二十六話 異世界の森を歩くのは大変です
村を立ち去り、ペンテクルスたちの襲撃を退けた俺とエヴァレットは、森の中にある獣道を歩いていた。
先導するのはエヴァレットで、俺が貸し与えた鉈で枝葉を斬りながら進んでいる。
かなり堂に入った動きで、流石はダークと言えどエルフ。とても森歩きに慣れているみたいだ。
貸した鉈は、仮想現実没入型ネットワークロールプレイングゲーム(VRMMORPG)であるフロイドワールド・オンラインで、NPCの店で買った物だ。狩人に偽装するときに使っていたものだけど、なかなか切れ味は良さそうに見える。
そんな中、俺はエヴァレットの後に続きながら、前の世界ではやったことのなかった森歩きに苦戦していた。
張り出した根、体を突付く枝、微妙な傾斜が歩くたび変化する地面。
そのどれもが歩き難い。
フロイドワールド・オンラインで森を歩く経験はあったけど、仮想現実の森は自然風味に整えた公園ぐらいに、とても歩きやすいものだったので、カウントには入らない。
そんな慣れていない行動でも、ゲームキャラだったトランジェの体で転移したからだろう、息切れはしていない。
しかし、歩くのがどうしても遅くなりがちで、たびたびエヴァレットに心配されてしまう。
「神遣いさま、平気ですか? 休憩を取りしょうか?」
「いえ、大丈夫です。歩きやすい道ばっかり歩いてきたので、こういう場所に慣れてないだけで、まだ疲れてませんから」
「そうですか。なら先に進みます」
またバサバサと鉈で枝葉を斬りながら、エヴァレットは進んでいく。
おんぶに抱っこの状態で申し訳なく思う。
なので、鉈を振り続けて疲れるであろうエヴァレットに、休憩の際には回復魔法をかけてやろうと、密かに決意する。
しかし、こうやって森を歩いていると、ゲームなら会敵するのが普通なのだけどなぁ。
聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの教徒を尋問した際に、この世界には魔物がいるって話だったけど。
そんな事を考えて、条件が成立してしまったのか、エヴァレットが鉈を振る手を止めて身構える。
「神遣いさま。魔物気配がしますので、注意してください」
エヴァレットの長い三角耳が小刻みに動いていることから、魔物の音を拾ったようだ。
「魔物ですか。どんな相手か分かりますか?」
「恐らくは動物型ではないかと。もう直ぐきます」
注意を受けて、杖を手に身構える。
そこから十秒も経たないうちに俺の耳にも、こちらに迫ってくる、何かの音が聞こえてきた。
音のする方向に顔と杖の先を向けて、攻撃準備を整え、口を軽く開いて魔法の呪文を唱えやすくする。
そして、茂みが揺れて、この世界で初となる魔物と対面した。
「でかい!?」
「JYUBIGIIIIIIIIIIII!」
出てきたのは人間の胸元まで大きさがありそうな、大きなウサギだ。
そいつは俺とエヴァレットを見ると、襲いやすそうだと思ったのか、俺の方へと飛びかかってきた。
開いた口から見える門歯が、キラリと危険な光りを放っている。
「って、噛みつかれたらたまりません!」
俺は咄嗟に杖を強振して、大ウサギの顔面を殴りつけた。
フロイドワールド・オンラインでは趣味武器で二級品の攻撃力だった、この隠し刃つきの杖。
けれど、この世界では十分な威力があるみたいで、大ウサギの顔面の骨を砕く感触が、俺の手に伝わってきた。
「BIGUIIIIIIIIII!?」
地面に倒れて鼻と口から血を流す大ウサギに、エヴァレットが気合と共に鉈を振り下ろす。
「りぃやああああああああああ!」
「BIJYUIIIIII!?」
ざっくりと喉元に刃が入り、赤い血が噴出してきた。
しかしそれでも即死は無理だったようで、大ウサギは体に見合わない俊敏さで、俺たちから逃げようとする。
「逃しません――」
俺は杖の先を大ウサギに向けながら、魔法の呪文を唱える。
「――信奉する自由の神よ。目前の敵を打て!」
杖の先から、野球ボール大の光の球が発射され、大ウサギに直撃した。
弾き飛ばされて木の幹に激突し、動きが止まっているところに、エヴァレットが走り寄る。
「りぃいああああああああああ!」
気合と共に、今度は頭を鉈でかち割った。
そこまでされると命を保っていられないのだろう、大ウサギは地面に倒れて動かなくなった。
鉈を抜いているエヴァレットの横で、俺は杖で大ウサギをつついて生死を確認する。
どうやら、ちゃんと死んでいるようだ。
「これが魔物というものなのですか?」
「はい。動物のウサギに似た魔物で、ラッビヘアといいます。美味しいですよ」
ウサギの英語のラビットに似た響きだなと思って、うっかり後半を聞き逃すところだった。
「これ、食料になるんですか?」
「もちろんです。動物型の魔物の肉は、ほぼ全て食べられますよ。ラッビヘアは個体数も多いので、ダークエルフの集落にいたときは、よく狩って食べたものですよ」
それほど身近な食材らしきラッビヘアの死体を前に、俺はフロイドワールド・オンラインのときと同じ仕草で、ステータス画面を開く。
そしてそのアイテム欄に入らないかを、画面に死体を押し付けて試してみる。
人間の死体でもダメだったから期待はしていなかったけど、動物の死体でもダメみたいだ。
この世界の住民には見えないからか、エヴァレットは俺の行動を不思議そうに見ているが気にしない。
しかしこうなると、次に確かめたいことがある。
「この魔物の耳を切り取ってみてもいいですか?」
「毛皮に傷がついたので、頭から上は破棄する予定でしたので、構いません」
杖を捻って留め金を外し、隠し刃を引き抜き、それでラッビヘアの耳を切り取る。
それを画面に押し付けると……おー、中に入った。
アイテム欄にある、異世界取得物フォルダを見ると、ちゃんと『ラッビヘアの耳』が入っている。
ということは、どうやら死体から切り放して、素材化ないしは食材化してからならアイテム欄に収めることができるようだ。
知らなかった情報を手に入れ、この世界での過ごし方の幅が、また一つ広がったな。
そうやって感慨深くいるうちに、エヴァレットはラッビヘアの解体作業に入っていた。
俺が前に与えたナイフを取り出し、表面を大きな葉っぱで拭ってから、毛皮を剥ぎ始める。
意外とすんなりと剥がれた皮の上で、肉を切り開いて骨を抜いていく。
「骨は使わないのですか?」
「内臓と骨は痛みやすいので、すぐに食べないのでしたら、捨てておくほうが良いです。その際には、頭を別のところに埋めておくと、より良いですね」
「それはまたなぜ?」
「大昔、邪神が健在だった頃、骨を一まとめに置いておくと、動く骸骨となって蘇ったのです。この処置は、その名残だと言われています」
「その動く骸骨というのは、スケルトンってやつでしょうか?」
「少し違いますが、おおむねそんな解釈でよろしいかと思われます」
今はいないみたいな言い方だったけど、この世界にもスケルトンはいたんだと、変に感心してしまう。
……そういえば、フロイドワールド・オンラインには、スケルトンを作る魔法を信徒に授ける邪神がいたっけ。
俺は自由神の唯一の加護である、自由度の拡張によって、その魔法が使えるんじゃないかな。
ステータス画面から使用可能な魔法一覧に飛び、スケルトンや骸骨で検索をかける。
おっ、あったあった。ちゃんと人間用や動物用とか、使う骨の種類で分かれているな。
作ったスケルトンを、アイテム欄に保存する魔法もあるな。
そう考えると、死体をそのままアイテム欄に保存することも、魔法で出来るかもしれない。
エヴァレットがラッビヘアの解体を終わらせたから、調べるのは後にしよう。
「エヴァレット。解体が終わったのならば、その肉と毛皮はこちらで預かりましょう」
「いえ! 神遣いさまに持っていただくなんて、恐れ多いにも程があります!」
「エヴァレットには鉈を振るって道を開いてもらっているので、このくらいはさせてください。それに忘れているようですけれど、私にはこういう特技があるんですよ」
肉と毛皮に画面を押し当てると、一瞬にしてアイテム欄へと収納された。
俺のステータス画面が見えないエヴァレットには、手品のように見えたことだろう。
目を見開いて驚くエヴァレットに向かって、俺はラッビヘアの大腿骨を一本掲げ見せてから、同じように収納した。
そこでようやく、俺が物を虚空から出し入れする――ようにエヴァレットには見える――事を思い出したようで、恥ずかしげにする。
「そうでした。神遣いさまは、自由神なるお方の力をお使いになるんでした」
「その通り。こういう特技があるので、物を持つぐらいはやりますので、遠慮しないで頼んでくださいね。でも、なぜか死体は解体しないと入れられないようなので、その点だけはお願いしたいのですけれど、いいですか?」
「はい! 神遣いさまのお役に立つことこそ、我が喜びに他なりません!」
相変わらず態度が固いな、っとは思いつつ、森歩きを再開する。
そこから十分も経たずに、またエヴァレットが立ち止まった。
「また魔物ですか?」
「どうでしょうか。少なくとも、何体かこっちに近づいてくるみたいです」
俺たちは再び戦闘態勢に入り、出てくる相手を待つ。
だが今度の相手は、ある一定の距離まで近づくと、こちらに声をかけてきた。
「この森、この場所、ワガ種族のモノ。出て行く!」
「「デテイク! デテイク!」」
片言の言葉だったけど、俺たちに退散を求めているみたいだ。
ここまで道案内してきたエヴァレットに視線を向けると、心配しないでいいといったジェスチャーをしてきた。
そして周囲に響く声と凛とした振る舞いで、見えない相手に語りかける。
「知らせずの訪問、失礼した。私はダークエルフの種族で、名をエヴァレットという。悪しき者と人間たちに蔑まれる同胞よ、警戒しないでいただきたい!」
声が木のざわめきと共に森を駆け抜けると、見えない相手から戸惑った雰囲気がこちらに伝わってきた。
「ギギィ。ダークエルフ、分かった。けど、なぜニンゲンといる。裏切りか!?」
「「ウラギリカ! ウラギリカ!」」
「ならば、容赦しない。裏切り、ニンゲンと、殺す!」
「「コロス、コロス!」」
物騒な状況になりつつあっても、エヴァレットは余裕そうに言葉を返す。
「馬鹿者め! このお方を他の人間と一緒にするんじゃない! このお方こそ、我々悪しき者と蔑まれる者たちの救世主だ! この世で、おそらく唯一聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスとは異なる神の力を行使する、神遣いさまであらせられるぞ!」
怒声とも取れる大声を受けて、相手の戸惑いがさらに深まった感じがした。
「も、もう一度、言え。よく、分からない」
「このお方は、邪神の力を使える神官だ。さっきは、そう言ったのだ!」
簡単な言葉に言い換えたようだけど――いや、自由神は邪神じゃないよ、中立神だからね。
フロイドワールド・オンラインでも、法秩序を壊す神として正しき神に嫌われていたけど、あくまで中立神だから。
でも、そう訂正できる場面じゃないよなぁ……。
「ギギィィ、邪神さまの、神官!? わ、分かった。ちょっと、待て!」
「「ドウシタ、ドウシタ?」」
俺が邪神の神官だと伝えられてすぐに、茂みの奥がガサガサ揺れて、何者かが出てきた。
数は三つ――いや、人型の生き物だから、とりあえず三人と言っておこう。
身長は百三十ぐらいが一人、百十センチぐらいが二人。
その三人とも、緑色の肌をしていて、低い鼻、先が尖った歯、少し大きい耳で、ちょっと猫背。
うん、どこからどう見ても、ファンタジーの定番、ゴブリンだった。
ただ、腰ミノ装備ではなく、普通の人間のような服を着て、手には金属製の武器を持っている点が、定番とは違っている。
その姿形を観察していると、大きいゴブリンが、小さいゴブリン二人を押さえつけながら、地面に平伏した。
「ギギギィ、神官さま。どうか、お許しを!」
「「オユルシ! オユルシ!」」
これはどういうことかと思っていると、エヴァレットから助け舟が出た。
「神遣いさま。悪しき者とされる、ゴブリン種族の者たちです。お言葉をかけていただければと」
あ、やっぱり、この三人ゴブリンなんだ。
けど、声かけねぇ……。
じゃあ、神官らしく許しの言葉でも授けますか。
「貴方たちは、警戒するだけで、こちらを襲ってきませんでした。その分別ある行動は褒められるべき点です。許しましょう」
偉ぶって言葉をかけたのだけど、反応が鈍い。
どうやら、うまく伝わっていないみたいだ。
では、言い換えて、もう一度。
「無礼、許す。もう気にしてない!」
「ギギィィ! ありがとうございます!」
「「ギギギィィ! アリガトマス!」」
うん、このぐらい簡単で単純な方が伝わるみたいだ。
しかし、このゴブリンたち、ありがとうと言い続けて一向に頭を上げる気配がないのだけど、どうしたらいいのだろうか。
困り果ててエヴァレットを見ると、気のすむまでそのままでというジェスチャーだけが返ってきたのだった。




