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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
25/54

ススキ事件

 *

 正確な年までは覚えていない。だが、小学校低学年か中学年の秋だったのは確かだ。その瞳から見える世界は未だ狭く、高さもない。そのころから、一学年上である貴浩を含む僕たち四人はよく遊んでいた。

 僕らが決まって遊び場にしていたところは、駅付近を流れる川沿いにある、小さな空き地だった。昔は誰かが住んでいたらしいのだが、その主がいなくなってからは、そこは地元の子どもたちのたまり場となっていた。春には巡らされた桜や梅の木が華々(はなばな)しく息を吹き、そこが夏には影となり、草と共にひんやりと僕らを癒してくれる。秋は金色こんじきのススキが伸び、冬には雪合戦の戦場となる。一年中、僕たちはそこに集まることができたのだ。

 そしてその当時、特に僕ら四人の間で流行っていたのが、野球だった。貴浩が教えてくれて、よくわからぬまま、その場の状況に流されるようにやってみたのだが、これが思った以上に面白かったのだ。百円ショップで買ってきたのであろうゴムのボールと、すぐにへこんでしまうようなプラスティックのバットしかなかったが、それで僕らは満足だった。バコッ、と鈍い音がするたびに、黄色い声をあげたものである。

 その日も、僕らは四人で打ち合っていた。少し前まではほかの子もいたのだが、門限が近いとかで帰っていってしまった。時刻は午後五時。冬も徐々に近づきつつあったので、時折吹く風も流れる空気も冷たくなっていた。陽が落ちるのも早くなり、大きな太陽は西に沈み始めていた。きっと、あと三十分もすればとっぷりと暮れることだろう。にも関わらず、僕らは帰ろうとしなかった。今になって思うと、あの時間帯は逢魔が時だ。その字の通り、魔がやってきていたのかもしれない。

 葵がバットを持って立つ。そこから少し離れたところから僕は投げる。ちなみに、この前には葵は見事にボールを弾いていた。自然と、僕の投球にも力が入る。

 一球目は空振りだった。思いっきり振ったバットはくうを切り、葵はバランスを崩す。そしてそのまま前に倒れてしまった。

「いったーい!」

 両手で受け身は取ったものの、下は砂か石だ。痛くないはずがない。地面に横たわってしまっている葵に、僕らはあわてて駆け寄る。

「だいじょうぶ!?」

「大丈夫か、あおい!」

 僕と貴浩が口々に声をかける。良太は声をかけぬ代わりに、葵をそっと起こした。

「うっ……ぇぐっ」

 手のひらは皮が擦りけて赤い斑点はんてんが所々にできていた。長ズボンだったため膝は無事だったが、服は砂だらけになってしまった。

 葵はそんな自分の手を見つめながら、涙目になっている。時々苦しそうに嗚咽を漏らし、顔を歪めていた。目の端でこぼれそうな粒が、からがらに留まっているが、せきを切ってしまえば、すぐにあふれ出てしまうだろう。

「あおいちゃん……」

 僕はそんな彼女を覗き込む。「今日はもう帰ろう」と言おうとしていた。このままにしていては葵も苦しいだけだろうし、早く大人に見せて適切な処置をしてもらう方が賢明だと、幼くてもそれぐらいは判った。けれど、僕がそう口にする前に彼女が動いていた。家のある方角に向かうわけでもなく、さりとて水道に向かうわけでもなく、地面にむなしく転がるバットを拾い上げて。そして葵は、倒れる前の元の位置に戻っていた。

「あおい……?」

 貴浩が驚きの表情を浮かべる。僕も貴浩と同じだった。葵は少々の怪我程度ではへこたれたりはしない子だ、ということは知っていたが、それでも子どもだ。今、バットを握る手はきっとじんじんと痛み、葵をむしばんでいることだろう。しかしそれに抗い、彼女は立っていた。

「ラスト一球!!」

 葵の叫び声に僕らは急かされるようにそれぞれの位置に着く。でも、葵は笑っていた。まだ細かい砂がついてしまっている顔から白い歯を覗かせ、にひ、と笑っていた。

「じゃ、いくぞー!」

 葵の気持ちに答えられるように、もう一度、僕は渾身こんしんの球を投げる。これが、今日の最後の投球だ。それには、小さな子どもの意地のようなものがあった。女の子相手とはいえ、負けたくない。また怪我してほしいわけではないが、空振りで終わりたい、という僕の思いがあった。だから、今日一番の力を込めて投げた球は、一番のスピードで、そして真ん中に吸い込まれていった。

 葵が弾いた球は僕の頭上を越え、良太や貴浩がいたところも越えていった。あちゃー、とため息を吐く僕とは対照的に、葵は嬉々(きき)として喜んでいる。

「ともや! 今日は私の勝ちだね!」

 葵が僕を見下すような、誇らしげな笑顔を浮かべる。負けたよ、と肩をすくめる僕。そして改めて葵の傷の様子を見る。

「……痛くないん?」

「ううん、痛いよ。でもなんていうか、あんなんでは終われなかったから!」

 葵がまたにかっ、と笑って言う。ちょっと似てるなぁ、と思い、僕も苦笑いする。

「じゃ、帰ろ……あれ?」

 あたりをぐるっと見渡して、違和感に気づく。ボールを取りに行った二人が戻ってきていなかった。目の先にはぐん、と伸びた葉が茂っているだけで、人は僕と葵しかいなかった。

「まさか、迷子になったんじゃ」

 葵がまた声を震わせる。周りはどんどん漆黒に染まりつつあった。

「ともやー!! あおいー!!」

 すると、その草の中から貴浩の大きな呼び声が聞こえた。ほっと安心したのもつかの間、大慌てでその方角へ向かう。

 二人は汗と泥にまみれた顔で現れた。腕のあたりを見ると、所々切られたような筋ができている。

「ど、どうしたの?」

 ただ事ではない、という気配を感じ取った僕の声は自然と険しくなる。

「ボールが……ない」 

 沈痛な表情を浮かべて、貴浩が声を絞り出す。

 僕らの周りで、冷たい風に揺らされたススキがざわわ、ざわわと不気味な音を立てた。


 今日僕らが使っていたボールは不幸なことに、僕が親に買ってもらったばかりのものだった。それまで使っていたボールは、ほぼ毎日使うことによってぼろぼろに擦り切れていたためだ。小さいころというのは、親は子に物を大切にするよう言い聞かせる。だから、たとえ百円の安いボールとはいえ、無くしたことが知られると、よくない結末が待っていることは火を見るよりも明らかだった。

 周囲はどんどん暗くなる。僕らが、待って、待って、と必死に呼びかけても時の流れは止まらない。

 ガサガサと、深いススキの間を縫い、ひたすら探し続ける。

「あったー!?」

 時折大声で確認しては変わらぬ返事を聞き、また慌てて探し出す、という作業が繰り返された。

 そんな僕らに、無慈悲にもススキは容赦してこなかった。のこぎりのように鋭く、ギザギザした葉で僕らの手といい腕といい、傷つけまくる。十数分前に見た貴浩と良太があんなふうだったのも納得がいく。数分おきに感じる、体が冷えるような痛みには歯を食いしばって耐えるしかなかった。

 そして、進展はないまま時刻は六時になってしまった。からすは既に鳴きやみ、街頭の少ないこの付近は、お互いの顔の認識すらままならない状態にまで陥っていた。

「ど、どうしよう……」

 寒いはずなのに、額からは汗が噴き出る。早く見つけて帰らないとお母さんに叱られる。家に入れてもらえないかも……。そのことがどうしても頭をよぎる。今考えるべきことはそれではないはずなのに。

「…………ともや」

 だから、突然声をかけられても即座には反応できなかった。葉擦れの音が大きかったせいもあるし、その声があまりにも小さかったのもある。何か呼ばれたかな? と思って振り返るまでその存在に気付かなかった。

「……あおいちゃん」

 そこにはただでさえ傷を負っていたのに、さらに痛々しい跡が加わった葵が顔をらして立っていた。目の端や頬は赤みを帯び、呼吸は不安定に乱れていた。きっと泣きながら探していたのだろう。

「ともや、ごめん!!」

 葵は上半身が吹っ飛んでいきそうなほどの勢いで頭を下げた。

「わたしの……わたしのせいで、みんなを巻きこんじゃって……。ともや、怒られちゃうよね……。わたしが続けようとしなかったら、こんなことにはならなかったのに……。ほんっとうにごめん!!」

 場にそぐわない、秋の虫のが聞こえ始める。葵の声はそれらを掻き消し、まっすぐに僕に届く。その間も葵は泣いていた。鼻をすすり、黒に染まった涙が頬を伝って零れ落ちる。

 暫しの静寂の後、僕はそっと葵の肩に手を置いた。

 ボールが無くなったのが葵のせいだなんて思ってもないし、過ぎたことを悔いても仕方ない……。そんな想いを込めての行動だった。

 葵の動きが一瞬止まる。

「そもそもあれは、僕が空振りにできなかったのが悪いんだからさ。あおいがそんなに泣かないでよ」

 果たしてこれがこの場合での慰めの言葉に相応しいのかは、今一つわからない。それでも、葵に安心してほしくて、そして変に気負ってほしくなくて口にした言葉だった。

「でも……でも……!」

 葵はまだ何か言いたげに、口をぱくぱくさせている。吐息だけが頼りなく漏れ、音を発することはない。

 ぴゅぅ、と泣くような風が吹いた。かいた汗がひやりと体を冷やす。二人揃って思わず身震いする。

「じゃ、じゃあ」

 ススキの穂が軽く僕の体をくすぐる。

「いっしょに探そ? ね?」

 精一杯に穏やかな声色で葵に悟りかける。雲に隠れていた月が姿を現したのか、あたりが薄らと白とも銀色とも言えぬ色に染まった。それに照らされた葵が顔を上げる。

「……うん」

 まだ納得は行っていない声だった。酷く重く、暗い。

「…………は、早く見つけちゃおうよ!」

 そんな葵を見ていたくなくて、僕は極力明るい声を出す。正直言うと、帰ったらお母さんに何言われるだろう、とびくびくしているのだが、そのことは一旦忘れる。今は隣で俯く女の子を一時間前の状態に戻すことだけを考えた。下を見、草をかき分ける合間に、葵に話しかける。明日学校で行われる行事の事、授業の事、友達の事。とにかく、何でもいいから言葉を紡ぎ続けた。

 すると、十分も経たぬうちに。

「あ、あれ!」

 葵が素っ頓狂な声を出した。指さす方向に視線を向ける。

 暗闇の中で白に赤い線が入ったボールが、淡い光を反射して鎮座していた。

「あっ! あった!!」

 僕も思わず声を上げ、そこに駆ける。

「みんな―! あったよー!!」

 掠れてしまいそうな大声でみんなを呼ぶ。やがて、汚れた四つの顔がそろった。

 一時間ほどかけて見つけたそれをゆっくりと見せると、みんなは宝物でも発見したかのようなテンションで喜んでくれた。特に葵は、声を上げることはなかったが、手で目を拭いながら胸をなでおろしていた。 

 黒鉛で塗りつぶしたような灰色の空には、僕らをそのまま映し出したような影を持つお月様が、時の流れだけに流されていた。


 この後、僕らが両親にこっぴどく怒られたことは言うまでもない。特に、ちょっと厳しい親を持つ貴浩たちは家に入れてもらえなくなりそうだった、と翌日にけらっとした表情で言っていた。幸いにも僕と葵はそこまでには至らなかったが、お互いにそれぞれの家に謝りに行った。

 葵とは変に関係がこじれることなく、すぐにいつもの楽しい二人に戻った。貴浩と良太ととて、それは例外ではなかった。

 基本的に怒られることは苦手な僕だが、この時だけはそれを嫌だとは思わなかった。葵と僕とが出会って初めて協力した、そんな想い出の一ページなのだから。

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