番外二十五 軍事演習
新国と旧国は国境で睨み合いを続けていた。
旧国側が少数の兵力を出して偵察を行い、それを新国側が追い払うというのが通常だった。
しかし、何度も何度も追い払われ、少ないながらも死傷者がでた旧国側は、睨み合いの方法を変えることにした。
「国境のこちら側で、盛大に軍事演習を行うのだ。反乱者どもに、我らの精強さが伝われば、自ずと離脱者が現れるであろう!」
将軍の一人がそう提案し、すぐに承認された。
行われる季節は、次の春。
種まきが終わり、さほど畑の手間がかからない時期と決まった。
参加するのは、国軍で治安維持に必要な人員以外の全てと、農村からかき集めた若者たち。
こうして動員数がかなりの数になったため、食糧の手配に首脳陣は苦悩させられていた。
「重税下なのに、これ以上地方の村々に負担を強いると、反乱者側に寝返られてしまうぞ」
「これ以上の失地は国の運営が困難極まることになる。やはり、広く少しずつ集めるしかあるまい」
「それでは輸送費が馬鹿にならない。ここは商人に骨を折ってもらうべきではないか?」
喧々諤々な議論の末に、どうにか食料を確保し終えた。
しかし、新国に対しての示威行為であるため、それなりの武装をさせねばならない。
そのためには、新たな武具を作り、古い物は磨き上げて新品同然にしていく必要があった。
それでも足りない場合は、木製のものに絵具で色をつけ、見せかけでも立派に整えさせる。
訓練と聞かされている農民の若者たちは、意外なことに、この木製の武具の方が喜ばれた。
「軽いから移動も疲れないんだから、こっちの方が楽だよな」
「そうだよな。本物持たされたって、どうやって使っていいか分からないし。下手に振り回して、仲間に怪我させちゃ悪いしな」
こうして人数と装備の見た目だけは盛大になった旧国の国軍は、新国と睨み合いをしている国境へと集まったのだった。
新国側は、旧国が何か企んでいると敏感に察知し、少し多めに兵士を国境砦に配備していた。
「一大攻勢があるかもしれないって話だが、どう思う?」
「知り合いの偵察兵の話じゃ、あっちの砦に兵士たちがゾロゾロと入っているらしいぜ。あまりの大人数に入りきらずに、野営しているってよ」
「それじゃあ、本当に攻めてくるのか?」
「いや、それがよ。そいつの話じゃ、なんつーか、あちらの兵士に緊張感がないんだと。まるで戦いに来たんじゃなくて、遠足に来たんじゃないかって感じなんだとよ」
「……なんだそりゃ。わけがわからん」
「俺も聞いて、わけがわからんかったよ。もしかしたら、あっちの砦を短期間で増築するための部隊かもしれねえって言ってたな」
「工作兵ってことか。それなら、緊張感が薄くてもわかるな」
新国の兵士たちは首を傾げながらも、旧国兵士たちの動向を常に探っていた。
そうして時期がきた。
旧国の軍事演習が始まった。
「「「うおおおおおおおおおおお!」」」
「「「どあああああああああああ!」」」
双方の砦の間より、やや旧国側の領域で、旧国の国軍の兵士たちがぶつかりあう。
魔法や矢の交換が行われた後に、歩兵たちが整列して進み、接近戦が行われていた。
もちろんこれは演習であるため、武器には覆いがつけられていて、仲間をケガさせない配慮がされている。
しかし、訓練であっても大人数のぶつかり合いは、とても迫力があった。
新国の砦にいる兵士たちは、物見やぐらや外壁の上から、旧国の軍事演習を感心して眺めている。
「はー、こりゃあ、大したもんだな」
「俺たちは戦う側だから、外から見る機会なんてないもんな」
「こうやって観戦していると、人が戦いを止められない理由が分かりそうだよな」
「あれだけ威圧的で強大な力を見たら、扱ってみたくなるのが道理だものな」
新国の兵士たちが見ていると、旧国の兵士たちのぶつかり合いが止み、整列が始まった。
「おや、これで終わりか?」
「いや待て。全員向きを変えたぞ」
戦っていた旧国の兵士たちは、今度は彼らの砦を攻め始めた。
「「「わああああああああああ!」」」
武器を手に押し寄せる軍勢に、旧国の砦にいる兵士たちが防戦を始めた。
突然の変化に、新国側は観察を続ける。
「なんだ、反乱か?」
「いや、これも訓練見たいだぞ。砦の門上から投げる石の落ちる速度が遅い。恐らくハリボテだ」
「かけている液体も、きっと水だな。そんで、かかったヤツらは、大人しく脇に逸れているな」
演習の続きだと知り、新国の兵士たちはのんびりと観戦の続きを行う。
砦を攻めていた旧国軍は、一通りの戦法を試し終えると、整列の後に使用した模擬武器や模擬石を回収して、砦の向こうへと戻っていった。
その一部始終を見ていた新国の兵士たちは、この日の晩飯に話題にした。
「いやー、凄かったな。旧国の連中の訓練は」
「見世物としちゃ、楽しかったよな。俺たちもやってみようって、上に掛け合ってみるか?」
「それいいな。新兵訓練所に見学者が良く集まるから、あいつらと同じことを国内でやったら、きっとウケるぞ」
ワイワイと話し合う中で、ある一人がポツリと疑問をこぼした。
「けどさ、どうして旧国のやつら。俺たちを楽しませようとしてくれたんだ?」
「……そういや、なんでだろうな?」
「きっと何年も睨み合ったままだから、気晴らしがしたくなったんだろうさ」
「いやいや。気晴らしに、あれだけの数を動員するか? あの人数を賄う食料だって、タダじゃねえんだ」
「じゃあ、俺たちの目をあの訓練に向けさせている間に、精鋭を迂回させて新国に入れようとしていたとか?」
思い付きで放った言葉に、聞いていた人たちは顔を青くする。
ちょうどそのとき、顔見知りの偵察兵がいたので、彼らは呼び寄せて話を聞くことにした。
「なあ、ちょっと聞くが。警戒網を抜けて、新国に入ったヤツはいないか?」
どういうことかと首を傾げた偵察兵に、旧国の軍事演習がどんな目的だったかを推察していた経緯を話した。
「なるほどな。だが、旧国の兵士がこっちに入ってきたってことはない。それは絶対だ」
「そりゃまた、どうしてだ?」
「俺ら偵察兵は上からの命令で、旧国の訓練を見ることを禁止された上に、周辺警戒に駆けさせられたからだよ。その結果、怪しいヤツが入ってきたような形跡は、どこにもなかったのさ」
つまり、下っ端兵士が考え付くようなことは、砦を統括する新国軍の指揮官も思いつくことだったらしい。
「なーんだ、心配して損したぜ」
「だな。でもそうなると、旧国の連中の目的がわからないな」
うーんと唸ったが、自分が馬鹿であると思っている彼らはすぐに思考を放棄して、別の話題に移っていった。
旧国の軍事演習の報告は、新国の上層部に日を置かずに届けられた。
夜中にも拘らず緊急会議が招集され、少し遅れてビッソン新王が現れる。
彼の顔に眠さはないものの、慌ててやってきたのか少し髪型と服装が乱れている。
そして首に虫刺されのような痕があることから、妃の誰かとお楽しみのところであったことは推察できた。
重鎮たちはそのことを見て見ぬふりをしながら、ビッソン新王に報告書を手渡す。
ざっと目を通した彼は、顔を上げて意外そうな顔をした。
「国教の長たる、バークリステは何処にいる?」
重鎮たちが見回すと、確かに彼女の姿はない。
珍しいと誰もが思っていると、バークリステと親交があるらしき一人が事情を話す。
「バークリステ殿は、邪神の――ではなく、人と異なる特徴を持つ子を秘匿していた邪教団を滅しに、配下を連れて出向いております。明日には帰ってくる予定だと聞いてはいたのですが……」
その報告に、ビッソン新王は眉をしかめる。
「国の重鎮たる面々が揃わないのでは、会議を行う意味がないのではないか?」
報告書を突き返して立ち去ろうとするのを、重鎮の一人が止める。
「お待ちください、ビッソン新王さま。旧国が意図不明な軍事行動を起こしているのです。とりあえずの方針でも固めておかねば、後手に回ることになるやもしれません」
「……貴殿は軍事に明るくはなかったと記憶しているが?」
「であれば、新国軍の長たるマニワエド殿に発言を願いましょう」
ビッソン新王がマニワエドに視線を向けると、彼は頷いて口を開こうとする。
その姿を見て、ビッソン新王は手を上げて制した。
「分かった。急ぎで、とりあえずの方針を決めねばならぬのだな。では、早く会議を開くぞ。だが手早く済ませる。あまりに遅いと、今夜相手をすると約束していた妃が拗ねてしまう」
冗談とも本音ともとれるビッソン新王の言葉に、重鎮たちは軽く微笑んでから、意見を戦わせ始めた。
主題は、旧国が軍事演習を行った目的と、それに対抗した行動を起こすかどうか。
その議論の中で、重鎮たちは少しずつ違和感を感じ始めていた。
それはビッソン新王のこと。
普段の彼ならば、目の覚めるような意見を一つ二つ出すのだが、今日に限ってはそれがない。
それどころか、落ち着かない様子で議会の進みを見ているだけで、意見すら言ってこない。
少し疑問に思いながらも、重鎮たちはそれぞれがそれぞれの考えで、新王の不調を納得していく。
(褥を共にしていた妃様の機嫌が気になって、議論どころではないのだろう)
(いかな新王さまとて、蒙昧極まる旧国の連中の考えは、下劣に過ぎて予想がつかぬのだろう)
(夜の運動を途中で切り上げたことで、淫の気が体に残ってしまい、冷静な思考を邪魔しているのだな)
そんな好意的な解釈をされたビッソン新王は、返した報告書を受け取り、再び目を通し始めた。
そしてある一文に目を止めると、少し迷った目をした後で、発言を始めた。
「旧国の思惑はなんであれ、砦の兵士たちの目を楽しませてくれたお礼はせねばなるまい」
「お礼……ですか?」
「そうだ、お礼だ」
オウム返しの発言に、重鎮たちは首を傾げる。
「つまり、軍事演習をこちらも行えと?」
真意を掴めずに聞き返すと、ビッソン新王は額に少し汗を浮かべて否定する。
「いや、そうは言っていない。この報告書にあるような、大々的な軍事演習を行えば、国庫が吹っ飛ぶ。それでは年月を費やして地盤固めをした意味が薄くなってしまう」
「それでは、新王さまが語るお礼とは、どういうものなのですか?」
「あー、それは、だな……」
ビッソン新王は切れの悪い言葉を吐くと、視線を新国軍の長のマニワエドに向ける。
その視線の動きを、他の重鎮たちは新国軍にとって都合の悪い提案なのだろうと判断しつつも、新王の発言を待った。
マニワエドも何も言わず、じっと聞いているだけ。
ここで、ビッソン新王は意を決した顔で、発言する。
「……旧国の砦に向かって、何かしらの催しを行い、楽しませるのだ。例えば、演劇や軽業、または街中で宗教の勧誘の際に行われている、魔法を使った手品などだ」
突拍子もない提案に、重鎮たちはまず新王の思考を疑い、それぞれが理由付けを行っていく。
(よほど、今日のお相手の妃は、新王さまにとって機嫌を損ねたくない相手のようだ)
(あまりにも旧国の行いについて理解不能であるがゆえに、新王さまも理解不能なことを言ってしまったのだろう)
(淫の気がここまで悪影響を及ぼすのならば、次からはお楽しみが終わった後でお呼びするよう、内々に話を通した方が良いだろうな)
そんな、一種失礼ともとれる考えを行う重鎮の中で、マニワエドだけは違った。
拍手をして、ビッソン新王の発言を褒めたたえたのだ。
「流石はビッソン新王さま。我らには思いもよらぬ、奇抜でありながら有効な手でありますな」
重鎮たちは、新王に向けるには不敬だが、同列たるマニワエドならばと、訝しげな視線を向ける。
しかし、マニワエドは自信ある表情で、その視線をはねのけた。
「おや、皆さまは新王さまのお考えがおわかりになっていないご様子ですね」
いいでしょうと、彼は持論を展開し始めた。
「いいですか。旧国の連中が軍事演習を行った目的は、こちらへの示威行為か、単純にこちらの目を楽しませてくれたかの、どちらかです。恐らくではありますが、示威行為の方が確立は高いでしょう」
「仮にそうだとして、どうして――そのぉ、新王さまのご意見が適していると判断なされたのか?」
「簡単な話です。旧国の連中がどちらの思惑であったにせよ、こちらの行うことを、そのどちらかに受け取るからです」
マニワエドの言いたいことが分からずに、重鎮たちは眉を寄せた。
「つまりはなにかね。あちらが示威行為として軍事演習を行っていたのであれば、こちらが意味のない行動をしても、その行いを向こうはこちらの軍事演習の一つだと受け取ると言いたいのかね?」
「おおよそ、その通りです。付け加えるなら、無意味であればあるほど、向こう側に邪推を引き起こす余地を与えられるのです」
マニワエドの言葉に、重鎮たちはなるほどと頷く。
「軍事に明るくない我々には真に理解はできぬ。だが、少ない手勢で国軍を破った実績のあるビッソン新王さまと、新国軍の長たるマニワエド殿のご意見ならば、信に値するものなのであろう」
「うむ。そうに違いない」
「そういうことであれば、名目は砦に詰める新国軍の慰安として、演目を設定するが良いでしょうな」
「もちろん行う場所は、向こうの砦にも見えるように、両者の砦の間ですな」
マニワエドの発言を機に、あれよあれよと詳細が詰められていく。
その様子を、ビッソン新王は態度には隠しながらも安堵していた。
(バークリステからの指示がないのにどうなるかと思ったが、マニワエドの機転に助けられたな)
ビッソン新王は密かにマニワエドに目礼する。
マニワエドからも、気にするなと言いたげな、密かな首振りが返ってきた。
なにはともあれ、この会議は気に抜けたなと、ビッソン新王は会議場を後にすることにした。
しかし、廊下を進む彼の悩みは尽きてはいない。
緊急会議のせいで、行為の途中で放置する形になってしまった妃の機嫌をどう治せばいいのかを、考えなければならないのだから。
書籍化について、活動報告を書きました。
ご一読くださいますよう、よろしくお願いいたします。




