斜陽高校の過去
初の合同練習から数日が経過し、斜陽の選手ともコミュニケーションの取り方が何となくわかるようになってきた。昔は強豪校であっただけあり、もしかしたら話しかけづらい空気を遠慮なく醸し出しているような人たちばかりかもしれない、と少し構えていたのだが、それは杞憂に終わったようだった。ノックの時の谷村先輩もそうだったが、みんなフランクな人柄の持ち主で、話しかければ雑談にも付き合ってくれるし、むしろあちら側から話しかけてきてくれることの方が多かった。良太のように無口な人物が相手でも、コミュニケーションには特に困った様子を見せることはなかった。
このことについて、ノックの一件以来時々話すようになった谷村先輩に訊いてみると、
「昔からコミュニケーションの取り方に関しては何も変わってへんよ。でも、今は限りなく弱くなってしもてるから、特にそういう連携プレーに関わってくることには力を入れとるだけ」
との答えが返ってきた。
打力や守備力が昔より低下した分、それを全員が一丸になることによってカバーするという、斜陽の努力の表れなのだろう。僕はそう感じた。
そして、二校が徐々にまじりあっていく中で、確実に全選手が力をつけ始めていた。熊川監督は、指摘は開田監督に比べてかなり厳しいが、その分、指導にはしっかりと付き合ってくれる。毎日毎時間、多くの選手が指摘されるが、その全員にきちんと指導してくれるのだ。バットのヘッドが下がっとるから打球が前に飛ばへんのや、フォーク投げるときだけ体の軸が傾いとる……など僕も様々なことを指導された。そのたびに、監督は僕の悪いところが少しでも改善するようにと三十分ほど時間を取って体に教えてくれた。
そして今日、少し気になった僕は、そんなにも熱心に指導してくれる理由を訊ねてみた。
監督は練習の時には見せない、初めて僕たちの前に立った時の穏やかな表情で一言、
「監督として、当然のことです」
とだけ答えた。あまりにも素っ気ない解答だったので、思わず面食らった僕に監督はふっと口角をわずかに上げて笑った。
「予想していた答えと違って、驚いている……。そんな感じですか?」
心の中を読まれているようで、苦笑していると、監督は少しだけ表情を厳しくして、
「もう一度、甲子園に行く為ですよ」
視線の先に、緑の芝とこげ茶の土を思い浮かべるように空を見上げていた。
斜陽高校が廃れはじめたのは、熊川監督の前任の監督が就任してからだそうだ。その監督は、自由奔放とした呑気な性格で、人柄だけ見ると、ほとんどの生徒から好かれていた。授業では生徒の雑談に交ろうとして脱線するし、ため口で話すのも許した。ほかの教師陣からは当然のことだが良い顔はされなかったらしい。ただの、「フレンドリーな教師」というだけなら、その先生のほかにも数人ほどはいる。けれど、野球部の顧問であるのが問題だった。そのほんわかした空気が野球部に充満するのに、そう時間はかからなかった。もちろん、以前の野球部であり続けようと、抵抗した者も少なからずいたらしい。当時三桁を越す数の部員の中の三分の一ほどがその部類にいた。だが、多勢に無勢であった。三分の一の中でも意志の弱かった者は残りの面々に感化されていき、そうでない者は存在価値を見失い、辞めていった。初めの内は「少しばかり部員が減った野球部」として活動はしていたらしい。しかし、強豪校であった時の感覚が捨てきれないのか、浮ついている空気に耐えきれなくなる者が続出した。そうして、部員は一人、また一人と減っていき、半年も経たぬうちに、一人けがしたら試合ができない、と悲鳴を上げるほどにまでになった。結局、監督は目立った功績を残すことなく、数年でその座を退き、学校を去った。
「……というのが、今の斜陽高校野球部のここ数年ですよ。正直、わたくしもほかの先生方から聞いただけなので、これといって根拠のあるような感想を持っているわけではありませんが、ひどい話です。野球部を率いるのならば、少なくとも選手にきちんとした野球をさせてあげないと」
顔も知らぬその相手に吐き捨てるように監督は呟いた。
今は休憩中だ。ジャグに群がり、和やかに談笑するチームの面々の姿が見える。葵と瑠璃も、斜陽の女子生徒たちと話し込んでいるようだ。
「わたくしは、そんな斜陽高校を元の強豪校に戻すべく、就任したんです。といっても初めはかなり訝しがられました。普段はこの通り、のんびりしていますから」
自分で言うのも何ですがね、と苦笑する。僕も、この人はおっとりしている、まさに前任の監督と似ている節はあると思う。
「けれど、野球に関しては、わたくしは本気でぶつかります。出来の悪い選手には遠慮などしません。でも、その選手が少しでも伸びれば、きちんとほめます。それが、選手に対しての監督の『責任』もしくは『任務』であり、『優しさ』だとわたくしは考えてますから」
監督の言葉を聞き、これまでの僕に対しての指摘の数々を思い出す。
監督は、どんな細かなミスも見逃すことはなかった。僕に限らず、全員だ。加えてはマネージャーも。 きっと、甲子園の常連校の雰囲気はこういったものなのだろう。監督は選手に対して常に責任感を持ち、愛を持って接する。開田監督には悪いが、常楽高校には、そして最近までの斜陽高校にはそれがひと欠片もなかったと言っていいだろう。だからこそ、僕らは自分の元にそれを取り戻そうと、必死にあがいている。これまで受け取ることができなかった分、埋め合わせのように得るために。
「ホラ、そろそろ休憩時間も終わりですよ。水分摂って、汗ふいて。これから大事な発表がありますから」
目で穏やかに笑い、監督は僕の背中をとん、と押してくれた。物理的にも、そして、精神的にも。
休憩時間も残りわずかだったので、簡単に水分を摂って、すぐに監督の元へと走った。「大事な話」とは一体何なのか気になったが、誰かに訊ねて話のタネにするような時間もなかったので、さっさと自分のすべきことを終わらせた。
監督は僕らを三列縦隊に整列させ、説明を始めた。
「練習の続きをする前に、一つ、皆さんにお知らせしなければならない重要なことがあります」
その言葉に、全員の間に流れている空気がピリッと張りつめたような気がした。僕は事前に話があることだけは聞いていて、覚悟はしていたつもりだったが、場の雰囲気に押され、気を引き締めさせられた。
「今週末、練習試合を行います」
それは唐突だった。
突然と発せられた言葉に、僕を含む、この場に立つ全員がその意味を理解しきれないでいる。
「練習、試合……。マジですか?」
たっぷり三十秒ほど間が空いて、谷村先輩がようやく口を開く。先ほど水分補給をしたはずなのに、その声はひどく乾いているように聞こえた。
しかし、監督は全く気にすることなく話を続ける。
「はい、練習試合です。もうテスト三週間前ですよね。だから、この辺で一度常楽斜陽連合チームの力を試してみましょう。最近ようやく二校の間の空気も良くなってきましたし、皆さんの技術は確実に向上しています。きっと、今のチーム状況なら良い試合ができるのではないかとわたくしは考えているのです」
微笑を一切崩すことなく言う。
「相手はここよりさらに北にある、近松高校。日時は次の日曜日、十時から。ですから、今日含めてあと四日ですね。福知山球場を使って行います」
近松高校とは、監督の説明通り、京都北部の海に近いところにある高校だ。一昔前までは、野球界でその名前を知っている者の方が少なかったぐらいの弱小校だったが、最近になって徐々に力をつけつつある。去年の夏の大会では準々決勝敗退だったような気がする。
「何か、質問はありますか?」
最後に、ぐるりと一同を見渡す。
一人、手を上げた人がいた。石崎先輩だった。連合チームの結成について、密かに悩んでいたあの姿を僕は未だに鮮明に思いだせる。
「ホンマに……試合ができるんですか」
それはまるで夢を見ているかのような、未だ現実と見なせていなくて、疑いを拭いきれていないような声だった。試合をすることに慣れている者ならこの質問を「変な奴だ」と鼻で笑うことだろう。だが、今の僕らの心の内は、それで侵されていると言っても過言ではない状態だった。
監督は笑みを一段階濃くし、ゆっくりと頷いた。
「もちろんです。わたくしは、皆さんに成長してもらいたくて、この仕事をやっているんですから」
誰かが、小さな歓声を上げた。それは空気の流れに乗ってゆっくりと伝播し、やがて全員の元へと行き渡った。
小さな喜びの声は、人数を増すごとにその度合いを強め、最終的に大きな歓声となってグラウンドの一角を紅く染めたのであった。




