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常に楽しく! 常楽高校野球部物語~入学編~  作者: 深淵ノ鯱×kareat
1年・春~夏
13/54

心の天気

 3

 翌朝は、僕の気分に反して曇っていた。空は鼠色ねずみいろの分厚い雲が覆っており、晴れそうなきざしはない。昨日、折角いい気分で眠れたのになぁ、と重いため息を吐く。

 制服に着替え、階下に降りると、いつもの朝の風景が広がっていた。朝が早い父親は、すぐにでも出発できるといった格好で新聞に目を通している。母親は僕の分の朝食を作りながら、お弁当におかずを詰め込んでいた。

「あ、おはよう友哉。もうちょっと待ってや」

 母親の声に僕はうんと頷く。父親も同様に挨拶をしてきた。

 何気なく、点いていたテレビに目を向ける。誰もが知っている、朝の人気番組だった。ちまたで人気のイケメンアナウンサーが、原稿をすらすらと読み上げている。それをぼけっと、何を考えるでもなく眺めていた。

 やがて、天気予報のコーナーになった。これも変わらず、美人キャスターが都内某所で、今日の全国各地の天気を伝えている。予報によると、今日はお昼過ぎあたりから雨が降り出すらしい。画面の背景に映っている空も、灰色だった。もしかしたら今日は外では練習できひんかもな……と眠気の抜けきらない頭で考える。そうなると室内練習だろうか。

「今日は雨なんかー……。嫌やねー、やっと最近晴れだしたと思たばっかやのに。……はい、お弁当」

 父親用のお弁当の包みを持ってきた母親が、苦々しく呟く。弁当を受け取った父は、足早に家を出て行った。その背中に小さく、いってらっしゃい、と声をかける。

「ほんで、朝ごはんな」

 そして僕の前にも朝食が並べられる。ご飯に味噌汁、あとはお弁当のおかずの残りだろうか、焼き肉のたれでえられた牛の焼き肉だった。それに早速手を付け、食べ始める。

「今日の帰りはどれぐらいになるん?」

 洗い物の音に負けぬよう、いつもよりも少し大きめの声で問いかけられる。僕も朝の低いテンションを無理やり上げさせて答えた。

「昨日と同じぐらい。もしなんかあったら連絡する」

 母親は無言で頷き、皿洗いに戻った。番組は、知らぬ間に別のコーナーへと移っていた。水の流れる音とテレビの音だけが室内に響く。

 僕はさっさとご飯をかきこみ、支度を整えて家を出た。


 葵の家の前で待つ。電車の時間までは、駅までの道のりを考えてもまだまだ余裕がある。イヤホンを差し込んで音楽を聴きながら、手近な電柱に寄りかかっていた。

 十五分ほどで葵が姿を現した。「いってきまーす」と声を上げてこちらに駆け寄ってくる。ドアが閉まる瞬間、葵のお母さんが垣間見えた。そういえば、しばらく話してないな、と唐突に思う。

「ごめん、待った?」

 手櫛てぐしで髪の毛を整えながら葵が問う。僕はイヤホンを外しつつ笑みを浮かべて首を振った。待ったと言っても大した時間ではない。昨日の葵の言葉ではないが、僕は何も困っていないのだから、それでいい。

「葵、まだ寝癖直ってへんで」

 笑いながらまだはねてしまっている部分へと手を伸ばす。

「え、どこ?」

 自分の頭をまさぐってその個所かしょを探す。でも僕は、そんな葵を無視して、その個所に手を当てる。

「…………っ」

 葵は一瞬驚いたように、体をこわばらせたが、すぐに力を抜き、目を伏せた。それは羞恥しゅうちからなのか、それとも僕にはわからない何かの所為なのかは、わからなかった。でも僕はお構いなしに、優しく撫でる。二、三回もするうちに、跳ねていた横髪は平坦になった。

「ほい、もうええんちゃうかな。ごめんな、急に髪触って」

 まだ目を上げようとしない葵に対して、少し申し訳ない気持ちになりながら謝る。葵は、小さく首を横に振ってくれた。

「……ありがと」

 ようやく頭を元に戻して、小さな声で呟いた。少し顔全体が朱色を帯びている気がする。普段、僕をはじめとする男子とよくつるんでいる割には、やっぱりスキンシップには弱いんかな、と心の中でくすりと笑う。

「んじゃ、行こうか」

 少々時間を食ってしまった。走らなければならない程ではないが、急ぎ足になってしまいそうだ。

「ちょっと待って」

 駅に向かって歩き出そうとした僕の歩みを、葵が制す。振り返った僕の真横、いや、少し前までとてとてと歩いてきて、僕を見る。

「友哉、ネクタイ曲がっとる」

 僕の胸元を指さして言った。僕も誘われるようにそこに視線を向ける。

「ホンマや、じゃあ――」

 直そうと手を向かわせたと同時に、何かが僕の視界に乱入する。

 見ると、葵がちょちょい、と手際よく作業をしていた。しわを正して、キュッと結び直す。すると、だらしなく曲がっていたネクタイは、まるで一流企業の社長がつけているようなそれになっていた。

 葵の手先の器用さに、思わず感嘆の息が漏れる。

「おぉ……。葵、すごいな」

 僕が目を合わせると、今度は少し笑顔を見せてくれた。それでもまだぎこちない。顔も赤い。他人にされるのは苦手だが、自発的にする分にはある程度の余裕は生まれるのかもしれない。今回は、相手が男子だったというのもあると思うが。

「ちょっと時間、やばいな……。葵、ちょっと走れる?」

 葵に問い、頷かれる。

 そして走り出した。天気のせいか、冷たさを含んだ風が顔に当たる。頭をゆっくりと冷やしてくれているように感じた。

 その方が、今の僕たちにはいいかもしれない。


 十字路を勢いをつけたまま曲がり、後は長い一本道を残すだけとなった。時計を見ると、全力疾走した分、遅れを取り戻せたようだ。いつも、このあたりを歩いている時間とほぼ同じだった。

「はぁ、はぁ……。ちょっと歩くか」

 走っていた足をゆっくりと止め、落ち着かせるために息を吐く。こういう時も、急に止まると、足に不必要な負担をかけてしまう。常に注意しなければいけないのは、少し面倒だ。

「話変わるけど、今日雨降るかな……?」

 葵が空を見上げて声を出す。上がっていた息は早くも落ち着いたようだ。

「さぁ、な。天気予報ではお昼あたりから、って言ってたけど」

 先ほどのテレビの情報をなぞって答える。

「お昼からかー……。今日の練習、どないなるやろねー?」

 今日は、本来なら明日からの合宿前の、学校での最後の練習になるはずだった。と言ってもまだ二日目。専門的なことをする時期ではない気もする。だから、おそらく体力づくりとかだろう。

「練習って言えばさ、あの二人、どう思う?」

 ふと脳裏をかすめたことを僕は葵に問いかける。あの二人、できっと通じるはずだ。

「二人、って言うと支倉君と柴田君?」

「そ」

 葵の確認には短く答える。

「うぅーん……。一言で言うなら、だらけてる、かな。支倉君は結果だけ見るとそんなに悪ないと思うけど、細かい動きとかは正直甘いし。柴田君は……まぁ、あのエラーがあるからね。あの後もちょいちょいミスってたし。まだまだ締まってへんな。……私が言うのも何やけど」

 最後に小さく付け加えて、ははは、と苦笑いする。

「逆に友哉はどう思うん?」

 僕は葵とほぼ同意見だ。あの二人の行動からは、いつもけだるげなオーラが染み出ている。それが学校生活の中だけでとどまってくれれば文句はないのだが、練習の時まで引きずってこられると厄介だ。練習中の雰囲気に支障をきたして、周りの迷惑になってしまう。それがチーム全体に拡散して、より一層やる気のない団体になってしまうことは、ありえない可能性ではない。

「ちゃんと、注意してみる?」

 僕の意見を聞いた葵は、空を眺めたまま提案した。大きな雲が、風の流れに乗ってゆっくりと動いている。それに便乗しているかのように、僕らの足も遅くなる。

「注意、って言ってもなぁ……」

 あの二人が、そう簡単に聞き入れてくれそうな感じもない。僕の性格では、逆に歯向かわれて撃沈げきちんしてしまうのが目に見えている。

「当たって砕けろ、やで。友哉!」

 励ましてくれているとは思えない葵の言葉に、僕はまたため息を吐く。ナーバスな気分が体を支配して、胸のあたりが痛くなる。今日は厄日かもしれない。

 また、少し強い風が吹いた。天気予報に反して、いますぐにでも降り出しそうだ。

「まぁ、話してみるだけ話してみよか。もしかしたら、ちょっとは変わるかもしれんし」

 ほぼ諦めに近い形で僕はうなずいた。葵がぽん、と肩をたたいてくれる。

 どんよりとした四月の空は、僕の心を映す鏡のようだった。


 朝休みは、お互い、合宿の用紙を提出したり、二人がいなかったりと、話しかける機会がなかった。いわゆる「しおり」は、用紙を提出すると同時にもらえた。同じクラスなので、一度チャンスを逃したからといって悲観することもないのだが、面倒事は早いうちに片づけておきたい。

「はぁ……」

 そんなことを考えているうちに、昼休みになってしまっていた。進まぬ箸を頑張って動かし、弁当を食べ終わる。

「今日は友哉、何かテンション低いなー」

 良太がため息ばかり吐いている僕を見て、そんな感想を漏らす。まったくもってその通りなので、何も反論しない。

「まーな。ちょっと朝からいろいろあって……。胃が痛くなりそうや」

 腹のあたりをさすって、大袈裟おおげさにおどけてみせる。良太はそれには何も口出しせずに、ただ心配そうな視線を送り続けた。良太の横に座っている葵は、一言も発しない。俯いて、黙々とお弁当のウインナーをつまんでいる。端っこが少し焦げていた。

 もしかしたら、提案をしたことを悔いているのだろうか。

「ちょっと自販機まで行ってくるわ」

 良太に余計な不安をかけさせたくないのと、葵の気分も楽にさせるために、僕は明るい声を出して言った。財布をつかんで席を立つと、葵も同時に立ち上がる。

「あ、ちょっと待って……。私も」

 最後の一口をごくん、と飲み込んで言う。僕は無言で頷いた。


「ごめんね、私のせいで、友哉悩んどるんやろ?」

 自販機に向かう道のりの途中、口を開けた葵はまず謝った。校舎の中で騒ぐ先輩の声が反響して、騒々しい。葵の声は、いつもより小さいものの、しっかりと聞き取ることができた。

 本当ならここは、そんなことない、と言いたいところだが、僕は嘘が苦手だ。葵はすぐに見抜くだろう。そうなると、逆に傷つかせてしまうかもしれない。ここは、正直に言うことにした。

「……うん。ちょっと悩んどる。でも葵の所為なんかじゃ――」

「ううん。私が言い出したことなんやし、これは私の我儘。その我儘に、勝手に友哉を巻き込んでしまっただけや。……ごめん、友哉」

 僕より一歩先に出て、振り返って言う。僕は思わず立ち止まる。突然、相対あいたいする形になった僕たちを見て、周囲の生徒が奇妙なものを見る視線を送ってくる。

 くぐもっている葵の声は儚く、そしてもろかった。僕が不用意に言葉を発そうものなら、すぐにでも崩れてしまうだろう。だから僕は、葵に何か優しい言葉をかけてあげることができない。そんな自分に嫌気がさし、苛立ちが募る。

 最後の一言を残し、葵はきびすを返した。足早に去っていく葵。その後姿から、僕は目を背ける。

 僕の半径一メートルを超えた先には、みんなの日常が広がっている。皆それぞれに悩みを持っているだろうが、共通して友達と一緒に笑っている。

「……くそっ」

 僕は独りで拳を握りしめる。中学の時の担任から聞かされた、太宰治だざいおさむのある小説のワンフレーズが脳裏をかすめる。

 だったら、すべてを片づけてやろう。今の状態で笑うことができないのなら、笑うことができる状況に持っていけばいい。この拳を解くとき、みんなで笑えるようにしよう。

 自販機の前で決心する僕を、歩く人たちが訝しげに見つめる。ひそひそと囁くような声も聞こえる。

 けれど僕は気にしない。これは、自分に対する試練だと思おう。弱気な自分を変えるための、挑戦。

 静かな闘志を胸に秘めて、教室に戻る。

 いつの間にか、大粒の雨が降り出していた。

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