今の僕には、そう答えるほか選択肢はなかった。

 父さんの険しい表情は変わらない。やはり説得力が足りないのだろう。「頑張る」という言葉で片付けられるほど軽い話ではない。入学式の日に、中島先生が言った通り、「問題がなければ」無事に卒業できる。何もそれはクラスの中の「問題」だけではない。そして、裏を返すと「問題が起これば」無事に卒業できないかもしれないということになる。その「問題」というのが、少しわかった気がする。

「今度、参考書とか問題集買うから。それで勉強する。わからんとこがあったらそん時は教えて」

 父さんの顔を見て、一言ずつ丁寧に言う。僕の言葉に嘘はない。

「……わかった。頑張れよ」

 そんな僕の気持ちが伝わったのか定かではないが、父さんは観念したように大きく息を吐いた。そして相好そうごうを崩す。その「頑張れよ」とは何に対してのエールなのだろうか。片方だけでないことを祈りつつ、再び母さんの方へと視線を向ける。

「まぁ、父さんが認めたのなら……。母さんが否定してもアレよね。ふふっ、頑張るのよ」

 そう言ってほほ笑む母さんは、常備している少し高級そうな鞄から印鑑を取り出し、僕の字の横の㊞の部分に強く押し付けた。「楠木」の朱い二文字がくっきりと浮かび上がる。

「あんた、もうちょっと字ぃ綺麗に書きや」

 苦笑してそんな軽口をたたく母さんだが、次の瞬間にはきりっとした笑顔を浮かべ、言った。

「廃部寸前の野球部を、あんたが連れて行きな」

 叶う可能性なんて一パーセントもあるのだろうか。そもそもそれを叶えられる状況に持っていけるのだろうか。その刹那せつな、様々な感情が僕の中で渦を巻いた。けれど、その言葉はきっと、これまでに貰った数多あまたのエールの中で最も心地よくて、身に沁みて。目に見えないのに、しっかりと質量を感じることができる。誰よりも頼れる人からの贈り物は、僕の歯車を大きく動かしたように感じた。


「……ていうのが、僕の家での話」

 昼食の時間を終え、着替えてグラウンドへ向かっている最中。僕たちは入部を認めてもらうまでの話に花を咲かせていた。

「友哉のお父さん、そういうとこ厳しいんやねー。まぁ、私んとこもそうやけど」

「わしは兄ちゃんのこともあるから、すぐに許可もらえたで」

 良太の言葉に葵と僕は同時にいいなーと返す。

「僕なんてめっちゃ苦労したのに……」

 思わずはぁぁ、と大きなため息が漏れる。

「葵もいいねーってことは、やっぱ難しかったん?」

 葵はまぁね、と答えて、話し出した。

「うちも友哉んとこみたいにちょっと厳しい……っていうのは知っとんやな。二人は私ん()にも何回か来たことあるし。そんな雰囲気やろ?」 

 葵の言うとおり、彼女の家には何回かお邪魔させてもらったことがある。常日頃から機嫌が悪いわけではないが、葵の父親はあまり笑わない。その見た目から、葵の言うようなイメージを感じていた。

「私は当然入部したい、って言うんやけど、うんって言わへんのよ。『女子一人だけで大丈夫なんか』、『不必要なトラブルに巻き込まれへんか』、『もうちょっと女の子らしいことしたらどうや』ってね。色々理由をつけて入部させまいとするんや。私が何言うても聞こうとせん態度にイラついてな、爆発しそうになったねん」

 その姿を軽く想像する。あまり人前で怒らない葵は、怒るとどんな感じになるのだろうか。良いことではないが、単純な興味がある。

「ほったらお母さんが口を挟んできてな。『この子がこんだけ言うとんやから、本気なんやろ。認めてやりなん』って。右の拳固めとったからな、あと数秒遅かったら殴り合いになっとったかもしれん」

 あはは、と笑いながら少しばかり恐ろしいことを口にする葵。良太の眉もおののいたためか、ひきつっている。

「ま、まぁ、何はともあれ、認めてもらえたんやな。ならよかった」

 葵のアグレッシブな行動については何も言わないことにして、取りつくろうように笑う。僕の態度を気にした様子もなく、葵は歩き続けている。

「これでとりあえず僕らの問題はクリアやな。どんだけほかの新入部員がいるかはちょっとわからんけど……」

 若干のいざこざはそれぞれあったみたいだが、結果的に誰も抜けることはなかった。幸先さいさきの良いスタートが切れたような気がした。そして、グラウンドへ向かう僕たちの足取りは軽く、精神は弛緩してゆく。葵や良太の冗談に笑う。春の穏やかな気候の下、僕たちは歩く。これから向かう場所が、戦場だということは理解していたはずなのに。この時ばかりは、頭の中からその単語は除外されていた。

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