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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
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桜の気持ち

 朝の静かな時間。僕と葵は、ゆっくりと石生駅の改札口を通過した。風に揺れ、さわさわと揺れる草木の声が、僕の中にスッと溶け込むように入り込んでくる。昨日みたいに、貴浩にからかわれないよう、今日は早足で駅に向かった。そのため、列車が到着する十五分前にはこうして駅に立つことができた。ホームの先の方まで目を凝らしてみるが、ちらほらと人の影はあるものの、まだ貴浩と良太の姿はない。時間に余裕はあるので、僕はぶらぶらと適当にうろつきながら待つことにした。無意識に動かされた右足が、地面に落ちている小石を線路に向かって軽く蹴る。ころころと転がって落ちたそれは、大量にかれている同胞に紛れて、すぐに識別できなくなった。

 唐突に、小さな風が吹きぬける。最盛期をやや過ぎた桜の花びらが、ゆっくりと舞い落ちる。春を迎えているとはいえ、早朝の風はまだ冷たい。思わずポケットに両手を突っ込んだ。黄色い点字ブロックを越えた先に立っていたので、その寒さが身体じゅうに循環する。

「……やっ」

 とんっ。

「わっっ!」

 後ろからかけられた声と同時に、背中を軽く小突かれた。

 空中に浮いた右足をあわててひっこめ、後ろを振り向く。

「…………葵」

 悪戯いたずらっ子のように笑う葵がそこには立っていた。僕の叫び声が聞こえたのか、近くにいた他校の生徒たちの視線を集めてしまっている。

「ほら、ホームの内側まで下がってーって言うやん。何か友哉、落ちそうなところでぼけーっと突っ立っとったから、教えてやらなあかんかなーって思て」

 悪い意味で目立ってしまって、頬の紅潮を感じる僕の前で、葵は気にすることなくぺらぺらと喋る。

「で? ビビった??」

「……別に」

 楽しそうな表情で訊ねる葵から目を逸らして、僕は短く答える。一瞬感じた無重力の所為で、冷や汗が背中を流れているのがはっきりとわかる。それを隠すように、服の上から背中をさすって汗を吸収させる。

「とか言いながらぁ~。ホンマはビビったんやろ? 見たよ? 背中、どしたん?」

 葵が僕の背後に視線を彷徨(さまよ)わす。その言葉に一瞬動揺したものの、僕は平静を装う。ずっと僕の後ろを見続けている葵に、我慢できなくなり、訊ねる。

「……僕の後ろに何かあるん?」

 葵は「ううーん……」と唸ってから、

「何もないわ」

 と、あっけらかんとした口調で答えた。

「やったらええやろ? そろそろ戻らせてや。寒いし」

 葵に押されてから数分。その間、僕はずっと、すぐ真下に線路、目の前には葵という逃げ場のない状況に立たされていた。そろそろ肉体的にも精神的にも限界が近づいている。僕の言葉を聞いて、葵がその場を避けると、ようやく足腰が自由に動かせるようになる。崖っぷちに立たされているようにすら感じる、その状況から抜け出せたことで、一気に疲れが体を襲う。

「でも、アレやね。友哉はもうちょい素直になってもええと思うよ。ビビったんならビビった、ってね」

「……僕はツンデレか?」

「いや、こんなところでツンデレの要素、発揮されても困るし。それに、友哉にツンデレは似合わんしなっ」

「……そうか。なら、よかったよ」

 力なく返答する僕の頭上から、列車の接近を伝えるアナウンスが流れる。備え付けの椅子に座っていた生徒たちが動き始める。

「ほら、黄色い点字ブロックの内側に」

 葵がグッと僕を引っ張る。疲弊しきっている僕は、その手に身をゆだねた。

「おっと……」

 葵が僕の重みに耐えようとする。よろめく葵に僕はいつもの笑顔で微笑みかける。くすっ、と葵も笑った。

 朝から、しょうもないことで騒ぐ僕たち。けれど、それこそが本当の日常なのだ。

 徐々に大きくなる電車の音。また小さな風が吹いた。さっき、少しの間触れ合った時に感じた温もりのおかげで、寒さが和らいだような気がする。


「セーーーーーーーフッ!!」

 発車直前、閉まりかけていたドアを強引にこじ開けて、貴浩が車内に滑り込んできた。その後ろから、良太も走って乗車する。今回ばかりは注意する気力がないのか、大声で叫ぶ兄に良太は何も言わなかった。二人とも大きく肩で息をしている。火照ほてったその顔から、ここまでの激走が見えるようだった。

「はぁ、はぁ……。何とか間にうたな……。死ぬかと思たわ」

 僕たちが座る席にどかっと腰を下ろした貴浩は、制服の上着を脱ぎ捨ててカッターシャツ姿になった。そして、胸元をぱたぱたとあおぐ。

「……ふぅ。にしても、今日はわしらーが待たせる側になってまうとはな」

 ようやく落ち着いてきたのか、一息吐いて良太はいつもの調子で話す。

「ホンマやで。ったく、こいつが朝からやんややんや言うから……」

「はぁっ!? 何でわしやねん! 兄ちゃんが悪いんやろ!?」

 珍しく良太が憤慨している。喧嘩でもしたのだろうか。

「何? 喧嘩でもしたん」

 葵が僕の考えを読み取ったかのように質問する。

「いやな、今朝こいつが急に教科書ないって言い出してなー。たまたま昨日俺がその教科書、借りとったんや。色々あって。俺はちゃんと戻した、って言っとるのに全く信用せんくて。んで、朝から大騒ぎ。昨日茶化したばかりやって言うのに、今度は俺らーが茶化されてまうわ」

 言いながら貴浩は冗談っぽくハハハ、と笑った。それに対して、良太が納得していない様子で言い返す。

「ちゃんとそこらじゅう探したけど無いんやもん。どうせ兄ちゃんのことやから、そこらへんポーイッってしたんとちゃうん!?」

「お前なぁ……。ちったぁ兄を信じろよ。そんなぎゃーぎゃー近くでわめかれると頭が痛うなってまうわ」

「普段からっ――」

 ほうっておくとまだまだ続き、ヒートアップしそうなのでそろそろ割って入ることにする。

「まぁまぁ……。ここは電車ん中やし。帰ってからまたゆっくり探せば?」

 僕の言葉に、良太がハッと気付く。そしてしゅんと萎れてしまった。きっと、いつもは注意する側の自分が愚かな行為をしてしまったことに恥ずかしさを覚えたのだろう。そんな良太の姿に、僕らは苦笑する。

「まぁ、そう落ち込まずに」

「元気出そっ」

 僕と葵の言葉に、良太は小さく「ありがとう」と答えた。

「ほら、元気出せよっ!」

 そして貴浩がバンッと背中をたたく。

「誰の所為やと……」

 背中をさすりながら恨めしそうにつぶやく弟を横に、貴浩は気にした様子もなく笑った。

 車窓を走る風景にそう大差はない。違うところと言えば、車の数や種類、そして雲の量ぐらい。そんな微細な変化は、僕らのこの壮大な日常に何かしらの影響を及ぼすものではない。それでも、時の流れの中で変わってしまうものは存在する。仕方ないことだと思う。でも、変わるべきでないものは変わらないでほしい。この空も、この車窓も、そしてこの仲間も。何一つ、誰一人欠けることなく、僕は夢を叶えたい。


「ところでお前ら、部活は?」

 石生駅の次の駅、黒井くろい駅を過ぎてすぐ、貴浩が唐突に声を上げた。

「野球部やけど?」

「野球部。マネージャーやけど」

「……野球部」

 三人がほぼ同時に答える。良太はまだ落ち込んでいるらしく、声が重い。

「いや、それはなんとなくわかったけど。……つか、お前らみんな来るんやな」

「まぁね」

 葵がなぜか少し得意げに言う。僕も倣うように小さく微笑んだ。

「そうやなくて、いつ入部届渡しに行くんや? 去年通りやったら、今日のうちに初練習すると思うけど」

 貴浩の質問に、僕と葵は目を合わせる。良太もちょっと顔を上げた。

 んー、と考える。でも、善は急げだ。それは葵も良太も同じだったようで、

「朝休みでええんちゃう?」

 僕の一声に、二人は素直にうん、と頷いた。

「……でもや、常楽の野球部の練習ってどんなんなん?」

 ここの野球部の現状を知っている僕たちとしては、今のうちに消化しておきたい疑問だった。葵と良太も、それは気になっていたようで、三人の視線が貴浩に向けられる。それを受ける貴浩の表情は決してすぐれたものではない。

「やっぱ、気になるよな。あんだけ聞いたんやし」

 ま、言ったんは俺やけど、と苦笑した。

「でも、貴浩とか石崎先輩を見とると、そんなやる気のない野球部、って感じには見えへんけどなぁ」

 部室で出会った石崎先輩を思い出す。曲がったことが嫌いそうで、野球への情熱は僕がこれまでに出会った誰よりも一線を画しているように思えた。それに、貴浩も。普段は馬鹿なことをやって周囲を笑わすムードメーカーの役割を果たす存在だが、野球になると人が変わったかのように真面目まじめになる。そんな先輩二人がいる中で、怠慢な練習の風景を想像することは難しかった。

「なぁなぁ、石崎先輩って?」

 葵が僕の制服のすそをくいくい、と引っ張りながら訊ねてくる。

「貴浩を除いたら唯一の野球部員で、部長。一言で言うなら『巨人』みたいな人やったよ」

 へぇー、と葵はうなずく。今頃葵の脳内では石崎先輩のイメージが浮かび上がっているのだろうか。何もないところを眺める葵の表情が難しいものになっている。

「……ちょっと怖いな」

「まぁ、確かに厳しい人やけど、野球愛はすごい人やで。あの人やったら、常楽を引っ張って行ってくれる気がする」

 石崎先輩への印象をそのまま言葉にする。僕はまだ何か伝えられることはないかと記憶を探ったが、見つかる前に貴浩が口を開いた。

「友哉。お前の目は多分間違(まちご)うてへん。俺も、あいつやったらこのすたれた野球部を立て直してくれると本気で思っとる」

 ならなぜ、と僕が問う前に、早口で言葉が紡がれる。

「でも、でもな。俺らが頑張っても、か……」

『ご乗車、ありがとうございました。間もなく、終点、福知山、福知山です……』

 何かを言おうとした貴浩の言葉を遮断するように、終着を告げるアナウンスが流れた。知らぬうちに、列車は映る景色を変え続けていたのだ。窓から見える、福知山市街地の桜の花びらには、徐々に散りかけているものもある。相棒を無くし、孤独になった木々は果してどんなことを思うのだろうか。時が経てば、再びその木には新たな相棒が宿る。若々しい緑が、また季節を彩ってくれる。だが、それまでじっと耐え続けねばならない。その気持ちを、僕が理解できるはずは当然なかった。

「……とりあえず、見てみろよ」

 貴浩が放った一言。

 僕の心の中で、薄く小さな何かがゆらゆらと舞い落ち、そしてすぐに消えた。


『職員室』のプレートのかかった部屋の前に三人で立つ。教師は、だいたい僕たちが登校する時間と同じぐらいには職員室にいると貴浩に聞いたので、不必要な不安は抱かずに来ることができた。ただ、それでも鼓動は加速を続けている。

「なんか、中学校を思い出すね」

 葵がしんみりした口調で話す。僕と良太は、その時を思い出して苦笑した。

 コンコンコン、と扉を軽くノックする。

「お。おはよう。君らー朝早いね」

 やってきたのは我らが担任、中島先生だった。パソコン作業をしていたのか、専用のメガネをかけている。教室で見る時とは、一風違う印象を受けた。

 緊張でつい早口になってしまう自分の口を抑えつけ、一言ずつ慎重に言葉を絞り出す。

「あ、えっと、あの……。か、開田かいだ先生、いらっしゃいますか?」

 貴浩に聞いた、野球部顧問の名前を口に出す。あろうことか声が裏返ってしまう。これまで、職員室に先生を訪ねることは何回もあったというのに。こういう時の自分の小心さが嫌になる。「ありがと、友哉」と背後から葵と良太が言ってくれる。

 中島先生が呼んでくれたおかげで、すぐに開田先生はやってきた。

「キミたちが僕に用があるって子? なに?」

 開田陽一かいだよういち先生。社会科担当で、貴浩が言うにはかなり温厚で、大声を出したりするところは見たことがないらしい。確かに野球はうまいのだが、顧問にはあまり向いていないような……、と貴浩は呟いていた。

「ん? どうしたの? ……もしかしてみんな、野球部に用事かい?」

 僕らが手に持っているものを見てか、開田先生は嬉しそうな声を上げた。

「あ、はい。すみません。入部希望の一年一組、楠木友哉です。これ、入部届です」

「同じく、一年一組、山本良太です」

「同じく、木ノ下葵です。あ、私はマネージャー希望です」

 連なるように自己紹介を続けた僕たちを見て、開田先生はぽかんとしている。そこには嬉しさと驚きが入り混じったような感情が垣間見えた気がした。

「うん、ありがとう。確かに、入部届、受理しました。じゃあ今日の放課後、今学期初めての練習をするから、グラウンドに来てね。体操服とかある?」

 開田先生……もとい開田監督の言葉に僕らは深く頷く。満足そうに監督は笑みを浮かべた。

「そう。じゃあ、よろしくね」

 監督は軽い表情で、手を振りながら去っていった。

「……不思議な人やな」

 良太がボソッと声にする。

 そして、この野球部が「常に楽しく!」の状態になっている理由がわかったような気がする。僕の憶測はきっと、間違っていない。

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