番外十 書類から見える、新王さまのこと
古くから続く国が割れ、奪い取られた土地に新しい国が立った。
きっと後の歴史書にはそう書かれるであろう、この時代。
旧聖都――新王都では、びこっていた年老いた偉い人達が、逃げるか処刑されるかして、いなくなってしまっていた。
そのため、 多少の教養があった俺は運よく、その新しい国で行政官として取り立ててもらう運びとなった。
職を得ても、戦の後かつ大昔以来の新しく起こった国ということもあり、様々な書類仕事に忙殺されることになりって恨み言を募らせした。
たが、それは手にした給金を見て、嬉しい悲鳴に変わり、よりいっそう働きに力を入れることにした。
そうして日々を過ごすうちに、毎日山と積まれていた書類の量が、小山に変わり、丘になり、やがて平原へと変わった。
ここまでくると、膨大な作業量に慣れた体には物足りなく、日が中天を過ぎるころにはやることがなくなってしまうほどになる。
それなのに、給金は忙殺されていた頃と同額なのだから、昨今は誰かに恨まれやしないかと気がかりになったりしている。
そんな俺の事情はさておいて、就業時間が終わるまでの暇を潰すため、さまざまな考察をして過ごすようになっていた。
大体は、書類を整理し続けて得た事柄を利用する。
例えば、どこそこの村がどうの、あれそれの用水路がどうのという報告書を見たら、それがどんなところか妄想を飛ばす。
こんな訴えがあると見れば、その者の背景や考えを思い描く、などだ。
そして今日俺は、書類上から見える新しい王さまの仕事っぷりを思い描いてみることにした。
新王さまは、俺を含めた行政官に大量の書類の仕分けをさせて、関係各所に配達させている。
漏れ聞こえてくる噂からすると、大多数の書類は各所で適切に処理されているようだった。
そのため、新王さまは書類仕事とは無縁――ないしは、一・二枚のすごく重要な書類に軽く署名するぐらいに違いない。
指先についたインクが洗っても取れなくなった身としては、これは身勝手な想像上だと重々承知していても、羨ましい限りだ。
他の仕事といえば謁見や会合らしい。
だがそれらも、王の側近が万事片づけているらしき成果書類が、こちらに回ってきている。
そうして楽に仕事を片付けた後――つまり俺がこうして妄想に費やしての暇つぶしのように、新王さまはどう余った時間を使っているかを考えていく。
手がかりは、やはり我々が仕分ける書類の中にある。
新しい国のあちこちから集めた税を持つ王様は、大変な金持ちだ。
しかし、彼がそのお金を自由に使うことはできない。
夫の稼ぎを妻がやりくりするように、王様のお金は財政官によって『予算』という形で管理されている。
その予算は、各所からの嘆願や王様の予定やらから作り上げていくわけだ。
そして行政官と同じように、新任ばかりの財政官たちは、金の番人のように厳格なものばかりだ。
新王さまがあれが必要これを買いたいと侍従に書類を作らせても、受け入れられないものに関しては、頑として聞かない。
そんな潔癖な金の管理者たちでも、やはり人の身に生まれ落ちた者たちだ。
情というものが存在している。
娯楽品という、必要とも不必要とも判断できないものは、単純に値段で判断しているきらいがある。
要するに「我が国の王さまなんだから、これぐらいはさせてあげよう」と、あの財政官たちが目こぼしするわけだ。
そして新王さまは村の小倅の生まれであるためか、安い物しか求めないようで、大まかに許可が下っている。
まあ、安いと言っても、それは国の王が嗜むものと考えた場合だ。
庶民の身では、背伸びしないと手が届かないぐらいは、もちろんする。
けどそれぐらいは、書類上でだと、安いものなのだ。
例えば、新王さまが飲みたいと求めた酒を樽で十個買う方が、各地の有力者を招くいたときに使う瓶詰めの酒一つより安価だ。
煙草にしても、新王さまは自作可能な手巻きたばこをお求めのようだが、それを麻袋分買うよりも小箱一つ分の上等な葉巻の方が高価である。
英雄色を好むのたとえ通り、新王さまは大変な女好きで、毎夜相手をとっかえひっかえしているようである。
しかし、金品宝石を求めがちな豪商や金持ちの娘は、どれほどの美人でも歯牙にもかけない。
それは侍従に書かせた丁寧な詫びの手紙が、法務官に法律上問題が出ないかを問う書類から判断できる。
そのかわりのように、多少容姿にまずい点があっても、花一つで頬を赤らめるような初心で欲の薄い人を欲しているようだった。
どこそこの村の誰それの家からきた奉公人に王が手をつけ、その詫び金を財政官にねん出するよう求める書類が、ひっきりなしに現れることからそうだと俺は判断した。
けれど、女は逞しいものだ。
最初は初心な女が増長して野心を抱き、財政官に「私は王のお手つきだ。国庫を好きに使わせてほしい」といった書類を作るイヤな女になってくる。
自然な流れだが、新王さまはその兆候を感じ取ると、配置転換の書類を書き上げてその女を手切れ金とともに追い払ってしまう。
もうこうなると、女が心を入れ替え(た振りかもしれないが)、謝罪の手紙を新王さまに送り続け、とりなしの手紙を各所にばら撒いても、絶対に二度と近く寄れない場所に配置が決定されてしまう。
その際、不満に思った女が、新王さまとの一夜を暴露する手紙が、行政官に回されてきたりする。
その処理は、行政官によって様々だ。
さっと目を通して焼き捨てる者、じっくりと読んでから裁断する者、内容を見ずに送り返す者。
俺はというと、内容をさらっと確かめて焼き捨て、その文面から察せられる夜の運動に妄想の翼を飛ばすだけにしている。
こうした話のタネになりそうな手紙を、なぜ行政官が誰もこっそり隠し持たずにあっさり手放すのかには、ちゃんとした理由がある。
それは新王さまが、隠した性根を見破れずに抱いてしまった、ある女に由来する。
あの事態が起こった後に回ってきた調査書からわかったことだが、その女は生まれ持っての野心家で、王城に努めるようになってからは虎視眈々と王の寵愛を狙っていたらしい。
そしてまんまと上手く抱かれた彼女は、心根を隠し通しつつ言葉巧みに王さまを騙して、最大限に甘い汁を吸おうとしていたようでもあるらしい。
しかし、復活した神々に愛された新王さまには、様々なご加護があった。
新王さまがその性根の悪い女にのめり込む前に、より心と容姿が美しい娘が奉公に現れ、寵愛を掻っ攫ってしまったのだ。
王の関心を取り戻そうと女が躍起になり、美しい娘を排除しようとすると、どれも裏目に出て女の立場を悪くした。
極め付けは、女が王の子を孕んだと訴え始めると、それと同じ頃に王城にとある男が現れ「我が子を孕んだ愛しい人に職を辞するよう説得してくれ」と嘆願状をだしてきた。
もちろんその愛しい人とは、王の子を孕んだと声高に言う女のことだ。
調査が行われ、男の訴えは真であると認められ、腹が子で膨らみ始めた女は少ない手切れ金を手に王城から蹴り出された。
そして不幸なことに、出産の際に子は助かったが、その女は出血死してしまったと、新王さまへの手紙の一つに書かれてあった。
この事件のあらましを聞いて、書類仕事をしながら、俺を始めとした行政官たちは勝手な噂したものだった。
「あの女だけが死ぬだなんて、なにかの作用が働いたに違いない」
「放って置けば、新王の不評を垂れ流す悪女と化していただろうからな」
「そうだ。きっと、悪い噂を流させないように、口封じしたんだろう」
「腹の子には罪はないからと、産れてくるまで殺すのを待っていたんだろうな」
笑い話の類としての雑談の最中に、ある一人がポツリとこぼした。
「もし本当にそれが合っていたとしたら、王の夜事情に詳しい俺たちも、やばいんじゃないか?」
言葉が耳に入ると、行政官が全員してゾッとした顔をする。
そして誰しもが冗談だと笑い飛ばそうとして失敗し、歪んだ笑みを唇に浮かべることしかできなかった。
それ以降、俺たちは書類で見たことを、部署外の誰にも話さなくなった。
唐突な辞令で配置転換される仲間が出れば、どこかで機密を漏らしたに違いないと隠れて噂するようにもなった。
そんなあれこれを思い返していて、妄想の翼が変な場所に向かっていることに気づき、俺は回想を止めた。
ちょうどそのとき就業の鐘が鳴り響くのを聞いて、帰り支度を始めることにした。
その最中、消える間際の妄想の名残に、新王さまの身の上について少し考えを巡らす。
抱いた女が我がままを言えば離れさせられ、税という莫大な資金は自由に使えず、そして本人が居なくても事が運ぶ時間の仕事をさせられる。
楽しみは、庶民でも手が出せる嗜好品と、何股をかけても文句を言われない夜の営みだけ。
そう考えつくと、豪華ではあるが窮屈な檻に閉じ込められているような気持ちになってくる。
「国教が自由の神となったのに、その自由を満喫できないとは……」
そう呟きながら荷物を持って立ち、王城の中を歩いていくと、新王さまのお姿が目に入った。
俺は慌てて廊下の端によって顔を伏せ、立ち去るまでじっとする。
その中で、ちらりと新王様のご様子を伺う。
美しく気持ちの優しいと噂の愛人を横に置き、幸せそうな顔で中庭へと向かっておられる。
その楽しげな姿を見て、存在を気に留めなければ、檻は外敵から身を護る安全な住処であり、その中では安穏とした自由が保障されているのだと気付いた。
そしてことわざにあるように、平和な世では身の程を知る愚王であらせられた方が、世はよく回るようでもあった。
その愚王は、乱世ならば勝星の勇者なのだから、この新国は新王さまが隠れなさるまで繁栄するだろうと核心し、安心とともに夜酒の一つでも飲もうという気持ちで家路についたのだった。




