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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
16/54

リア充

 バスは市街地を抜け、三十分ほどであたり一面が緑に囲まれた地域へとやってきた。空は澄み渡り、若々しい新緑の輝きが、一層映えて見える。

 そんな車外の美しさに反して、車内には沈痛なムードが漂っていた。下から響いてくるエンジンの音だけが、淋しく僕らを打つ。

 昨日の一件もあって、僕たち一年生部員の間には低くない壁ができてしまっている。そのため、お互いに話しかけようともせず、携帯の画面に集中していたり、読書をしたりと、各々の時間を過ごしていた。

 僕とてそれは例外ではなく、イヤホンを差し込んで、静かに音楽を聴いていた。隣の葵も同様に、音楽を聴いている。ただ一つ、違うところがあるとすれば、葵は読書をしていることだろう。一瞬、ちらりと表紙が見えたが、最近話題になった、とても泣けるという小説だった。

「酔わへんのん?」

 僕は何気なく聞いてみる。

 沈黙の渦中にいると、どうも背中がむず痒くなってしまう。幼馴染とはいえ、隣が女の子だと、それも増すのだ。そうでなくても、僕らが座っているのは、バスの中間部の座席だ。具合が悪くなる可能性も無きにしもあらずなので、気にかけておくのも、無駄ではないはずだ。

「別に。よっぽどやない限り酔わへんな。友哉は酔いやすかったっけ?」

 イヤホンを片方だけ外して、本から目を逸らしながら答える。車内の状況を思慮しりょしてか、その声量は、いつもよりも抑えられていた。

「いや、僕もそんなに。ただ、読書とかするとちょっとヤバいかもしれんな」

 苦笑する。

「ナイロン袋、ちゃんと用意しとるか?」

 茶化すような笑みを浮かべて葵が訊ねる。ポケットからゆっくりと袋を取り出した。

「……何で誇らしげなん??」

 くすり、と葵は笑った。

 教室での彼女ならもっと大きな声で僕をはやすのだろうが、こんなおしとやかな葵も良いかもしれない。再び本に目を落とした彼女の横顔を見て、ふとそんな感想を憶えた。

 ページを捲る彼女は、とても温和な表情をしている。つい見惚れてしまいそうな。

 よくよく考えれば、葵が読書をすること自体、珍しいことだ。これは貴重な一枚かもしれない。今のうちに、瞼に焼き付けておかなくては。僕は、時々、ちらりと横目で葵を盗み見ていた。

 しばらく、そんな時間を過ごしていると。

「……ん? どうかした?」

 僕の視線に気づいたようだ。あわてて視線をずらす。

 ずっと凝視ぎょうししていたと勘違いされると、僕たちまで気まずくなりかねない。平静を取り繕って、何でもないよ、と返す。葵は、本の続きが気になるのか、それともただ単に関心を失ったのかはわからなかったが、それ以上は言及してこなかった。


 バスは山道を走る。

 徐々に標高が高くなっているのを感じる。窓に映る景色も、極端なものになってきた。

 少し目線をあげれば、管理が行き届いていなくて、乱雑に生い茂った木々。その多くは枯れ果て、幹はぼろぼろに腐っている。台風レベルの大雨が降れば、きっと二次災害を引き起こすことだろう。一抹の不安を覚える。

 けれど、下を見ると、まるで人間社会から逃れてきたように咲き誇る、小さな野花を拝むことができる。黄色や白、赤にピンクといった、人の気持ちを穏やかに、そして華やかにさせてくれる色彩が、あちらこちらに生きている。

 きっと、その生命力は僕ら人間には計り知れないものだろう。

 何の教えも受けずに、ただ舞い落ちた場所で植物としての『人生』を育み、移ろいでいく景色の変化を見守り続ける。たまに通る人間には全く関心を持たれずに無視され、ひどい時には踏みつぶされたり、胴体を根元からちょん切られる。

 その中で生き残った僅かな仲間も、誰にも知られることなく、その一生を終える。でも、確実にその遺伝子は後世へと受け継がれる。そこは人間と変わらない。花って、もしかして僕たちの同胞どうほうなのかもしれないな。

 トンッ。

 急に僕の体が揺れ、肩に軽い衝撃が走る。その刺激で、僕の意識は現実世界へと呼び戻された。

「……ん、何……?」

 振り返ると、葵の顔が、目の前にあった。至近距離で目が合う。

「え……? 葵、どしたん?」

 狼狽うろたえる僕をよそに、葵はけろりとした表情で言う。

「いや、バスがカーブ曲がったせいで倒れちゃって」

 バスは、蛇行だこうする道が多いため、かなり徐行運転をしていた。けれど、どれだけ頑張っても人間は物理法則には抗えない。遠心力で、傾いてしまうのだ。

 再びカーブがやってきた。今度は僕の体が葵に向かって倒れる。必死に耐えようとするが、意識せずとも葵の体が近くなる。

「お前ら、仲ええなー!」

 突然、前の席から貴浩が身を乗り出して茶化してくる。急な大声に僕が必要以上に驚いてしまったせいで、僕の体は大きくバランスを崩してしまった。

「おっ」

 葵が短く声を上げる。

「ほぅ……」

 頭上から貴浩の感嘆するような声も聞こえる。

「お前ら、やっぱラブラブやな」

 言われて、ようやく今の状況を把握する。

 僕の体は、葵と広く密着してしまっていた。葵が少々恥ずかしそうに僕を見下ろす。

「その……、さすがに私もこれは困るというか……」

「あっ。その……ご、ごめんっ!」

 葵に言われ、僕はあわてて身を離した。葵は、ははは、と照れ笑いしながら僕を見る。僕はというと、恥ずかしさと申し訳なさが頂点に達し、ろくに目も合わせられない状態だった。でも、なんかいい匂いがしたなぁ、なんて不謹慎にも考えてしまう。

「……つか、やっぱ、ってどういうこと、貴浩?」

 押し寄せる感情から逃れるように、貴浩に言葉を投げかける。けれど、貴浩は素っ気なく返すにとどめた。

「さぁな。自分の胸にでも訊いてみーや」

 貴浩の笑い声が聞こえる。別に馬鹿にしているわけではなく、心の底から楽しんでいる笑い声だ。

 バスはカーブの多い区間を抜け出し、まっすぐとした道をゆっくりと走っていた。まだ若干、|動悸が治まらない心臓を落ち着けるために深呼吸する。

 そのついでに、胸に手を当ててみた。僕の少し早い鼓動が、掌を伝って耳まで届く。トクン、トクンと響く音が、僕の生命を、感情を、つちかっている。けれど、それが何か答えを教えてくれるわけではない。ただ、『培う』だけなのだ。答えは、自分で見つけ出さなければならない。

 きっと、今の僕にそれは不可能だ。貴浩の言葉の真意が理解できないようでは、到底、その答えが導く場所へとたどり着けるわけがない。

「もうすぐ着くぞー! 準備しろー」

 僕の思考を遮るように、石崎先輩の声が響く。

 少し背伸びして、バスのフロントガラスから外を見ると、赤色のロッジ風の建物が目に入った。その奥には、大きな鬼瓦おにがわらがある。どうやらここが、今回の合宿の宿泊場所のようだ。

 さっさと荷物をまとめ、降りる準備をする。そして、大江山の地へと降り立った。


 大江山グリーンロッジは、名前の通り、のどかな自然に囲まれた、広々とした宿泊施設だった。平屋で、外観はヨーロッパの洒落たレストランを連想させた。先にはテラスやバーベキュー施設もあり、解放感が漂っている。

 少し歩いた先には、大江山に古来から伝わる、「酒呑童子しゅてんどうじ」にまつわる話をはじめ、日本や世界の鬼に関する展示をしている博物館もある。今回はそこには行かないが、バスからも見えた「世界一大きい鬼瓦」には興味を引かれるものがあった。

 他にもいろいろ見回しておきたいが、先輩の集合命令がかかったので、足早にそちらに向かう。僕たちは適当に集まり、石崎先輩に視線を向ける。

「ここで、今日から二日間、合宿を行う。詳しいことはしおりで確認してくれ。まずは、お世話になる方に挨拶を……」

 滞りなく挨拶などは進み、僕たちはそれぞれの部屋に向かった。十畳ほどの個室だった。中央にはテーブルが据えられており、窓の外には雄大な山々が広がっていた。

 ちなみに、二人一組で部屋が割り振られており、僕は貴浩と、良太は石崎先輩と、残るは柴田と支倉で一部屋だ。葵は女子ということで、部屋は別だった。少しかわいそうだが、致し方ないことだと割り切るしかない。もし退屈になったらいつでも来いよ、とは言ってある。 

 荷物を置き、グローブやスパイクなどの練習道具を引っ張り出す。今日は当初の予定なら、キャッチボールなどを終えた後、ひたすらノックを受ける、いわゆる千本ノックをするということだったのだが、昨日の雨のせいでグラウンドが水浸しの可能性もある。いま、監督が確認に行っているところだ。

 しばらく待ったあと、石崎先輩から伝言があった。結局、グラウンドコンディションが良くないということで、ノックは中止となった。

「まぁ、しゃーないか」

 貴浩が天井を見上げながら、ため息交じりに呟く。僕も覚悟していた結果なので、さほどショックは受けない。むしろ、チームワークを向上させたのならば、ノックよりも良い手段は他にもあるだろう。

「とりあえずまずはキャッチボールな。さっきも言った通り、グラウンドは使えへんから、この施設の真ん前の広場でやらせてもらうことになった。やから、暴投とかすんなや」

 ロッジの前には、コンクリートの敷地があった。かなり広く、常楽高校のグラウンドほどはある。車も止まっていなかったので、絶好の場所だった。

「よっしゃ! 頑張るとしますか」

 貴浩の元気な声が玄関に響く。僕もグローブを叩いて、それに応えた。

「葵も、頑張ってや」

 僕の言葉に、葵はジャグを片手に微笑む。今日からは、市販のお茶ではなく、粉末のアクエリアスだ。水の量の調整が、初心者には難しいかもしれないが、僕が口をはさめる領域ではない。

 やることは大して普段と変わりはないが、環境が違うと、そのモチベーションはぐんと上がる。喧騒ばかりが目立つ、市内のしがらみから解き放たれた気分は、言葉では言い表せない。

 時折吹く、山ならではの冷たい風に体を震わせる。けれど、背中を押してくれているようにも感じた。

 綺麗な空気を軽く吸い込み、僕は右手の白球を強く握りしめた。

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