番外十二 神職者のなげき
大変に遺憾ながら、新しく立った国では、どんな神を祭ってもよいと定まった。
それにより、人々は服を着替えるがごときに、崇める神をとっかえひっかえし始めている。
やれ、あちらの神のほうが加護が良さそうだ。
やれ、商売が上手くいかないから、違う神に頼んでみよう。
やれ、今日は二日酔いだから毒に効きそうな神を崇めてみようか。
そんな自分の都合で、祈る先を変えるのだ。
なんとも嘆かわしい。
信仰というものは、唯一の神に心身を捧げて祈り、教義を日々守って暮らすことで、培われていくものだ。
ことあるごとに祈る先を変えるような不信人など、神の方から願い下げに違いない。
むしろ、あまりの不心得っぷりに、天罰をお与えになるに違いない。
そんな風に、新国の宗教事情を嘆く私は、昔も今も聖大神に仕え続けて。
先の、反乱から戦となり、聖都の行く末が決まったとき、多くの神職従事者はこの地を脱出し、王都へと去っていった。
だが、私はここに残る決心をしたのだ。
それは新国を作った者たち――その当時は反乱者だった者たちの多くが、邪神教いやさ異教徒だと知ったからだ。
もし私まで去ってしまったら、この地に残される聖大神の信者はどうなるのか。
やったらやり返されるの理ではないが、聖大神の信者だという理由だけで、異教徒たちに殺されてしまうのではないか。
そう考えたら、どうしても信者を見捨てる気になれなくなったのだ。
この私の懸念は、聖都に攻め入ってきた反乱者たちによって、現実となった。
彼らは聖大神の関連施設を襲い、金品財宝を奪い去っていく。
その際に、邪魔する者は手酷く痛めつけられ、悪ければ死者となってしまった。
事実、私が預かった教会にも、彼らはやってきた。
「おい! 大人しくここにある物を差し出しな! そうすりゃ、痛い目を見ずに済むぜ!」
「……物品なら、好きに持って行くといい。だが、避難してきた人たちに手を出そうというのなら」
「いうのならなんだ。お前一人で、俺たち全員を殺せるとでもいいたいのか?」
「違う。全員は無理でも、一人や二人は必ず道ずれにするといいたいのだ」
私は震える信者たちを背に守り、儀礼用の短剣を手に、無法者どもを睨みつけた。
人数に勝る奴らは、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら、私を取り囲もうとする。
信者たちが悲鳴を上げるが、落ち着く様にと身振りしつつ、どう対処するかを頭で描く。
私は神官だ。戦う心得は持ち合わせていない。
だが、今まで培ってきた信仰心は、死に値する暴力でも折られることはないという自負があった。
そうして私が恐れないことで、無法者どもは怯んだ。
恐らくだが、私の態度から、こちらを手練れと勘違いしてくれたのだろう。
そうして少しの間、無法者どもが手をこまねいている間に、聖大神による救いの手が現れた。
「おっちゃんたち、なにしてんだ?」
それは、小柄な少年だった。
手に不釣り合いな大きな斧を持ってはいたが、ローブ姿なことから、どこかの教会から逃げてきた子だと思われた。
無法者どもの視線が、その子に向かったことで、私は嫌な予感がして警告を飛ばす。
「君、逃げるんだ。この人たちの相手は、私がやるから!」
もしも無法者たちがあの子に近づこうとしたら、自分から跳びかかろうと、私は決心した。
だが、入り口近くにいる少年は、ぽかんとした顔をしてから破顔する。
「あー、なるほど。あんたは、珍しい良い人で、信者を守るために残ったのか。そんで、そっちのおっちゃんたちは、その人たちを狙う悪い人」
あの子がなにを言っているのか理解できずにいると、無法者どもはなぜか慌てだした。
「ち、違いますよ。ただ俺たちは、聖大神のクソ教会から、不当に集められた宝を取り戻そうと。な、そうだよな!」
「そうですよ。それに、聖大神の施設から物品を持ち出すのは、認められているんです。不当な行為じゃないですよ」
それは不思議な光景だった。
荒くれ者に見える無法者たちが、単に斧を手にしただけの少年に、大変な恐れを抱いているようだった。
それこそ、あの子がこの者たちの首魁であるかのように。
そんなはずはないと首を振った私に、その子は視線を向けてきた。
「ふーん。このみすぼらしい教会に、そんな宝があるなんて思えねえが?」
それは真偽を問うているものだった。
「宝なんぞはない。仮に以前はあったとしても、前統括者がこの街を去る際に、持って行ってしまったはずだ」
「だそうだぜ。ああ、言っておくけどな。婦女暴行は許していないって、知ってんよな?」
少年が斧を大きく振るう。
不釣り合いなほど大きな斧なのに、あの子は体を泳がせることなく、それどころか少し離れた私にまで届く風を巻き起こしてみせた。
そのことに驚いていると、無法者たちは卑屈な笑みを浮かべて、少年に謝り始める。
「えへへっ。そんなつもりは、ありませんでしたよ」
「そうですよ。そんなバカをした連中がどうなったか知っていて、そんな真似はしませんぜ」
「ですがね。あの神官がいう事を、あっしらは鵜呑みにはできねえんですよ。そう言いつつ、隠し持っているかもしれねえんですから」
「なるほどな。おい、そこの人のいい神官の兄ちゃん。信者とアンタの身さえ無事なら、他は目を瞑れるか?」
「……神聖な聖大神のお膝元を怪我されるのは遺憾だが、それで信者の命を助けられるのなら、家探ししてくれてもかまわない」
「おっ、話が分かるね。安心しなよ。そいつらには、逃げてきた人たちに、指一本触れさせねえから」
笑顔で請け負った少年は、厳しい目を無法者たちに向ける。
彼らは卑屈な笑みのまま、私が守る信者たちを無視して、教会の奥へ入っていった。
物をひっくり返す異音が聞こえてきたが、文句はいわない。
守るべきは、信者の命であり、その次はその人たちが持つ信仰心。
物など、くれてやるがままにさせていい。
少しして音が止み、無法者たちが渋い顔で戻ってきた。
手に、祭事用の金箔塗りの燭台がいくつかあるだけ。
奴らにしてみたら、不満足な結果だろう。
その埋め合わせを狙うように、奴らの何人かの視線が、逃げてきた女性に向けられる。
しかしその目を咎めて、出入り口にいる少年の大斧が振られる音が聞こえてきた。
「おい、おっちゃんたち。オレの目の前で、ふらちなこと、しようってんじゃねえよな?」
凄まれた無法者たちは、目線で会話をやり取りする。
近くで見ていた私にはわかったが、あの少年を殺そうかという相談だった。
あの子さえいなければ、ここに避難してきた女性を襲えると考えたのだろう。
無法者たちは静かに頷き合うと、一斉に少年に向かって駆け出した。
「危ない! 逃げるんだ!」
咄嗟に私が放った警告を、少年は笑顔で拒否した。
「平気だぜ。こんなクズども相手ならな」
少年は近づいてきた無法者の一人へ、斧を横に振り回した。
その動きは、戦いの心得のない私の目には、霞んで見えるほど素早かった。
斧を当てられた無法者は、誰かに突き飛ばされたかのように横へと吹っ飛び、長椅子を破壊して倒れた。
その光景にあ然としている間に、少年は次の攻撃を放っていた。
「あらよっと!」
その軽い言葉と軽そうに振るわれる斧は合っていた。
しかし、巻き起こされた結果は、軽さに見合わないものだった。
少年が斧を振るうたびに、体を裂かれた無法者たちが宙を舞う。
剣などの武器で防御しようとも、それを叩き折って、少年は斧を叩きつけて致命傷を負わせていく。
そして、あっという間に、教会に押し入ってきた無法者たちは倒された。
少年は顔についた返り血を腕でふき取りながら、倒れている無法者たちを蹴って生死の確認をしている。
誰も動かないことから、骸となってしまったようだ。
少年は確認を終えた後に、こちらに笑顔を向けてくる。
彼が猛獣と同じく危険な存在だと知った信者たちから、悲鳴が上がる。
凄惨な光景を見て、次は自分の番に違いないと誤解したに違いない。
私は信者たちに落ち着く様に身振りしてから、儀礼用の短剣を仕舞い、少年に歩み寄った。
「私たちを助けていただき、ありがとうございました。お礼を差し上げたい気持ちはありますが、見ての通り、言葉以外に送れるものがございません」
感謝と謝罪を述べると、少年は驚いた顔を向けてきた。
「神官の兄ちゃん、本当にいい人だな。オレのこの力を見て、あれと同じ反応をしないなんて」
少年が指す先にいるのは、逃げてきた人たち。
彼ら彼女らの顔には、少年に対する恐怖が浮かんでいる。
私はそれを仕方のないことと受け取りながら、少年へ微笑んで見せる。
「人とは強い者を恐れ、弱い者にはつらく当たることがままある、性根の弱い生き物です。ですがその特性は、信仰心と知性によって、ある程度抑制することができるものでもあります」
「へぇー。それじゃあ、兄ちゃんは信仰心と知性で、オレを怖がってないってことか?」
「その通り。あなたに私を攻撃する意図があれば、もうすでにしているでしょう。ならば、恐れるという感情を抱くことは、不必要であると結論づけられます」
「ふーん。それは、オレがあんたらのいう異教徒で、人間じゃなかったとしても、同じことを言えんのか?」
「言葉の意味が分かりません。ですが、信者を置いて逃げ出す聖大神の神官より、他の神の信者であろうと救おうとするあなたの行為は、聖教本に照らしても賞賛されるべきことだと、私個人は思います」
「……変わったヤツ。ま、いいか」
興味を失ったような顔で立ち去ろうとする少年を、私は呼び止めた。
「街が平穏になった暁には、お礼に向かいますので、是非とも恩人であるあなたのお名前を教えてください」
「名前だぁ? あー……オレはマッビシューだ。ま、アンタと会うことは、たぶん二度とねえよ」
じゃあと手を振って去る少年を、私は最敬礼で見送り、避難者たちと共に暴力の嵐が聖都から過ぎるのを待ったのだった。
回想から戻った私は、鼻からため息を吐き出す。
このように、信仰心を抱き続けていれば、必要なときに神は救いの手を差し伸べてくださる。
それは異教の神とて同じことだろう。
目先の利益に目をくらませて、安易に宗旨替えするなど、愚の骨頂であると言わざるを得ない。
そも、新国の国教が自由の神に定まったことが間違いなのだ。
人間は心根が弱い生き物。
安易な自由など与えて、信仰心と教義を忘れ果てれば、破滅に突き進むが必定だ。
そして、自由の神の定める自由とは、新国の住民が考えがちな『なにをしてもいい』という生易しいものではない。
あの自由とは、人を試す無常のものだ。
例えば、人に刃物を渡したとしよう。
それで工作するもよし、動物を取るのもよし、人を傷つけるもよし。
しかし、それによって発生した罪は己の身で贖うしかない。
なぜなら、自由の神は自由を与えてくれるだけで、決して許しを施してはくれないのだから。
「お礼を言いに、マッビシュー君に会いに行ったとき、彼の姉である国神官長との会話で得た情報からまとめると、こうなったのだよな」
しかしなんとも、厳しい戒律だ。
これを知って、私は自由の神が国境に据えられた理由が分かった気になった。
聖大神教には聖教本という手習い書があった。
それでも、教団の上は信者を見捨てるような、不心得者が溢れた。
それならばより厳しい宗教を新たに据えるという考えは、当然の結露だろう。
しかし繰り返しになるが、新国に住む人たちは、自由の意味を取り間違えている。
これでは、いつしか破綻がやってくるだろう。
そう頭を痛めかけて、私は首を横に振る。
なにを他の宗教のことを考えているのやら。
私の役目は、聖大神さまの教えを、信者ないしは教えを忘れた人に伝えて回ること。
自由の神を信じる者たちの手際の悪さを嘆くためではない。
私は深呼吸と共に気持ちを入れ替え、今日もまた、新国とはなっても見慣れた街並みを行き、聖教本に書かれた教えを伝えて回る日課を過ごすことにするのだった。




