四十九話 最長老は生き字引に相応しい御仁でした
最長老がいるというテントに入ると、懐かしい匂いがした気がした。
幼い頃の長期休みに遊びにいった、祖父母の住む家で嗅いだものに似ている。
そんな過去を思い出しながら、テントの中を観察する。
荷物は人が入れそうな大きな鞄に一まとめにされていて、かなり殺風景だ。
テントの中央には、布団のような物が敷かれていて、中に誰かが寝ているようだ。
しかし、お世話係のような人はいなさそうだった。
そういえば、入室の挨拶がまだだったっけ。
「申し遅れました。私、旅の神官でトランジェと申します。ダークエルフの最長老さまに、ご挨拶に参りました」
すると一拍遅れで、布団から弱々しい声が上がった。
「おお、お待ち、申し上げておりました。ささ、近くに、来てくだされ」
喜びの感情を含みながらも、終わりが近いと聞いた誰もが悟る声色だった。
「はい、ではお言葉に甘えさせていただきます」
返答したあとで、近づいた。
布団に寝ていたのは、確かにダークエルフであり、老人だった。
ラノベとかだと、エルフ系統は年老いても若いままだったりするけど、この世界のダークエルフには当てはまらないらしい。
しかしながら、長命の種族で老いた人は、人間の老人を見たときとは違った印象がある。
元の世界の老人たちは、老いて弱々しい見た目になっても、体内に生きる力を感じさせる人ばかりだった。
だが、目の前にいるダークエルフの老人は、外側は健康そうに見えるものの、体内の力はほぼ残ってないように見える。
例えるなら、中身は全て空洞で外皮だけが残っている、そんな朽ち木みたいだった。
そんな人が、弱々しく俺に手を差し出してくる。
「神遣いさま。申し訳ありませんが、もう目が見えないのです。手を握ってはくださいませんでしょうか」
俺は壊れ物を扱うみたいに、伸ばされた手にそっと手を添えた。
「はい、よろしいですとも。しかし、目は見えずとも、耳はしっかりと聞こえていらっしゃるようですね」
「ふ、ふ。ダークエルフは、耳が良いものです。老いさらばえても、良いままであるとは、思いませんでした」
軽い雑談の後で、最長老の息が軽く上がっているのが見えた。
あまり言葉を喋ると辛そうなので、早速本題に入ることにする。
「それで、私を探していたのは、ダークエルフの崇める神、または儀式を復活させるためでしたね」
「はい。聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒どもに、破壊され、失われたモノを、いまいちど、我らの手にお戻しくださいますよう、お願い申し上げます」
老人の切実そうな頼みに、思わず「はい」と二つ返事をしそうになる。
けど、言葉には出さなかった。
「申し訳ありませんが、安請け合いはしかねます。失われた物を復元するには、それ相応の情報が必要になりますから」
「ふ、ふ。どうやら、誠実なお方のようですね。いいでしょう、この老人が覚えている全てを、お伝えいたします。しかし生憎と、神々の大戦が終結したのは、この身が生まれ出でるまえでございました。ゆえに、伝聞であると、そうお心置きください」
弾みかけていた息を整えて、最長老は語り始める。
「あの大戦のとき、我らダークエルフは二つの派閥に分かれたのです。一つは神と共に戦いに参加し、もう一つは万が一の場合に再起する力を残すべく、ひっそりと森の中に隠れ住んだのだそうです。そして隠れ住んだ方こそが、我々の祖先にあたります。といっても、我が祖父がそのときの長老なので、ダークエルフの価値観からすれば、つい最近のようなものですが」
そこで一度苦笑を入れてから、最長老は呼吸を整える。
俺は、次の言葉がでてくるまで、じっと待つ。
「大戦後、森に隠れたダークエルフは、秘儀と神の信仰を持っておりました。しかし、定住していたことが災いし、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒らに、襲われてしまったのです」
そして聖教本で見たように、大人のダークエルフたちを虐殺し、徹底的に信仰の破壊したようだ。
「生き延びた幼い子供らが森の片隅で集まり、長老の子だった我が父を頭に、狩猟民として生活を始め、少しずつ人数を増やして、いったそうです。そうして安定しはじめたとき、次世代――つまりは私が生まれました」
話し疲れてきたのか、段々と時間をかけても、最長老の呼吸が整わなくなってきた。
苦しそうな姿を見て、俺は少しだけ話を遮ることにした。
「ダークエルフの歴史はもういいです。それよりも、ダークエルフの神についての話をしてください」
「ふ、ふ。こうやって、人と話すのも久しぶりなのです。この老体のわがままに、いましばし、お付き合いくださいますよう」
心底楽しいと言いたげに微笑まれては、もう出す言葉がなかった。
なので、俺は口を閉じて、静かに先を促すことにした。
「幼き頃は、大戦のことなどは教えられず。ただただ、森の恵みを獲るための、日々を過ごしました。父たちも、自分の子と他の子の分け隔てなく、生きる知恵を教えてくれました。やがて成長し、我々の肉体が成長しきった頃、ようやく大戦のこと、失われた秘術、そして神のことを教えられました」
とても衝撃だったと感想を述べて、もう一回呼吸を整える。
すると、最長老は次は辛そうに語り始めた。
「父や母たちが、どのような思いであったのか。そして、それを今まで知らずに暮らしてきたことを、我々は恥じました。そんな我らに、父母は失われた神を捜し求めるのか、それとも忘れてただの狩猟民族として生きるか、選択するように言われました」
最長老は同年代のダークエルフたちと、延々と議論したそうだ。
しかし、今のダークエルフたちを見れば、決着がどうなったかは、簡単に想像がついた。
「長い議論の末に、我らは失われたモノを取り戻すことを決意しました。それを受け、父母は我らにある処置を施しました」
「処置、ですか?」
急に不穏な響きのある言葉が出てきて、思わず俺の口から疑問が出た。
最長老は深呼吸をしながら、頷き返す。
「父母たちが幼き頃に見た秘術を思い起こし、それを統合したものを、我らの体に刻んだのです」
最長老は布団を肌蹴ると、寝ながら震える手で、浴衣のような衣服を解き始めた。
現れたのは、全身にびっしりと書き込まれた、白い刺青だった。
「この図は、ダークエルフの男性の戦士たちがしていたものだそうです。女性の戦士や、祈祷師がしていたものは、同年代の死後に革に加工して残してあります。あとでそちらの鞄の中をみるとよいでしょう。ただし、我が父母のうろ覚えの記憶を頼りに描いたものゆえ、秘術そのままの図ではないかもしれないと、お覚え下さいませ」
「そうなのですか。では、貴重な手がかり、拝見させていただきます」
断りを入れてから、最長老の筋と骨ばかりの体にある模様を見ていく。
刺青は、なにかの規則性がある幾何学模様に見えた。
元の世界で見知っている中で似ているのは、梵字かルーン文字、または草書体の漢字。
けど、ダークエルフの刺青の方が、より複雑で不思議な図柄になっている。
そもそも、フロイドワールド・オンラインには、青少年に悪影響だからと、刺青は存在していない。
キャラの肌に、ペイントを施す仕組みはあったが、刺青ではないと示すために時間経過で消えるようになっていた。
そのペイントの絵柄にも、こんな複雑な文字みたいな図はなかった。
興味は尽きないが、死が間近にある老人を、裸のままにはしたままではいけない。
「ありがとうございました。十分に参考にさせてもらいました。それで、他に戦士や祈祷師のことについて、ご両親から伝え聞いている情報などはございますか?」
服装を整えながら質問すると、最長老は少し考えてから思い出したような顔をする。
「そういえばですが、戦いの際や神の言葉を効く際には、人が変わったようになると聞いた覚えがあります。また父母が幼い頃は、イタズラをすると祖先の霊が戦士に乗り移り、激しく叱責されたのだと、そう懐かしんでおりました」
それはつまり、祖先の霊を祭る文化があり、戦士と祈祷師はトランス状態になることがあったってことかな。
元の世界でいうなら、ネイティブアメリカンに近い文化があったって考えればいいのか?
しかし、秘術と神って分けて言っていたことを考えると、降霊系や召還系の神の線が濃厚かもしれない。
でもそうなると、刺青の意味が分からなくなってしまう。
祖先の霊を降ろすのに必要だったのか、それとも単に気分を盛り上げるための装飾だったのか。
もしかしたら、俺が知らないだけか。
フロイドワールド・オンラインには沢山の神がいるんだし、刺青、降霊、トランス状態というキーワードがピッタリとはまる、マイナーな神がいるかもしれない。
色々と考えを巡らす俺の手を、最長老は掴んできた。
溺れる者が掴んできたかのように、手に痕が残りそうなほど力強く握ってくる。
「神遣いさま、お願いします。ダークエルフに、神の信仰と、秘術を与えてくださいませ。差し出せるものならば、全て差し出します。生け贄が必要ならば、この老体の命ならば喜んで差し上げます。なので、どうか、どうかぁ……」
最後は、ぜひぜひと呼吸を荒げながら、必死に嘆願してくる。
正直、手がかりは何も掴めていないけど、自由神の神官トランジェならば、こうしないといけないだろう。
「安心なさってください。貴方が生きている間に、そのどちらの願いもかなえて差し上げます」
うさんくさい笑みを浮かべて安請け合いすると、最長老は安堵した様子で俺の手を放した。
そして、布団に体を埋めるかのように、全身の力を抜く。
「そう、ですか。よろしくお願いします」
「任せてください。とはいえ、今日明日に死なれてしまうと困りますから、まだまだ長生きしてくださいね」
「ふ、ふ。心配せずとも、信仰と秘術が復活するまでは、死ぬつもりはありませんよ。ですが、少し、疲れたので、眠らさせて、いただきます」
そのままスッと寝入ってしまったので、死んでしまったのではないかと焦った。
しかし、ちゃんと呼吸音がしているのを聞いて、ほっと安心する。
そして最長老を起こさないように、死んだダークエルフの皮を剥いで作ったという革がある鞄の中を漁り、俺はその図柄を静かに鑑定し始めるのだった。




