四十話 神官さまを甘い罠にはめましょう
夕方になり、夕食を用意する煙が、そこかしこから上り始める。
そんな中を俺は酒樽を抱え、何人かの里の若い女性と共に、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官に宛がわれた家へとやってきていた。
ちなみに、俺の格好は里の人と同じ服装に着替えて、頭には猫耳をつけている。
まさか、フロイドワールド・オンラインの獣人に変装するためのケモミミが、こんなところで役に立つとは思わなかったな。
そんなことよりもと、家の扉をノックする。
反応がないので、もう一度ノック。
さらにもう一度というところで、扉が開いた。
顔を覗かせた白いローブ姿の男性が、俺たちを訝しげに見てくる。
「何人も集まって、何の用だ?」
「へぃー。里長さまのご言いつけで、酒と料理を献上しに、来たんですよぉー」
馬鹿な獣人っぽい口調と愛想笑いで、酒と女性たちが持つ鍋を指し示す。
打ち合わせ通りに、彼女たちは鍋の蓋を開け、お腹がすくほどの良い匂いがしてきた。
対応するローブ姿の男から、ぐぅっと腹の音が聞こえた。
「うむ……悪いが、受け取れん。悪しき者の作った料理など、危険で食べることなどできない」
この返答で、この人がキルティと面会していた神官ではないと分かった。
あの人なら、とりあえずは受け取るだろう。
その後で食べないなら、こっそりと捨てて、この里の人たちとの軋轢を回避するはずだからだ。
そういうことなら、攻め口を変える必要があるな。
俺はこっそりと息を大きく吸うと、大声で懇願し始める
「そんなー、困りますよぉー! 受け取ってもらえなかったら、あっしらが里長さまに怒られてしまいますよぉ!!」
「え、ええい、うるさいぞ。受け取らんものは、受け取らんのだ。持って返れ!」
「そんな、何が不満なんです! 毒を警戒しているなら、あっしが毒見役をしますから、受け取ってくださいよぉ!!」
そんな風に大声を上げていると、家の奥から声と共に一人の男性が現れる。
こちらも白いローブ姿の、髪の毛は短く刈り込まれている、二十前半の男性だった。
彼は扉の前にいる人を、肩を付かんで発言を押し止める。
「そう強情に拒否するものではありませぬぞ。折角のご好意、受け取っればよい」
「し、しかし、悪しき者から物をもらうなど、恥ずべき行為かと!」
「拙らはもとより、その者たちから薬を受け取っている不埒者よ。ならば、一つ二つ悪行が増えたところで、どうということもあるまい」
「で、ですが」
「不安なのならば、その男性に毒見をさせればよい。なにより、美味そうな匂いをさせる料理を信徒に食べさせぬのは、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスさまとて本意ではあるまい」
態度と声色からあの神官――インテシプリンだと気が付いたが、キルティと面会していたときとは少し口調が違っていた。
たぶん、目下の人しかいないから、敬語を使う気がないためだろう。
なにはともあれ、俺の目論見通りにことが運んだことに、内心でほくそ笑む。
「へへ~、そう言ってくださり、ありがとうございます。おい、待たせちゃならん。夕食の用意をして差し上げなさい」
「「「はーい!」」」
俺の掛け声に、後ろにいた女性たちが家の中へと押し入っていった。
そのことにインテシプリンは面くらい、横にいるローブ男はうろたえた声を出す。
「お、おい! 料理は受け取るが、中に入っていいとは」
止めようとするのを、俺は樽を抱え持ちつつ止める。
「いえ。あの子らに料理は任せてやってくださいよぉ。美味しく温めなおしてくれるでしょうから。それよりも、この酒樽はどこにお運びしやしょうか?」
「え、あ、おお?」
言いながら扉の内側に押し入ると、インテシプリンとローブ男は仰け反って後ろに一歩下がった。
俺がもう一歩前に出ようとすると、インテシプリンが押し止めてきた。
「ご好意、感謝いたす。では、食堂に運んで下さらんかな。全員で晩酌に使わせてもらうゆえ」
「へぃ~」
気の抜けるような返事の後で、俺は食堂へと運び入れる。
この家の間取りは、この作戦を決行すると決めたキルティに教えてもらっているので、迷うことはなかった。
樽を下ろして一息つくと、食堂の横にある炊事場から女性たちの楽しげな声が響いてきた。
思わず、これはいいなと感じ入る。
すると、なんだなんだと食堂にやってきた聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの信徒たちも、俺と同じような感想を抱いたような表情を浮かべていた。
こっそり観察すると、離しに聞いていた通りに、男性ばかり。
真面目そうなインテシプリンの下にいるからか、日々の潤いに飢えているように見える。
これなら作戦は上手く行きそうだと思いながら、媚びへつらった表情を浮かべて、彼らを食堂の中へと引っ張り込む。
「ほらほら、もうすぐ仕度ができますから、座ってお待ちくださいよぉ」
「お、おお。そうさせてもらうか。しかし、いい匂いがするな」
「そうだな。匂いだけで、美味そうだってわかるな」
口に溢れる涎を飲み下す彼らを席に座らせ、ついでにインテシプリンの背中を押して上座に座らせる。
するとタイミングぴったりに、里の若い女性たちが料理が入った鍋を手に、食堂に入ってきた。
「はーい、お待たせしましたー」
「野菜とお肉がゴロゴロな、特性のシチュー。そして香りのいい小麦で作ったパン。そして蒸した、丹精込めて作った美味しい野菜です」
彼女たちは聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒の目の前で、鍋から皿に移し変える。
料理が乗った皿は、別の女性が手早く配膳して回った。
いい匂いの料理が前に置かれた人たちは、もう目が釘づけだ。
思わず一人がスプーンを手に取ろうとして、インテシプリンの男に止められた。
「まずは、そちらの男性に毒見をしてもらうことになっている。少し待て」
スプーンを手にしている男はハッとした様子で、恥ずかしげに俯く。
しかし良い匂いには抗いがたいらしく、催促するようにチラチラと俺に視線を向ける。
図ったように、そこでようやく俺の前に、少量ずつ盛られた料理が並んだ。
「それでは、皆さまに先んじますことを、失礼してー」
シチュー、野菜、パン、そして酒の順に食べていく。
「んおー、このシチューは美味いなぁ。こんなに美味く作れるんだ、男どもが黙ってないだろうなー」
「もう、やだー。そんなに多くは、言い寄ってこないってー」
「パンに、これほど小麦の香りを残すなんて、毎朝食べる彼氏は幸せものだろうなー」
「えへへへー。お母さんからの直伝なの。お父さんもこのパンで捕まえたって言ってた」
「ああ、この野菜の甘み。目を瞑れば、太陽を浴びているようにすら感じる……」
「ふふーん。どうよ、うちの両親が作った野菜、この里一番って言われているんだから」
「そんで、最後はこちらの皆さんが運んできたっていう、この蒸留酒だな。んぐっ、かー! 喉がひりつくが、良い香りしやがるなあー!」
俺が手放しに褒めながら食べると、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒たちは、縋るような顔をインテシプリンに向ける。
彼らの堪えきれない様子に、インテシプリンは苦笑しながら頷いた。
「どうやら平気なようだ。では、祈りを捧げた後、頂くとしよう」
やったっていう顔をして、教徒たちは素早く祈りを捧げ始めた。
「聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスよ、この日もまた糧にありつけることに、感謝を捧げま――ふ」
大半の教徒たちは、最後の一言を言い切る前に食べ始めた。
そして、料理の美味しさに衝撃を受けたように、体を硬直させる。
「なんだこれ、すっごい美味い!」
「あんな薬の取り引きで、こんな辺境まで来なきゃいけないなんて思ってたけど、こんなもの食えるなら役得だな!」
「お代わりはあるんだよな! なッ!」
「はーい、ありますよ。けど、量に限りがありますけどねー」
「ああ、くそ。こんな極上な蒸留酒、普段じゃ絶対に手に入らねえ」
一気にがやがやとした食事の風景になり、樽で持ってきた酒がドンドンと減っていく。
そんな中、唯一といっていいほど、インテシプリンだけが静々と食事をしていた。
少しは酒に酔ってくれないと困るので、それとなくお伺いに向かう。
「どうでしょう。お口にお合いしましたでしょうか?」
「ああ、美味い。これほど良くしてくれると、これから先も良い関係で入れたらと、切に願わずにはいられぬ」
「それは嬉しい。ささ、新しくお酒をお注ぎいたしましょう」
「神官が率先して節度を守る姿を見せねばならんので、遠慮させていただきたく思う」
むっ。堅物だとは思っていたけど、酒を断られてしまった。
うーん、ちょっとそれは不味いんだよなぁ。
本来なら、飲み慣れない酒に酔ってくれた方が良かったんだよ。
他の信徒の人たちみたいにさ。
「うー、なんだか、すごく目が回るな」
「あーん、もう。どこ触っているんですかー♪」
「なんだろう。すごく良い匂いがするんだけど……」
「そうですか? じゃあ、もっとよく嗅いでみてください」
酔った勢いに任せるように、信徒たちが給仕役の女性たちに手を出し始めた。
彼女たちは嫌がるふりはしながら、胸やお尻をしっかりと触らせてやっている。
すると行為がエスカレートを始め、信徒たちは女性たちを抱きしめるようになった。
それを見て、インテシプリンが制止しようと立ち上がるのを、俺は肩に手を当てることで防いだ。
「あれぐらいいいでしょう。お腹が膨れて酒に酔えば、女の肌が恋しくなるってものですよ」
「いや、婦女に無理に手を出す行為は邪な行い。正さねば!」
「いえいえ。彼女たちだって、こうなっても良いとおもっているからこそ、ああしているのですよ」
里の中を里長の屋敷まで進む彼らを見て、一夜の相手にしてもいいって思った人だけを連れてきたので、本当に俺が無理をさせているわけじゃない。
それは信徒たちに体を楽しげに預ける姿からも、用意に見て取れた。
インテシプリンもそれがわかるからだろうか、あまり強く言えなくなった。
「ぐむむぅ、いやしかし。性の乱れは、生活の乱れに通ずる。諌めねばならん」
「まったくもう、大人しくしていれば良かったのに」
俺は獣人の演技をやめてトランジェの口調に戻りながら、呼び出したステータス画面からこっそり出していた強媚薬の香水を、インテシプリンの顔に浴びせた。
「ぐおお――」
顔を押さえるインテシプリンだったが、直ぐに手を外して獲物を求める野獣のような目を周囲に向け、相手がいなかった給仕の女性に襲い掛かる。
「ふんーふんー!」
「ああん♪ そんなにがっつかないでよ♪」
栓がされた状態で嗅いで、俺の意識が飛びかけたのだ。
どんなにお堅い考えを持っていても、原液を丸被りしたインテシプリンが常識を止め続けることなんて、無理に近い。
そして、この香水は給仕役の人たちにも、少しずつつけてもらっていた。
もともと男を自失させるフェロモンを発する彼女たちに、香水の力が合わさって、男を落とす最強兵器が完成したのだった。
「って、このまま放って置くと、性行為が始まってしまいますね。さてさて、自由を愛する神よ、我が目的のために、一時の間だけこの者たちの意識を薄らせたまえ!」
呪文が完成し、この食堂の中に大きな黒い円が現れた。
その円から黒い触手のようなものが表れ、睦み合っている男女に振れていく。
女性たちのほうはなんともないようだが、フェロモンで自失している信徒たちは、電池が切れたオモチャのように急に動きを止めた。
「さて、効果を試しましょう。全員起立!」
俺の号令に反応して、信徒たちは一気に立ち上がった。
「右向け右、左向け左!」
言葉通りに動き続けることを確認して、俺は安心した。
フロイドワールド・オンラインだと、知能の低い敵キャラ以外には効果がないから、媚薬で意識を薄れさせればと行けるかと考えて実行したんだけど。
どうやら、ちゃんと催眠の魔法はかかっているようだ。
この魔法の上位である洗脳の魔法が使えれば、こんな小芝居をする苦労はなかったのに。
あれは邪神の神官でもごく一部の秘匿魔法だったから、自由神の加護である自由度の拡張が適応される範囲外なんだよな。
いや、いまはそんな事を考えている場合じゃない。
催眠の効果時間が短いから、さっさと指示を与えないと。
フロイドワールド・オンラインのときは、単純な命令をすればよかったけど、試しにちょっと手の込んだ言い方をしてみようかな。
「では、よく聞いてくださいね。貴方たちはこの里が好きになります。里の住民がとてもとても好きになります。そんな好きな里と住民が危険になりそうなとき、貴方たちは他に知られないように連絡を入れたくなります。加えて、どうにかその危険を防ごうと努力します」
この世界で初めてやるけど、これでちゃんと暗示がかかったのかな?
「理解したのなら、復唱してください」
「はい。拙は、この里と住民が、好きで好きでたまりません。なにがあろうと、危険があれば知らせ、守ることを誓います」
「はい。オレは、この里に住みたいぐらい、住民が好きです。どんな相手であろうと、守ります」
「はい。この里が大好きです。危険があれば知らせます」
んん?
なんか暗示にかかっている度合いが、それぞれ違うような感じがあるな。
けど、効果時間はもうすぐ切れそうだし、かけ直すことはできなさそうだ。
この魔法も体にかけるものだから、待機時間が設定されているんだよね。
あとでキルティには、暗示は十全じゃないかもしれないと伝えないといけなくなったけど、仕方がないのでこれで満足しておこう。
そう判断していると、不意に服を引っ張られた。
顔を向けると、給仕をさせていた女性たちが、切なそうな顔で見てくる。
「あのー、神遣いさま。魔法をかけ終えたのでしたら、夜の相手に戻りたいんですけど」
「このままだと、生殺しですー」
「それとも、相手してくださいますか?」
目の奥に獣欲が浮かんでいるのが見え、俺は慌てて彼らを襲う許可を出す。
「も、もう終わりましたから、どうぞ彼らの相手をしてやってください。肌を合わせれば、きっと暗示はもっと深く入るはずですから」
「やったー、さあやろうやろう!」
「ほらほら、こっちにきてきてー」
「この神官、良い肉体しているんですよね」
「あはははっ。食堂じゃなくて、ベッドに連れて行った方がいいと思いますよー」
盛り始めた彼女たちに、苦笑い交じりの忠告をしてから、俺はこの家を後にすることに決めた。
そして外に出て、念のためにかけていた状態異常防止の魔法の効果が切れる時間がきたと悟って、あのまま中にいたら乱交の一員になっていたかもと背筋を震わせたのだった。




