四話 知らないということは恐ろしい
振り向いてみると、あの青年は剣を構えながら、なぜか少し震えていた。
俺が怖い分けはないと思うので、恐らくはこのブラックエルフの少女を警戒しているのだろう。
なので、落ち着かせるように、トランジェらしいうさんくさい微笑みを浮かべる。
「どうかしましたか、そんな怖い顔をして」
「神官さま、離れてください。その女は、悪しき者なのです!」
その台詞は、すぐ前に聞いたって。
しかし、悪しき者か。
フロイドワールド・オンライン上では、白肌と黒肌のエルフ系は善性で、紫肌が悪性だったんだけど。この世界では違うってことか?
うーん、情報が足りない。もう少しこの青年を突付いてみるべきか。
「まあまあ、待ちなさい。始めてお会いした女性に対し、剣を向けるのは良い行いとは言えませんよ?」
神殿で純粋培養された無知な神官のような言葉を選びながら、相変わらず微笑みつつ言葉をかける。
すると、青年は言葉を詰まらせた。
「それは、そう、なのですが。しかし!」
「落ち着きなさい。それで、どうして貴方はこの少女のことを、悪しき者だと判断なさったのですか?」
「それはもちろん、その真っ黒な肌の色です! 神官さまも文献で知っておいででしょう、その女はダークエルフなんです!」
「ほぅ、ダークエルフですか?」
初めて知ったという表情をしながら、もう一度少女の方に振り向く。
もちろん、青年には俺の顔が見えないように背を向けてだ。
少女の顔を見ると、忌々しそうな目を青年に向ける。続けて、捨てられそうな子犬のような顔を、俺に向けてきた。
安心させるように微笑みを浮かべ、ウインクをしてから、その少女に問いかける。
「質問します。貴女の、お名前は?」
「……申し遅れました。私の名前はエヴァレットと申します」
「神官様、なにを悠長な!?」
「エヴァレットさんですね。貴女は、ダークエルフなのですか?」
青年の言葉を無視し、種族的な質問をすると、少女――エヴァレットは良い難そうだった。
まあ、本当のことを言ったら、あの青年に斬りかかられそうだしね。
トランジェらしいうさんくさい微笑みを浮かべつつ、どうとでも取り繕うからと思いながら頷くことで、答えを催促する。
すると、エヴァレットは意を決したように、口を開いた。
「その通りです。私の種族は、ダークエルフで間違いありません」
「ほら、言った通りです。神官さま、だからお早くその場を――」
「ダークエルフですか。日焼けして黒い肌になったエルフではないのですか?」
「神官さまー!」
とんちんかんな質問をすると、すかさず青年から注意を呼びかけるような叫び声が聞こえてきた。
そこで、迷惑そうな顔をあえて作ってから、青年へと振り向く。
「もう、なんなのですか。いまは、エヴァレットさんにお聞きしたいことがあるというのに」
「神官さま、何を悠長な! その者は、悪しき者であり、倒すべき敵なのですよ!」
ふむふむ。この青年の反応からすると、この世界の黒肌なエルフ――いや、ダークエルフは、人族からは嫌われているのかな。
肌色だけで区別したことを考えれば、白肌の普通のエルフ以外は、全て悪しきエルフと括っているのかもしれないな。
そこまで分かれば、先ほどエヴァレットが俺のことを神遣いと呼んだ理由に予想がつく。
恐らくは、悪しき者とされる勢力では、神官職の人が少ないのだろう。
だからこそ、半欠け耳や体の傷を治した程度で、まるで神の代行者かのようにひれ伏した。そう考えれば、辻褄が合う。
さて、そうなるとだ。ここからの会話の選択肢を、間違えないようにしないといけない。
「そうなのですか、敵なのですか。うーん、それは困りましたね」
本気で悩んでいる風を装うと、青年だけでなくエヴァレットも不思議そうにする。
二人の反応が得られたところで、俺はうさんくさい微笑みを浮かべなおす。
「いえね。このエヴァレットさんの手当てを、今しがたしたのですが。そうなると、悪に加担したことになってしまいはしないかと」
恥ずかしそうな表情を加えながら、そう告げてみる。
さて、これであの青年は『俺を庇う』か『俺を断罪する』かの、二者択一になるはずだ。そのどちらがきても、どうとでも言い訳することができる。
この手の追跡逃れは、フロイドワールド・オンラインでは善悪両方のクエストでありふれていたのだ。体験したパターンだけで、両手両足の指の数以上もある。ここが仮に現実だとしても、予習はバッチリだ。
さあ、青年は、どんな言葉を紡ぐかな?
「そ、その女を、治療したというのですか?」
お、断罪ルートか。
なら、最適解は――
「はい。お恥ずかしながら、彼女がダークエルフだとは知りませんでしたので」
――と、無知を盾に問題をあやふやにする選択肢だ。
でも、この選択だけで一発で疑惑が晴れるわけじゃない。
いわばこれは、会話の取っ掛かり。
これからあの青年が主張することに対し、非がないことを証明し続ければ、こっちの勝ちとなる。
さて、次の青年の一手はなにかな。
「……それでは、貴方も悪しき者だということだな!」
と言いながら、剣を向けてきた。
あれ? その結論に至るまでの選択肢が、一つ二つ飛んでないか?
まあ、論理が飛躍するキャラやNPCも、フロイドワールド・オンラインでいないことはなかったので、選択するべき言葉に迷いはない。
けれど、なんか嫌な感じがするな。
「あの、なにか勘違いをなさっているのでは?」
でもとりあえずは、相手の思考回路の理解からだ。
俺が余りにも不思議そうにするからか、青年の方も剣を向けながらだけど自信なさげな感じになる。
「貴方は、そのダークエルフを治療したのですよね?」
「はい。その何が問題なのでしょう? 知らぬとはいえ、悪しき者に手を差し伸べてしまったことに対してですか?」
こちらは心底分からないという体を貫きつつ、どこに問題があるかを問うていく。
まずは、悪しき者を救助してしまったら、身分的な価値のある神官ですら、問答無用で断罪されるかを聞かないといけない。
この時点で失敗していたら、悪いがこの青年も、地面に転がったままの護衛と盗賊の口を塞がないとならなくなる。
人殺しは経験したくないので、せめて無知による情状酌量の余地があればいいのだけれど。
「……いえ、違います。単なる救助であったのならば、悪しき者と知らなかった場合は罪に問われることはありません」
やっぱり、そういう逃げ道はあると思った。
悪しき神を祭っていた人物と、善意からかかわった場合まで罪に問うていたら、多神教な世界では宗教的な不審が募っちゃうからね。
下手したら、違う神に宗旨変えするって事態にもなる。
まあ、そんな仕組みを利用するクエストで、フロイドワールド・オンラインでとある村のNPCを自由神に宗旨変えしたことがあるから、そう知っているのだけどね。
おっと、いけないいけない。話を戻さないと。
「ふむ。ならば、何が問題だったのでしょう?」
「その悪しき者を、魔法で治療したこと。いえ、治療出来たことがだよ」
敬語が取れた青年の言葉を受けて、思わず俺はその何が問題なのかと口に出そうとした。
だが、直前で思いとどまる。
危ない危ない。フロイドワールド・オンラインでも、例えば正義の神の信者はカルマが悪のキャラからの回復魔法は効かなかったり、冥界神の信徒は回復魔法でアンデッド系のモンスターを回復出来たりしていたんだった。
自由神の信徒はシステム的な自由度のせいで、ほぼ全てのキャラとモンスターの回復手段があるから、うっかり忘れていた。
となると、青年のあの言葉から察するに、『この世界の神官はダークエルフを魔法で回復できない』という不文律があるって感じかな。
ああ、なるほど。エヴァレットが、俺というかトランジェを神遣いと認識したのは、魔法で彼女を回復させたからという側面もあったわけか。
ちっ。知らない間に、選択肢をミスっていた。
けどこの程度なら、まだまだ挽回可能な領域だ。
うさんくさい微笑みは絶やさないまま、失点を取り返していこう。
「はて。魔法で治療したといいましたか?」
「白々しい、治療したと言っていただろ!」
「はい、治療はしました。しかし『魔法を使用して』とは、一言たりとも言っていなかったように思いますが?」
自信ありげに微笑みながらも、いままでの発言を思い出しながらの言い訳なので、心の中は冷や汗ダラダラだ。
しかしそうとは知らない青年は、自分の主張が間違っているのではないかといった風に、表情が変化してきた。
「あの悪しき者を治療したと言ってましたが、魔法を使わずに、どこをどう治療した。見た目では、どこも怪我をしていないようだが?」
うっ。なんとも痛い部分を突いてきた。
こんな事になるんだったら、最上級回復魔法を使わずに、多少の傷痕が残るような魔法を選択すればよかったか。
……いや考えをまとめると、むしろ『外見では怪我がない』ということこそが、最上の一手だったみたいだ。
「ええ、治療というよりかは手当てをしましたよ。ただ、服に隠れて見えない部分を、ですけれどね」
微笑を強めながら自信たっぷりに言い切る。
青年が訝しげに眉を潜めるのを待ってから、俺は彼の目に向かって人差し指を突きつける。
警戒して剣を構え直すのを見ながら、彼の視線を誘導するように、人差し指を動かしていく。
そしてまずはエヴァレットの胸元を刺し、ゆっくりと位置を下げて、股間あたりで指の動きを止める。
エヴァレットはぎょっとした顔で、ローブの股間部を手で押さえ、恨めしい顔を向けてきた。
悪いとは思いながらも、この状況を切り抜けるためなので仕方がない。
しかし、青年は察しが悪いのか、首を傾げている。
「服に隠れて見えないというのなら、見えるように捲らせればいいじゃないか」
名案だと言いたげな言葉に対して、俺は口元は微笑みながらも困ったように眉を伏せる。
「うーん。あまり直接的な言葉を口にしたくはありませんので、男性に襲われたとき女性のあの辺りが傷つく、という表現で理解してはいただけないでしょうか?」
曖昧な表現で告げると、青年はもう一度エヴァレットの腰元に視線を向ける。
そして数秒後、驚愕の表情を浮かべた。
「商隊の人たちは、そのダークエルフと姦通していたってことか!?」
「おや、ご存じなかったのですか。同じ道中を一日歩いていたというのに?」
「見損なわないで貰いたい! 婦女に暴行を働くなんてことはしない! それに、悪しき者を抱くだなんて、身の毛もよだつ真似はご免だ!」
ほほぅ。こちらの世界の人にとって、ダークエルフとはそういう対象なのか。
俺からしてみれば、エヴァレットは絶世の美少女なのだけれど。
いや。商隊の人たちが性的暴行をしたことを考えれば、見目の価値観は大して違わないのかも。穴があれば何でもいい人たちだった、っていう可能性も無くは無いけど。
考え込んで黙ってしまっていると、それをどう捉えたのか、青年は慌てた様子で話を元に戻そうとしてきた。
「そんなことよりも。こちらが考え違いをしていたのは謝ります。だが、その悪しき者を殺そうとしない理由について、納得のいく説明をして欲しい」
あやふやなままで終わらせられたらよかったんだけど、そうもいかないみたいだ。
けど、理由をこじつけるなら、格好の材料はあるんだよね。
だからこそ、俺はうさんくさい微笑みを口に浮かべたまま、困ったように眉を寄せる。
「そのことなんですが、少し判断に困っているのですよ」
「あの姿形から悪しき者だとは明白なのに、なにを迷う必要があるので?」
「まさしくそれが問題なのですよ。丁度かけ直しの時間ですし、論より証拠。やってみせましょう」
もったいぶった言い方をしてから、青年とエヴァレットを倒れ伏している人たちの真ん中に立たせる。
二人とも不思議そうにしている。
けど、構うことなくあの魔法を使う。
「我が親愛なる神よ。たむろする不心得者どもに、悪徳の重石を抱かせたまえ」
『悪しき者に鉄槌を』系の魔法が発動し、再び商人とその護衛、そして盗賊たちが押しつぶされているかのような呻き声を上げる。
しかし、青年はもちろんのこと、エヴァレットにも変化はない。
予想通りの結果になったことに満足しながら、俺は青年にうさんくさい微笑みを向ける。
「ということなのです」
「……? どういうことなので?」
以外にも察しが悪い青年に、懇切丁寧に説明しよう。
「先ほど、私が使った魔法は、悪しき存在を動けなくする効果があるのは、お分かりですね?」
「はい、それはもう」
「では、隣を見てみてください。そのダークエルフの少女は、動けなくなっていますか?」
言葉に誘導されて、青年が隣を向き、驚いた顔になった。
「なッ!? なぜ悪しき者なのに、倒れ付していないんだ!?」
驚愕の声を受けても、エヴァレットは理解していないのだろう、首を傾げていた。
俺は青年に見えないように、エヴァレットに大人しくしていてといった身振りをしてから、大仰な仕草で語り始める。
「そう。まさしく、それが問題なのですよ。我が神は、彼女を悪い人ではない、そう判断なさっておいでなのです」
そう告げると、青年は驚愕すらも超越したのか、唖然とした表情になっていた。
これは、ダークエルフを悪と断じる青年の信じる神の方の下では、ありえないことだしね。
けどまあ、俺の信奉するのは自由を愛する神。なので存在が悪と設定されていようと、業徳取得が悪じゃなきゃ『悪しき者に鉄槌を』魔法は効果を発揮しない。このお蔭で、フロイドワールド・オンラインでは効果が不安定だからと、自由神の信者が減る一因になったのだけど。
っと、そんな事を考えている場合じゃない。青年が驚いている間に、畳み掛けないと。
「というわけで、断罪するのは少々待っていただきたいのです」
「で、でも、不合理だ! 存在が悪だと喧伝しているのは、『聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス』様の神託を受けし教会の方々のはず!」
……聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス?
フロイドワールド・オンラインでは、神の名前をみだりに口にするのは禁止だ。魔法を使う際に、我が神とか自由の神とかの代用名で呼びかけるのは、その設定に由来している。
なのに、青年は堂々と神の名前を口にした。口ぶりから、教会やその信徒たちも、大っぴらに口にしていることが窺える。
知らない名前だし、この世界独自の神か? 俺が名前を知らない、フロイドワールド・オンラインの隠れ神という可能性もあるか?
けど、真相の把握は、ひとまず棚上げしなきゃいけないな。
「……考えは分かりますが、目の前の光景こそが事実なのです。あくまで、これは私の予想なのですが。襲われたことで、そのダークエルフの少女の罪科が足元にいるこの人たちに移り、結果として存在が悪ではなくなったのではないかと」
「そ、そんなことがあるので?」
「いえ、分かりません。しかしそう捉えないことには、説明がつかないのですよ」
話を聞いて、青年は考え込む。
けど、いくら考えても無駄だ。
なにせ、周りくどく何も分からないと言っているだけでしかない。分からないものをどう考えたって、帰結するのは分からないという事実だけ。
青年も程なくして、説明ができないと結論を出したのだろう、困ったような顔をこちらに向けてくる。
ここで、青年が口を開く前に、俺から言葉をかける。
「というわけで。しばらく、この少女の面倒は私が見ようと思います」
「神官さまが、ですか?」
「ええ。殺してしまっては、この現象について解明ができません。かといって野放しもまた、悪しき種族であるため不安が残ります。だからこそ、私が目を光らせて監視せねばなりません。そうは、思いませんか?」
「それは……確かに、その通りかもしれませんが……」
青年は腑に落ちきれない様子だったが、無視させてもらおう。
「ダークエルフの、確かエヴァレットさんでしたね。貴女もそれでいいですよね?」
「……はい、構いません。以後、よろしくおねがいいたします」
エヴァレットは困惑顔ながらも、俺と無事に同行できると知って、頭を下げてきた。
その教養ある姿が、教会が喧伝している話と違ったのか、青年が目を白黒させているのが印象的だった。