八話 聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの司祭と病気の赤ん坊
俺とエヴァレットに宛がわれた家にやってきたのは、生活汚れのある白いローブを着た四十代っぽい男性と、中世ファンタジー的な村人衣装を着た何かの包みを持った女性だった。
「ごめんください。ダークエルフを連れた、旅の神官さまとは貴方のことですか?」
出迎えてみると、開口一番に男性にそう尋ねられた。
不躾だなと思いながらも、気合を入れて演技をするための切り替えに、うさんくさい笑みを浮かべてみせる。
「はい、そうです。旅の神官で、トランジェと申します。彼女は教会の牢に繋いだ商人が持っていたので、ダークエルフを連れて、という点は間違いであると訂正したく思います」
丁寧な言葉を返すと、ローブの男性は面食らった顔をした。
「こ、これは大変失礼な発言をしました。お許しください」
「謝罪を受け入れます。それで、貴方のお名前をお聞かせ願ってもいいでしょうか?」
「は、はい、失礼しました。わたくしめは、この地の教会を任されております、司祭チャッチアンと申します」
司祭だというチャッチアンさんは、なぜか恐縮している。
「それで、司祭さまがなに用なのでしょうか?」
一応尋ねはするけど、捕まえた商人と盗賊たちについて尋ねにきたか、エヴァレットの様子を見にきた。たぶんその二つの理由だろう。
そして、チャッチアンさんが語った訪問理由は、まさにその通りだった。
「町に護送を頼む書類を作成するために、そのときの詳しい状況などをお聞かせ願えればと思いまして」
「構いませんよ。となると、そちらの女性は書記官なのでしょうか?」
話の流れからするとそう考えるのが自然だ。
けど、村人衣装が板についているので、そうとは思えないんだよな。
女性の姿をマジマジと観察していると、急に足元に平伏されてしまった。
「あの、どうかなさいましたか?」
「お願いでございます。この子を、この子をお助けください」
差し出されたのは、抱えていた包み。
なんだろうと見てみると、布の中に赤ん坊がいた。
ふくふくとした頬が可愛らしいが、変に顔色が青白いので、病気のようだ。
そんな観察をしていると、チャッチアンさんが間に割って入ってきた。
「申し訳ありません。子供が擦り傷を魔法で治してもらったと聞いて、ここまで急いでやってきたようでして」
言外に止めたと言い訳をしているな、これは。
さて、どうしようかな。
チャッチアンさんは聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒だろう。
彼の前でこの赤ん坊を治してみて見せれば、何かしらの反応や情報が得られるかもしれないな。
「分かりました。お二人とも、中に入ってください。先に、その赤ん坊の様子を見ますが、司祭のチャッチアンさん、よろしいですね?」
「も、もちろんですとも。敬謙な教徒を救うのは、神職の身ではとうぜんのことでございますので!」
そう言う割には、お前はこの赤ん坊を治そうとはしていないようなんだけど?
そんな野暮なことは言わずに心の中に仕舞い、綺麗にしたばかりの机の上に赤ん坊を寝かせてもらう。
お包みを軽く解いてから、指で赤ん坊を触診していく。
もっとも、俺は医者じゃないから、あくまで振りだ。
重要なのは、これから母親らしきこの女性に対する問診だからだ。
「少し、熱っぽいようですね。顔色も悪い。この症状は、どのくらい続いていますか?」
「えっと、気がついてからは一週間ぐらいでしょうか。それからはあまり食事もとらなくて、心配で心配で」
「食事をとらないですか。まだこの子はお乳で育てていますか? 離乳食を与えたりはしておいでで?」
「最近、離乳食を食べさせてます。少量の麦をお湯で煮溶かしたものを」
「他に何かを入れたりは?」
「畑で取れた野菜やあの森でとった野草なんかも……あの、それがなにか?」
「なにか毒になるような物を食べていないかの、確認のためですよ。まあ、それで大体のことは分かりました」
「は、はぁ?」
よく分かっていなさそうな女性を煙に巻いて、ぽかんとさせておく。
ちなみに俺が調べたかったのは、『病気』か『毒』のどっちがこの赤ん坊を蝕んでいるのかだ。
フロイドワールド・オンラインでも、病気を治して欲しいっていう依頼だったのに、調べてみれば毒による症状だったりして、混乱させるクエストがあった。
治せれば救世主扱いでカルマが善に傾くけど、治せなかったら詐欺師扱いされてカルマが悪に傾くという、困ったものだったりしたっけ。
一応、『病気』や『毒』の効果を同時に打ち消す魔法――『健やかな体を』系を使えば、一気に問題は解決する。
けれど、けれどこの魔法は同時に、『呪い』や『石化』にも効果を及ぼすため、再回復待機時間がやたらと長く設定されている。
赤ん坊の失った体力を戻すために回復魔法をかけたいので、待機時間が短い『病気』か『毒』かのどちらかに対応した魔法を使わないといけない。
仮に診断が間違っていたとしても、言いくるめて再回復待機時間を稼いで、もう一方の魔法を使えばいいかなっていう姑息な理由もあるけどね。
「とりあえず毒ではなさそうですので、病気を回復させる魔法を使います。よろしいですか?」
「は、はい。お願いします」
母親の了承が取れたので、杖の先を赤ん坊の上に掲げる。
「我が神よ、幼子の病魔を退散させたまえ」
呪文が完成し、机の上に光る円が現れた。
キラキラとした粒子が赤ん坊の中に入り、何かの薄黒いモノと共に肌から出てくる。
光と黒いモノが軽く弾けるような演出の後で、光る円は消え去った。
「さて、赤ん坊の具合はどうでしょうか?」
指を当てて、赤ん坊を触診していく。
「きゃっきゃ!」
俺の指がくすぐったいのか、笑い声を上げながら小さな手で掴もうとしてくる。
元気そうになって、母親は安心しているようだ。
けど俺は、目の下や口の中などを意味なく見て、再回復待機時間を経過するまで待つ。
「うん、だいぶ元気になりましたね。念のために、回復魔法もかけておきましょう。我が神よ、幼子を心持ち癒したまえ」
経過時間を体感で計ってから、弱い回復魔法をかける。
すると、赤ん坊はより元気になり、お包みを蹴って退けようとまでし始めた。
すっかり元気になった様子に、母親は感動からか目に涙を浮かべて、俺の手を両手で取る。
「旅の神官さま、ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
「いえいえ。病に苦しむ子が一人いなくなり、こちらも嬉しい限りですよ」
母親はそれからも礼を言い続けたが、チャッチアンさんがやんわりと諭して家に帰らせた。
その後で、安堵したように息を吐き出す。
「衛兵のオーヴェイが語ったことが真実だとわかり、ほっといたしました」
「おやおや。ということは、私の魔法の腕を確かめたかったわけですね?」
「いや、その――あまり苛めないでいただきたい……」
俺がうさんくさい笑みを浮かべているので、チャッチアンさんは冗談だと思ったようだ。
せっかく冗談だと思ってくれるなら、もう少し踏み込んだ質問をしてみよう。
「あの程度の病でしたら、司祭のチャッチアンさんが治せばよろしかったのに」
フロイドワールド・オンラインなら、低レベルの司祭や教会にいるNPCでも、病気や毒を消す魔法は使えていた。
さてでは、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒はどうかな?
「お恥ずかしいながら、私が使えるのは極軽度の癒しの魔法だけでして」
やっぱり。あの母親が藁をもすがるような顔で、俺のところにきたことで大体の予想はついていたけど。
さて、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官職は、フロイドワールド・オンラインのものより程度が低いってことになるわけかな。
しかしそうなると、俺の魔法がこっちの世界の魔法と違うかという情報は、チャッチアンさんからは得られないな。当てが外れた。
内心でそう考えながらも、顔は相変わらずうさんくさい笑みのままを保つ。
「そうだったのですか。知らないこととはいえ、とんだ失礼な発言をいたしました」
「いえ。わたくしめの信心が、まだまだ足りないのです。トランジェ殿がこの村にやってきたのは、そのことをまざまざと目にさせるために、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスさまがご配慮くださったに違いありません」
これは、本心から言っているように見えるな。
村に追いやられている司祭にしては、いい人っぽいな。
けど、自由の神の信徒としてフロイドワールド・オンラインを遊んでいた経験からすると、こういう人は腹に一物を抱えていることが多いんだけどね。
それはそれで、後で分かるだろうから、チャッチアンさんの人物評は一旦棚上げしておこうっと。
「いけない。長々と雑談している場合じゃありませんね。赤ん坊の治療も終わりましたし、あの商人と盗賊のことについてお話しないと」
「そうでしたな。この村では盗賊が出たのは十分に大事件なのですが、いやはやあの回復魔法を見た後では瑣末ごとに感じられますな」
俺に一応のよいしょをしてから、チャッチアンさんは質問をしていく。
隠すべきことは、俺がどこからきたかだけなので、それ以外については素直に答えていった。
「なるほど、善悪判断の魔法を使用してみたら、商人も盗賊も倒れてしまったと」
「はい。それで馬車の中を改めてみれば、ダークエルフの彼女が箱に入っていたのです」
「悪しき者を隠し持っていたとは、許しがたい聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスさまへの反逆ですな」
「ええ。彼らはダークエルフを何に使おうとしていたのか、気になるところですね」
思ってもいない言葉で同意したところで、問答は終了となった。
「いやはや、トランジェ殿のような心優しく聡明な旅の神官に出会えたことに、我が神に感謝せねばなりませんな」
「いえいえ、そんな褒められるような人物ではありませんよ」
なにせ、奉じている神が違うしな。
「分かっておいでだとは思いますが」
「もちろん、あの商人と盗賊が護送されるまで、この家に厄介になっています」
「それと、そちらのダークエルフの監視についてですが、教会にある小さな檻は満杯でして。悪しき者とはいえ女性を入れるのは……」
「分かっています。悪いことをしないよう、目を光らせておきましょう」
意気投合したように硬く握手を交わすと、チャッチアンは安心した足取りで教会の方へと歩いていった。
俺は彼を見送ると、もう夕方になっていたので、家の扉を閉めて鍵と閂をかけた。
そしてここまで黙り通してくれたエヴァレットに、顔を向ける。
「さて、君らが憎むべき聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒を目にした感想は?」
「獲るに足らない相手で、楽に寝首を掻けそうですね」
「この村から立ち去るまで、物騒な騒ぎを起こさないでね」
「もちろんです。いまなすべきことは、神遣いさまを里までお連れすることです。無用な混乱を起こすのは、本意ではありません」
大丈夫かなと思いつつも、とりあえず信用しておくことにした。
「もう夕方になったし、換気で開けていた木窓を閉じたら、ご飯を食べましょうか?」
「はい。ですが、材料は残っていないようですが」
「大丈夫。私には、コレがありますから」
ステータス画面を呼び出し、アイテム欄から適当に食料になる物を取り出してみせてから、再度仕舞いなおす。
すると、エヴァレットは納得した顔の後で、申し訳なさそうな表情になった。
「配下の礼をとるべきお方に、食事の世話をさせてしまうとは、申し訳御座いません」
「腹を空かせた女性を横に、我が物顔で食事ができるほど、私は厚顔無恥ではないってだけですよ。気にしないで下さいね」
その後、協力して家の木窓を閉めて戸締りを終わらせる。
戸棚に残っていた大きな木の皿と木のコップを二つ取り出して軽く拭き、アイテム欄から取り出した魔力ランタンと共に机に置いた。
そして瓶に入った飲み水と共に、ある食べ物をアイテム欄から取り出して、それぞれの皿の上に置いた。
「はい、どうぞ召し上がれ」
フロイドワールド・オンラインのどこの町や村でも手に入る、比較的安価で一個で満腹になる巨大サンドイッチだ。
顔ぐらいのライ麦パンの真ん中に、レタス、タマネギ、厚切りハムが挟まれ、荒挽きコショウとビネガードレッシングがかかっている。
俺は自分とエヴァレットのコップに水を入れてから、このサンドイッチに大口を開けてかじりついた。
「うん、美味い。この味が好きで、大量に買い込んでおいてよかったよ」
もぐもぐと食べていると、エヴァレットが申し訳なさそうに手を上げる。
「あのー。食べ難くそうなので、できれば切り分ける物をいただけたらと」
そういえばこのサンドイッチ、あまりの大きさに一部の女性アバターのプレイヤーに不評だったっけ。
「むぐむぐ、ごくっ。気付かずに失礼しました。えーっと、これで大丈夫ですか?」
生憎、食事用のナイフなんて持ってなかったので、刃渡り三十センチほどの大振りなナイフを渡す。
初期の町でも買えるような店売り品だけど、サンドイッチを切るのに使うだけなら十分だろう。
「ありがとうございます。なかなかに、良い切れ味ですね」
エヴァレットのサンドイッチを押し切った感想に、俺は思わず苦笑してしまう。
ゲーム上とはいえ、魔物相手に使うナイフなんだから、サンドイッチぐらい切れないでどうするんだか。
「ナイフの切れ味よりも、サンドイッチの味の感想を聞かせて欲しいですね」
「それは失礼しました。では、むぐむぐ――!? はぐはぐはぐはぐ!!」
よほど美味しかったのか、それとも腹が減っていたのか、猛然と食べ始めた。
エヴァレットの様子に唖然としてしまったけど、俺も負けじとサンドイッチを食べに戻った。
そうして食事が終わるまで、静かに咀嚼する音だけが、俺とエヴァレットの間に流れ続けることになったのだった。