五話 街道上で情報収集
無事に青年を丸め込んだ後、二台の馬車に分乗して、付近の村に行くことにした。
先を進むのは、青年が乗った荷馬車だ。あの中には、商人と護衛そして盗賊たちの全ての荷物を載せてある。
その後ろについていくのは、俺とエヴァレットが乗った荷馬車。中には、身体検査後に縛り上げた人たちが詰め込まれていた。
この入れ替えに、青年は不思議がった。
「なぜ、載せかえる必要があるので?」
「ちょっとした用心ですよ。動けるのは、私と貴方、そしてエヴァレットさんだけです。この三人だけで、魔物や盗賊と対峙するのは危険でしょう。なのでいざとなった場合、悪人たちを積んだ馬車を乗り捨て、そちらの馬車に移って逃げます」
「……なるほど、悪人をイケニ――囮にするのですね」
無事、そんな理由で納得してくれた。
けどこれは、分譲して進む理由の一部でしかない。
本当の理由は、会話するのに気を使う青年ではなく、こちらを神遣いと信じて話が通じ易いエヴァレットと二人になるためだ。
けど、いま俺は怖々と馬の手綱を御者台の上で握っていて、隣には誰も居ない。
ではエヴァレットはというと、荷台の中で自分を犯した人たちに暴行を振るっている。
後ろから聞こえてくる音から、手酷く扱っている様子が想像できる。
その容赦のなさに――あまり怒らせないようにしようと心に誓う。
しばらくすると、エヴァレットが荷台から御者台に戻ってきた。手や足には血を拭ったような跡があり、着ているローブの袖と裾には被害者の物と思わしき血痕があった。
「……かなり強く殴っていたようですが、殺していませんよね?」
「はい。神遣いさまの仰られたように、殺してはおりません。殺したいとは、いまでも思っておりますが」
怒り心頭な目をしているので、俺は苦笑代わりにうさんくさい微笑みを浮かべる。
「では、様子を見てきますので、手綱を任せてもいいですか。じつは、あまり馬車には慣れていなくて怖かったのですよ」
フロイドワールド・オンラインでのクエストで御者の経験はしていたが、プログラムと実物ではやはり勝手が違った。
たぶんだけど、青年が操る馬車が前に居なかったら、馬が寄り道して馬車が止まっていたような気がする。
「はい、お任せください。動物と多少の意思疎通が出来るのも、我々ダークエルフの特技です」
俺がエヴァレットに手綱を渡した瞬間、馬の動きが変わった。
俺のときは嫌々と前の馬車について進んでいたのに、エヴァレットに換わったらウキウキした軽快な足取りになっている。
御者の違いで動きが変わるなんて、フロイドワールド・オンラインとはやっぱり違うんだと、変な場所で納得してしまった。
荷台に移ってみると、縛られ猿ぐつわをされた人たちの中で、きっちりと商人とその護衛にだけ打撲痕があった。
特に酷いのは商人と一人の護衛で、顔中腫れ上がっている。恐らく、この二人がよりエヴァレットを暴行したんだろうな。
村について専門の人に身柄を引き渡す際にこの怪我を見たら、あの青年が疑惑を持つかもしれない。
それはちょっとまずいので、回復させないといけないんだよね。
とはいえ、完全に治すのもしゃくだ。
「我が神よ、この者たちの傷を心持ち治したまえ」
フロイドワールド・オンラインでは治癒の邪魔にしか使わないような、少しだけ傷を回復させる魔法を使う。
馬車の荷台に魔方陣が展開するのを見て、縛られた人たちが慌てたように身を捩る。
しかし、魔方陣から出てきた光の粒が、怪我に集まり治していくと、回復魔法だと知って安心したように動きを止めた。
傷の状態を確認し、大した怪我ではなくなったことを確かめる。
酷い怪我だった二人の顔も、ちょこっと殴られたぐらいに治まっていた。
自業自得だし、これ以上は治さなくてもいいかな。
満足して御者台に戻ると、エヴァレットから白い目を向けられた。
「どうかしましたか?」
とトランジェらしい、うさんくさい笑みを浮かべて問いかけてみる。
すると、ため息を吐かれてしまった。
「いえ。痛めつけたのが無駄になってしまったことが、残念なだけでございます」
「ああ、そういうことですか。でも安心してください。回復魔法では、心までは回復できませんので」
意味深に聞こえる言葉を選んで使うと、エヴァレットは少し感心したような目を向けてきた。
「なるほど、一方的に殴られる恐怖は怪我が治っても消えない、というわけなのですね」
「はい。けれど、あまり短い頻度で殴らないでくださいね。うっかり死ぬかもしれませんので」
なにせ俺の使う魔法は、フロイドワールド・オンラインと同じものだ。
再回復待機時間があるので、頻繁に怪我を負わせ続けると、回復が追いつかない危険があるし。
しかしその危惧はいらなかったようで――
「いえ、もう痛めつけるのは止めにいたします。殺すわけにもいかないということは、重々承知しておりますので」
「そうしてくれると助かります」
御者台の上に並んで座り、少し無言の時間が流れる。
気まずくなって周囲を見回すと、進行方向の先に森の切れ目が見えてきた。
もう森を抜けられるのかと安心して、エヴァレットに顔を向けなおす。
「そういえば、エヴァレットさんの用件がまだ途中でしたね。ちょうど時間も空いてますし、詳しく話していただけませんか?」
すると、慌てられてしまった。
「そんな、神遣いさまに『さん』をつけて呼ばれては、こちらの立つ瀬がありません。呼び捨てていただきますようお願いいたします」
「そうなんですか? ならお言葉に甘えまして、そうさせてもらいますね」
あまり女性を呼び捨てするのは、なれていないんだけどなぁ。
けど、ハンドルネームやキャラクターネームだと思えば、恥ずかしくはないか。
「では、エヴァレット。話を聞かせてください」
「はい、畏まりました。ではまずは、悪しき者とされる種族全体に伝わる話をいたします。これは、長命種である我々ダークエルフですら、何代にもわたって伝えられた昔の神話です」
エヴァレットは手綱を操りながら、少し遠い目をする。
「大昔では、善や悪の存在が入り混じって生活を共にしておりました。しかし、ある善の神と悪の神の間に起こった争いを境に、善と悪に分かれた大戦争が勃発したのです。何年も続いた戦いの果て、勝ったのは善の陣営でした」
そういう話は、元の世界の神話にもよくあったな。
ゲームの題材というか、根底の設定に流用されることもあったっけ。
けど、話はこれで終わりではないようだった。
「しかし勝ったといえども、善の陣営でも多大な犠牲が払われました。ある神は封印され、ある神は信徒を失い弱体化。逆に、負けた悪の陣営でも、難を逃れた邪神やその信徒は数多く、雌伏の果ての復讐を誓ったと伝えられております」
「話の流れと、今の状況を見るに、まだ続きがありそうですね?」
「仰る通りです。ですが、力を残し信徒も生き残っていた、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスが善の陣営を取りまとめ、各地に隠れ潜んだ邪神やその信徒を駆逐していったのです。
やがてほぼ全ての邪神が倒され、教義が破壊しつくされます。その後、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスは善なる人々に己のみを信仰する様に伝えました。その見返りとして、力を失いつつあった善なる神々を、何時の日にか己の力で復活させると約束したのです」
「なるほど。善なる人々は聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスのみを信仰するようになり、悪なる人々は奉じる神を失ったわけなのですね」
「はい。我々ダークエルフも、崇めていた神の名や必要な儀式を忘れ果て、加護を失って地を這うような生活を強いられているのです」
ある意味で、一神教の成り立ちのような神話だな。
この世界がフロイドワールド・オンラインと地続きだと考えると、神々の最終戦後の世界ってことになるのか?
けれど、そうなると俺が自由の神の加護を失っていない理由に、説明がつかないな。
そもそも神話は善と悪の神についてだけで、中立や中庸な神々はどうなったのかが語られていないし。
……情報が足りないし、結論を出すのはまだ早いか。
とりあえずは、フロイドワールド・オンラインとは関係のない世界だと、仮定しておいておこう。その方が、フロイドワールド・オンラインの常識を持ち出して、変に状況が悪化することもないだろうし。
「とりあえず、状況は理解しました。しかしそうなると、私が信奉する自由の神が、貴女がたダークエルフたちの信奉する神とは違う可能性があります。それでも、私を神遣いだと認めるのですか?」
多分という体裁はとったけど、ダークエルフ奉じていたのは違う神だろう。
そもそも、自由の神の教義は『自分の心に従う』という一点のみ。失伝するような複雑さじゃないし、そもそも明確な儀式なんてものはない。
なのに、ダークエルフたちが教義や儀式を忘れてしまった語られているとなると、これはもう別の神であると考えた方が道理に合っている。
それはさて置いて、違う神の可能性を伝えられて、エヴァレットはどんな反応をするか。
「……確かに、その通りかもしれません。先祖から伝えられた昔話に、自由を司る神に通じるような話はなかったですので」
「では、しばらくしたらお別れということでしょうか?」
「いえ。別の神の神遣いさまであられても、このまま故郷まで同行していただきたく思います」
「それは、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの信徒が使う魔法が、悪しき者とされる種族には効かないという理由からですか?」
俺の指摘に、エヴァレットは悲痛な顔で頷く。
「はい。本来ならば、奉じる神の神遣いさまを探すのが筋なのでしょう。けれどダークエルフだけでなく、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの法下で悪と定められた人々は、もう限界なのです」
「奉じる神がないだけで、大げさに感じますが?」
不意に出てしまった言葉に、エヴァレットは驚愕した顔を向けてきた。
日本人的な感覚なら当たり前の言葉だと思うけれど、これはかなりの失言だったらしい。
この反応はフロイドワールド・オンラインクエストだと、すぐに挽回しておかないと将来の失点につながりかねない状況だったっけ。
「他の神はどうか知りませんが、自由の神は信奉するもしないも信徒の自由なのです。そして神から与えられる加護は、ほんの微々たるものしかありません。なので多くの信徒は、独立独歩な気運が強いのです。それこそ、神の手助けなど期待しないほどに」
これは本当のこと。もっとも、フロイドワールド・オンラインではの話だけど。
自由の神を信奉すると、加護でゲーム内の自由度が跳ね上がる。けれど、他の神だと与えられるステータスを底上げする加護なんかは、一切ないのだ。
これこそが、プレイヤーの多くが自由の神を奉じる神に選ばない理由の大部分である。
もっとも、他の神では決して得られない自由度はあるので、エンジョイ勢や趣味的な偏屈者が好んで自由の神を選ぶ理由でもあるのだけど。
はてさて、そんな理由を端折って語ってみたところ、エヴァレットは複雑そうな顔をする。
「そのような、いい加減な神がおられるのですか?」
「そのようにいい加減だからこそ、このような時代にあっても残ったのでは?」
俺以外に自由の神の信徒がいるかどうかは知らないけどね。
けどこの適当な嘘で、エヴァレットは納得してくれたようだ。
「教義が緩いからこそ、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの目をすり抜けることが可能だったというわけですね」
純真そうな反応に、騙して申し訳ない気分になってしまう。
けど、右も左も分からない状況だから、好意的でありこの世界のことを知るエヴァレットを逃すわけにはいかないから仕方ないよね。
罪滅ぼしじゃないけど、ダークエルフが奉じる神がフロイドワールド・オンラインにあったかどうかだけは、調べてあげようか。
こういうとき、自由の神の加護である自由度の高さが生かせるし。
「納得していただけたところで、ダークエルフが奉じていた神について何か知っていることはありませんか。その神について、何か知っているかもしれません」
「ほ、本当ですか!? いや、ですが本当に手がかりとなるようなものは、失っていて……」
エヴァレットは喜びから一転して苦悩し始めた。
そして、何かを思い出したかのような顔をする。
「そういえば。何代か前の長老が、神の大戦を生き残った祖父から施されたという刺青が、革となって残されておりました。たしか、こんな模様だったと思います」
手綱から片手を放し、指先で空中に図を描いていく。
あまり複雑なものではないのだろう、丸と棒と曲線がさっと描かれた。
それを見て、俺は首を傾げる。
思い当たる点と、思い当たらない点が混在していたからだ。
「その図形はどこかで見たことがありますが、刺青を体に施す儀式がある神はあったかな……」
手の振りでステータス画面を開き、『習得魔法』の項目をタッチ。
すると、ずらずらと多数の魔法が列挙される。
これは自由神の加護で自由度が拡張された結果だ。
そのおかげで、戦司教の俺は、他神の戦司教の魔法もある程度使うことができる。
これに偽装スキルでの職業偽装を加えれば、ちょっとした他神の儀式だったり、戦闘職や生産職のスキルであっても調べることがある程度可能になる。
もっとも、今回は他神の魔法の中に、刺青に関する魔法がないか調べるだけなので、偽装スキルは使わないけど。
「うーん……どっかで見たことがある気がするんですが……」
スクロールしてざっと見てみるものの、膨大な数の魔法の中から、ダークエルフの奉じる神に通じそうなものを探すのは難しい。
なので、刺青で検索してみる。
しかし俺の思っていたとおり、刺青に関する魔法はない。
日本産のゲームに多いことだけど、刺青を入れるという行為は禁止になっていることがある。
とくにVRMMORPGという仮想体験のゲームだと、子供が刺青に憧れを持ってしまうかもしれないからと、禁止の声は高い。
となると、鎧や武器に施す模様の線ではどうかな。
模様で検索するが、あまり絞り込めなかった。
図形で検索できれば一番良いんだけど、あいにく魔法に関してはそういった機能はない。スキル検索なら、ないこともないんだけど。
けど、どっかでエヴァレットの描いた模様を見たことはあるんだよな。
ヒーリングマネージャーとして、色々な魔法に精通せざるを得なかった俺が思い出せないってことは、よほど珍しい神の魔法なのは確定なんだけど……。
そんな風に悩んでいると、エヴァレットに肩を突付かれた。
「ん? どうかしましたか?」
「いえ、急に空中に指を這わせて、何をなさっておいでなのかなと」
「……これが見えませんか?」
不思議に思って、空中に浮かんでいる画面を指差しながら聞いてみる。
しかし、エヴァレットは不思議そうに、首を横に振るだけだった。
どうやら彼女には、この画面が見えていないらしい。
それは、神の加護がないからなのか、それともこの世界の人々は見えないのか、また謎が増えてしまった。
しかし、謎に思い悩む前に、エヴァレットの感情が不思議から不審に変わる前に、弁明しないといけない。
「いえ、少々神との交信をして、ダークエルフが奉じた神がなんであったか調べていたのですよ」
「ほ、本当ですか!? そ、それで、その結果は?」
「あまり芳しくありませんね。どこかで模様を見たことがあるので、ふとした拍子に分かるかもしれませんが、それは今ではないようです」
「そうですか……」
余りにもシュンするものだから、思わず慰めようと頭を撫でようとする。
エヴァレットの頭に手が触れた瞬間、俺の手がパシリと音を立てて払われた。
この状況に、お互いに虚を突かれた顔を見合わせる。
そして、ハッとして先に謝ったのは、エヴァレットだった。
「あ、いえ、その。申し訳ございませんでした!」
「あ、うん。出会って直ぐの女性の頭を撫でるなんて、不躾な真似をして、こちらも申し訳ありません」
「神遣いさまに撫でられるのは、嫌ではないのです。ですが……」
エヴァレットは言い難そうにしている。
俺が首を傾げると、小声で伝えてきた。
「まだ、男性の手は怖くて……」
言われてようやく、エヴァレットは暴行の被害者だったと思い出したところで、俺たちの間に微妙な空気が流れる。
だがちょうどそのとき、森から馬車が出て、青々とした空と見渡す限りの平原が現れた。
日本では見ることが出来なさそうな光景に、俺は思わず周囲だけでなく、出てきた森にも目を向ける。
あの森は平原に生えた木で出来ていたらしい。
日本に住んでいると森と山はセットな感じを抱きがちだけど、平原に森があっても不思議じゃないよな。
そんな風に光景にちょっとした衝撃を受けていると、前を走る馬車から声が上がる。
「神官さま、あと少しで村につきますよ!」
俺は御者台に上り、荷台の縁に手をかけて先を見る。
前を走る馬車の向こうに、低い石垣で囲まれた家と畑が見えてきた。
この調子で進めば、一時間もあれば着くだろう。
けど村にたどり着く前に、エヴァレットに釘をさしておかないといけないことがあった。
「エヴァレット。あの村の中では、私に敬語を使うことを禁止します。恨み言をぶつけてきたときのような、ああいった言葉遣いをしてください」
「そ、そんな、恐れ多いです!」
「いえ、必要なのです。前の馬車に居る青年、加えて村の人々は私のことを聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官だと思います。そんな私にダークエルフである貴女が敬語を使えば、どう考えるでしょう?」
「……変に思うと思います」
「付け加えるなら、私とエヴァレットが繋がっているのではと、勘ぐる聡い人も出てくるかもしれませんね」
「……分かりました。ここからは普通の口調にさせてもらう。気を悪くしないでほしい」
「こちらは気にしませんよ。むしろ、そのままの口調でい続けてもらっても構いません」
「冗談言わないで。神遣いにこんな口調を続けるなんて、胸に重いものが詰まりそう」
「うんうん、その調子でお願いしますね。そうだ、私のことはトランジェと呼び捨てにしてください」
「ううぅ……分かったよ、トランジェ」
そこからは、エヴァレットが村内でボロを出さないように、当たり障りのない会話を続けて口調を慣らしていった。
そんな風に道を行き、村の出入り口に到着した。
衛兵らしき、槍を持った筋骨が太い老人が馬車を止める。
「止まれ! お前ら、どこから来た!」
問いかける言葉に、前の馬車にいる青年が答える。
「この森の先にある村から、こちらへと移動してきました。後ろの馬車に悪者を押し込んでいるので、教会の牢屋に入れてください」
「そうか、分かった。しかしその馬車、行商人のものだろ。どうしてアンタが操っているんだ?」
「そのことも含めて、後ろの馬車の御者台に居る人に聞いてください」
老人は不思議がりながら、俺とエヴァレットを見て驚いた顔をする。
「ダークエルフ!? 後ろの馬車にいる怪しいヤツら、大人しく下りてこい! 下手な真似をするなよ、刺すぞ!」
どうやら、一息つけるのはもう少し後のようだ。