三十七話 美味しい食事と心を探る大切さを伝えましょう
夕食時になり、俺とエヴァレットは屋敷の食堂に、使用人に案内されて入る。
すでにキルティは席についていた。
俺たちが入ってきたのを見て、席から立ち上がって迎え入れてくれる。
「やあやあ。お二人のお蔭で、煙なしで食事がすることができるよ。これだけでも感謝しないとね」
「いえいえ。キルティの願いの一部を聞き届けただけですよ。それにしても、立ち上がっても大丈夫なんですか?」
元の世界の常識には当てはめられない光景に、俺は首を傾げていた。
俺が使った魔法は、状態異常を回復させるだけのもので、怪我や体力が回復する効果はなかったはず。
なのに、毒の煙で臥せっていたはずのキルティは、元気に立ち上がっているからだ。
その疑問に答えるように、キルティは忌々しいことを思い出したような顔になる。
「ああ、大丈夫だよ。あの毒煙の草、あれって聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒が秘匿している、回復薬の原料の一つみたいでね。使用者は飲まず食わずでも、死ぬことはないんだよ。それどころか、むしろ健康になるのだとさ」
「でもその代わりに、常用者の意識が希薄になるのなら、なんとも変な草ですね」
「本来は重病人とかに使うって言っていた気もするけどね。いや、あの反吐が出そうなヤツラのことを話すのは止めよう。せっかくの食事が味気なくなってしまうよ」
さあさあと席を勧められて、俺は笑顔で応える。
「それもそうですね。それではご相伴に、預からせていただきます」
「ここの食事をエヴァレットは気に入って、バクバク食べていたけど。この里は肉を食べる獣人が少なくてね、基本的に野菜中心な献立になってしまうから、人間の神遣いさまにの口に合えばいいんだけど」
「嫌いな野菜はないので、楽しく食べられると思いますよ。それにしても、エヴァレット。そんなにここの美味しいのですか?」
話を向けると、うつむき加減で言い難そうに語ってくれた。
「は、はい。お恥ずかしながら、大変に美味しかったこともそうですが、旅の間は新鮮な野菜が手に入らないので、思わず遠慮なく食べてしまいました……」
「あはははっ。あのときのエヴァレットは、残飯だったとしても喜んで食べそうなほど、行き倒れ寸前だったからね。怒らないでやってよ」
「いえいえ、怒るなんてとんでもない。心から美味しい料理を楽しむことも、自由の神は勧めていらっしゃいます。むしろこの話を聞いて、私もこの里の食事が大変楽しみになりましたよ」
「食べる前にそう持ち上げるものではないよ。配膳する側が緊張してしまうじゃないか」
話はこのくらいでと、キルティに再び席を勧められて、俺とエヴァレットは着席した。
するとすぐに、カートに乗せられた料理が運ばれ、キルティ、俺、エヴァレットの順に配膳がされる。
最初に配られたのは、琥珀色に透き通ったスープで、この世界では初めて見る白い陶器の皿に入れられていた。
「この皿は、この里で作っているのですか?」
珍しく思ってそう尋ねると、キルティが首を横に振った。
「いやいや、この皿は媚薬香水の代金さ。この里に悪しき者はいない、って体裁にして場所を秘匿しているらしくてね。会計係が不審に思わない程度に、代金を払わないといけないんだそうだ。単にお金じゃなくて、こうやって物にして払っているのは、いくらか懐に入れているからなんじゃって、ボクは睨んでいるけどね」
やっぱり、香水は媚薬だったか。
それにしても、この香水を手に入れている人たちは、とても儲けているだろうな。
ジャッコウの里から香水を安値で買い、代金は物品で払うけどお金を中貫きし、媚薬だから好事家に高値で売れる。
こうして俺が考え付く限りで、三ヶ所も金が増える構造があるんだから、専門で頭の良い人ならもっと稼ぐ方法を考えられるんだろうな。
「でもそれだと、この里にお金が入ってこなくて困るんじゃないですか」
「あはははっ、そんなことはないよ。獣人は人間より力が強くて体力もあるからね、沢山ある畑で大量の野菜を作れるから、貧困とは縁がないのさ。けど、里で採れないものや作れない食べ物なんかもあるから、そっちで代金を払ってほしいんだけどね」
きっと輸送と量の関係で、キルティの望みは適わないだろうな。
元の世界でも、ブランド物の皿一枚の値段で、ありふれた野菜ならキロ単位で買えちゃうぐらいだったし。
技術水準が低そうなこの世界なら、白磁の皿数枚で、トン単位で小麦粉が買えても不思議じゃないと思う。
そんな益体もないことを考えながら、銀色のスプーンでスープを口に運ぶ。
味付けは塩だけで、動物の出汁は一切入っていないようだけど――
「――美味しいですね。なんといいますか、様々な野菜の味が溶け合い調和していて、味に深みがあるという表現がぴったりなスープですね」
料理を表現する語彙の乏しい俺では、この洗練された味をどうやっても伝えられないだろう。
けど、これが本当の料理かと感動しながらも、スープを口に運ぶ手が止まらないことで、この美味しさが伝わらないかと思ってしまう。
ちらりとエヴァレットを見ると、俺と同じようにスープをスプーンですくって飲んでいる。
俺たちのそんな様子を見ていたキルティから、可愛らしいお腹の音が聞こえてきた。
「あ、あはははっ。二人があまりにも美味しそうに飲むものだから、ついね。さて、ボクも食べようっと」
そこからは、配膳される料理の感想を言い合いながらの、楽しい食事になった。
本当に野菜ばっかりだったけど、料理の仕方がいいのか、一品一品満足のいく出来栄えだった。
でもやっぱり、人間の男性だけあるので、メインの骨付き肉の香味焼きを味わったときは、格別のものがあったけどね。
そうして、締めに出されたフレッシュチーズを堪能していると、キルティが少し真剣な目をこちらに向けてきた。
「どうやら、ここの料理は口に合ったようで安心したよ。それで提案なんだけど、二人ともこの里で暮らさないかな?」
「……それはどういう意味でしょう」
チーズの味を水で洗い流しながら問いかけると、キルティは苦笑いする。
「神遣いさま。貴方に言われた、心からの願いというものを考えてみたのです」
俺とエヴァレットが真剣に話を聞く体勢になると、キルティは静々と語りだした。
「毒煙を吸うしか意識が保てないときは、この体が治ればと心から願ってた。しかし、こうして体が治ってみると、色んな欲が出てくるんだよ。毒煙を吸っても大丈夫な体になりたい。もっと美味しい料理が食べたい。里のみんなをより平和に暮らさせたい。聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの影響を排除できたら。心に浮かぶ欲求全てを口に出したら、一日語っても尽きないような願いが次から次へですよ」
少し恥ずかしそうに語っているので、自由神の神官として訂正を入れておこう。
「今まで、あの薬に縛られていた反動でしょう。なにも恥じるようなことではありません」
「そう言ってくれて助かるよ。でもさ、神遣いさま。このお願いを、貴方は叶えてくれるわけじゃないんでしょう?」
「そうですね。私は貴方の願いを叶えるのではなく、叶えるお手伝いをするだけですから」
断りを入れると、キルティは残念そうな顔になる。
しかし予想通りだったようで、すぐに切り返してきた。
「だからこそ神遣いさまに、この里に暮らして欲しいんです。そして私の願いが叶う手助けをしながら、里の人たちの願いを叶える手伝いも行ってもらえればなって」
「それはとても、虫のいい考えですね」
「そうだね。けど、ボクはこの里長だからね。この里が良くなるためなら、なんだってやるつもりだよ。そのために必要な、神遣いさまを逃すつもりはないってことは覚えておいてよ」
獲物を狙うようなキルティの目を見て、厄介な状況になりつつあることを悟る。
けど、慌てて逃げ出すような状況じゃ、まだないとも思う。
なので、まずはキルティの勘違いから正していこう。
「聞いていれば上っ面な願いばかりで、まだ自分の本心がまだ分かっていなようですね。貴女の心が澄み切るまでには、まだまだ時間が必要なようですね」
俺が願いを否定するようなことをいったからだろう。キルティは一瞬だけ怒り顔になり、慌てて笑顔になる。
「なッ!?――ま、またそうやって、煙に巻くつもりなのかな?」
「煙に巻くもなにも、私が貴女に抱いた本心からの感想ですよ。いえ、いい機会です。少し自由神の教義を、教えてあげましょう」
軽く咳払いしてから、真剣なまなざしを作って、キルティに向ける。
「いいですか。人の心の奥底から欲するものは、たった一つしかない。これが自由神の教えの、大前提です」
「……そんなわけないじゃないか。さっきも言ったように、ボクは沢山の願いがある」
「たしかに、いろいろと願いを言いましたね。けれど、先ほどの願いをまとめて一つに言い換えることができますよ」
願いを否定されたキルティは、憮然とした態度で俺に先を促す。
「私が聞いた限り、貴女の願い発端は、生きたいと思っているという点に集約されます。そうご自身で思いませんか?」
「それは……たしかにそうだね。ボクは生きたいと思っている。けどそんな願いは、生きている人なら当たり前じゃないかな?」
「おや、本当にそうでしょうか。自分の命を投げ打ってでも、ある願いを叶えたい。そういう人は、どこにだっていると思いますよ」
「それも、そうだけどさ……」
いまいち納得の一定ないキルティに、俺は笑顔を向ける。
「だからこそ、私は貴女の心が澄んでいないと言ったのです。人は心の奥底にある願いを自覚したとき、全てを捨ててでも叶えようとするもの。キルティはそこまでの境地には、至っていないでしょう?」
諭すような言葉で伝えると、キルティは少し納得がいっていない表情になった。
「そんな人ばかりじゃないと思うけど。だれだって、いま持っているものは大事で、それを手放すことは苦痛になると思うし」
そう言う考えも当然だ。
けど、それは違うのだというのが、俺が崇める自由神の言葉なのだ。
「自由神の教えでは、それはまだ自分の本当の願いに気がついていないだけなのです。例えば、愛した人を振り向かせようと心から願ったとき、人はいままでの自分の容姿から性格まで変えるほど、必死になって愛する人を得ようとすることでしょう。では、貴女がさきほど語った願いは、そのぐらい真剣なものだったと、そう言えますか?」
「ううぅ……にゃーーー!! もう、わけ分からなくなったー!!」
考えすぎて頭が激発したように、キルティは突然大声を上げる。
そして、ぐったりと椅子に背を預けた。
「難しいこといわれたって、分からないよ。所詮ボクは、毒の煙を吸うだけがお仕事だった、お飾りな里長だし~。最近は自失している時間の方がながかったし~~」
完全に拗ねてしまったみたい。
使用人とエヴァレットから、どうするんだよって目で見られてしまった。
仕方なく、俺は咳払いを一つしてから、自由神の教えを伝えなおしていく。
「こほん。キルティ、そう投げやりにならないでください。自分の心というのは、他の人からは全く見えず、自分でも良く見えないものです。なので、心の奥底からの願いも、同じように見えないのが当然なんですから」
「むぅ……ならさ、どうして本当の願いの話をしたのさ」
「それは単に、貴女が自分の心と向き合うために必要なことだったからですよ」
慰めと諭しを入れると、少しキルティの機嫌が持ち直したようなので、話を続けることにした。
「貴方は、心の表面に浮かんだ欲求を、心からの願いだと誤解していたのです。それを私は、そうじゃないんですよと、正したかっただけなのです」
「……なら、どうやって本当の願いを探すのさ。心は自分でも良く見えないって、さっき言ってたじゃないか」
「はい、まさしくそこですよ、私が貴女に伝えたかったことは」
話が長くなってしまったと態度で示しながら、キルティに心の探りかたを教えていく。
「やり方は簡単です。まず心の表面に浮かんだ欲求、例えばもっと美味しい食事を食べたいと思ったことに対して、どうしてそう思うのかと自分自身に尋ねるのです。さてキルティ、答えをどうぞ」
「え、美味しい食事を取りたい理由……うーん、不味いより美味しい方が、いいからじゃないかな?」
「どうして不味いと駄目なのでしょう。お腹が膨れるだけなら、味なんて関係がないと思いませんか?」
「ええーっと……たぶん、この里では飢える心配がないからかな。余裕があるから、美味しいものが食べたいんだよ」
「はい、ということはですよ。キルティは、飢える心配があったのなら、美味しいものは食べなくていいってことですよね。お腹がとても減っていたら、一欠けらの絶品のパンよりも、不味くても大きなパンが食べたいのではありませんか?」
「それは、たぶんそうかも。美味しくても、一欠けらじゃ満足しないと思うし」
「では、美味しいものを食べることは、心の底からの願いではないのではないでしょうか。本当に美味しい物を追い求める人なら、例え飢え死ぬと分かっていても、美味しいパンの方に手が伸びるはずですから」
「うーん……そうなるの、かなぁ……?」
これ以上やると、また激発されそうなので、心を探る話を終えることにした。
「と言う風に、心の表面に浮かんだ願いを足がかりに、心を深く探っていくことこそが、自由神の教えを悟る一つの方法です」
「……一つということは、もっと簡単な方法があったりしない?」
キルティが安易な道を要求してきたので、軽く灸をすえてやらねばならないだろう。
「ありますよ、それも一瞬で自分の心が分かる方法が」
「おお、それ、それをやれば、悩まなくても――」
「後一歩で死ぬということろまで、自分を追い込めばいいのです。むしろ、死にかければいいのです。生命の危機を目の前にすれば、人はああすればよかったと後悔を抱きます。それが貴女の心底からの願いに、もっとも近いものです」
「し、死にかけても、願いは見えないんだ」
「ええ。どうしてそれが後悔なのか、自覚して一歩さらに踏み込まねば、悟れないものだと言われていますね」
どうしますかと笑顔で問いかけると、キルティは首を横に振った。
「いやいやいや。やっぱり、簡単な道は駄目だよね、うん。地道にいくよ、地道に」
「はい。では頑張って、自分の心底から思う願いを探ってみてくださいね。最悪、心の表面の願いじゃなければ、私は叶えるお手伝いをする気はありますので」
「あはははっ、頑張ってみるよ」
話が一段落して、食べかけのフレッシュチーズを食べなおしていると、ふとエヴァレットが静かなことに気がついた。
目を向けると、難しそうな顔で腕組みして、うんうんと唸っている。
「エヴァレット、どうかしましたか?」
「試しに、自身の心の底を見ようとしているのですが、なかかなに難しくて思うようにいきません」
疑問に答えてくれてからすぐに、またうんうんと唸り始めた。
キルティも額に手を当てながら、じっくりと考えているみたいだ。
二人の邪魔をすると悪いので、俺はフレッシュチーズを味わうことに神経を注ぐことにしたのだった。




