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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
26/54

子どもから

 *

 あれから長い時間が経った。

 当時は狭く、それでいて果てしなかった世界は、成長していくにつれてすぼんでいった。

 だんだんと現実を知るようになり、その中で何度も僕らはぶつかった。単純な喧嘩も多かった。何しろ、僕らの性格は全く違うのだ。意見が噛み合わないのも、至極当然と言えるだろう。

 そして小学校の高学年にもなると、僕らの関係を変な目で見るやからも現れるようになり、そんなことを意識していなかった自分たちは、無遠慮かつ好奇心のみの視線に悩み、苦しんだ。対処法を知らなかった僕たちは、噂を消すべくお互いに距離を取った。その甲斐があってか無かってか、人の噂も七十五日と言うように、間もなくささやかれなくなった。だが、その後、これまでは何も考えずにやっていた、並んで校内を歩くだとか、二人で長い間話すといったようなことがやり辛くなった。この時、ススキの中で狼狽したあの頃に戻りたい、と切に願ったものである。

「あんなガキやったんやな、わしらも」

 良太が懐かしそうに目を細めながら、ある一点を見つめる。学校帰りに寄ったのかもしれない、丸刈りのいかにも田舎の野球少年といった子ども三人が、ランドセルを振り回して騒いでいる。そんな彼らから良太は視線を動かさない。いつものポーカーフェイスは崩さないが、長年の付き合いのおかげで彼の感情は大方理解できる。

「……きっと、あの子たちも一緒や」

 良太の纏う、穏やかで温かい雰囲気を壊さぬようにそっと呟く。きゃいきゃいと響く無邪気な騒ぎ声が、この場に不相応ふそうおうでありながらも、それを疎ましいと思うことはできない。――少し前までの僕らをそのまま映しているかのようだから。

「あの子らも今は、今考えなあかんことだけを考えて生きてる。今日はどんな当たりを飛ばせるやろか、今日は球速何キロ出るやろか、バッティングコントロール、ピッチングコントロールは上達しとるやろか……。お腹空かせて帰ったら、今日のご飯はなんやろう。宿題終わって残った時間、何して過ごそう……、ってね」

 ランドセルで遊ぶのにも飽きたのか、少年たちは受付で、練習をするにあたっての申し込みをしている。室内は再び静寂がまさっている状態になっていた。

「でもきっと……そう遠くない将来に、彼らも何かしらの障壁しょうへきに出会う。それが愛する野球のことか、周りの人間とのことかはその時になってみんとわからへん。何にせよ、そこで僕らと同じ気持ちを味わうんや」

 不意に言葉を切って思い浮かべる。幼かったときの、そして高校生になった今の葵の笑顔が、順に浮かんだ。

「だから……」

「ガキはガキらしく、ガキの頭で考えたことをやればええ、か」

 僕の後を良太が次ぐ。ほぼ無意識に、僕の首はうなずく。

 これは、僕たちが小学校の時の担任教師がよく口にしていた言葉だ。何事にも熱い人で、煙たがっている生徒も多かった半面、頼られるような存在でもあった。

「ガキらしく、ね……」

 世の中、それですべての事が片付くはずがない。むしろ、そのような考えでは通用しない出来事の方が圧倒的に多い。

 そして、それを顕著けんちょに表していると言えるのが、きっとあのススキ事件なのだ。僕らの発達しきっていない頭で考え、出した結論があのような騒ぎを招いた。だが、決してマイナスなことだけではなかったのだ。あの事件のおかげで、僕たちはいっそう強く、固く、揺るぎないものを手に入れた。絶対に目に見えることはなく、触れることもない力を。

 くだんの少年たちがバッティングスペースに入っていくのが見えた。そこでもバットを片手にふざけている。見かねたらしい職員が、注意に走る姿も目に入った。叱られた彼らはしおれた花のようにしゅんとなっている。

「あの言葉には、続きがあったよな……」

 その光景に頬を緩め、良太はさらに言葉を紡ぐ。

「『ガキはガキらしく、ガキの頭で考えたことをやればええ。ほったら、お前らなりに絶対に価値のあるもんが得られるはずや。大人の頭になったら、そんなことはでけへんからな』」

「……うん」

 たとえそれが目の前で行われていたおふざけのようなものでも、少年たちなりには価値のある時間なのだ。周りの人間がどう考えるかわからないが、中にはもっと自重してくれ、と思う人がいるだろう。いや、それが大半なはずだ。だが、幼い思考ではそれを正確に受け取ることができない。損得の内の得だけを考え、自分の欲求のままに行動する。それを知っているから、みんなが一度は必ず通った道だから、「仕方ないか」という結論を下す。

 つまり、あの先生は、そういうことが許されるうちに体験できることは体験しておけ、と言いたかったのだろう。もちろん、決まりの範囲内で、というのは大前提だ。それが自分たちにとって、かけがえのないものになるであろうということを先生自身、十二分じゅうにぶんにわかっているから。今、高校生になってあの言葉を思い出すと、結構グレーゾーンの発言やな、と思ってしまうが、そうしてでも伝えたかったのだろう。

「今はもう、僕たちは大人の頭なんやんな」

 既に、度が過ぎたおふざけ、特に他人に迷惑をかけてしまうようなおふざけが、許容される域を超えてしまっている。それは、確実に大人に向かっているという証だと言われれば、全く以てその通りなので言い返すことはできない。

 着々と大人になっていることを感じられるのが嬉しいと思う反面、少し哀しく、切なくもあった。これまで色々な人と出会い、その中でも特に仲の良い数人が近くにいる。けれど、いつかは必ず別離わかれの時が来る。僕たちは偶々(たまたま)、小さいころから今まで、エスカレーター方式のように一緒に上がってきたが、大学進学・就職となれば、その共に昇ってきたエスカレーターも終わりを迎える。そう考えると、急に寂しさが、そして恐怖の気持ちが芽生えてきた。

 だが、それは有体ありていに言えば運命なのだ。ずっとこのまま、「青春」という時間を身体じゅうで感じていたい。この夢の時間を永遠に過ごしたい。そんなことは到底叶わない夢物語ゆめものがたりなのだ。

 僕の耳には、絶え間なく、バットがボールを弾く音が入ってくる。少年たちの騒ぎ声も散ったので、大人しくバッティングを始めたのだろう。だが、その音は僕の心を言葉の如く揺らし、感情を攪乱かくらんさせる。それに誘発されたかのように、何かがせりあがってくる。身体じゅうをえぐるように、重い肉塊にくかいのようなものが込み上げる。あ、ヤバい、と反射的に思った。

「よっ、何時化(しけ)た顔してんだよ!!」

 何かが僕の体にのしかかる。その急な重さに、一瞬息ができなくなる。そしてゲホゲホと、激しく咳き込んだ。目の端に薄らと涙を浮かべながら見上げると、電球の光に照らされた貴浩が、満面の笑みで立っていた。横には石崎先輩に、葵もいる。

「もう、何すんだよ……!」

 こっちは呼吸困難に陥ったというのに、なぜか誇らしげな笑みを浮かべている貴浩がしゃくに障り、少し語気を強めて対抗した。すると、貴浩は笑顔から一転、真面目な顔になって言った。

「そう言うけどな、お前、今自分がどんな顔しとったかわかっとんのか?」

 貴浩の低く、重い声が僕の体内にずん、と響く。それと同時に、今し方感じた不快感が鮮烈によみがえりつつあるのを感じた。形を為さないはずの物が、我先われさきにと争うように駆けあがってくる。こみあげる衝動に必死に抗いながら、助けを求めるべく、貴浩たちに目を向けた。

「はぁ……」

 貴浩は僕の視線を受け、面倒くさそうに息を吐いた。

「とりあえず深呼吸しろ」

 言われるままに、ゆっくり息を吸い、吐く。一つ、二つとするうちに、幾分か気分は楽になった。あまりおいしいものではなかったが、それは僕の心が、ここの空気以上によどんでいたからだろう。

「ちょっとはマシになったか?」

「……うん」

 僕の顔を覗き込むように問いかけてきた貴浩に、僕は小さく返事する。本当に「ちょっと」にしか過ぎないが、楽になったことに変わりはない。

「お前が何で、そんな落ち込んどったんかは、わからへんけどな」

 一同を代表するかのように、貴浩が喋り出す。バッティング音が反響する室内に、その低い声はとても新鮮に聴こえた。

「辛くなったら、とりあえず息を吐きな。ため息でもええから。よー『ため息吐いたら幸せが逃げる』なんて言う奴が居るけど、俺はそうは思っとらん。自分の中の邪魔なモンを、ため息に乗せて吐き出せばええんや。ほったら気分はめっちゃ楽になる。俺の実体験でもあるで」

 一瞬、周りの音が消えた気がした。滴が野を打つ、そんな微弱な音も聞こえるのではないかとすら思えた。

 そんな静寂を破るように、隣の良太がぷっ、とふきだした。過敏に反応した貴浩が弟に向けて鋭い視線を飛ばす。

「おい、良太!! 何で笑うねん!!」

「いや、だって急にクサいこと言うんやもん! 笑ろてもしゃーないやろ!」

 脇腹のあたりを押さえながら、良太は言う。

 そしてそれはその勢いのまま波紋を広げるように、僕たちの元へ伝播でんぱした。ここにいるみんなが笑っている。言った本人である貴浩も、やけくそだろうが、大声で笑いだした。僕も、それに漏れることはない。自然と、小さな笑みを浮かべてしまっていた。

「あ、友哉も笑っとる」

 目の端を拭いながら、葵が言う。そんなことは自分でもわかってはいたが、いざ指摘されると先ほどまで沈痛な表情をしていた手前、気恥ずかしくなり、ついそっぽを向いてしまった。「友哉、照れとんー?」といつかの電車の中での会話のようにからかわれ、むきになって言い返した。

 その様子を見た貴浩が、燃え上がる炎を前に、静かに口にした。

「……ほら、楽になったやろ?」

 僕が笑顔で頷くと、みんなは一斉に言葉をかけてくれた。「お前がそんな顔やったら、こっちが気ぃ遣う」とか「友哉はやっぱり元気な友哉やないとね!」とか。

 誰が言ってくれたとかは全く関係ない。ただ、誰かが落ち込んでいるときに笑顔をプレゼントしてくれるということだけが、この上なく嬉しかった。

 こんな大事な時間を、やっぱり閉じ込めていたい。もし時を止めることができるのなら、迷うことなく僕はそうしてしまうだろう。けれど、所詮、僕らは人間だ。この広大な世界に、砂粒のように存在している僕らに、そんな神様みたいなことはできるはずもない。

 だったら、と僕は心に決める。いつか来る別れの日に備えて、今のうちにたっぷり笑っておこう。たっぷり泣いておこう。たっぷり苦しんでおこう。最後の哀しみ、苦しみを越えるような想い出を築き上げていこう。それがたとえ、僕自身の首を絞めるような結末になったとしても、きっと、後悔はしない。

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