六十三話 奴隷商の店主といざこざが起こるのも、避けられぬ定めってやつです
店の奥へ続く廊下を歩いていると、途中途中の部屋の扉が少し開いていて、その隙間から視線が俺に向けられていることに気がつく。
店中で騒ぎすぎたかなと少し反省しながら、隙間を開けすぎている扉の奥へ視線をやる。
そこにいたのは、獣人だと思われる少女。
長いロップイヤーなので、ウサギの獣人かな。
観察していると目が合ってしまい、慌てた顔で扉を閉めた。
その動きが小動物的だったので――とっても和むなぁ……。
って、いけない、いけない。
これから交渉なのに、気を緩めている場合じゃない!
俺は顔に手を当てると、緩みかけている頬をマッサージし、荒くれ者に相応しい下卑た表情に戻した。
ちょうどその瞬間、女店主がこちらを振り返り、ある一室に手を向ける。
「こちらで、保証の話をしたく思います」
そう言いながら、扉を開こうとする。
その前に、俺が荒くれ者っぽく扉を先に掴んで開け、無遠慮に中を覗き込む。
内装は、背もたれのある椅子と横長の机、そして酒らしき物を置いた調度品。
明らかに応接室って感じの、落ち着いた部屋だった。
「ほぅ、いいとこじゃねえかあ。しかし、こんなところでいつも話し合いをするなんて、店主さんは趣味がいいって関心しちまうなあ」
商談をする場所に適した、趣味の良い場所だというのは素直な感想だ。
そんな、ほぼほぼ本心な内容を荒くれ者っぽく言うと、どうしてこうエロ行為を遠回しに指している感じになるのだろうか。
女店主もエロ方面に受け取ったようで、ビジネススマイルが引きつっている。
「い、いえ、ここは話し合う『だけ』の場所です。それ以外には、使用しません」
しかも、そんな念押しまでされてしまった。
当然だよねって思いながらも、いまの俺は荒くれ者だ。
拍子抜けと残念さ、そして少しの怒りを混ぜた顔で、ずんずんと部屋に入り、どっかりと椅子に座って踏ん反り返った。
そしてエヴァレットを隣の椅子に座らせて、ホットパンツから剥き出しな太腿に手を当てる。
その後で、顎をしゃくって女店主に、真向かいに座れと指示した。
「……失礼いたします」
屈辱的だと感じているのが薄っすらと見える笑顔で座ってから、女店主は話を切り出した。
「それで、保証という話なのですが、どのような物を欲しているのでしょうか?」
きっと、性的なことを求めるとでも思っているのだろう、簡単にそんな事を尋ねてきた。
それを受けて、俺は意地の悪いことをしてあげたくなった。
「おいおい、俺を馬鹿だと下に見て、白紙の手形を渡すような真似をしていいのかなああ? 俺がこの店をくれって言ったら、どうする気だあ? 素直にくれんのか、それとも交渉決裂するのが望みってのか、あああん?」
百パーセント馬鹿にしている風に聞こえるように、言葉を選んで煽ってやる。
すると、商人としてのプライドが傷ついたのか、女店主はビジネススマイルのまま、額に血管を浮かせた。
「こ、これは、これは。奴隷商の大店の主の私――クトルットが、どこの誰かも知らないお方に、商売のことを教えられてしまいましたね」
まだ大人の対応をしようとしている様子なので、もうちょっと煽りを入れて余裕をなくさせてあげよう。
「ほほぅ……。アンタ、本当に店主だったのかよお。てーっきり、店主が身代わりに差し出した、奴隷の一人かと思ったんだがなああ?」
「そ、それは、どういう意味でしょうか?」
「だってよおー、人の物を盗もうなんてする親玉だぜ? 俺はてっきり、ブクブクに肥え太って脂ぎった、欲の皮が突っ張りすぎて破れそうになっている男だとばっかり思ってたからなあ。そんでアンタみたいな別嬪さんは、そんな男の情婦だろうって思ったっつー話だよ」
にやにや笑いで言うと、女店主――クトルットの表情がスッと冷え固まる。
それは冷静になったというよりも、感情の沸点が超えすぎて逆に冷却されたような、氷のような怒りかたなんだろうな。
てっきり怒り心頭で怒鳴ってくるかと思っていたので、予想外の反応だな、これ。
「女だてらに、奴隷を扱うのが、そんなに変でしょうか?」
クトルットは感情を込めてにっこりと笑う。
ただし口元だけで、目は冷え冷えとしている。
あ、ヤベ。煽り方を間違えた。
この人にとって、女性が店主だという点を弄るのは、一番駄目な部分だったようだ。
ま、まあ、怒らせることは成功したから、次に進もう。そうしよう。
「うんなこたあ、言ってねえだろうがあ。こっちは親切心と、思ったことを言っただけなのによお、なんだあその態度はよお? 話を逸らして、保証をあやふやにするって気なのか、ああああん?」
「……いえ、失礼しました。少々冷静さを欠いていましたね」
どちらがとは言わないあたり、クトルットは食えない商人っぽいな。
ここで俺が「誰が冷静さを欠いていたってんだ、おおおう!」って言おうものなら、「いえ、私自身のことを指して言ったのです」って言い返してくるだろうなぁ。
これ以上の言い争っても利益がないので、面倒臭そうな態度を演じると、背もたれに寄りかかる。
「んで、こっちが欲しい物を言っていいんだよなぁ?」
「はい。ですが、その前に――」
パンパンとクトルットが手を叩くと、部屋の扉が開かれ、五人の奴隷が中に入ってきた。
年齢は十代前半から二十代後半までで、五人全員が薄い透けたネグリジェのような服を着ている。
髪型と長さ、胸の大きさ、腰の細さ、尻の大きさまでまちまちで、ある場所の毛の濃さまで違っていた。
眼福だなって思いながら、下卑た笑顔を貼り付けて、じっくりと観察させてもらうことにする。
あんまり長く見すぎたか、エヴァレットが彼女の太腿の上にある俺の手を、きゅっと握って諌めてきた。
おっと、演技とはいえ、これ以上見ていると、逆にダークエルフの美女を連れた荒くれ者っぽくないよな。
俺は下卑た顔のまま、クトルットに顔を向け直す。
「それで、こいつらが、どうしたって?」
「おや、お気に召す子はいらっしゃらなかったのですか?」
「はははっ、よく言うぜ、この女店主さんはよお。これだけ違いがはっきりしている女たちを五人も並べて、さあこの中から選べってかあ? いやいや。こいつらを元に、どのぐらい胸が大きくて、どれぐらいの腰の細さがいいって伝えるために、用意したんだろうによお」
俺としては当たり前の指摘をしたつもりだったけど、クトルットはなにかを納得したっていう表情になった。
あれ? もしかして、失言したか?
そう内心で不安がっていると、クトルットはため息を吐いた。
「はぁ~……。荒っぽそうな見た目とは違って、随分と頭が回るお方ですね。いえ、そうでなければ、ダークエルフを首紐のみで繋ぎとめることも、襲ってきた者を捕まえて雇い主を脅すなんてことなんか、できませんよね」
……あれ?
もしかしてこの世界では、襲ってきた人を逆用して脅すことは、珍しい行為だったのか?
フロイドワールド・オンラインでは、襲撃イベントのときには必ずやる、当たり前のことだったのに……。
それはさておき、どうやらこの世界の荒くれ者の馬鹿さ加減のせいで、俺が単なる無頼漢ではないとバレてしまったらしい。
なので、これからどうするかを考えつつ、素早く計画を修正する。
結果、荒くれ者っぽい性格はそのまま演じ、少し賢く見えるように話をすることにした。
「チッ、要らないことを喋りすぎたか。まあいい。なら素直に要求を伝えるだけだ」
わざと大きく舌打ちしてから、エヴァレットの腿から手をどけて、真剣な目をあえて作る。
するとクトルットは、自分の予想が正しかったといった、少し得意気な表情になった。
「それが貴方の本当の姿、というわけですか。冷静に話し合える知性をお持ちなのでしたら、店の中であんな大立ち回りをする必要はなかったのでは?」
いえ、本当の姿とは、違います。
けど、そう思っていてください。お願いします。
そんな事を考えながら、困ったように頭を掻く。
「こっちにしちゃあ、アンタに気付かれないように、事を運びたかったんだがね」
「それは、この店に奴隷以外の目的があってこられた、ということでしょうか?」
平常時なら、賢い相手は話を進めるのに楽なんだけど、思わず釣られてトランジェの口調が出てきそうになるから、いまは止めてほしいんだよなぁ。
荒くれ者、荒くれ者、って自分に言い聞かせながら、並んだ薄着の女性たちを見やり、部屋の外へと顎をしゃくる。
クトルットはそれで理解してくれたようで、身振りで女性たちを下がらせた。
全員が部屋から出て行ったあとで、俺は本題を切り出す。
「俺がこの店に来たのは、奴隷を買うためでも、女を抱くためでもない」
「奴隷商の店に来て、それ以外の何を求めるのです? お金ですか?」
「いや、情報だ」
端的に告げると、クトルットは首を傾げる。
「情報ですか? それはどのような?」
「人攫いどもにも聞いてはいるが、奴隷をどこで手に入れるかの情報だ。特に、悪しき者とされる種族がいる情報が、少しでもいいから欲しい」
「それは、どうしてですか?」
「おいおい、こんなところで惚けないでくれよ。俺の横にダークエルフが要るのを見れば、大体のところは分かるだろう?」
惚けないでくれといいながら、こっちがはぐらかしてみた。
さて、クトルットはどんな予想をするかなと、反応を楽しみに待つ。
「……貴方は、単純に珍しい種族を持ちたい、という感じではありません。しかし、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官のように悪しき者を目の敵にしている、というわけでもなさそうですね」
奴隷を扱うからか、ずいぶんと人を見る目は肥えているようだな。
「ほぅ。なら、どうなるかな?」
「信じられないことですが。貴方は、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスに反目しているのではありませんか? そして、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの世に異を唱えるために、悪しき者を探しているのでは?」
単なる予想なのに、かなりの部分が真実に掠っている。
というか、クトルットの想像が聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスと反目なんて飛躍をするなんて、思いもよらなかったなぁ。
なんとなく、その想像に根拠を持ってそうなので、もう少し突っ込んで聞いてみることにする。
「面白い推理だ。だが、人間は生まれたときから、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの信徒になり、その加護を受けながら成長する。なのに、どこに反目する点が生まれるんだ?」
この世界の住民なら、当たり前に思う疑問を告げる。
すると、クトルットは何かを決意しながら、何かを秘める顔になる。
「……その加護を受けられない存在が、貴方だとしたら、つじつまが合いませんか?」
「それは、君と同じようにかな?」
単なる口任せで発言すると、クトルットは物凄く緊張した顔になった。
あっ、この人もバークリステたちのような、先祖帰りで悪しき者の種族になった人だったんだ。
見た目が完全に人間だから、全く気付かなかった。
うわっー。半ば冗談のつもりで言ったのに、まさか大当たりするなんて予想外だ。
どうしようと、必死に頭を働かせる。
「……生憎だが、俺は神の加護を受けてい――」
言葉を終える前に、クトルットは声もなく、机を乗り越えながら襲い掛かってきた。
手には、どこかに隠していたらしき、手の平大のナイフが握られている。
ビックリしながらも、俺は机を足で蹴り上げて、天板に乗っているクトルットの体勢を崩させ、攻撃の狙いを外させた。
その後で、ナイフを持つ手首を強く握って、手放させる。
そのとき、あまりに強く握りすぎたのか、ペキッと手首の骨が折れる音が聞こえた。
「ッいああああ――むぐぐぅううう!」
痛みに悲鳴を上げ始めたクトルットの口を、俺はもう片方の手で押さえながら、机の上に組み敷いた。
武器はあのナイフだけだったのか、拳で殴ったり、膝蹴りをこちらの背中に当てたりしてくる。
トランジェの体なので、痛くはないけど、鬱陶しい。
「待て、落ち着け。いいから俺の話を――」
どうにか説得しようとすると、部屋の扉が開かれた。
現れたのは、鎧を着た衛兵のような男が二人――きっと用心棒だろう。
「貴様、何をして――」
「あああああん?! テメェ、なに勝手に部屋に入ってきてんだ、クラァああああ!! ここで一回戦するって決まったってのによぉおお! 俺を怒らせてぶっ殺されてえってのかああああ?! 壁中を血で染めてやろうかああああ!!!」
荒くれ者全開の演技をすると、用心棒たちは視線をクトルットに向ける。
一瞬だけ助けを求める目をしかけて、行為を受け入れるかのように俺の腰に両足を絡ませてきた。
聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスと俺が深く繋がっていると思って、彼らに類が及ぶと考えたのか。それとも再び荒くれ者の演技をしたことに、俺が聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒だという考えが変だと気がついたのか。
どちらにせよ、どちらでもないにせよ、用心棒たちはすごすごと部屋から出て行った。
俺はホッとしながら、口を押さえたままのクトルットの耳に唇を近づける。
「そのまま静かに聞きなさい、いいですね」
安堵して気が抜けていたんだろう、ついついトランジェの口調が出てしまった。
あ、目が物凄く驚いている。
仕方がない。このままの口調を、ここからは通してしまおう。
「頷きか首を横に振ることで、喋らずに答えてくださいね」
頷いたので、そのまま質問していく。
「貴女は、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官の力で、傷や病気が治らない体質ですね? そしてそのことを、隠して生きてきたのですね? 両親に誰にも言うなと厳しく言われましたね? しかし長年居なかったその体質の同類が、私なんじゃないかと期待して、さきほど一か八かの質問をしてしまったのですね?」
どの問いにも、恐る恐ると言う感じで、頷きが返ってきた。
どうやら意外中の意外なことに、クトルットは本当に何かの先祖帰りらしい。
そして、彼女の両親は何かの理由から、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒に身柄を差し出さなかったようだ。
それが愛ゆえか、それとも体質の珍しさからか、クトルットの先祖帰りの力からか……。
まあ、それはいいとして。
予想外の協力者が得られそうなチャンスを、逃すことはないよな。
「では、それらの返答に対し、私の本当の身分を教えてあげましょう。私が奉じる自由の神よ、この者の怪我を治したまえ」
自分証明が割りに、俺は不注意で折ってしまった腕を、神の名を明かしながら回復魔法で治してあげた。
効果はすぐに現れてあっという間に治った腕を、クトルットは半信半疑な様子で動かし、痛みと骨折がなくなっていることに驚いた顔になる。
その後で、信じられない物を見る眼を俺に向け、震える唇で言葉をつむぐ。
「こ、骨折を治せるなんて。それに、全く違う神の名前。あ、貴方は、もしかして、生き残った邪神に仕える、邪神官なのですか?」
ここで自由神は中立神だと訂正をすると、とても面倒臭くなりそうな気がした。
なので、秘密ですよとばかりに、唇に指を当てるだけにしたのだった。
喉風邪ひいたのと、選挙に投票しに行くので、明日はお休みになります。




