番外二十六 自由神教団の自由な日常
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六月二十日に、自由(邪)神官、異世界でニワカに布教する 書籍版が発売します。
ガガガブックスという新書サイズの本ですので、お間違えなきようにお手に取っていただけたら幸いです。
自由の神教団。
新国にて、国教となった神を崇めている人々の集まり。
しかし自由の神とは、この世に長く人々を慈しんできた聖大神の教えたる、聖教本には記されていない謎の神である。
その教義は単純にして明快に、一つだけしかない。
『自分の心に従って行動せよ』
このたった一つしかない教義でも、自由の神教団では、この教えに従うも破るも己の判断として、信者に努めて守らせようとはしていない。
その宗教としてはあるまじき姿勢を見た他の神を信じる者たちは、彼らに奇異な感想を抱くに至っている。
「自由とは聞こえがいいが、なにをするのかあやふやに過ぎる」
「自分の心に従えというが、それは人生の道しるべとなり得るようには思えない」
「そも、あの神を信じている人たちは、本当に神を信じているのだろうか。己自身を信じているのではないのだろうか」
こんな風に、教義自体は単純明快ながら行動が個々人によって違う信徒たちを、他の神を信じる人たちは理解できないでいた。
その摩訶不思議さゆえに、国教の座を狙って自由の神教団にちょっかいを出そうとする人は少ない。
『人は、理解できないものに恐怖を抱く』
使い古された言葉ながら、自由の神教団と周囲の関係を指し示すに、相応しい言葉といえた。
しかしながら、人の心は千差万別。
『未知なるものを知ろうと動くことこそ、人の性』
知識欲に突き動かされた人たちが、自由の神とその信徒たちのことについて知ろうとすることは、その性に照らせば頷ける流れであった。
元聖都こと新王都にある、自由の神教団の総本部に数人の取材者がやってきていた。
その者たちの思惑は、それぞれ違っている。
単なる知識欲から、謎とされる教団に迫ろうとする者。
取材にかこつけて、教団上層部と繋がりを持とうと画策する者。
己が信じる神の教団を繁栄させるために、自由の神教団のアラを探そうとしている者。
そんな別々の考えを抱いている者たちの前に、一人の女性信者が現れた。
彼女は黒色のローブだけを身に纏った質素な佇まいで、細目と口元で微笑んでくる。
「皆様、ようこそおいで下さいましたね。本日、本部の案内をさせていただきます、ウィクルと申します。よろしくお願いしますね」
深々と礼をした後に上げた彼女の顔を、取材者たちはまじまじと見る。
なにせ、彼女の顔には二つの糸目の他に、額に大きな一つ目がついていたのだから。
彼らの視線の先を知ったウィクルは、意外そうな顔になる。
「皆様は、通常と少し異なる特徴を持つ人を見るのは初めてなのですね?」
うんうんと頷く取材者たちに、ウィクルは改めて微笑んだ。
「それは良き機会ですね。私という存在を通して、新しい見識を得られたということですからね」
彼女の言葉に、どう反応するか迷う取材者たち。
そんな彼らの混乱を無視するかのように、ウィクルは通路の先へと手を向ける。
「先に参りますね。でも私の目のことで驚いているようだったら、いまから見る数々に、驚き疲れてしまうかもしれませんね」
先導して歩くウィクルに、取材者たちはついていく。
その際にすれ違う老若男女の多くが、人とは少し違った特徴――例えば腕が一対多かったり、肌色が緑色だったり、目が一つしかない人である。
取材者たちはぎょっと目を見開くが、異形の彼ら彼女らは驚いている様子がおかしいかのように微笑んでから、一礼してから去っていく。
何組かの人たちとすれ違った後で、取材者の一人がウィクルに問いかける。
「随分と、その、少し変わった人が多いようですが。総本部にいる多くの人は、ああいう人なのですか?」
「いえいえ。貴方たちと同じように、一対の手足と目を持つ普通の人も多くいますよ。ただ、外からのお客さんが珍しいから、用もなく覗きに来ているのですよね」
ウィクルが『コラッ』と軽く睨むと、通りかかった信者たちは少しバツが悪そうにしながらも、怒られたことが嬉しいように笑いながら去って行く。
その様子を見て、質問していた取材者が自分を指さす。
「俺たちが、珍しいですか?」
「そうなんですよ。なぜか、私たちは怪しい教団の信者だと思われていて、自由の神に馴染みのない方々は来られないんですよね」
からっと笑って、ウィクルは通りかかった庭園に手を向ける。
そこには普通の人の体躯を持つ信者が、様々に容姿が違う子供たちを相手に遊んでいた。
「まあ、ああして少し変わった特徴を持つ子を引き取るような教団ですからね。他の普通の人ばかり集める教団の人たちから見たら、変わった人の集まりのように見えるのでしょうね」
「……その自覚があるのでしたら――」
「どうして引き取っているのかですよね。それを答える前に、私からしたら、他の教団の人たちの方が不思議に思えるのですよね」
ウィクルは立ち止まると、取材者たちに三つの目を向けた。
「たかだか、腕や脚や目の数、体毛の濃さ、肌の色、体の大きさ、水かきや角のあるなしで、どうして同じ人だと認めようとしないのですかね?」
「えっ?」
「だって貴方は、そちらの方とは、髪と目の色、肌色の濃さ、背の高さが違っていますよね。なのに同じ人だと認識しています。その違いを許容できるのであれば、少しくらい付属物が多い少ないぐらいも許容できて不思議はないのでは?」
「そ、それは……」
取材者たちは言葉に窮した。
異形の者の姿に、個人的な好悪を語ることは簡単である。
しかしそれと、普通の人における容姿の良しあしとで、感情的に好悪を判断する基準を打ち立てることは難しい。
例えば、腕が一対多い姿が不快だと思うことと、ある人の乱れた歯並びを見て気持ち悪いと思うことの間に、どんな差があるかを明確に口に出来ない。
いやむしろ、『自分と違うから排除したくなる』以外に明確な理由を打ち立てようがないと、取材者たちは気づいてしまっていた。
ウィクルは反応が返ってこないことに小首を傾げてから、朗らかに笑う。
「純粋に疑問に思っただけですから、そう深刻に考えないでくださいね。貴方たちが自由の神教団について知りたかったように、私も普通の人とどう感性が違っているかが知りたかっただけですからね」
気にしないでと身振りして、ウィクルは道案内を再開する。
取材者たちは心に少ししこりを残しながら、案内されるがままに建物内を見回っていく。
礼拝堂や編纂室など、色々と部屋を案内されていると、取材者たちは気づいた。
ここにしか居場所がない容姿が少し変わっている人たちだけでなく、普通の容姿の人たちも実に伸び伸びと明るく暮らしていることに。
そのことを不思議に思ってウィクルに尋ねると、笑顔が返ってきた。
「私たちは教義通り、心のままにやりたいことをやっていますからね。毎日が楽しくてしょうがないんですよね」
「やりたいことをやっているって、本当にですか?」
そんなことをしてて、教団経営の運営や日常作業が上手く回るのかと、取材者たちは疑問顔だ。
ウィクルはその考えを理解して、彼らの勘違いを解きにかかる。
「人はそれぞれ、やりたいことしたいことが違うんですよね。ある人は数字を見るだけすら嫌でも、ある人は数字を操る行為を至上の喜びとしている、という具合にですね。多くの人が嫌がる掃除や洗濯などだって、綺麗になると嬉しいと進んで行う人がいるぐらいですから」
「理屈は理解できますが、そんな奇特な人たちは人数が少ないんじゃありませんか?」
「たしかに、相対的に見れば少ないでしょうね。けれどこの教団内だと、計算や掃除が嫌いな人でも、自分から手伝うことはするんですよね」
「それは『やりたいことをやっている』という、さっきの主張に合っていないのではありませんか?」
「その人たちもやりたいからやっているんですよね。正確に言うのでしたら、計算や掃除自体ではなく、その後に得られる物を欲しているのですね」
いまいち分かっていなさそうな取材者たちに、ウィクルは通りかかった調理場を指して例を出す。
「食事の用意を考えてください。料理を作ること自体や料理を誰かに食べさせることが好きな人が、率先して陣頭指揮を執っていますね。でも、ナイフの扱いが上手になりたいと願う人が食材を切ったり、早く食事を取りたい人が簡単な調理を嫌々に代行したりしています。その中には、食材丸かじりでも生きられるから料理なんて無駄だ、なんて考えを持っている人だっているんですよ」
「調理自体は嫌っている人でも、調理過程に自分の好きなことがある場合や、食事自体に興味を持っている人たちが、進んで手伝うわけですね」
「私の先生が言うには、『やりたいことをやるのと、やりたいことだけやるとの違い』ということだそうです。ちょっと意味が違っているんじゃないかなと、私は思っているんですけどね」
それ以外に呼び方がないと、ウィクルは苦笑いする。
「要するに、自由の神教団の信者はやりたいことだけをやっている集団じゃない、とだけ覚えてくださればいいですね」
説明が終わり、次の場所にウィクルは案内していく。
その最中、取材者たちは顔を突き合わせて内緒話をする。
「今のは意外な事実だったな。記事にすれば、良い反響があるんじゃないか?」
「でも話に聞く分には、自由神の教義に反してはいないんだ。読者に誤解を与える文章を書いたら、抗議がくるんじゃないか?」
「ありのままに上に伝えて、その後でどんな判断が下るかまで、俺たちが考えることじゃないだろ」
「そう簡単に言えることじゃないだろ。自由の神やその教団に敵意を剥き出しにしていた人が、いつの間にか消えたりするのは、この教団の仕業って噂があるんだぞ」
「そんなの、単なる噂だろ」
「でも、他の教団の信者が襲ってきたとき、報復で教団ごと潰したのは事実だぞ」
そんなことをひそひそと話していると、ウィクルは唐突にくるりと反転し、取材者たちに笑顔を向けた。
「皆様は、どうやら自由の神教団の暗部に興味がおありのようですね。こちらの階段を下った先が、彼らの仕事場ですが、見学なさいますか?」
ウィクルが手で示すのは、地下へと続く階段。
灯りが一切見えず、階段の先を覗き込んでいると、大きな生き物の口の前に立たされているかのような錯覚を覚える。
取材者たちは怖がりながらも、ウィクルの提案に頷こうとした。
しかしその直前、地下からくぐもった悲鳴のような音が聞こえてきた。
「ひぃ! な、なんですか、いまの音は?!」
「風が地下を通り抜けた音ですよね、ね!」
必死な顔で尋ねてくる彼らに、ウィクルは微笑み返した。
「いま、当教団に不正に入ってきた者を取り調べ中なのですよね。きっと、その者の悲鳴かと。ああ、心配なさらないでくださいね。尋問や拷問を行っている人たちも、先の料理人同様に、『好き好んで』参加している人たちばかりですから」
取材者たちは顔色を青くして、もう一度地下へ続く階段へ顔を向ける。
その闇の先に、得体のしれない何かがいるような気がして、落ち着かなくなった。
「こ、この先に行くのは、止めにしようかな」
「知らなくていいことだって、世の中にはあるものだしな」
「ささ、次に行きましょう。なんだか、子供たちの明るい笑顔が無性に見たくなってきたなー」
取材者たちに背を押されるウィクルは、こっそりと舌を出す。
(なんだか失礼なことを言っていたから、ちょっと脅かすだけのつもりだったんだけどね。ま、これで良かったよね)
舌を戻したウィクルは、表情も整えると、取材者たちの案内を続けることにした。
彼女ら一行が立ち去った後、少しして地下への階段からまた先ほどの音が上がってくる。
今度は悲痛に歪んだ絶叫を上げた人の声だと、ハッキリと分かるものだったが、幸いなことに聞いている人は誰もいなかったのだった。




