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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
21/54

遊びの約束

 案外、すっきりと起きることができた。カーテンを閉め忘れ、遮るものが何もない窓からは、外の景色が見えると同時に、朝の日の光が差し込んでくる。腕を思いっきり伸ばすと、憑き物が落ちるかのような、痛気持ちよさが全身を襲う。ついでに首も回すとポキポキと小気味良い音がした。

「そういや、昨日は変な体勢で寝たんやっけ……」

 こうやって、柔らかいシーツの元で寝るのが久々に思えてしまう。

(まぁ、あれもええ思い出やけど)

 這いずるようにベッドから降り、ハンガーにかけてある制服を取る。そういえば、昨日、夕食などを終えて、部屋に戻ってきてからの記憶がほとんどない。あまりの眠気の強さに、ベッドにダイブしたのを最後に、ぷっつりと切れてしまっている。

「何かあったっけなー……」

 昨夜の記憶をさかのぼるのだが、何も思いだせない。とても重要だ、というわけでもないのだろうが、やはりあやふやなままというのは、言葉にできない不快感がある。

「まぁ、そのうち思いだせるやろ」

 一人そうつぶやき、ネクタイを固く締めた。


 いつものように葵を家の前で待ち、二人揃って駅まで向かう。さすがの葵も、合宿の後の登校ということで疲れた顔で出てくるかと思えば、そうではなかった。母親に見送られて姿を現した葵は、普段通りの、寧ろそれ以上に元気だった。もし、疲労困憊ひろうこんぱいといった様子だったらどう接しよう……などと考えていた自分がアホに思える。

「おはよ、友哉。……あんま顔色よくないんやない? やっぱまだ疲れとん?」

 僕の顔を見ての第一声がそれだった。

「大丈夫や。てか、そんな元気なさそうに見えるん?」

「ん。見える」

 はは、と僕は苦笑する。人の心配をしているような余裕はどうやらなかったらしい。歩きながら、僕らは話す。その最中も、葵はずっと僕の体調を気にかけている様子だった。

「その……そんな不安?」

 あまりにも気になったので、たまらなくなって僕は声をかける。葵は神妙な表情で、そして無言で頷いた。

 それが無性にかんさわったので、小さくため息を吐き、

「ほら、この通り。葵に心配してもらわんでも元気やで!」

 腕をぐるぐると回し、いつも通りの状態であることをアピールする。実を言うと、右手は久しぶりの投球練習のせいでわずかに痛いのだが、それを無視して続ける。

 そんな僕が滑稽こっけいに映ったのか、葵がくすりと笑って、

「そうなんや」

 とだけ言った。


「ほんで、何でそんな今日はテンション高いん? いや、いつものことではあるけど、いつも以上に」

 駅へ向かう一直線の道に差し掛かったところで僕は気になっていたことを訊ねる。葵は、何かしらのイベントの前はハイテンションになることが多いが、終わった後までそれが保たれているということはあまりない。修学旅行の後など、酷い時には借りてきた猫のように大人しくなってしまうのだ。

「なんかその言い方やと、私がずっとバカ騒ぎしとるような奴に聞こえるな」

 僕の言い方が気に入らなかったのか、唇を尖らして反論してくる。僕はさっきの仕返しとばかりに、笑顔で頷き返す。

「むっ……。何かむかつく……!」

 そっと僕の隣で拳を固める葵。僕は笑顔でそれを回避しようとする。葵も、きっと本気で殴りたいなどと心の中で闘志を燃やしているわけではないだろう。いつもの、友人としての、幼馴染としてのたわむれの範疇はんちゅうだ。だからこそ、僕も笑いながら対応することができる。それを知ってか知らずか、葵は結局行動には移さずに手をだらんと下ろした。

「まぁええや。自分でも、自分がそういうやつやってことは分かっとるし」

 独り言のようにぼやき、諦めた息を吐いてから、やはり元気よく僕の方を向く。

「昨日合宿から帰ってぼけーっとしとったらな、クラスメイトから、『今度遊ばへん?』ってメッセージ来たねん! ツイッターで偶然見つけたからフォローしとったんやけどな! それが嬉しくて、昨日からずっとテンション高いんや!」

 親にも心配されたほどや、と葵は高らかに笑った。

「あ、それで思いだした。その子から、仲良い誰かおったら誘って、て言われて友哉らー誘ったんやけど、メッセージ見てへんやんな?」

 言われて僕は考える。昨日は帰ってきてからはほとんど何もすることなく寝てしまったので、きっと見ていないはずだ。少なくとも、僕の記憶の手帳に、そんな一ページはなかった。

「メールも送ったはずなんやけど」

「あ……」

 少しだけ覚えている。

 瞼が下りきる直前に、何かの電子音を聞いたような気がする。その時はとても抗えるような状態ではなかったので気にも留めなかったが、どうやら葵からのメールだったらしい。

 ポケットからスマホを取り出す。そういえばメールボックス開くんも久しぶりやな、などと考えながら見ていると、確かに葵からの着信が一件あった。開くと、さっき葵が興奮気味に喋ったのと同じような内容がずらっと並んでいた。

「ごめん、葵。昨日はあまりにも疲れとったもんで。早々に寝てもたから……」

 謝る僕に、葵は朗らかな表情で両手を振る。

「別に、私も大概やったけどねー。せやから、もしかしたら文章がおかしいかもしれへんけど……。問題ない?」

 僕の持つスマホを覗き込む葵。唐突で少し焦ったが、葵のしたいようにさせておくことにした。数秒ほど画面を凝視していた葵だったが、

「あっ! ここ使う顔文字間違えた! こんなんやなくて、もっと合うんあったやろー……」

 いきなり素っ頓狂な声を上げると、苦々しい顔つきになって悔い始めた。正直、文面を見る僕には、葵の言うことはさっぱりわからないのだが、彼女にとっては重要な問題らしい。葵がくれるメッセージの殆どに顔文字がついているほど、葵は常日頃から愛用しているので、妙なこだわりがあるのだろうか。

「うーん……。とりあえず葵……? 大丈夫?」

 なぜか落胆してしまっている葵に声をかける。

「で、遅くなったけど、僕も答えればいいんやんな? 遊べるかどうか」

 葵がこくんと首肯する。

「いつ?」

 それには葵は首をかしげる。どうも、まだ「何かして遊ぶ」という大雑把なことしか決まっていないようだ。ただ、バスの中で今週の土日は練習はオフだと監督が言っていたらしいので、今週末なら行けるだろう。

「うん、多分大丈夫やと思うよ。家の用事とかも入ってへんし」

 僕の返事を聞いた葵が「ありがとう!」と頷き、自らのスマホで返信を打ち込む。きっと、僕が了承したことをその子に伝えているのだろう。

「ほんで、誘ってくれたんって誰なん? クラスの女子とは全然喋ったことないから、どんな子か言われてもわからんとは思うけど……」

 素早い指の動きで返信し終わった葵が、考えるように視線を宙に泳がす。

「えーと……。確か『ノグチさん』って言ってたかな。うん、ノグチさんや」

 ノグチさん、ノグチさん……、と頭の中でその名前と合致する顔を探す。学級での自己紹介の時に全員の名前を聞いてはいるのだが、まだ完全に覚えられているわけではない。しばらくの間考えていたのだが、結局思いだすことはできなかった。

 そんな僕に助け船を出すように葵が口をはさむ。

「ノグチさんって、アレや。野原の『野』に『口』やなくて、能力の『能』に『口』って書く子。確か自己紹介の時に、読み方を間違えられやすいから名前で呼んでください、って言っとちゃったような気がする」

 言われて、なんとなく思いだす。

「で、その能口さんが誘ってくれたんやな」

 葵が、そ、と首をカクンと振る。

「でも、まだ能口さんと学校で話したことないねん。やから、正直どんな子なんか、っていうんも全然わからへんし。そのへん、ちょっと不安やな」

 少し声を落として話す。けれど、言葉に反してそこまで不安に思っている様子はなく、むしろ楽しそうにも見える。新たに話せる友人ができることを、純粋に喜んでいるのだろう。葵はほんまに素直な奴やなー、と心の中で小さく笑む。

「ところで、友哉から見て能口さんってどんな人?」

 葵が僕の目を見上げて問う。

 急やな、と密かに思ったが、いつものことなのであえて口にはしない。

 僕も、能口さんとは話したこともないし、ただ単に同じクラス、というだけの関係だ。だから、どうしても貧相な感想になってしまう。葵の方がきっと、的確な表現で彼女を説明することができるだろうが、僕の少ない記憶と言葉のボキャブラリーをフル活用して、最も深く感じたことを口にする。

「まぁ、かわいい子なんちゃう?」

 シャイの僕が、本人がいないところで女の子の見た目の話をを出すというのは、若干の気恥ずかしさと申し訳ない気持ちがあったりするのだが、それを封じて正直に発言する。彼女に関して唯一覚えていることと言えば、その見た目のマスコットのような可愛さと、ツインテールだけだった。

「へー……。友哉にはそう見えるんや」

 なぜか声を低くした葵が、目を細くして僕を見る。朝日のせいか、その目が光っているようにすら見えた。

「おーい! 友哉ー! 葵ー!!」

 ふと、僕らを呼ぶ声が聞こえた。知らぬ間に長い一本道を過ぎた僕たちは、駅までの短い道路を歩いているところだった。直線の先には、貴浩が大きく手を振って、早くしろ、というように手招きしている。

「もう電車、来るぞー!!」

 貴浩が叫ぶと同時に、左手の踏切が鳴り始めた。

「おっ、マジか」

 言うよりも先に、僕は走り出す。数十メートルほどしかないが、昨日のジョギングのように、体を慣らすように走る。別に意識したわけではなく、体が自然にそう反応したのだ。ステップを踏むように軽く、風を浴びながら走る。葵の鞄に取り付けられたキーホルダーがぶつかり合って、かちゃかちゃと音を立てているのが後ろから聞こえた。

 僕らがホームに入ったころには、先頭車両は既に構内に入っていた。もし、貴浩が声をかけてくれなければ、乗り遅れていたかもしれない。

 貴浩のにやにやした笑顔に迎えられて、車内に入る。

「今日はどうしたー? もしかして寝坊かー??」

 僕が、違うよ、と言うと貴浩はますます眉をひそめて僕らを凝視する。

「なんか葵がご機嫌ななめやなー。……友哉、お前また何かやらかしたんか?」

「いや別に何もやってへんけど……。つか、またってどういう意味?」

 ぐいっと顔を近づけて問う貴浩から、わずかに距離を取りつつ答える。だが、貴浩は僕の答えに納得した様子はなく、不審がる表情を崩さない。

「いや絶対なんかしたやろ。葵が機嫌悪い時は大抵友哉がかかわっとるもんな」

 貴浩がにやにや笑いを強くして僕に詰問きつもんする。え、そうなん? と、心の中で思う間もなく、貴浩が言葉を続ける。

「ほら、中学の文化祭んときも、体育祭んときも――」 

「やから、何もやってへんって!!」

 僕はあわてて否定するが、喋り出した貴浩は止まらない。結局、学校までの三十分の車内では、僕の昔話が淡々と話されることになったのだった。


 教室に入ると、能口さんはまだ来ていなかった。八時という時間に来る生徒も少ないので、仕方ないだろう。この学校に通っている生徒が利用している路線ならば、もう少し遅い時間に到着する電車もある。そっちで来る生徒の方がきっと多いだろう。

 ちなみに、良太も葵からの誘いは了承したようだ。彼もやはり、能口さんのことについてはほとんど知っていなかった。

 一度、ちゃんと話してみることにしようと結論付けた僕たちは、彼女が来るのを静かに待つことにした。朝早い教室は、僕らのほかには誰もおらず、静謐せいひつな空気が流れ続ける。先輩たちのクラスからも、騒ぎ声やふざけるような声は聞こえてこず、時々雑談するような声が聞こえてくるだけだ。

 ニ十分ほどが経過し、ちらほら教室内にもクラスメイトが登校し始めていた。女子たちが高い声で話す音も聞こえるが、件の人物はなかなか現れない。

 八時三十五分、朝のHRまで十五分、という時間になったころ、ようやく能口さんらしき生徒が現れた。今日も、白いゴムでくくったツインテールを揺らして喧騒の中を潜り抜けていく。すれ違う女子生徒たちに、元気に挨拶をしながら、自分の席に鞄を置く。

「あ、能口さん、おはよー!」

 そのタイミングを見計らって、葵が席まで行ってまず声をかける。その声に反応した能口さんは無邪気な笑顔で「おはよ!」と返す。

 そして、僕と良太も二人の元へと歩み寄る。少し緊張しているが、葵もいるので何とかうまくやってくれるだろう。

「あ、この前は遊び誘ってくれてありがとね! んで、私の友達も誘ったんやけど……。うん、こいつら」

 後ろに立っていた僕らをさっと指さす。能口さんの目がこっちを向いた。その時、僕は何かを感じたような気がした。この顔と言い、髪型と言い、どこかで見たことがあるような気がする、と。既視感のようなものを感じていた。一瞬、考える。だが、どこで見かけたのか、思いだせない。もやもやした感じが抜けきらないが、じっと見つめられていたので、とにかく簡単に自己紹介した。

「楠木……友哉くんに、山本良太くんね。わかった! これからいろいろよろしくね!」

 笑顔で、そして鈴が鳴るような声であいさつされる。

「改めて、あたしは能口瑠璃(のぐちるり)。呼び方は適当にしてくれていいよ! あ、でも、もしよかったら、名前呼びがいいな!」

 そう言って、件の少女――能口瑠璃さんは、にかっと微笑んだ。

(やっぱりどこかで出会ったよな……。どこだっけ……?)

 考え込む僕をよそに、葵は瑠璃さんとの会話に花を咲かせている。

「瑠璃ちゃんは、どこから来てんの? 私らーは福知山線の石生なんやけど」

「そうなの? じつはあたしも石生! あれ、でも見かけたことないような……」

「あー、私らは八時にここに着くやつで来てるからね。瑠璃ちゃんはきっと……」

(……あっ)

 葵たちの会話で思いだした。合宿に行く日の朝。いつもの電車に乗り遅れた僕が駅で立ち尽くしていた時に、同じホームにいた少女。あの子も、たいそう可愛らしい子で、そして髪型も、横で話している女の子と全く一緒だった気がする。僕は意を決して、彼女に聞いてみることにした。

「その……瑠璃……さん」

 僕の呼び声に首の角度を変え、こっちを向く瑠璃さん。

「別に呼び捨てでもいいよ、友哉くん」

「……じゃ、瑠璃」

 僕が呼ぶ声を聞いて、うんうんと満足そうにうなずく。

「土曜日さ、もしかして石生駅におった?」

 僕の質問に目を丸くする瑠璃。もし違ったら、すぐに穴を掘って入るつもりだ。恥ずかしさで耐えきれなくなるだろう。

 だが、瑠璃は案外軽く首肯した。

「あ、もしかして友哉くんもいた? あちゃー、見られてたか」

 たはは、と笑いながら頭を掻く。やはり、あそこで出会った女の子は彼女だったようだ。

「石生駅って……。友哉、いつみかけたん?」

 葵もまた驚いたようで、僕に詰め寄って聞いてくる。乗り遅れた日のことを、簡単に説明した。

「でも、何で土曜日なんかに駅に? 学校はないのに」

「いや、あの日ね。別に大した用事じゃないよ? ちょっと忘れものしちゃって、取りに行ってただけ。でも、まさか、友哉くんがいたとはねー。声かけてくれればよかったのに。同じ学年ってことはわかるでしょ?」

「友哉はシャイボーイなんやっ! なっ、友哉?」 

 いたずら好きの子どものような顔で僕に言う葵。否定できないので、だんまりするしかない。

「ふふっ……。友哉くんたちって、面白いね」 

 やはり笑顔で言う瑠璃。

 その時、予鈴が鳴った。間もなく中島先生も教室にやってきて、みんな急いで席に戻る。

「じゃ、またあとでね」

 瑠璃と手を振って別れる。

 瑠璃の席は、一番窓側の先頭だ。対して、僕は廊下側なので、少しばかり距離がある。

「…………」

 中島先生の朝の話を聞きながら、ちらっと瑠璃の席の方を盗み見る。

 暖かい日差しが包み込む中、瑠璃はじっと外を見つめていた。変わることのないその景色を見る瑠璃の顔は、先ほどの笑顔からは想像できないほどに無表情だった。

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