三十八話 異世界には、本物の媚薬がありました
この里長の家に一泊させてもらって、気が付いたことがある。
それは、とても落ち着かないということだ。
でも、寝具が合わずに寝苦しいわけでも、外の音がうるさいわけでもない。
では何が問題かというと、この家にはキルティを始めとする、ジャッコウの人たちのフェロモンが染み付いているようなのだ。
起きて何かをしている分にはあまり気にならなかったのだけど、寝ようとリラックスすると効果が強く現れるみたいで。
つまり『ある一部分』が、元気に主張をしだしたわけだ。
意識しないようにしても治まらず、かといって同じ部屋の別のベッドにはエヴァレットが寝ていて、実力行使の果てに元気をなくさせることもできなかった。
結果として、もんもんと夜を過ごす羽目になり、寝たという気にならなかったわけだ。
どうやらエヴァレットも同じように寝不足のようで、二人して目をしょぼしょぼさせながら食堂へとやってきた。
中に入ってみると、意外なことにキルティも寝不足みたいで、大あくびをしているところに出くわしてしまった。
「くあぁ~~……ああ、あははははっ。ゴメンね、口の中を見せちゃったりしてさ」
照れ笑いしながら席を勧めてきたので、俺とエヴァレットは大人しく座った。
キルティは俺たちの顔を見て、にんまりと笑う。
「どうやら二人とも寝不足みたいだね。昨日、かなり頑張っちゃったりした? シーツ取り替えておいた方が良い?」
下世話な話の後に、さらにぐふふと笑われて、ちょっとだけ腹が立った。
「貴女はどこの下ネタ好きの中年オヤジですか。何もなかったからこそ、寝不足なんじゃないですか」
俺が少しムスッとしながら言い返し、エヴァレットが恥ずかしげに俯く。
するとキルティは大笑いした。
「あはははっ。ジャッコウの里の住民は、相手を発情させやすい体質もあって、性におおらかな気風だからね。世間話に性的な話をするから、口を開けば下品だって言われるんだよね。特に、ここに来る聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官とかにさ。神遣いさまはどう思う?」
「……心のままに行っているのなら、いいのではないですかね」
「おや、さっき怒られた気がするのだけど?」
「そちらがどんな言葉を選ぶかが自由なように、それを受けたこちらがどう反応するのも自由なのですよ。もちろん、私は貶されたと感じれば、素直に怒ることにしてますので」
「あははははっ。怒っちゃいや~ん♪」
少しイラッとしながら、キルティのテンションの高さが少し気になった。
そういえば、彼女も寝不足みたいだったっけ。
「そういうキルティこそ、なにやら眠そうでしたけど?」
「そりゃあそうでしょうよ。昨日、他でもない神遣いさまから、自分の心を探れってお達しがあったばっかりだよ。だから昨日の晩、頑張ってずーっと悩んでいたら、いつの間にか朝日が昇ってたんだよね」
一晩中悩み続けていたなんて、里長をやっているだけあって、キルティの責任感は強いみたいだ。
「お疲れ様です。それで、心から欲するものは見つかりましたか?」
「いやぁ、それがなかなかね。自問自答を繰り返してさ、里の住民を幸せにしたいっていうのと、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒たちをぎゃふんと言わしてやりたいって感じにまとまったけど。なんか、まだ考え足りなさそうな感じなんだよね」
「昨日はいくつも上げていたことを考えれば、とりあえず二つに絞り込めているのは成果だと思いますよ?」
「いやはははっ。あ、でもさ、実は二つじゃなくて三つなんだった」
忘れていたと言ってから、キルティは舌で唇を薄っすらと舐めてみせる。
「最後の一つはね、神遣いさまと『ねんごろ』したいってことなんだよね」
「なッ!?」
声を出して驚いたのは、言われた俺ではなく、エヴァレットだった。
どうしてエヴァレットが反応したのかと、思わず不思議そうな目を向けてしまう。
すると彼女は、恥ずかしげに顔を伏せてしまった。
そして、キルティから笑い声が上がる。
「あはははっ。エヴァレットはいつもすまし顔だけど、結構反応がいいんだよね!」
楽しそうな様子に、俺は半目を向けてしまう。
「さっきのはエヴァレットをからかうための、冗談だったんですか?」
「うんにゃ、半分以上本気だよ。言ったでしょ、性に大らかな気風だって。気に入った人がいれば、とりあえずベッドを共にするのが、ここでの風習なんだよね~。香水があるから、子供が欲しいと思えば繁殖期を待たずに作れるしね」
……ジャッコウの獣人たちが、サキュバスと呼ばれている理由は、性に大らか過ぎるからなんだろうな。
それにしても香水――媚薬のことについて、少し気になる点があった。
「ジャッコウの里で作られる香水には、獣人を強制的に繁殖可能にする力があるんですか?」
「そうだよ。大昔の聖なる神と邪な神がたくさん居た時代、ジャッコウの力を持つ獣人は群れの長に謙譲され、お后さまにたくさんの子供を作らせる手伝いをしていた。なんて、おとぎ話が伝わっているぐらいだからね」
この話を聞いて俺はこう思った。
聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒たちは、ジャッコウの獣人たちを恐れたのではないかと。
それは、きっとこんな流れだったんじゃないかなと思う。
まず、元の世界では人間の生物的な長所の一つに、繁殖力の高さが数えられていた。
言い換えれば、繁殖期なく好きなときに子供を作ることができるという点が、長所とされていたわけだ。
この世界でも、この点は人間の強みになっていたはずだ。
しかし、ジャッコウの獣人がいると、繁殖期でしか子作りできないらしい獣人が、他の季節にも子作りが出来るようになるみたいだ。
これでは人間の長所の一つが、損なわれてしまうことに繋がる。
だから聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒たちは、聖教本にジャッコウの人たちは悪しき者と書き記して迫害した。
けど媚薬を失うには惜しいと感じ、隔離政策をとって飼い殺しすることに決めた。
そう考えると、ジャッコウの人の立場も見えてくる。
きつく首輪をかける必要がある、反抗してきたとしても、滅ぼすわけにもいかない者たち。
里長にだけあの草の煙を吸わせ、住民には蔓延させないようにしているあたりに、その思惑が透けているな。
そこで、俺に視線が向けられていることに気が付いた。
「どうかしましたか?」
その視線の主である、キルティとエヴァレットに尋ねると、少し困った顔をする。
「ボクの発言の後に、急に黙り込んじゃったから、どうしたのかなって」
「しかし、なにやら深く考えている様子でしたので、声をかけることを躊躇いました」
「ああ、そうでしたか。すみません、少しジャッコウの香水のことで考え事をしていました」
謝罪を入れると、キルティは使用人を呼び寄せて何かを伝える。
すると、使用人は食堂かでていってしまった。
どうしたのかと思っていると、キルティが思惑ありげな微笑みを向けてきた。
「どうやら、香水のことが気になるようだからさ、最高級品を一瓶あげるよ」
「……聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒との取引につかうのに、いいのですか?」
「いいって、いいって。渡すのは多くが低品質で、高品質のは量を制限してきたから、数は余っているし」
使用人が戻ってきて、俺の目の前にコルク栓と封紙で密閉された陶器の瓶を一つ置いた。
目礼をしてから持ち上げ、栓を開けずに匂いを嗅いでみた。
薄っすらと獣っぽい匂いがして、あまりいい匂いとはいえない感じ。
なにより、町中の匂いを嗅いだときに感じた、脳が痺れるような感触はなかった。
これ、本当に効き目のある媚薬かと、首を傾げてしまう。
すると、キルティがにんまりとした笑みを浮かべた。
「それはね、女性に使うほうの香水なんだ。一垂らしぐらいの量で、鋼鉄な心を持つ乙女もぐでんぐでんに発情させちゃうぐらい、落ちない女はいない強力な香水だよ。ああ、エヴァレットに渡したのは、男性に使うほうね」
キルティの言葉に驚いて横を見ると、エヴァレットの前にも同じような瓶が置かれていた。
違いは、封紙に赤い点が書き込まれているぐらい。
身振りで断りを入れてから、その瓶を手に取る。
さっきのキルティの発言を考えて、少し離したところから匂いを嗅いでみた。
柑橘系の濃い匂いが感じられ、それと同時に脳を下から殴りつけるような衝撃を感じた。
「ぐッ……」
防衛反応で自動的に手が動いて、瓶を遠ざける。
その間、俺は強い目眩に襲われていた。
いや、実際には目は回っていない。
ただ、自意識が強く揺すられている感じがして、さらになかなか治まらない。
これほど強い効果があるなら、もし瓶の栓を抜いて直接嗅いでいたら、意識が吹っ飛びそうな予感がする。
なるほど、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒たちが欲しがるわけだって、納得してしまう。
性的な衝動が治まるのを待っていると、キルティがねっとりとした声で喋りかけてきた。
「神遣いさま。お辛いようでしたら、すぐ隣にベッドが用意してあるんだけど。一緒にいかない?」
「……いや、遠慮しておきます。よほどに堪えるようなら、回復魔法をかけますから」
「ちぇっ。そういえば、神遣いさまにはそれがあったんだよね」
一転してあっさりと引き下がってくれて、俺は強く安堵を感じてしまう。
だんだんと落ち着いてきたので、ステータス画面を呼び出して、アイテム欄に男性用女性用とも媚薬を投げ入れておく。
アイテム名は『ジャッコウの強媚薬』か。区別は名前の後に♂と♀で分かるようになっているみたいだ。
今後活躍の場がないことを祈りたいと思っていると、エヴァレットの声が聞こえた。
「あッ……」
俺が男性に使う用のまでアイテム欄に入れてしまったことを、とても残念がっているように見えた。
「エヴァレット。もしかして、使ってみたかったんですか?」
「い、いえ、神遣いさまにお預けします。危険ですから」
顔を横に振って、慌てて否定する姿を見て、キルティが面白そうに微笑む。
「在庫はまだあるんだから、もう一瓶上げようか? 今日の晩に、燃え上がるためにさ?」
「い、いらん! キルティ、余計な真似はするなよ、絶対するなよ!」
それは本心なのかフリなのかと、俺は少し考えてしまい、キルティはさらに面白そうな顔になる。
しかしここで媚薬の話はお開きになり、朝食が俺たちに配膳される運びとなった。
相変わらずの美味しさに、思わず頬がにやけそうになっていると、慌てた様子の使用人が食堂に入ってきた。
「里長さま、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒の先触れがきました。本日の夕方に、こちらに到着する予定だそうです」
「チッ。まだ期日は先だったはずなんだよなー。ああ、分かっていると思うけど」
「はい。この屋敷とは別の家に、先触れの人を滞在させてあります」
「色々と歓待してやれ。そいつの相手をしたい住民がいれば、宛がってやってもいいからね」
使用人は頭を下げると、慌しく外へと出て行った。
そしてすぐに、屋敷の中を人が行き来する足音が聞こえてきた。
キルティは苦笑いしながら、こちらに顔を向けてくる。
「せっかく治してもらって悪いけど、夕方までに毒煙を吸いまくって、意識を呆然とさせなきゃならなくなっちゃったよ。あいつらは泊まらないだろうからさ、明日また治してくれると嬉しいな」
そのぐらいならと請け負いつつ、お願いを一つする。
「もちろんですよ。それと、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒となにかを話すのであれば、私たちも聞いてみたいのですが」
「そういうことなら、ボクの寝室の横の部屋にいるといい。壁がそんなに厚くないから、話し声なら聞こえるだろうし。ただし、気付かれないように静かにしててよ」
そう注意をすると、キルティはぱくぱくと朝食を素早く平らげ、使用人に指示を出しに食堂から出て行ってしまった。
俺たちは逆に、食堂で大人しくしていた方が良さそうなので、ゆっくりと朝食を食べることにして、デザートまで確りと堪能したのだった。




