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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
34/54

小さな奇跡

 ついに試合ができるとわかった僕らの熱は、しばらく収まらなかった。まだ何か結果を出したわけでもないのに、まるで全国の高校のトップに立った時のように喜んでいたと思う。冷静になった今思い返してみると、ちょっとはしたない行動だったかな、と一人自分を責めていたりするのだが、仕方あるまい。周りが見えなくなるほどに嬉しかったということだ。

 そして今は、その記念すべき初試合に向けた簡単なミーティングを行っている。と言っても、スターティングメンバ―は前日に発表されるようなので、今は当日の先発投手を誰にするかだけ話している。先発投手というのは、前日に急に言われて調整するのは決して簡単なことではない。特に今回の場合は練習試合一試合だけなので、万全の調子で迎えたいところだろう。だから、と監督が提案したのだった。

「まだまだわっかい西野が登板したらええやん。未来のエースピッチャーやで」

 と誰かが冗談めかして言えば、

「いや、楠木が最近調子上げてきよるん知っとるやろ。ここはその流れに乗ろうや」

 と、僕を支持してくれる声もある。石崎先輩はクローザーなので、はじめから話に上がることはない。

 だが、そんな声よりも多くの支持を受けたのが、

「初試合つったら、思い出に残るもんやん。せやったら、今年で引退になる野村先輩が先発すべきやろ」

 という声だった。ちなみに発言したのは谷村先輩だ。僕も同様の意見を持っていたので、素直に便乗した。僕や西野を推していた人たちも、さすがにキャプテンの野村先輩をさしおいて自分の意見を通そうとする度胸はなかったらしく、全員がその案に賛成した。もちろん、本人も渋ることなく快諾した。

 僕と西野は中継ぎ投手、その中でも僕は、万が一先発が早いイニングで降板してしまった際に長いイニングを投げる、「第二先発」としてベンチ入りすることになった。この時点で石崎先輩はショートとして先発することが決まったが、試合の展開によっては抑えも務めなければならない。僕も逆があり得るので、両方の調整を進めるのはなかなか難しい。二兎を追って、中途半端な状態で試合を迎えることの無いようにしなくてはならない。

「じゃあ、一回円陣でも組んでみる?」

 再び谷村先輩がみんなに声をかける。モチベーションを上げなければらない時、彼のような存在はありがたい。僕のように控えめな性格の持ち主は、積極的にみんなに対して発言などできない。

 ぞろぞろと、マネージャーの二人を含めた十三人が一点に集まる。全員がそれぞれの肩をぶつけ合い、小さな輪っかを作る。僕の横には、当たり前のように良太が陣取る。貴浩は同学年の前田先輩と石崎先輩と共に組んで笑っていた。そして僕のもう片方には、これまたさも当然と言うように、瑠璃を連れて葵がやってくる。さらに、俊介に亮輔、桧山に西野も少し遠慮がちではあったが肩を組み、いよいよ全員が一つにつながった。

「ついに、試合ができるようになった」

 みんなが静まったのを確認して、キャプテンが第一声を上げる。僕らは両隣の存在を熱く感じながら、続きを待つ。

「そのことに感謝して、そして絶対に勝つ!」

 言葉にも熱を感じた。今すぐにでも叫びたくなる衝動を抑え、最後の言葉を待つ。

「常楽斜陽ファイト―!!」

「オー!!!!!」

 誰も、誰とも打ち合わせなどしていない。全てがアドリブだった。だが、誰一人としてタイミングを間違えることはなかった。きっと偶然だろうが、それでも嬉しかった。

 ようやく、皆で目指すべき目標が大きく掲げられた。ちょっと前までは、お互いを全く知らずに、寂しく野球をしていた。だが、そんな影のような毎日に光が差し込んだ。それを奇跡と言わずしてどう表現すればよいのだろう。そして、それが『奇跡』ならば、きっと今の僕らも『奇跡』だ。

 僕らの間を流れる、熱を帯びた風が、ずっと吹き続ければいい。時に不愉快に感じることはあっても、マイナスになることはない。必ずどこかで意味を為すことになる。

「おっし! じゃあ練習再開すんで!!」

 それが果たしていつになるか。

 答えを知るとき、僕ら自身がそれぞれの理想の世界にいてくれることを願うしかない。


 そしてこのころ、常楽高校だけの練習にも小さな変化が現れ出していた。斜陽高校のハードな練習に感化されたのか、それとも監督としてのプライドの問題か、開田監督が以前の雰囲気から脱しつつあったのだ。と言っても、熊川監督のようにほんの小さなミスで怒鳴り散らすようなことはない。でも、指導は以前よりも丁寧に行ってくれるようになった。正直言うと、教え方は熊川監督の方が上手なのだが、まだ慣れていないのだろう、少々不器用っぽいところから、その熱意を感じることができるようになった。   あぁ、苦労しながらも、野球部を変えようと、斜陽と肩を並べるにふさわしい部にしてくれようとしているんだな、と僕は思った。それは他のみんなも同じだったらしく、監督の指導にきちんと耳を傾けていた。

 試合を前日に控えた土曜日、試合前最後の合同練習を行った時だ。

 石崎先輩と共にショートでノックを受けた後の休憩時間、谷村先輩が不思議そうな顔をして問いかけてきた。

「なぁ楠木、常楽の雰囲気、ちょっと変わったか?」

 そう感じますか? と僕が問いかえすと、

「あぁ、一日しか開いてへんのに、まるで別の野球部と練習しとるみたいやわ。何かあったん?」

 そう不思議がる表情を変えようとせずに訊ねてくる先輩が何だか少し可笑おかしくて、「まぁ、色々あったんです」と笑いながら短く答えた。

 最後に、明日の試合のスターティングメンバーの発表を聞き、僕らは常楽高校に帰るべくバスに乗り込んだ。その車内で聞こえてきた会話から察するに、どうやらほかの守備位置のメンバーも、斜陽の選手から同様のことを言われたらしかった。本当に僅かな時間しか開いていないのに、そこまで顕著に変化が現れるのか、少し訝しく思ったが、あの斜陽の選手が言うのだから本当なのだろう。くだらない嘘を吐く人たちだとは到底思えないし、そんなことで疑心暗鬼になっていては共に野球などできやしない。

 先頭に座る監督も、心なしか少し嬉しそうだった。

 学校に着くころには、いつものように時刻は十八時を過ぎており、東の空からは灰色の世界が来つつあった。気を付けて帰れよーという監督の言葉を背に受けながら、みんなで固まって駅へ向かう。

「ついに明日かー」

 葵が鞄を持った手をうーんと伸ばしながら言う。貴浩がそれに応える。

「早かったなー、この四日間。試合ができる、って聞いたときはめっちゃびっくりしたわ」

 大声で笑いながら言う。付近の小さなアパートにわずかにその声が反射していた。

「貴浩、それは俺の台詞や。俺が一番驚いとったわ」 

 石崎先輩が静かな声色で言い、試合の話を聞かされた時の困惑していた先輩を思い出して、みんなで笑う。恥ずかしそうに先輩は顔を背けていた。それを、亮輔や俊介、貴浩もからかう。

 そんな風に馬鹿騒ぎしながら歩いていれば、十分足らずの道のりはすぐに終わりを迎える。

「じゃ、明日頑張ろうな」

 お互いそう言いあい、それぞれの道へと消えていった。


「ヤバい、あたし何か緊張してきた」

 電車が福知山駅を発車するなりそうつぶやいたのは瑠璃だった。

「いや早いって」

 思わず突っ込みを入れる。

「だって、明日もマネージャーがすることいっぱいあるでしょ? それに、まだまだ野球知識も中途半端だし……。色々考えることがありすぎてこんがらがっちゃうよ」

 はは、と苦笑する。

 確かに、瑠璃には実践を通して、野球というスポーツをわかってほしいと願っている。けれど、さすがに急ぎ足すぎただろうか。瑠璃にとって重荷となっているのならば、本業に支障を来たさないか少し不安になった。

「その……もしかして辛かったりする? いろいろ並行してやっとること……」

 おずおずと訊ねてみると、瑠璃は苦笑から微笑に変え、

「ううん、だってもともと野球知識を覚えたい、って言ったのはあたしだし、辛くなんかないよ。寧ろちょっと楽しいぐらい。でもやっぱり、いっぺんに詰め込みすぎると、ちょっとしんどくなることはあるかな。ホラ、テストの時に、暗記科目を前日にぐわーってやっちゃったときみたいに」

 瑠璃の屈託のない笑みと共に出された具体例に、今度は葵が辛そうな顔をする。

「テスト……。暗記科目……」

 そういえば、試合が終わればテスト二週間前だ。部活は一応続けられるが、テスト勉強もしなくてはならない。今回も、僕はそれなりに自信はある。きっと平均的な結果に終わると思うが。

「葵は、どうなの?」

 われ関せずと窓の外を、汗の粒を一粒流しながら見ていた葵に訊く。

「いっ、いやー……。だいじょ、うぶだから、うん、大丈夫」

 早口で、時々どもりながら葵は答える。うん、全然大丈夫じゃないな。

「はぁ……。試合終わったら一緒に勉強会やろ、葵ちゃん?」 

 瑠璃の温かな優しさに、葵は半分涙目で頷いたのだった。

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