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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
39/54

歪み

 俊介に対して、不安な気持ちを抱いたその日は、特にトラブルは起こらなかった。どことなく気が抜けているような感じはしたが、誰も気づいていないのか、とがめられるようなことはなかった。僕としても、本人が大丈夫と言っている以上、強引に聞き出すことはできない。何かあったら相談させてもらう、という彼の言葉を信じ、日は過ぎていった。

 しかし、京都府大会の開会式を前日に控えた十日に事件は起こった。僕はその時間、斜陽高校のブルペンで翌日の登板の為の調整をしていたので、それが起こる瞬間をしっかりと見ていた。

 みんながいつものように声を出し、ミスをすることもなく安定した状態でノックを受けていた時だ。指導者二人は用事があるらしく、臨時で野村先輩がノッカーを務めていた。テスト後の初練習から数日が経過していたこの日、俊介の状態は目に見えて悪化していた。監督は気づいていたらしく、声をかけているのを見たが、俊介はそこでも「なんでもない」と答えていたらしい。だがやはりそれは意地を張っていただけのようで、溜めていた鬱憤が遂に漏れてしまったのだろう。

 その時、俊介は小さなミスをした。正確に言うと、ゴロの途中でボールの軌道が変わり、グローブを抱えていたところから逸れてしまったのだ。急いでグローブの場所を変えたが、その甲斐なくボールは外野へと抜けていった。俊介自身に非はないし、連合チームを結成した当時なら、気をつけろよ、程度で終わっていたほどのプレーだった。だが、大会のことを考え、少しピリピリしていた状況では、とても致命的なミスに映ったのだろう。野村先輩が声を荒げて注意したのだ。

「おい俊介! ちゃんと前見とれ!!」

 基本的に冷静で落ち着いている先輩が理不尽に怒鳴るのは、初めて見た。周りの空気が、嫌でも湿ってくる。

 普通ならここで俊介が謝って仕切り直すのだが、ここ数日、虫の居所が悪かった俊介の堤防は、この時決壊した。何かが切れてしまったのは、やや距離があった僕にでもわかった。だから、野村先輩やほかの人たちが気づかなかったはずがない。慌ててショートの石崎先輩が落ち着かせようとするが、遅かった。

「俺が……悪いんですか」

 低く、俊介は呻くように呟いた。湿った空気が、どんどん凍っていく。

「どういうことですか! 今のんはボールが俺の前でイレギュラーしたからでしょう!? 何で俺が怒られなアカンのですか!?」

 つかつかと野村先輩の元まで歩み寄り、問い詰める。この事態を収めてくれるような大人を探したが、監督たちはこの場にいない。ヒートアップしている俊介を一声で止められる者はいなかった。野村先輩も、反発されるとは思ってなかったらしく、少し戸惑っているように見える。だが、後輩に追い詰められている自分に気づいたのか、普段の冷静さを捨ててしまった。

「……さっき言うた通り、お前がちゃんとボールを見てへんのが悪いんや。集中しとったら捕れたはずや」

 挑発するような顔つきで先輩は言う。俊介は歯噛みして、悔しさをあらわにさせていた。

 畳み掛けるように、野村先輩は続ける。

「第一、お前はまず真面目に野球する気があるんか? 最近ずっとぼけーっとしとるっつうか、湿気しけた顔しとるっつうか。一人がそういう空気になったら、全員に伝わるんや。明日から大会が始まる言うのに、そんな空気をかもし出しとったら迷惑やねん。最低や。お前はそれをわかっとんか?」

 俊介を見下すような顔つきで先輩はなじる。先輩の方の鬱憤も、この時吐き出されているようだった。日ごろから不満があったかどうかわからないが、ストレスは間違いなくあったのだろう。俊介をそのけ口にしているようにさえ感じられた。

「……っ、なっ……」

 俊介がかろうじて声を吐き出す。言葉も身体も、小刻みに震えていた。

 俊介自身、いま野村先輩が言ったことは理解していた。自分の状態が良くないことをきちんとわかっていた。だからこそ、頭に血が上っていた。

 これ以上はまずい、と感じたのか、固まっている野球部員に変わって、葵と瑠璃が二人の間に入る。しかし、俊介は止まらなかった。一度決壊して流れ出した水は、簡単に止まることはない。前が行けば次が続くように、どんどんあふれ出していく。言葉とて、それは関係ない。

「何を理不尽なことを!! 自分のイライラを俺にぶつけてるだけなんやないんすか!? それこそ最低やないすか!?」

 俊介の怒号がグラウンドに木霊する。付近を歩いていた下校中と思しきカップルがこちらを振り返っていた。やがて何となく状態を把握したのか、お互いに嫌らしい笑みを浮かべて早足で去っていく。きっと、「俺はあんな風に怒鳴ったりしないよ」とか小さな声で言ったのだろう。何もことを知らずに知ったような口をきくな、と妄想の中の彼に怒鳴ったが、意味はない。

 俊介は既に、先輩に殴りかかりそうなぐらいに鋭い視線を飛ばしていた。葵と瑠璃だけでは止められる状態ではない。ようやく僕たちの体も動き、二人の間に割って入った。多勢に無勢だと思ったのか、俊介がややあって動きを止める。そして魂が抜けたようにその場に座り込んだ。

「先輩! 言い過ぎですよ!!」

 良太が俊介を庇って叫ぶ。先輩はそんな良太に目もくれない。意気消沈してこうべを垂らす俊介と、それを黙って見下ろす野村先輩。ひどく対照的な二人は、しばらくそのままだった。


 数分して帰ってきた監督たちは、二人を囲むように立っている僕らを見て、初めは目を丸くした。だが、ただならぬ雰囲気を感じ取った監督は、とりあえず全員を集合させた。必然的に、俊介と野村先輩は対称な位置を取っていた。

 険悪な雰囲気のまま一部始終を聞いた監督は、一言だけ呟いた。

「お前ら、何がしたいんや」


 ねっとりと重い沈黙が下りる。小さな一言に、誰もが言葉を発せないでいる。夕刻が迫って、甲高い声でわめくヒグラシの声が、ぐさぐさと鼓膜に刺さる。ここの空気を敏感に感じ取ったのか、誰も寄り付かず、グラウンドの周りは人っ子一人いない。いつか感じた孤独感が再び僕を襲う。

「……すみませんでした」

 一分ほど続いた沈黙を破ったのは野村先輩だった。謝罪の言葉を口にし、深く頭を下げる。俊介も同じようにする。

「俺らーも……止めることができませんでした。すみませんでした」

 貴浩も、先輩として俊介を止めることができなかったことに責任を感じてか、頭を下げた。僕たちにも、同様の罪悪感があった。

「もうええ。とりあえず頭を上げろ」

 監督は厳しい表情を一切崩さずに、僕たちに命令する。

「なぁ大地。何で、今回みたいなことになったんやと思うか?」 

 鋭い視線を野村先輩に飛ばし、監督は訊ねる。

「俺が……自分の我儘わがままを言ったせいです」

 先輩は素直に答える。だが、監督は矢継ぎ早に次の質問をした。

「じゃあ、何で我儘を言ってしまったのか。お前は確かに野球には熱い。だが、普段は冷静に物事を判断できとるやんか。何でやろ」

「それは……」

 監督に問われ、返事に窮する先輩。チームがピリピリしているのを一番に感じていたのは、野村先輩自身だろう。それに見事に操られてしまったのだから、みんなの先輩として、キャプテンとして答えづらいところがあるのかもしれない。

「じゃあ俊介はどう思う。何でお前は、キャプテンの注意に反抗したんや?」

 矛先を向けられた俊介は、

「……自分の機嫌が悪かった、ただそれだけの、自分勝手な理由です」

 とだけ小さく答えた。

 本人にとっては重要なことなのだろうが、その事情をよくは知らない僕たちにとっては火に油を注いだだけの回答に過ぎない。このような空気が苦手な僕としては、冷や汗が止まらない。

「お前らも、何で二人を止めんかったんや。話聞いとると、マネージャーの二人が一番最初に止めに入ったらしいやんか。まさか、喧嘩を止めるんもマネージャーの役目や、とか思っとったんちゃうやろな」

 猜疑さいぎ侮蔑ぶべつが混じったような視線が全員に投げかけられる。

「いえ、決してそんなことは……」

 石崎先輩が代表して答える。だが、油を注いだ炎に対して、それはスポイトで落とした一滴の水のようなものだった。

 監督は一つ息を吐いて、

「大会前でピリピリするんはわかる。それぞれの事情があるんも、仕方ないことや。けどな、そんな雰囲気のままやったらお前らのホンマの力、出せへんぞ。二校が結託して乗り越えていかなアカン場面やのに、ギスギスしたまま大会に行くつもりやったんか。……今のままやったら、明後日からの試合には出せん。明日の開幕式にも、や。今の雰囲気を打破させるいい機会やとおもて、明日からどうするか、全員で話し合え。何時になってもええから、結論が出たら言いに来い」

 厳しい表情を一切崩すことなく、夕日の中へと消えていった。

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