四十四話 森の中から出て、狐狩りをしませんか?
俺とエヴァレットは、キルティの屋敷から離れ、里の外延部にある森に潜んでいた。
俺たちの視界の先、少し遠くには、街道とトンネルが見えている。
あのトンネルを抜けると、里の行き来を監視する砦があるそうだ。
その砦に、里の若者がキルティが作った文を届けに向かって、二時間ほどが経過していた。
「……遅いですね」
エヴァレットが不安そうなので、俺は朗らかに聞こえる声を意識する。
「なにせ聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官が体調不良で滞在を延期し、この森で『恐るべき魔物』を見かけたという趣旨が書かれた手紙ですからね。軽く取調べをしているのでしょう。もしかしたら、神官を迎えにいく人手を集めているのかもしれません」
「それならいいのですが……。しかしながら、この格好はどうにかならないのですか?」
エヴァレットは話を変えるためか、自分の格好を見ながら言ってきた。
「おや、不満ですか? ちょっとやそっとじゃ見破れない、極めて高い迷彩だと思うんですが?」
「それは、そうかもしれません。ですが、体に葉っぱを纏わせたり、顔に泥を塗ったりと、間抜けに見えませんか?」
改めて俺たちの格好を確認する。
黒いローブの上から、網に葉っぱや枝を大量に絡みつかせた物――いわば自作のギリースーツを被っている。
そして露出せざるを得ない場所の肌を、練った黒土で汚してもいる。
たしかに、俺たちだと知っている人が見たら、変な仮装だと笑われるかもしれないかな。
「ですがこの格好は、この後やることに必要だとも、待っている時間で説明しましたよね?」
「それは、そうなのですが……」
理解しているなら、何が問題なのかなと首を傾げてしまう。
そしてふと思っったことを、エヴァレットに声をかける。
「もしかして、その格好と見た目で、私に愛想を尽かされるとか考えてませんよね?」
「い、いえ、その、そんなことは、ありませんとも!」
明らかにそう気にしている反応に、俺は微笑んでしまう。
「気にしないでも、こんなことで嫌いになったりはしませんよ。第一その格好は、私がやらせているんじゃありませんか。それで貴女を嫌いになったら、私はとんだ人でなしではありませんか」
「いえ、あの……はい……」
エヴァレットは、気恥ずかしそうに顔を伏せる。
様子を見ながら、女心を男が理解することは難しいなって、昔の人も語っているそのままの感想を抱いてしまう。
そのまま無言で時間が過ぎていき、あるとき急にエヴァレットが顔を上げて、トンネルへ視線を向けた。
「……どうやら来たようです。馬車の車輪の音が聞こえます」
「私の耳には聞こえませんけど、やっぱりエヴァレットの耳は優秀ですね」
褒めるべく、ギリースーツの隙間から手を差し入れて、彼女の耳をそっと撫でた。
すると嬉しがるように小刻みに動き始めたので、痛くならないように摘み止めて、さらに優しく撫でる。
「あ、あの、神遣いさま、その辺でお止めください」
エヴァレットがもじもじと恥ずかしそうにするので、俺は謝罪しながら手を引き戻す。
「ああ、ごめんなさい。音を聞く邪魔ですよね」
「い、いえ、そういうわけじゃないのですけれども……」
チラチラと名残惜しそうに俺の手指を見てから、気持ちを切り替えた目つきになると、エヴァレットはトンネルから出てきた人たちを見る。
俺もそちらを窺うと、馬車一台と十人ほどの兵士がその周囲にいる様子が、ゴマ粒大で見えた。
文を届けに出した里の若者は、先導するように先頭を歩いている。
彼は事前にキルティから伝えられていたのか、森に怖い魔物がいるかのように、怯えながら進んでいる。
「迫真の演技ですね」
「もしかしたら、キルティからは本当に魔物がいると言われているのかもしれません。彼女、イタズラ好きですので」
芝居の素人である里の人なら、そっちの方がばれずに済むかと、キルティの機転に感心した。
「では、私たちも移動しましょう」
「はい。馬車の音を聞きつけてやってきた魔物だと、装うのですよね」
「その通りです。狙いは馬車と馬、次に兵士の順番ですからね。そうそう、一番最初に里の若者を攻撃することを忘れずに」
「もちろん、ギリギリで外れるような攻撃をします」
今後の予定を確認しあってから、二人で森の中を移動していった。
若干先回りして、馬車がくるのを待つ。
このときにも役に立つのが、エヴァレットの聴力だ。
「『あの獣人、ずーっとビビリっぱなしじゃねえか。本当に魔物が出るんじゃねえか?』
『砦の司令が、神官さまを留めておきたい里長の企みだって、言ってただろうが』
『そうそう。第一、そんな魔物がいるなら、こっちだって噂ぐらい耳にしてもいいだろう』
『それならいいんだけどな。街道のすぐ横に、こうも茂った森があると、落ち着かないんだよな』
『お前みたいな平原出身者は、森の奥にいもしない怪物を見る、なんて笑い話にあるぜ』
いま、笑っています」
俺では姿は見えても声は聞こえないので、エヴァレットにアテレコしてもらっていた。
「どうやら、彼らは油断しきっているようですね」
「はい。そして彼らの中に、指揮する人すらいないようです」
「砦を守る人たちにしたら、腑抜けに過ぎて不安に思えますね。でも襲うこちらとしては、楽なので、ありがたいですね――」
馬車が接近してきたので、ここから声を潜めるとジェスチャーする。
エヴァレットは頷くと、足元から拳大の石を拾い上げながら、布を裂いて作ったベルトのような物を取り出す。
石をその布に包むとゆっくりと回転させ、ひゅんひゅんと規則正しく小さく鳴り出す。
俺もその辺にある木から、杖から抜いた隠し刃で、太い枝を切り落とす。
枝葉を斬り除いてから、杖は呼び出したステータス画面に押し込んで収納して、その枝を両手に持つ。
そして念のために、防具の強度を上げる魔法を使うことにした。
「自由の神よ、私たちの装備に堅固さを、密かに与えたまえ」
俺とエヴァレットの足元に、光量が押さえ気味の光る円が現れ、そこから出てきたくすんだ光の粒がギリースーツとローブに入っていった。
視線でエヴァレットに準備が出来たと合図を出すと、彼女は大きく手を振るって、手馴れた調子で布から石を発射した。
投擲された石は一直線に飛び、馬車の先頭を歩く獣人の若者の頬を掠めて、後ろへと飛び去っていった。
「――ひいいいぃぃいぃ、でたあああーーー!!」
攻撃を受けた若者は、慌てて道の端まで逃げると、草むらの中に隠れるように丸まってしまった。
こっちが本物の魔物だったら、きっとそっちを先に襲うんだろうななんて思いながら、俺は枝を持ちながら街道に出る。
体の周りに枝葉が茂っている俺を見て、対峙した兵士たちは本当の魔物だと思ったらしく、大慌てで武器を向けてきた。
「ほ、本当に居るじゃねえか!」
「くっそ、あのクソ司令め! いい加減なこと言いやがって!」
槍ばかりで、飛び道具はなし。
なら、魔法の効果で防御は大丈夫だろうから、魔物だと印象付けるべく、ちょっと派手な動きと声を出そうかな。
んッんんっ。喉の調子を整えてっと――
「――キィオオオオオオオオオオ!!!」
奇声を上げながら、手の太い枝を掲げて突進する。
兵士たちはこの奇行に面食らったようで、大慌てで後ろに下がっていく。
「お、おい、逃げるなよ、先に攻撃しろって!」
「お前こそ、先に行け!」
押し付け合いをしているのを見ながら、俺は馬車に取り付く。
馬を襲う振りをしながら、馬車と連結するための金具と革紐に攻撃する。
「キィエエエエエエエエエエエエエ!!」
「ヒイイィィィイッィイイィィ!」
繋ぎ方が甘かったのか、馬が驚いて暴れ始めると、金具が外れて革紐がずるりと抜けた。
「ヒイイィィィィィィイイイ!」
馬は慌てて馬車から脱出すると、そのまま森の奥へと消えていった。
俺は馬を追いかけようとして諦めた振りをして、兵士たちに向き直る。
「くそ、馬車が!? これじゃあ動けないぞ!!」
「馬を探して連れ戻さないと!」
「その前に、その魔物を倒さないといけないだろ!」
この段になってようやく兵士たちは、腹を決めたようだった。
全員が槍を構えて、こっちに突撃してくる。
「「「だああああああああああ!」」」
十人で一斉に来られると、こちらも対応しきれない。
手の枝を振るって、幾つかの槍は払ったが、二本の穂先が体に当たる。
「やったか!?」
「ヤッテエエエエエナシイイイイイイイイ!!」
俺は変な叫び声をあげながら、ローブを貫通できなかった槍を枝で打ち落としつつ、見事に攻撃を当ててくれた二人へ手の枝をフルスイング。
「げばっ」
「ぐげっ」
どちらも顔に命中して、鼻血と折れた前歯が宙を舞う。
この攻撃で枝が折れてしまったので、二人が手放した槍を拾い、使い方が分かっていない風を装って振り回す。
「キャアアアアア、イイイイイイ!」
「うああああああ! なんで、槍が刺さったはずなのに!」
「穂先を見ろ、血がついてない! この魔物の皮膚に弾かれたんだ!」
「槍が効かないんじゃ、戦いようがないだろ!!」
「いや、さほど力は強くなさそうだ。槍の柄で押さえ込めば、捕らえることだってでき――がっ!?」
建設的な指示を出しかけた兵士の頭に、森から飛んできた石が命中する。
よほどいい場所に当たったようで、呆気なく昏倒して地面に倒れた。
それを見て、他の兵士たちが、まさかという目で石が飛んできた方へ目を剥ける。
俺もこっそりと横目で見ると、森からギリースーツに身を包んだエヴァレットが出てきたところだった。
「き、きゃ、キャアア、キャアアアアアアアアアアアアア!」
そして、最初は恥ずかしげに、半ばからやけくそ気味に、エヴァレットが奇声を上げた。
すると兵士たちが、戦意喪失したかのように、背を向けて逃げ始める。
「一匹でも相手にならないのに、二匹いたんじゃ無理だ!」
「逃げろ! 逃げて、砦にこの魔物のことを伝えるんだ!!」
逃げる後姿を見ながら、俺は打算的に考える。
逃げだした兵士は七人。
この全員が無事に逃げ切れてしまったら、襲ってきたのが魔物だっていう信憑性が薄くなりそうだな。
仕方がない、半数ぐらいは追いかけて始末して、より真実味を持たせよう。
「ミャアアアアアアアアアディエエエエエエエ!!」
「ぎゃあああああああ、追ってきたああああ!!」
「嫌だあああ! こんなところで死んでたまるかああ!」
逃げる彼らを追いかけ、足の遅い順に持っている槍の柄で転ばせてから、穂先で止めを刺していく。
しかし、二人を殺し終えたところで、兵士たちは槍や鎧を捨てて身軽になり、さらには火事場の馬鹿力すら発揮して逃げ始めた。
こうなるともう追いきれないので、俺は死体を引きずって馬車まで戻る。
すると、エヴァレットが気絶していた兵士たちを、殺し終えて身包みを剥いでいるところだった。
「神遣いさま、武器や防具は剥ぎ取っていいのですよね?」
「はい。知性のある魔物なら、この装備を取り逃すはずはないので」
「……ですが、本当にその後に、木の枝に死体を突き刺して放置するのですか?」
「より邪悪な魔物がこの辺にいるのだと、強く印象つけるためにそうします。そうだ、武器の切れ味を実験したようにも見せかる傷を、死体につけましょう」
エヴァレットが気色悪そうにするので、俺はさらに一言加える。
「エヴァレットが気味悪がる以上に、砦の人たちはその光景に恐れを抱くでしょうね」
「神遣いさまの狙いは、十分に分かるつもりなのですが……」
憎い聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの信徒相手でも、死体を辱めることには抵抗があるようだ。
俺自身もやり過ぎかなと思わないでもないので、気持ちは分からなくはない。
けど、変に手心を加えて企みがバレると、世話になったキルティたちジャッコウの里の人たちに迷惑がかかる。
なら大して知りもしない人たちの死体を利用することに、ためらいがいるだろうか。
そんな理論武装をしながら、兵士たちの身包みを剥ぎ、手足に槍や剣を突き刺してから、俺は魔法を発動する。
「私が崇める自由の神よ、大地の神の作法に則り、生け贄を突き刺す槍を木から生やしたまえ!」
俺の呼びかけに、周囲の気から枝が伸びてきた。
その枝は、兵士たちの死体を突き刺すと、枝の長さを元に戻していく。
これは本来、大地の神に野生動物を捧げる魔法っていう設定な、伸びた枝で行動を阻害しつつ弱い攻撃を食らわせる魔法だった。
フロイドワールド・オンラインではレーティングの関係で、生け贄の儀式なんてことは出来なかったけど、この世界でようやく設定どおりの効果を発揮できたわけだ。
そうして、周囲の枝に五つの死体が垂れ下がる様子を見ながら、俺はステータス画面を呼び出す。
枢騎士卿への試練の項目をタップし、達成状況を確認。
予想した通りに、『他神の信徒を二千生け贄に捧げる』という項目に、五つカウントが入っていた。
その事を確認した後で、俺とエヴァレットはギリースーツを脱ぎ、丸まって隠れていた獣人の若者と共に、ジャッコウの里へと帰って行ったのだった。




