番外十九 単一部族(エルフおよびドワーフ)のお話
旧国にとって、扱いに困る者たちがいた。
それは人と違う姿かたちをしながらも、人以上の存在であると標榜する、誇り高き亜人たち。
森の民のエルフと、山と岩石の民であるドワーフだ。
もともと旧国においては、このどちらの種族も財産扱いをしていた。
エルフは見目の麗しさと長命さから、生きた宝石として珍重され、褒美として贈られるものだった。
ドワーフの場合は、材料を与えて酒を注げば美麗な作品を生み出す機械扱いで、様々な品を延々と作らされるものだった。
しかし国が割れたことで、その二種族を押さえつけることができなくなっていた。
エルフたちは、旧国の力の弱まりを察知して、庇護下から外れるよう工作を始める。
まずは、十年に一度子供を献上していた慣例を撤廃した。
そう一方的に通告された旧国の上層部は、顔色を変えて慌てた。
なにせ反乱者に奪われた土地の穴埋めに、エルフの下賜で国の礎を固めようと皮算用していたからだ。
「長年、お互いに上手くやってきたはずだ。それなのに、急にこんな通告をされても困る!」
派遣された代表団の長が、エルフの長へと怒号を上げた。
見た目では、五十過ぎと三十代に見える両者だが、エルフの長の方が圧倒的に年上である。
その重ねた年月に相応しい、落ち着いた口調で返答する。
「上手くやってきたとは、異なことを言う。この森林地帯を我らに永劫安堵する代わりに、十年に一度、能力が著しく劣る子をそちらに渡す約束をしていただけのこと」
「そ、そうかもしれないが、その仕組みは長年上手くいって――」
「そう。其方の国が、一つに纏まっている間は、上手くいっていた。しかし、二つに割れたのなら話は変わるとは思わぬか?」
流し目で見られて、交渉団長側が言葉に詰まった。
その姿を微笑みながら観察しつつ、エルフの長は続ける。
「国が二つに割れたというのに、この森林地帯を安堵する約束は永劫に果たされるのであろうかな?」
「そ、それはもちろんですとも。奴らはしょせん反乱分子。国軍が本腰を入れれば――」
「ほほぅ、面白い。其方が語る反乱分子から、既に手紙が送られてきているのだ?」
エルフの長が懐から取り出したものは、文字の跡が見える畳まれた植物紙だった。
それを開いて読み始める。
「この文には、エルフが新国につけば森林地帯を安堵し、其方たち側の侵入を阻む壁を建設するとある。加えて、信仰と生活の自由を約束し、十年に一度の子渡しは求めぬとも書かれてあるのだ。
つまりあちら側に組すれば、今までの生活は変わらぬままに、子を渡す必要もなくなるのだよ」
エルフの長が探るような目をすると、団長は口から唾を飛ばすような勢いで否定する。
「エルフの長殿。その手紙は真っ赤な偽りです! 反乱者どもにそんな権力も能力もありはしません! きっと寝返らせた後で、エルフの人員の全てだけでなく、骨までしゃぶりつくす気です!」
旧国側にとったら当たり前の主張だが、エルフの長はそうは受け取らなかった。
「実はな、この手紙を渡しに来たのは、同族の子だったのだ。其方ら人間と違い、エルフは同族を貶めることはしない。となれば、信じるべきはどちらか、明らかであろう?」
「そ、そんなまさか。その方はどちらに?!」
「黒き衣を纏う不思議な御仁に身を捧げたため森に戻る気はないと、旅に戻ったよ。こちらの都合で人間に差し出した子だというのに、こうして同族を気にかけてくれるなど、涙が浮かびそうだ」
目に潤みのない真顔で語られて、団長は返答に困り、微笑みに失敗したへつらい顔になる。
「それで、その手紙の提案に乗ろうとお考えなのですか?」
「無論、軽々に飛びついたりはせぬよ。そのための、十年に一度の子渡しの儀は取りやめたいとだけ、申し入れているのだ。この条件を飲んでくれるのならば、其方側に組したままでよいぞ」
返答に困る団長に、エルフの長は薄く笑みを浮かべる。
「即答できぬのか? やはり其方は落ち目なのだな。やはり、森を永劫安堵するためには、新たな国の方へおもねるべきであろうかな」
詰るような言葉に、団長の態度が変わった。
「調子に乗るなよ、亜人風情が。余りに強情を言うようなら、武力で制圧しても良いとお達しがあるんだ。森を焼き払われた末に、全員を捕えて売り払ってやったっていいんだぞ」
「ほぅ、其方側からそんな強い言葉を吐かれたことは、ここ百年はないことだ。実に興味深い。だが裏を返せば、そんな言葉を使わねばならぬほど、追い詰められているのであろうな」
内心を見透かされたことに、団長は目を見張るが、次の瞬間には挑むような目つきになる。
「そちらが、あくまで我がままを押し通す気でいるならば、上層部へ強硬策を願い出ねばならないと、念押しして言うぞ。前言を撤回するなら、いまこの時しかない」
「その言葉。そっくりそのまま、お返ししよう。こちらの望みを叶えてくれぬのならば、其方が去った瞬間に、新しい国へと使者を送り、その庇護下に入るとな」
睨み合った末に、交渉は打ち切られた。
交渉団はすぐにエルフの森から立ち去り、エルフは新国へと使者を放った。
ドワーフの領域においても、交渉が難航していた。
「どうしてですか。今まではこの酒の量で満足してくださっていたではありませんか!」
ドワーフ交渉団を率いる別の団長が、悲痛な声を上げて手にした紙を机に叩きつける。
そこに書かれている文字は、旧国がどれだけの種類でどれほどの量の酒を、ドワーフに引き渡すかが書かれていた。
言葉遣いがやや古い文言が見受けられるため、長年交渉で使い続けていたものを書き写したもののようだった。
ドワーフの長は、衰えて金槌が振るえなくなった腕で、その紙をひったくった。
「確かに、この品々と量の酒で、ワシらは満足しておったよ。だがな、売る相手が別にもでき、そちらはこれ以上の量と上手い酒を渡してくれると約束してくれておる」
ドワーフの長が語る相手が新国だと悟り、団長は必死に頭を働かせる。
失地の奪取を念頭に置けば、ドワーフ製の武器はあればあるだけいい。
団長は持つ権益の中で、許せる限りの譲歩をすることを決断した。
「酒に加えて、金貨で取引はできませんか?」
「止めとくれ。あんな不細工な金物細工を渡されたら、つい手直ししたくなってしまう。硬貨を改変した罪で囚われてはかなわんよ」
「酒のつまみになる保存食を納入することでは?」
「それも要らぬよ。人間とは舌の出来が違うんじゃ。ドワーフの口に合う肴は、ドワーフにしか作れぬよ」
「でしたら、教団上層部や王家にある秘蔵の酒をお渡しします。ですから、どうかこちら側のみに、貴方がたが作った物を納入していただきたい!」
団長は切り札中の切り札を切った上で、机に額を押し付けるようにして懇願する。
ドワーフの長は、そっぽを向いて無視しようとしたが、何時までも頭を上げない相手に音を上げた。
「ああ、もう、分かった」
「では――!」
喜び勇んで顔を上げた団長に、ドワーフの長は首を横に振る。
「その条件で仕事は受けられぬ。ただ、その真なる理由を、お前の熱意に免じて教えてやる」
団長が首を傾げる中、ドワーフの長は語り始める。
「お前たちが反逆者だの反乱者だの語る、新国の連中が、この集落に来たことは分かっているのだろう?」
「それは、はい。予想はつきました」
「ワシらは職人じゃ。新参者においそれと腕を安売りするような真似はせん。だが、その交渉に訪れた者は巧みじゃった。ワシらの弱点を熟知しておった」
「弱点――お酒好きぐらいしか、思い浮かびませんが?」
「まさにそれよ。酒を盾に取られたら、ワシらは頷くしか道はなかったんじゃ」
団長が訳が分からないという顔をする。
「よほどいいお酒を、提示されたのですか?」
「いいや、それ以上じゃよ。あやつはな聖大神を崇めることを止め、酒の神を崇めないかとのたまったんじゃ」
「んなっ?! そいつは、邪神の遣いだったのですか!」
「酒の神は善悪金揃える神じゃとか言っておったぞ」
「まさか、すんなりと宗旨替えに応じたわけではありませんよね!」
「それこそまさかじゃよ。ワシらドワーフは現物を尊ぶ。絵空事を説かれても、納得する者はおらん」
そう断言しながらも、ドワーフの長は困った顔になる。
「逆を返せば、現物を出されれば弱いという面もある。交渉にきたあやつは、その弱点も把握しておった」
「宗旨替えを求める際の現物――まさか、神の奇跡を見せたのですか?!」
「その通りじゃ。『単なる水を酒に変える』魔法を使って見せてきおった。そしてその酒を、皆に飲ませたんじゃよ。これがまた、水みたいに癖がないクセに、カッと喉をやく酒精があっての。飲んだ者のことごとくを虜にしてみせよった」
「……その口ぶりでは、貴方もお飲みになられたのですね?」
「これでも長だからの。毒見役の次に飲むことが役目みたいなもんじゃしな」
バツば悪そうに微笑んでから、ドワーフの長は肩をすくめた。
「あの酒で、皆の心は固まった。酒を飽くほどくれるのなら、酒の神に宗旨替えするとな。現に何人か、すでにその教徒となって、神官と化した者もおるよ」
邪教徒の情報に、団長が目の色を変える。
これを起点に、交渉を攻めようとしたのだ。
だが、ドワーフの長の方が一歩上手だった。
「ドワーフの怒りに触れる真似はせん方がいい。特に、酒を取り上げるという、最もやってはならぬことはな」
「酒を取るんじゃありません。間違いは正さねばいけません。放置すれば、ドワーフ全体の害になりますよ!」
「同じことじゃよ。いまやドワーフにとって、酒の神はドワーフの神じゃ。それを奪おうとするならば、ドワーフが一人残らず絶えるまで、お前たちと戦争をせねばならん」
争いを好まないドワーフだが、金槌を一昼夜振るい続けても萎えない腕と尽きぬ体力を持つため、
戦闘力は人間の比ではない。
そして酒の恨みは命で果たす性質を持つため、本当に死ぬまで戦い続けることだろう。
そんな光景を想像して、団長は身震いした。
自分の言葉一つで、その未来に直結してしまうと気付いたからだ。
どうするべきか悩み、上司に怒られることを覚悟で、交渉を押し通すことは止めた。
「ドワーフの皆さんの事情は、よく分かりました。ですが、こちらの事情も分かっていただきたいのです」
「だからのぅ、この酒の量じゃ、今までと同じ量の品物を納めることは――」
「無理だとは理解しました。ですから、この酒の量で可能な限りの物を納めていただきたい!」
「――お前は、思い切った提案をしたな」
「全くの無よりも、多少なりとも有を得て、国には帰りたいのですよ」
ドワーフの長は、腕組みして団長の言葉について考えた。
「……分かった。お前さんがたの多くは態度は悪いが、長年の取り引き相手でお得意様じゃ。こちらの都合で、品物を全く渡さんわけにもいかぬよな」
「で、では!」
「ああ、仕事を承ろう。ドワーフの長の名で、酒の量もそれでええし、仕事の量もその通りで構わんと約束する。ただし、納入期日は伸ばしてもらうからの。それが最低条件じゃぞ」
「こちらの提案通りの酒量で仕事を全て引き受けてくださるなら、そのぐらいの都合はつけてみせます! ありがとうございます、ありがとうございます!」
手を両手で掴んで上下に振ってくる団長に、ドワーフの長は苦笑いする。
通年なら高圧的な態度の人物が交渉にくるため、今年もそうなら仕事をキッパリと断ろうと、仲間と話していたからだ。
しかしこうも真摯に交渉をされれば、ドワーフは義に厚い種族なため、あまり無碍にもできない。
そのことを見越して、この団長を送ってきたのではないかと、ドワーフの長は深読みしていたのだった。




