百話 逃亡者の方々を、説得いたしましょう
ある一台の馬車が、聖都ジャイティスの外延部にあった検問で、停止させられていた。
この検問は、広場で起こったあの騒動によって、聖都ジャイティス全域が警戒態勢に入ったためにできたものだった。
検問の兵士が、御者台にいる男に問いかける。
「どんな荷物を運んでいる?」
「はい、奴隷です。近くの町で、不足しているようで、売りに行くのです」
男の返答を受け、兵士は仲間を馬車の後ろに回らせた。
そして、馬車の中を改めさせる。
しかし、目当てのもの――装飾過多な神官ゴブリンは見つからなかったのだろう、馬車を止めている兵士に向かって言う。
「中にいるのは、奴隷の子供ばかり。人を隠せるような場所は、見当たりません」
「そうか――だが念のために、馬車を一通り調べさせもらう」
兵士たちが、馬車の内外を調べに調べたものの、怪しげな物は見つからなかったようだ。
「止めて悪かったな。行ってよし」
「はい。お勤め、お疲れさまです」
馬車は動き始め、聖都の外へと進み出た。
そのまま、ゆっくりとした動きで街道を進んでいく。
そんな様子を、俺とエヴァレットをはじめとする仲間たちは、遠くから見ていた。
兵士と御者の男の会話は、エヴァレットとスカリシアによる、アフレコである。
そして、耳のいい二人によって、あの御者の男が誰かも見抜き――もとい、聞き抜かれていた。
「広場にて、ゴブリンを奪還した、あの男の声に間違いありません」
「あのゴブリンが、あの馬車に隠れているかまでは、距離がありすぎて判明はできませんけれど」
スカリシアが申し訳なさそうにするので、気にしないようにと身振りする。
「馬車にいる子供の奴隷というのは、恐らく彼が連れていた子供たちの変装でしょう。ならば、助け出した神官ゴブリンも、馬車の中に連れているに違いありませんよ」
さて、どうあの馬車を制圧しようかと考えようとすると、バークリステが意見があるように小さく手を上げるのが見えた。
「なにか、いい案があるのですか?」
尋ねると、バークリステは心苦しそうな表情になりながら、意見を言ってきた。
「あの馬車の御者――バラトニアスと、話をさせてはもらえませんでしょうか」
「話を、ですか。それはまたどうして?」
「バラトニアスとは知らない仲ではありません。説得して、穏便に済ませたく思います」
つまり、昔馴染みと事を構えるのは、心苦しいってわけだな。
戦闘にならずに済むなら、それに越したことはない。
けど、そうそう上手くいくはずがないと思うけどなぁ。
だってバラトニアスは邪神に組する存在として、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒たちと、広場で大っぴらに敵対してしまった。
今はまだ、検問を通り抜けられるほど、顔は知られていないかもしれない。
だが、遅かれ早かれ、これからずっと巨大組織に追われ、その影に怯える生活になる。
この段になると、昔馴染みによる説得で立ち止まれる地点は、過ぎてしまっていると考えた方がいいだろう。
そして、俺の予定の邪魔になる業喰の神の信者たちは、居なくなってくれたほうが有り難い。
そんな風に色々と考えていった結果、とりあえずバークリステに説得を任せてみることにした。
「ありがとうございます。必ず説得してみせます」
バークリステの決意を固めた姿を見て、少し心苦しく思いながらも、完全に任せるわけではないと断りを入れる。
「バークリステのことは信じていますが、バラトニアスが聞く耳を持たない可能性もあります。なので、第二、第三の策を立てさせてもらいますね」
「分かりました。ですが、大丈夫です。戦いになるようなことは、きっとありませんから」
バークリステは、確信を持っているかのように言う。
けど俺には、きっと彼女の思い描くとおりに、平和に事が収まるとはとても思えなかった。
バラトニアス一行が乗った馬車が近づいてきたところで、バークリステと子供たちが進路に立ちふさがった。
行く手を防がれて、馬車が停止する。
御者台にいたバラトニアスが地面に下り立つと、馬車の後ろから奴隷風の格好をした子供たちが降りてきた。
ちなみに、俺とエヴァレット、そしてスカリシアは、街道脇の草むらに隠れながら、この光景を見ているよ。
さて、バークリステとバラトニアスは、背後に子供たちを連れて向かい合う。
「お久しぶりです、バラトニアス。なにやら、色々と事情が変わった様子ですね」
「久しいな、バークリステ。そちらの噂は、この耳に入っているぞ」
軽い挨拶の後で、バークリステは首を傾げた。
「噂とは、どのようなものですか?」
「ふっ、惚けなくていい。とある町で人々を魔の手から救った上に、邪神の残滓に囚われし子たちのために、上層部を批判してのけたそうじゃないか。昔とちっとも変わっていないと、少し感心したものだ」
「そんなこともありましたね。そうですか、あのことが噂になっているのですか」
「演劇にもなっているぞ。もっとも、小さな劇団が辻芝居でやる演目だ。それでも、邪神の残滓に囚われし子――いや、姿が少し違う神官は居ないのかと、教会に尋ねてくる人がでてきたそうだ」
「それは喜ばしいことです。これで少しは、この子たちと同じ境遇の人々が、教会内でよい立場におかれることになるはずです」
「いいや。そうとも言っていられなくなった」
バークリステと、その背後に並んだリットフィリアたちは疑問顔になった。
すると、バラトニアスはおかしそうに笑う。
「ふふふっ。自分のしでかしたことが、どのような結果になっているか、知らないようだな」
「その口ぶりだと、悪い方向に進んでいるように聞こえますが?」
「いや。良いか悪いかで言ったら、良い方向にいっているんだろう。だがそれは、お前とそっちの子供たちのように、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの加護を得られた子だけだ」
バラトニアスは、勘違いしているようだった。
けど、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒と誤解されていた方が都合がいいのか、バークリステはなにも言わずに続きを促す。
すると、バラトニアスは苦々しげな顔で、続きを語る。
「加護を得られない子は信心が足りないと、より厳しい修行を課されるようになった。あまりの責め苦に、自ら命を絶つ子まで現れる始末だ。お前たちが頑張ったところで、昔も今も変わらず、上層部にとって必要なのは神の加護を得られた子のみだ」
「……だから聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスを見限り、ゴブリンの崇める邪神を信仰することにしたのですか?」
「ああ、その通りだ」
一度言葉を切ると、バラトニアスは自分自身を笑うように苦笑する。
「当初は、怪しげな邪教を取り締まるため、とある村を調べ、業喰の神を祭るゴブリンと会った。だが、誰であろうと神の力が使えるよになる、その魅力に耐えられなかったんだ。軽蔑してくれて構わない」
「……いいえ。その気持ちはよくわかります」
ほぼ同じ境遇だからか、バークリステはバラトニアスを批判しなかった。
その代わりのように、ある質問を投げかける。
「仮に、業喰の神以外で、誰にでも神の力が使える神を見つけた場合、貴方は再び宗旨替えしますか?」
「難しい質問だな……いや、きっと業喰の神を崇め続けるだろう。苦境の中にいた我々に、一番最初に手を伸ばしてくれた神だからな」
「わたくしは、業喰の神を祭るゴブリンを見たことがあります。その神を祭り信徒となるとと、知能が低下してしまうみたいですね。それでも貴方は、その神を信じ続けるのですか?」
「ほう、それは知らない情報だ。いや、正確に言うなら、人の肉を食べると強大な力を得る代わりに、知能が著しく低下することは分かっていた。しかし、信徒になるだけで知能が下がるとは思わなかった」
考え込むバラトニアスに、バークリステは説得の締めを決するように、再び尋ねる。
「欠点を知ったのです。業喰の神を信仰することを止め、別の神に宗旨替えしますね?」
「おいおい、仮の話だろうに。だがな、その欠点を知ったとしても、崇める神を変えるつもりはない」
「それは自分のためだけですか、それとも子供たちのことを考えての発言ですか?」
「無論、全員のことを考えてだ。それに、こちらの状況は引き返せない場所まできたし、そして引き返すつもりもない」
「……変わりましたね。昔の貴方なら、もっと理知的に状況を判断して、全員が幸せになれるであろう道を探したと思います」
「ははっ、そうかもしれないな。もしかしたら本当に、業喰の神を信仰したから、馬鹿になってしまったのかもな」
交渉は決裂してしまったようだ。
バラトニアスが身振りし、彼の後ろに控えていた子供たちが、干し肉やドライフルーツなどの携行食を取り出す。
向こうが戦闘態勢に入ったことから、バークリステ側も手の杖を構え始める。
緊迫度が増していく状況に、俺は拍手をしながら草むらから出ることにした。
ぱちぱちと手を鳴らしながら出てきた俺と、突き従うエヴァレットとスカリシアの姿に、バラトニアスがギョッとした顔をする。
俺は構わずに、喋りかける。
「いやあ、子供たちのことを思う姿に、心を打たれました」
心にも無いことを言いながら、俺はエヴァレットとバラトニアスの間に立つ。
すると、バラトニアスが困惑顔で尋ねてきた。
「格好からすると、神官のようだが。誰なのだ?」
「おや、紹介が遅れました。私、自由の神を崇め奉る、旅の神官。トランジェと申します。予想がつくかと思いますが、そちらのバークリステとは、信仰を同じくする同志という間柄です」
うさんくさい笑みを浮かべながら言うと、バラトニアスは絶句していた。
「ま、まさか、本当に業喰の神以外にも、邪神がいたのか。そして、バークリステはその僕になったのか」
自由神は邪神じゃないんだけど、指摘すると話が長くなるので流そう。
「はい。まさしく、その通りです」
「な、なら、どうして、とある町を助けるとき、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒だと偽ったのだ」
「あははっ、おかしなことを仰られますね。大っぴらに異教徒だと名乗り出るなど、馬鹿のすることですよ。身分を偽って活動する方が、邪神の僕としては当然の行動ではありませんか?」
俺の返答に、色々とショックを受けているようだ。
けど、バラトニアスは、気持ちを持ち直したかのように、顔を上げる。
「整理はつかないが、君らを倒さねば、我々に明日はないとは分かった。ならば、打ち倒すのみだ」
バラトニアスが背後の子供たちに指示を送ろうとするのを、俺は手で制止した。
「少し待ってください。実は、提案があるのです」
「提案だと?」
バラトニアスは訝しげながらも、話は聞いてくれるようだった。
「はい。このまま我々が潰し合ったのでは、得するのは聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスだけです。それはお互いに、避けるべきことでしょう?」
「むぅ……。たしかに、一理ある」
「なので、この場を収めるために、こう提案したく思います」
俺は用意していた、文字が描かれた羊皮紙を拡げて、バラトニアスに見せる。
彼はその文字列を目で読み、困惑した顔つきになった。
「代表者一名ずつによる、選択肢決定戦だと?」
「その通り。こちらとそちらが、一名ずつ代表を立て、その勝敗によって双方が行動を変えます。そちらが勝ったのならば、こちらは見逃しますので、どこにでも行くといいでしょう。代わりに、こちらが勝ったら、貴方の後ろにいる子達は自由の神の信徒にします」
「……随分と、こちら側が不利な条件に見えるが?」
「そうですか? どちらが負けたとしても、全員が生き延びることができる、良い案だとおもいますけど? 代案があるなら言ってみてください」
バラトニアスは頭を悩ませて考え始めた。
「同じ条件で、そちらが負けたら、新たな業喰の神の信者にするのはどうか?」
「構いませんよ。ですが、一気に十名以上増えるのに、馬車にある飲食物は足りるんですか? そうは見えませんけど?」
「ぐっ、大慌てで逃げてきたからな、きっと足りないだろう。なら、どちらが勝っても、なにも無かったように分かれるのはどうだ?」
「こっちの利にはなりませんね。なにせ、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒に、我々は追われていません。そして、貴方が告げ口するのならどうぞしてみてください。その瞬間に、捕まるのが落ちでしょうけれどね」
それからも、バラトニアスが出す代案を、ことごとく退ける。
すると、当初に出した条件が一番良いと、バラトニアスも理解してくれたようだった。
「分かった。当初の案でいい。こんな聖都に近い場所で、まごついている場合ではなかったのだ」
どうやら本当に、業喰の神の加護の影響で知能が低下しているみたいで、ようやくその可能性に気づいたようだ。
俺としては、こうやって足止めを続けて、聖都から出てきた調査隊に引き渡してもよかったんだけどなぁ。
けど、代表戦を飲んでくれたのなら、それはそれでこちらの勝ち筋なので、別に構わないけどね。
「さて、こちらの代表は私、トランジェが勤めさせていただきます」
なにせ、俺がこちら側では最強なので、当然だろう。
他の人に任せて、勝負に負けてしまっては、この作戦の意味がないしな。
「では、そちらの代表者は、どなたでしょう?」
そう尋ねはしたけど、俺はバラトニアスが出てくると確信していた。
けど、それは違うかもしれないと、思い直した。
それは、バラトニアスが自分が代表だと言わないままに、詳しいルールを聞き始めたからだ。
「尋ねるが、武器の使用や、魔法を使うのは違反じゃないんだな?」
「はい、もちろんです。その方が、遺恨を残さないでしょうから」
「代表者の生死による、条件の変更はないんだな?」
「はい。基本は降参か気絶で決着ですが、事故で死亡してしまうこともありますからね」
この二つの条件は、バラトニアスが出てきたら、うっかり殺してしまって、有無を言わせない状況を作るためでもある。
逆に、俺は即死さえしなけば、魔法で回復できるので、降参することもできる。
なので、こちら側が有利な条件だ。
そんなもろもろを秘密にしながら答えると、バラトニアスが苦々しい顔で、馬車に顔を向ける。
それはまるで、馬車の中にいる誰かを代表戦に出そうと考え、それが苦渋の決断であるかのような表情だった。
「……ピンスレットを馬車から連れてこい。十分に気をつけてな」
「は、はい!」
バラトニアスの言葉に、彼のすぐ近くにいた子供が、顔を引きつらせながら馬車に走っていった。
そして、ゴトゴトと何かが外れる音の後で、その子は一人の女の子を連れて戻ってきた。
しかし、新たらしい子供は、他の子達と様子が違っていた。
衣服はかなり薄汚れていて、口に木の猿ぐつわを噛まされ、両手は後ろ手に、両足は膝の辺りで革紐で縛られている。
そして、目は爛々と輝き、半開きにさせられている口からダラダラと涎が出ている。
その姿はまるで、拘束具をつけさせられた狂犬のようだった。
バラトニアスは、そのピンスレットと呼ばれた少女の肩を掴むと、俺の前に立たせた。
「こいつが、代表者だ。ピンスレット、あれが敵だ。倒せ」
「うううぅぅ、ううううぅぅ!!」
バラトニアスに命じられた途端、猿ぐつわ越しにうなり声を上げ始めた。
その姿は、あの町の地下室で見た、業喰神の人間の信者とうり二つだった。
そして、さきほどバラトニアスが語ったある部分が、俺の脳裏にリフレインする。
おいおい、まさかその子。人間の肉を食べたことによって、業喰の神の加護が強く出すぎて、常に理性が飛んでいるのか!?
そう驚いている間に、バラトニアスがピンスレットの手に、片手剣を二本渡した。
するとピンスレットは、理性がないように見えるにも拘らず、手の中だけで巧みな剣さばきを披露し、自分を拘束している革紐を斬ってしまった。
そして、猿ぐつわを取らないままで、俺に向かって切りかかってきた。
「ぐぐううあああああああああ!!」
「せめて、試合開始の合図は欲しかったです、ねっ!」
振るわれる双剣を、俺は慌てて杖で防ぐ。
今まで戦ったどの相手よりも、この一撃は重かった。
ああ、楽な戦いになりそうじゃないな……。
心の中で愚痴りながらも、他の人に戦いを任せなくてよかったと変な安堵をする。
けど、気を抜いてはいられないと、ピンスレットのニ撃目を防ぎつつ、戦いに集中することにしたのだった。




