三十九話 今回の聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官は、真面目っぽいですよ
赤々とした夕日が空に浮かぶ頃に、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒たちが、キルティの屋敷にやってきたようだ。
俺とエヴァレットはその前に、キルティの寝室の横にある部屋に潜ませてもらった。
そうして、教徒たちが来るのを待っているわけなんだけど、壁があるというのに、あの煙の砂糖が焦げたような匂いが、この部屋まで来ている気がする。
「――キルティは、毒の煙を多く吸いすぎじゃないですか?」
小声で傍に控えてくれている使用人に尋ねると、頷きが返ってきた。
「はい。あの部屋に入ってくる人たちへの、ささやかな嫌がらせです」
「なるほど。副流煙を吸わせてやろうってことですか」
あの煙が吐き出した後も毒性が残っているかは知らないけど、あの煙が充満している部屋に入らなきゃいけないとなると、嫌がらせには十分だな。
キルティの意外な底意地の悪さを微笑ましく思っていると、屋敷の廊下を歩く人の足音がした。
そっと、エヴァレットの耳に口を寄せる。
「何人か分かる?」
「少々お待ちを――五人です。屋敷の外にも何人かいるようです」
優秀な聴力を褒めるため、俺はエヴァレットの長い耳を手指で人撫でしてやった。
くすぐったそうに身をよじり、恥ずかしげに顔を背けるけど、耳が嬉しそうに小刻みに動いている。
その様子に微笑みを向けている内に、隣のキルティの寝室の扉が開く音がした。
ここからは静かにしないといけないので、俺もキルティも口元を手で覆って、呼吸音をなるべく出さないように気をつける。
その後で、キルティは隣の部屋を指して指を一本立て、廊下を指差して四本立てた。
どうやら部屋に入ったのは一人だけで、廊下に四人が立っているようだ。
理解したと頷いて答えると、隣の部屋から話し声が聞こえてきた。
『お初にお目にかかる。拙はインテシプリンと申す。今回からこの拙が、この里の秘薬の取引流通を任せることと相成りましたゆえ。ご挨拶申し上げる』
意外と確りとした挨拶に、あまり聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスにいい印象を持っていない俺は、少しだけ驚いていた。
それはキルティも同じようで、皮肉をインテシプリンとやらに吐いていく。
『これはご丁寧に。ボクがこの里長のキルティ・エショットさ。申し訳ないけど、部屋が煙たいのは我慢しててよ。これがなきゃ、ボクはまともに喋れもしないんだからさ』
『事情は把握しております。そして、ご心配は不要かと。なにせ、毒を浄化する神のお力の行使を、拙は修めてありますゆえ』
『おやおや、そんな魔法を使えるなんて、アンタは偉い神官さまだったのか。でもそんなお方が、サキュバスと蔑まれるこのボクに、そんなへりくだった態度をとっていいのかい? それと前の、あーなんていったかな、あの神官さまはどうしたんだい?』
『拙は一神官、そちらは里を治めるいわば領主。この態度は当然のものかと存じます。そして前任者は、不正蓄財と秘薬の横流しが発覚し、誅罰の後に身分と加護を剥奪し、追放刑に処されてございます』
『あはははっ。なるほどなるほど。あいつ、欲の厚そうな顔をしていたからなー。やっぱりそうなっちゃったか』
『前任者の不徳に、拙らは汗顔の至りであると、大いに反省を致しておりますゆえ。そうお笑いなさらないでいただきたい』
ここまでの話を聞いていて、どうやら隣にいる神官インテシプリンは、真面目な人のようだ。
前任者が悪事を働いていたから、対外的にも確りした人を入れたかったってことかもしれないな。
『それで、こちらが出す香水の量とそちらが払う代金は、以前のままでいいのかな?』
『はい、それでよろしいかと。多少値切れと上からお達しがありはしますが、担当が変わったばかりでは不信は拭えないでありましょう。なのでもう何回かは、以前と変わりない取引をしようかと考えております』
『ふーん……ならこっちは、アンタの就任祝いってことで、香水を十瓶追加してあげようかな。これからの信用の証としてね』
『望外のご配慮、かたじけなくお受けいたしたく思います』
『うんうん。それで、今回そっちが出す代金はなにかな?』
『失せ物の方がいいと仰せだったご様子なので、今回は樽に詰めた葡萄の蒸留酒を運んで参りました。お納めくださればと思います』
『おおー、いいねいいね。この里では採れない葡萄のお酒か。しかも蒸留酒。里の者たちにも振舞うとするよ』
『お喜びいただけたようで、拙は安心したしました』
ここまでキルティはちゃんと里長役をやっていて、少なくとも彼女自身が言っていたお飾り以上の能力はあるみたいだ。
それにしても葡萄の蒸留酒ってことは、ブランデーかな?
この里でフェロモンを濃縮して香水を作っているって言っていたし、単純蒸留の技術はあるみたいだ。
お世話になった村ではそうは思わなかったけど、この世界の都会には高い水準の文明が花開いているのだろうか?
ますますファンタジーじみてきた世界観に思い悩んでいる間にも、隣の部屋では話が進んでいた。
『それでは数の確認後に、蒸留酒は引き渡しますゆえ、そちらは樽数の確認をしていただければと思います』
『あー、悪いけど、それはできないかな。ほら、ボクってこの煙がないと動けないわけだよ。それに、里の外の物価についてなんて知らないから、妥当な取引かどうかなんて、分からないからね。そちらの良心を信用することにするさ』
『……なるほど。前任者が道を誤ったわけでござますな。こちらに全てを丸投げしてくださるなど、不正をしてくれてと言っておられるようなものです』
『別にボクらは、タダで香水を明け渡したっていいんだよ。その代わりに、ボクらがそちらに滅ぼされず、日々平穏に暮らせる保証があるならね』
『いやはや、やはりサキュバスでございますな。人を誑かすのが上手いとお見受けいたします』
『あはははっ、そんなに褒めても、香水の追加はしてやらないからね』
『いえ、そのようなつもりは。それでは、用件は終わりましたので、これにて。乾草の追加分は、すでに使用人に渡してありますゆえ、あとで受け取ってくだされ』
『分かったよ。吸殻の量は確認はしなくていいのかい?』
『これほどの煙を吐き出さなければならないほどの体調でしたら、確認するまでもないかと思われます』
『はいはい。どうやら、薬についても詳しいみたいで、こちらとしてはやりやすい限りだよ。これからせいぜい長く付き合ってほしいもんだね』
『拙も、そう願って止みませぬ』
『それで、今日はもう遅いけど、先触れに使わせている家に泊まるかい? この屋敷に住むのは、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの信徒としちゃ嫌なんでしょ?』
『数量の確認をしたら夜になりそうですし、お言葉に甘えると致しましょう。しかし帰ってこぬとおもえば、歓待を受けていたとは。嘆かわしい。後で説教をせねば』
『あはははっ。そう怒らないで上げてよ。ちょっとだけいい夢を、見せてあげているだけだからさ』
こうして会談は円満に終了したみたいで、足音が部屋から廊下に、廊下から玄関口へと移動していく。
それからしばらくして、隣の部屋の窓が急いで開け放たれる音と、仰いで空気を入れ替える音がした。
そして別の使用人が、俺たちを呼びにきて、隣の部屋へと連れて行く。
「どうか里長さまの体調を見てやってください」
ぐいぐいと背を押しながらのお願いに、俺だけでなくキルティも苦笑いだ。
「おいおい、神遣いさまを顎で使うなよ。ヘソを曲げられでもしたら、解毒の魔法をかけてもらえなくなっちゃうだろ」
「いえいえ。心から貴女を心配しての行動を、咎めるわけには参りませんとも」
二人で赤面している使用人を笑った後で、俺は医者の真似事で目の下を捲って見て、口を開けさせて奥を覗いたりする。
これで何が分かるってわけでもなく、周囲を安心させるためのパフォーマンスだ。
「悪いところは他になさそうですし、解毒の魔法をかけておきますね」
「毒煙を吸い続けてきたからかな、あんまり効いてない気もするんだけど、お願いするよ」
昨日使ったのとは違う解毒のみの回復魔法を唱える。
「私が信奉する自由の神よ。この者の毒を、体外へと取り除きたまえ」
光る円が現れ、少量のキラキラとした粒子がキルティに入る。
その代わりに、彼女の肌に黒いモノが浮かび、それが崩れてさらさらと零れ落ち、ベッドの上にたまることなく消えていった。
「はい、これで大丈夫ですよ」
「ありがとう、神遣いさま。なんだか楽になった気がするよ」
「どういたしまして。それで、どうしますか?」
俺の唐突な主語のない質問に、キルティは目をパチクリする。
「どうするって、なにをだい? もしかして、さっきの神官たちのことかい?」
「もちろんですとも。キルティが彼らをどうしたいと考えているか教えてくだされば、お手伝いいたしますよ?」
「……どういう風の吹き回し? 昨日は、さんざん協力を渋ったのに」
「いえ、先ほど貴女は心からの望みを、彼らに言ったではないですか。『この里が滅ぼされずに日々平穏に暮らせる、その保証が欲しい』と」
指摘して初めて気が付いたようで、キルティは驚いているようだった。
その驚愕で空いた思考の隙をつくように、俺はもう一度訪ねた。
「さあ、どうしますか? どうやって、彼らからその保証を引き出しましょう? それとも今回は諦めて、次の機会を待ちますか? 恐らく、そのとき私とエヴァレットは、この里から立ち去っていると思いますよ?」
重ねて浴びせかける質問に、キルティは深く悩み始める。
しかし、今回はそう考えている時間はあまりない。
なにせ、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官たちは、今日一日泊まったら明日にはこの里から出て行くはずだからだ。
さて、キルティはどんな選択をするのかなと、うさんくさい笑みを浮かべて待つことにしたのだった。




