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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
24/54

バッティングセンター

 火曜日の午前中授業は、とても長く感じられた。午後に用事が入っているというのもあるのだが、なぜか四時間というのは、六時間よりも疲れる。放課後、すなわちいつもの昼休みを迎える時間には、僕の疲労は着実に蓄積されていた。

「はぁーーぁ……」

 長い息を吐きながら机に突っ伏す僕に歩み寄ってくる一つの影。

「お疲れさんだね。大丈夫?」

 マスクのせいでいつもよりも、ちょっとくぐもった声。あぁ、瑠璃か、と心の中で把握し、顔を上げる。

「おはよ」

 微笑みながらおどけた様子で声をかけてくれる。僕も微笑とも苦笑いともつかぬ笑みを返す。

 瑠璃は一日休んだだけで学校に復帰した。時々(せき)をしたりして話しづらそうにしていた場面もあったが、顔色も良く、大きな問題はなさそうだった。

「あ、そういやさ、瑠璃……」

 けだるさを隠さずに瑠璃の名を呼ぶ。彼女の瞳が僕を見据える。

「昨日の夜さ、DMで僕に聞いてきとったやん……? あれって――」

「友哉ー、行くぞー!」

 僕がふと思いだした疑問を問おうとした途端に、教室の扉が開かれ、言葉は遮断される。怠慢たいまんな動作でそっちを振り向くと、良太がジャージ姿でそこに立っていた。

「ほら、そろそろ時間やぞ。起きろ起きろ」

 僕の元までつかつかとやってくると、無理やり机から引きはがし、連れて行こうとする。僕もさすがに抵抗するわけにいかないので、重い身体に鞭を打ち、何とかバランスを整える。

「…………」

 僕の背後で瑠璃は「わかってるよ!」とでも言いたげな笑みを浮かべてくれていた。マスクのせいで顔の半分は見えないが、目だけでもそれが何となくわかる。目は口ほどにものを言う、とはこのことだろうか。

 ごめん、また後で、と取りあえず目で伝え、教室を後にする。本当に伝わったかどうかわからないが、瑠璃は笑顔で見送ってくれた。


 野球部全員で連れだって、予定通りバッティングセンターへと向かう。一昨日行った「あそVIVA」の一角にあるところだ。

 バッティングをするために必用であるプリペイドカードを購入し、早速施設の中に入る。

 ボールを受け止めるネットの先に広がる、エメラルドグリーンに統一された床や側壁そくへき。その奥には投手のバーチャル映像を流すモニターが黒く光って見える。さらにその上には、福知山の景観と共に、どこかの球場が描かれたパネルが広がっている。平日の午後ということで、客はほとんどいない。一番奥の打席では、ストレス発散にでも来たのだろうか、サラリーマンと思しき男性がジャージ姿で快音を響かせている。

「それぞれ、好きなところで、好きな速度で打つように。けど、昨日の練習で教わったことをしっかり意識してな。楽しむことも大事やけど、意義のある時間を過ごせるように。じゃ、解散!」

 部長の声が終わるとともに、皆自分のバットをかついで思い思いの場所へと散っていく。僕も適当なところを陣取り、速度や画面に映される投手を設定した。速度は、体を慣らすためにまずは遅めの九五キロにした。

 ちなみに、ここのバッティングセンターでは現役のプロ野球選手はもちろん、過去に活躍した大選手の映像もある。それによって打ちやすさが大きく変わるわけでもないが、プロ野球ファンにとってはとても嬉しいことだろう。

 そして、試合の雰囲気を思い出すようにゆっくりと打席に立つ。画面の中では近鉄バファローズの名投手が、じっとこちらを見つめている。だがすぐに投球モーションを展開し、球を投じてきた。

「……っ!」

 しっかりミートできた白球は、耳に優しい金属音を残して、パネルに向かって飛んで行った。レフト前ヒットといったところだろうか。決して伸びがあるわけではないが、これが自分のバッティングスタイルだ。打つ時に感じた感覚からして、体は確かに重いが、調子は滅茶苦茶悪いというわけではないらしい。まだ序盤で速度も遅いが、球をしっかり見て打つことができた。

 それから五球ほど、同じ速度で練習を繰り返した。いずれも空ぶったり当てそこなったりすることなく、前に弾き返すことができた。恐らく、全て出塁しただろう。

 だが、これだけで一喜一憂いっきいちゆうできるはずもない。甲子園に出るような、高校野球投手のストレートの平均速度は大体一三〇キロから一四〇キロだ。その速度が打てない事には、『聖地』など夢を何度見ても足りることはない。

 速度を一二〇キロまで上げ、再びバッターボックスに入る。ちなみに、僕は一二〇キロならまだそれなりに打つことはできる。ただ、そこに変化球を交えられると、凡打が多くなる。若いカウントの内はストレート一本に絞って打てるので問題はないのだが、追い込まれるとストレートと変化球、両方に対応しなくてはならなくなるので、どうしても中途半端になりがちなのだ。だから、可能な限り早いうちに、甘い球を仕留めたい。もし後に引けなくなってしまった場合には、ファウルで粘って、打てる球を根気強く待つ。今日はどちらかというと前者を特訓しにやってきたのだ。

 一二〇キロの一球目が迫ってくる。真ん中高めの球だ。大きなスイングにならないよう、腕を最短距離で稼動かどうさせ、弾き返す。あまりいい当たりということはなかったが、ポテンヒットにはなるかもしれない。

 二球、三球とどんどん球は投げられる。やっていく内に体が順応し、きっちりと弾き返す感覚が戻ってくる。そしてラストの球、もとい二十球目には、芯で捉えることができた。軟式なんしきとは少し違う、「長打を打った」という実感が湧く当たりだった。

「ほい、お疲れちゃん」

 練習場から出て汗をぬぐっていた僕に、備え付けのベンチでその様子を眺めていた葵がペットボトルのアクエリアスを渡してくれる。結露して、ペットボトルの外側に浮かんでいる水滴が、火照ほてった手にじんわりとみこむ。サンキュ、と一言礼を言い、遠慮なく口にした。

「どうやった、久々にバッティングセンター来てみて」

 葵も自分の分のジュースを飲みながら、僕に問いかける。僕が打っていた数メートル横のボックスでは、貴浩が強烈な当たりを繰り返し放っている。そのたびに、破裂するような音がこちらまで聞こえてくる。それを見つつ、葵に答えた。

「まぁ、葵の言うとおり、久々やったけど、綺麗に打てた方やと思うで。初めこそあんまうまく飛ばんかったけど、最後にはええ当たりも打てたし」

 一番最後のバッティングの感触を思い出しながら言う。少し湿った手には、まだそれがうっすらと残っている。

「お、友哉も休憩中か?」

 急に声がかけられる。こっちも一区切りついたのであろう、良太だった。葵が僕の時と同様、飲み物を軽くトスして渡す。

「良太の方はどうや?」 

 受け取ったペットボトルをすぐには開封せずに、良太は腕やおでこでころころ転がしていた。そのままの姿勢で僕の質問を聞く。

「ん? まぁボチボチやで。わしはここやないけど、石生のバッティングセンターに最近でも行っとったからな。そんな感覚は鈍っとらんし、気持ちよく打てたわ」

 清々しそうな表情で良太は答えた。

 僕の打っていたところから彼の姿は見えなかったが、あれは良太の打球やな、というものは何球も見えていた。良太も僕と同じく長距離バッターではないが、短距離でもなく、中距離バッターだ。つまり、ヒットも量産するし、時々スタンドインするような当たりも打つことができるタイプである。そんな彼が打った、ライナー性の鋭い打球がしばしば僕の視界に映っていた。

 すると、「そうや!」と良太が声を上げた。僕と葵は少し驚いて、声の主に振り向く。

「折角なんやし、葵も打たへん? ほら、前の合宿の時は一振りで終わってしもたし」

「え、私が!?」

 大江山合宿の時の僕と葵の一打席勝負の事だろう。確かにあの時、僕が少し手加減して投げたせいで、一球で勝負がついてしまっていた。葵は楽しそうにしていたが、心中ではつまらなかった、と思っていたかもしれない。それを考えると、良太の案は名案かもしれない。

 葵は少しの間、戸惑ったような表情を浮かべていたが、やがて決心がついたらしく、ヘルメットをかぶり、バットはなかったので、施設においてあるものから適当に選んで中に入っていった。

 足を広げて立つ、オープンスタンスから放たれる葵の打球は、中学時代から変わっておらず、結構鋭い。葵の打球はそんなに上がらないので、それはまるで矢のように、内野をえぐり、抜いていく。もし高校野球の試合に女子選手が出場してもいい、というルールがあれば、絶対にクリーンアップに入れることだろう。

 目の前から、葵が絶え間なくボールを弾き返す音が音楽のように聴こえる。今日は疲れているためか、こうやってぼーっとしていると、意識が飛びそうになってくる。横で座って、じっと葵の打席を見つめている良太は微動だにしない。

「なぁ良太……」

 そんな良太に、僕は話しかける。ん、と低い声が返ってくる。

「……懐かしいな」

 目を細める。視界が狭くなり、見えていた葵の体も一部しか見えなくなる。

「何がや」

 少し声を大きくして良太が問う。その声に重なって、カキンとまた綺麗な音がした。

「うまく言えるわけやないんやけど……。何か、葵が打ってる姿見とるといっつも思いだすんや。昔のことをね……」

 それは僕が、失ったあの人のことを忘れかけたかそうでないかの、幼気いたいけが残っているころの話だ。まだ野球というスポーツに関しての知識はほとんどなく、「ばっと」に「ぼーる」を当てて飛ばすゲームだ、というほどの認識しかなかったころ。僕らは四人で、川沿いの空き地でよく遊んだものだ。

 それを言うと、良太も懐かしそうに顔をほころばせた。

「……あん時の話か?」

「そ、『あん時』」

 きっと葵も覚えているだろう。四人の中では『ススキ事件』といえば通じるようなお話だ。

 僕の脳裏には、夕日が映え、ススキが周囲を囲むように生えている中ではしゃぐ幼き日の僕らの光景が、たしかに浮かんでいた。

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