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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
31/54

希望の光

 様々な感情が、この一週間のなかで野球部の中を行きったことだろう。期待や希望、そして一抹の不安。それらが確実に、野球部の雰囲気を良くしていっているように思う。張りつめすぎず、緩めすぎることもなく、適度にちょうど良い緊張感が全体を包んでいる。僕とてその中から漏れることはなく、いつも以上に練習に集中することができた。最近はショートの練習はほとんどせず、ピッチャーとしての練習に精を出している。先発投手がいなかった常楽高校にとっては、僕の存在はかなり大きく、重要なものになったのだろう。石崎先輩がたまにクローザーとしての調整をするとき以外は、ずっとスタミナやコントロールを身に着けるための練習をさせてもらっている。

 そして、その野球部の空気にあやかるように、調子も右肩上がりになっていた。しばらくやっていなかった影響も徐々に拭い去られ、ストレートの球速も安定してきたし、僕の一番の武器であるカーブの変化量、コントロールは共に昔の状態を取り戻しつつあった。今なら、このニ球種に、もとから持っていたスライダーにフォークを交えれば、それなりに試合が作れるほどのピッチングはできるだろう。

「楠木、調子ええようやな」

 僕の練習風景を眺めていた石崎先輩がそんな一声をかけてくれる。役割は違えど、同じピッチャーという立場である先輩からかけてもらえた言葉は、純粋に嬉しかった。

「ありがとうございます」

 キャッチャーの良太からの返球を受け取り、笑顔を浮かべて答える。

「なんつーか……。連合チームの件が決定してから、ちょっと変わった気がするよな。みんな真面目なんは変わってへんけど、質が上がったっちゅーか。同じ時間練習しとっても、それぞれのステータスの伸び幅が以前と比べて格段に上がっとる気がする」

 今はそれぞれの課題点を復習する時間となっている。バッティングフォームや、送球の際のスローイングなど。その中でも、自分の苦手なポイントを修正しようと、目の色を変えて練習しているみんなの姿が目に映る。

「……そうですよね」

 僕がそう認めると、先輩は少し気まずそうに目を伏せた。不思議に思いながら、手の中のボールをまさぐる。

「お前や能口が、連合チームに関する話を持ちかけてきたとき、俺たち二年組は正直ほとんど期待してへんかった。去年の事があるせいかもしれんけど、どうも不安でな。あんな風な先輩がおるような学校やったらどないしよう、って。ホンマはそんなこと思いとうなかったし、あり得へんやろとも自分をさとしたんやけど、思ってしもたねん。せやからあの日、お前にちょっと馬鹿にするような態度をとってしもた。申し訳なかった」

 自らの心情を吐露し、先輩はかくっと折れるように頭を下げた。急な謝罪に、僕は面食らう。いやいや、と両手を振り、頭を上げてください、と逆にお願いする。

「ていうか、僕の事馬鹿にしとったんですか? 全然気づかなかったですけど……」

 確かにちょっといつもの先輩とは違うな、とちらっと思ったが、今日はそんな気分なんだろうと自分の中では消化済みだった。だから、特に先輩の態度に対して怒りを覚えているわけではないし、むしろ受け入れてしまっていた。

「……気づいてへんかったんか」

 苦笑しつつ、先輩は頭を上げる。黒めの肌の中に、白く覗く歯が少し眩しかった。

 僕も苦笑いを返す。先ほどは感じなかったはずのそよ風が、今は僕の中を過ぎてゆく。優しく、小さな子をあやすかのように、流れていった。

「サンキューな、楠木」

 優しさに感化されたような先輩の声が流れる。

「お前のおかげで、みんなの集中力も上がってきよる。今はまだ俺たちも含めてまだまだ未熟やし、全然、斜陽と協力できるような状態やないかもしれんけど。この調子やったら、顔合わせするころにはそれなりに誇れるチームになっとるはずや。ホンマ、ありがとうな」

 僕は、いえ、とだけ笑って返す。言い終わると、先輩は自分の練習をするためか、急いで戻っていった。

(誇れるチーム、か……)

 キャプテンである石崎先輩にとっては、それは是が非でも手に入れたい、勲章くんしょうみたいなものなのだろう。斜陽と初めて練習したとき、相手に失望されないように。また、仲間が恥をかかないように。キャプテンなど、そんな崇高な役職とは縁のない僕が想像していいものなのかと疑問に思うが、その重圧や不安は計り知れないものなのだろう。きっと、僕の想像など戯れの一種に過ぎないような。

「なーにぼさっと突っ立っとんや? ホラ、練習再開するで!」

 威勢のいい良太の声が聞こえる。そんな声をかけられてもしばらく僕は動くことなく、その場でボールを握り締め、風の流れを聴いていた。

「おい友哉……! はぁ……」

 嘆息する音が聞こえ、

「わしも、お前には感謝しとる。ありがとな」

 砂埃が小さく舞い上がる。視界は所々ぼやけたような茶色に覆われた。

 程なくしてみんなの姿がはっきりと認識できるようになる。

「…………」

 どこからともなく、ひゅっ、と風を切る音が聞こえる。急なことに驚いて慌てて周りを確認したが、誰かがバットを持っていたりするようなことはない。

「……気のせいか」

 改めて見回してみると、キャッチャーミットを抱えてこちらに笑顔を向けている良太の姿があった。

「ごめん、良太!」

 待たせてしまったことに謝罪しながら、白球を握る。

 そして投げたストレートは、風の流れに乗って、キャッチャーミットの中に消えていった。


 週末はあっという間に訪れた。楽しい時間や、充足した時間を過ごしていると時が流れるのが早く感じるが、まさにそれを具現化したような日々だった。「楽しい」と全員が感じられていたのかは明らかではないが、少なくともそれなりに満足のいく練習ができたと思っているのは皆共通である気がする。だから、斜陽との顔合わせの日、僕たちはいつも以上に晴れやかな表情でグラウンドに集合することができた。

 学園のバスに乗り込み、一時間ほど北上する。

 その道中の車内の空気は、決して穏やかなものではなかった。直前にお説教を喰らったわけでも、誰かの機嫌が特別悪いわけでもない。だが、生き残れる望みのない戦場に向かう兵士の如く全員が緊張し、自然と車内にはピリピリと張りつめた空気が漂っているのだ。連合チームの結成が決まった時、あんなに喜んでいた葵と瑠璃も、今はとてもおとなしい。気持ちを紛らわせたいのか、二人ともスマホの画面に集中していた。

「緊張するな」

 静かな車内に気を遣うように、隣の良太が声を潜めて話しかけてくる。

「せやな」

 僕も聞こえるか聞こえないかの小さな声で応える。窓の外に広がっていた鬱蒼と茂っていた木々はいつの間にか姿を消し、斜陽高校がある市街地が近づいている。

「……もうすぐか?」

 座席から少しだけ身を乗り出してフロントガラスを見つめる僕に倣うように良太も身を上げる。眩しい陽光の先には、確実に、僕らが望んだ世界がある。この高校の、そして斜陽高校の未来を紡ぐために必用な光が降り注いでいる。

 間もなくの到着を告げる監督の声が響くころ、バスはその渦の中に呑みこまれるように走り続けていた。


 斜陽高校のグラウンドには、既に野球部のメンバーと思しき人たちが横一列にきれいに整列して待っていた。胸元には、力強く筆で書かれたような「斜陽」という二文字が躍っている。そのユニフォームは、所々すすけたように茶色く汚れていた。

 視線を移し、グラウンドを見回す。常楽高校と同じく、決して都会とは言い難いところにあるにも関わらず、その広さは常楽高校のそれとは比べ物にならない程に広かった。僕たちが毎日練習に使っているグラウンドが二面ほどは軽々と埋まりそうな気がした。ブルペンも常楽高校よりも多くの人数が投げられるようになっており、昔、甲子園の常連校だったころの面影がしっかりと残っていた。

「こんにちは!」

 突如、野太く大きな声がそのグランドに響き渡る。とても五人とは思えない、力の籠った声だった。そして全員がほぼ同時に、同じ角度に腰を折り曲げて礼をする。

 その姿に少なからず、僕たちは圧倒される。普段の自分たちとは違い過ぎて、どう反応してよいかがわからない。どないしよ!? と、周りの部員たちと目配せする。だが、誰もが僕と同じ状態なのか、あたふたするばかりだ。しかし、そんな僕たちを落ち着かせるように、石崎先輩がすっと前に出る。

「こんにちは! 常楽高校野球部です!」

 そして一人、その巨躯きょくから、先ほどの挨拶に負けない声を出す。それに連なる形で僕たちも同様の挨拶をする。ほとんど揃っていなかった。

「この度は、我が校と連合チームを結成していただき、わたくしはもちろん、選手たちも大変感謝しております。わたくしは、斜陽高校野球部の監督、熊川龍二くまがわりゅうじと申します」

 話し方は丁寧で、その所作一つ一つにそれらが染み出ているが、手には肉刺まめが何個もできており、キツネのような目つきは一睨みすれば誰もが委縮してしまうことだろう。

 うやうやしい仕草で前に出て、同じく進んでいた開田監督と一つ握手を交わす。

「では、早速ですが、選手の自己紹介と行きましょう。斜陽の選手から」

 監督の声が終わるとほぼ同時に一人の選手が立ち上がる。

「三年、野村大地のむらだいち、投手です! 繰り返しになりますが、この度は我々と共に試合をしてくださることとなり、心から感謝しております! キャプテンとして、改めて礼をさせていただきます!」

 がっしりとした体がまた前に折れる。常楽で言うところの貴浩のような体つきの持ち主だ。きっと、速球で押していくタイプなんだろうな、と勝手に思った。

 斜陽の選手は、どの選手もはきはきと、大きな声で自己紹介した。

 二年のサード、チームの四番を担っていて、さらにはムードメーカーという、谷村銀二たにむらぎんじ。同じく二年の、体は決して大きいわけではないが安定した能力を持ち、特に肩力はセンターの深い位置からノーバウンドでホームに返せるほどであるという、前田仁まえだひとし。何事にも全力だが、失敗することも多いと最後には苦笑をみせた一年外野手、桧山凛ひやまりん。やや童顔で小柄だが、きっとその熱意は本物なのだろうな、と思った。最後に、一年左腕(さわん)投手、西野輝にしのしょう。変化球が得意で、三振を取ることが好きなのだという。

 常楽も同じように自己紹介をし、一通りの流れが終わった後、再び熊川監督が全員の前に立った。

「では、これから二校で試合を行っていくうえでの細かい事柄についてお話します。基本的に、練習や試合の監督はわたくし熊川が行います。そして、平日二日以上の、休日は一日以上の合同練習を行います。これらは、わたくしと開田監督との間の話し合いで既に決まった事項です。チームのキャプテンは、わたくしたちが決めても構いませんし、皆さんで話し合って決めてもらっても結構です。そこはお任せします」

 変わらず穏やかな口調で話し続ける。そこには有無を言わせぬような威圧感があった。

「最後に。折角連合で出ることになるのですから、わたくしは甲子園に出ることができるよう、本気で指導していきます。特に常楽の選手たちは、覚悟をしておくことをお勧めします」

 やや不敵な笑みを浮かべ、熊川監督はそう宣言した。その言葉に、僕たちは背筋が伸びる。意識してしたわけではない。なぜだか自然と、背中に板をはめ込まれたように曲げられなくなったのだ。

 その姿を見て少し安堵したのか、僅かに表情を崩して視界から消えていった。

 だが、直射日光をじかに見てしまった時のように、しばらくはその姿が僕の目蓋から離れることはなかった。

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