番外二 ゴブリン長老の苦難話
「長老、ギャルギャギャン長老!」
名を呼ぶ声に、顔を向ける。
別のゴブリン集落に使いに出した、若くて賢いゴブリンだった。
「お帰り。どうでしたか、首尾のほうは?」
「それが……」
悔し気な顔を見るに、交渉は失敗に終わったようだ。
「こうなれば、私自らが出向いて交渉するしかありませんね」
「そんな! 長老がいくのはまずいですよ! この集落の柱は、間違いなく、神官になられたあなたなのですから!」
そう私は、あの胡散臭いニンゲンのお陰で、石や土の加工に加護をくれる賎属の神の神官となった。
その後は上手くニンゲンと反乱分子を追い出し、得た力を使って同じ集落のゴブリンに神の加護を与え、知能の向上を図り、道具作りを奨励した。
ここまでは上手く行っていた――そのはずだった。
まさか、追い出したゴブリンが、古き神と別の新しき神の神官と化し、別の集落の長に収まるなど、想像もしなかった。
過去を振り返りながら、俺は若いゴブリンの方に手を乗せる。
「あちら側の長も、狩猟の神とは言え、私と同じ神官です。使者を追い返したことで、私が出張ってこいと伝えているのですよ」
「ですが、あの集落に向かって、長老に何かあったら……」
「心配は要りませんよ。メギャギャとミギャ、そしてヒギャを連れて行きます。道中の護衛を咎めるほど、あちらの長は狭量ではないでしょう」
安心させるように優しい声をかけてから、私は若いゴブリンと別れた。
その足で、メギャギャの住む家に入る。
彼は、艶やかに輝く黒石の槍を磨いているところだった。
「メギャギャ、出かけることになりました。護衛をお願いします」
「……分かった。ミギャとヒギャを呼ぶ。少し待て」
メギャギャが吠えると、すぐにミギャとヒギャが来た。
嬉々とした彼らの表情が、この家に私がいるのを見て、さっと曇った。
「また護衛なのか、メギャギャ」
「最近、まともに狩りにいけてないぞ、メギャギャ」
「仕事だ。我慢しろ。それに、交易で里は豊かだ。飢えることはない」
「「飢える飢えないじゃない。狩りはゴブリンの仕事だぞ、メギャギャ」」
ミギャとヒギャがメギャギャに不満を言う。
きっと、長老の私に直接言う勇気はないが、護衛で連れ出されるのは迷惑だと伝えたいのだろう。
外に出る度に護衛に連れ出して悪いとは思うが、二匹のように加護を受けても頭が悪いままのゴブリンなど、狩りと護衛以外に使い道はない。
長老の護衛という名誉ある仕事を振られて、なぜ喜ばないか理解できない。
一方で、メギャギャは私の護衛という重要性が分かっているようだ。
彼はメギャとヒギャに、厳しい口調で言い放つ。
「この集落のために働く気がないなら、残れ。むしろそんな奴は、ジャマだ」
「むぅ。行かないって、言ってないぞ」
「そうだぞ。オレ、働くぞ」
言いくるめられて、メギャとヒギャは護衛を引き受けてくれた。
ただ里から出発するだけで、これだ。
昔とは違い、今は私の思い通りに事が進むことなんて少なくなった。
どうしてかは、理解している。
現状この集落は、他の集落にいいように利用されてしまっているからだ。
古の神より、道具作りに長けることができる神を私が選んだ結果、この集落の戦う力は他の集落より劣ってしまった。
道具の出来で優位には立てるが、肉体的な力では負けてしまう。
そう気づいたときに、私は選択した。
他の集落に道具を売り、集落の存在価値を高める道を。
だが今考えれば、これは間違った選択だったんだろう。
結果的に、他の集落に下に見られ、道具の供給を強いてくる事態になっているのだから。
そんな現状を変えるべく打った手は、ことごとく空振りしている。
いまから私は交渉しに他の集落に乗り込みにいくが、難航するだけでまとまらないだろう。
なんとなく、そんな予感がする。
その諦めの感情を顔に出さないように気をつけながら、メギャギャ、ミギャ、ヒギャを連れて、私は集落を出て行ったのだった。
月日が経ち、交渉を重ねても、他の集落に利用される状況は変わらなかった。
いや、より一層、酷くなったと言える。
原因は分かっている。
交流が盛んになり、旅人が増えて、私の集落の状況が他の集落まで伝わったこと。それでまだ生産量を上げられそうと、噂が流れた。
そして、古きゴブリンの神を祭ることを選択した、あのダーギャが長となった集落のゴブリンたちが、暴れまわっているからだ。
他の集落は防衛に、私の集落が作る武器を欲した。
そうして武装したところ、ダーギャ率いるゴブリンたちは逆に、その武器を奪い取ろうと勢いづいた。
武器が彼らを防ぐ役に立たないと知ると、さらなる強い武器と道具を作れと要求がくる。
対応すれば、さらに強い武器をと、さらなる要求がきた。
こうして止むことない要求が増えに増え、集落は道具と武器づくりに忙殺されるようになった。
さらに悪いことは続く。
ダーギャたちが、ニンゲンの領域に進出することを決め、賛同する者を集め始めたのだ。
その知らせを受けて、私は集落の知恵者を集めて、会議を開くことにした。
まず、使者として働かせている若いゴブリンが発言する。
「これは大変な事態ですよ。あの集落を野放しにすれば、ニンゲンとの戦になります。そうなれば、また神の教えは失われ、元のゴブリンに戻ってしまうはずです!」
この意見に、他のゴブリンも同調する。
「そうだな。あいつらはニンゲンを甘く見過ぎている。ご先祖がどうして神を失ったのか、知恵と一緒に忘れてしまったらしいな」
「馬鹿な真似をすることを、止めねばいけないでしょう。このままでは、あの集落だけでなく、こちらの集落にも飛び火しかねません!」
みんなの意見に、私も賛成だ。
今は世代を重ねて力を蓄える時期だ。
それなのに、いたずらにニンゲンと争い、力を失う危険を冒すなど考えられない。
しかし私は、手に入れたある情報が気がかりだった。
「皆、聞いて欲しい。他の多くの集落は、ダーギャ――業喰の集落の行いに賛同しているらしい。反対しているのは、私たちを除けば、自由の神を祭っているという集落だけらしい」
自由の神と聞いて、並んだ顔が陰った。
恐らく、ここにいる全員の脳裏に、あの胡散臭いニンゲンの顔が浮かんだはずだ。
そして、ゴブリンが違う神々を祭る状況になった遠因が、ゴブリンを神官に唯一できるアイツの所為だとも思ったはずだ。
そんなニンゲンが信じる、自由の神を祭るゴブリンと、自分たちが同じ意見だということが嫌に思えたんだろう。
「自由のゴブリンが反対するということは、ここは賛成する方が正解なんじゃないか?」
「いや待て。ここまでの状況があのニンゲンの思い通りだったら、自由のゴブリンに乗っかった方が、利があるんじゃないか?」
「それはアイツに踊らされるということだぞ。ゴブリンの誇りはどこに捨てた!」
「話がそれているぞ。いま話すべきは、ニンゲンと争うかどうかだろ!」
罵り合いが始まった。
ここまで黙っていたメギャギャが、大声を上げる。
「ここは話し合いの場だ! 森の獣のように、騒ぐな!」
メギャギャに怒鳴られて、他の面々が委縮して項垂れる。
場の空気を元に戻すため、私が声をかけることしにた。
「私は、ここがこの集落の状況が変われるかどうかの、転換点だと考えています」
全員の視線が向いたのを確認してから、続きを話す。
「考えるべきは一点です。ゴブリンの社会で地位を上げる気なら、ニンゲンとの争いに参加しなければいけません。戦わずに逃げた腰抜けだと、他の集落から思われかねませんからね」
「今でも下に見られているのに、さらに蔑まれるのはイヤだな……」
「ですがこれは、ニンゲンと戦って、ゴブリン側が勝てたらの話です。負ければ、蹂躙されたご先祖のように神を失うでしょう。それどころか、戦いに参加しなかったゴブリンを残し、全滅させられるかもしれません」
「むむっ。一族全部が殺されるのも嫌だな……」
「なら安全策を取り、戦わないことを選択し、他の集落と交流を断つ手があります。もっともその際、業喰のゴブリンが、この集落に攻め入ってい来る可能性は上がります」
「それはまたどうして?」
「この集落にある武器が、ニンゲンとの戦いで有用だからです。奪ってでも手に入れたいと、知能の低いヤツラなら思うでしょう」
取り得る選択肢を掻い摘んで説明すると、並んだ面々は悩み顔になった。
どれを選んでも、利点と欠点があるから、悩むことは当然だ。
長時間悩みに悩み、どのゴブリンかが、ぽつりと言った。
「こんな重要なことを決めるときに、我らの考えを参考にするべきではないな」
「そうだな。集落が向かう方向は、長老が決めることが掟だ。ギャルギャギャン長老が決めたことに、我らは従う」
体の良い理由を並べたが、考えることを放棄しただけだった。
それならと、私はどの選択肢が、一番集落のためになるかを考えた。
集落の立ち場を向上させるには、取るべきと選択はただ一つしかない。
「ニンゲンとの戦いに参加しましょう。そして成果を上げ、この集落のゴブリンこそが、他の集落より優れていると証明するのです」
これしか道はない。そう思った。
ニンゲンと戦うという選択肢は、大間違いだった。
ニンゲンによって、業喰と蛮種のゴブリンの集落が滅ぼされてしまったのだ。
いま私の集落内は、二つのゴブリンに積極的に武器を下ろしていた咎で、ニンゲンに滅ぼされやしないかと不安が渦巻いていた。
「やっぱり、戦わない方が良かったのでは?」
「最初は大勝していたって聞いただろ。途中から、ニンゲンが急に強くなったんだ」
「傷ついた獣を相手にするのは怖いと、よく言うぞ。そしてその獣の牙は、こちらに向いているかもしれない」
知能が上がったことが逆に、想像力という妄想の翼を広げる結果となって、集落のゴブリンが勝手に不安に陥っている。
しかし私も、あの選択があっていたのだろうかと、違う選択肢を選んでいたらどうなったかと、妄想をせずにはいられなかった。
そんな中、森の中を探らせていたメギャギャが戻ってきた。
知能を上げるより武力を上げたからか、彼は堂々としている。その姿は、迷いや妄想とは縁遠い印象を私に与えた。
「ギャルギャギャン長老。ニンゲンは、森から去ったようだ」
「去った? ゴブリンを討伐するため、森の中にいるのではないのですか?」
「いや違う。他の集落を滅ぼした後、森を出て行った。森に入ってきたときより人数が少なかった。これ以上被害を出したくなかったんだろう」
「そうですか。これは助かりました」
他の集落は戦いに人員を多く裂いて、かなりの打撃を受けている。
しかしこの集落は、前線にくるより道具と武器の供給しろと、追い返されてばかりだった。そのため、数的被害は少ない。
なにが幸運につながるか分からないなと、一抹の安堵を得る。
けれど、メギャギャがまだ何か言いたそうにしている姿を見て、不安感に襲われた。
「なにか、まずい事態が起きているのですか?」
「はい。ニンゲンが使っていた集落に、いまとあるゴブリンが住み着いています」
「それは、別の集落のゴブリンが、乗っ取ったということですか?」
「いいえ。戦いがあったことを知らない馬鹿な旅人を装って接触すると、ニンゲンから譲り受けたと教えてもらいました」
「譲り受けた? 戦っていたゴブリンに、ニンゲンがですか?」
理屈に合わない事態に困惑していると、メギャギャがさらなる情報を伝えてきた。
「そのゴブリンというのは、自由の神を祭った集落のヤツラでした。そして、あのニンゲンもそこにいたそうです」
こういえばわかるだろうと、メギャギャの目が告げている。
「私に賎属の神を授け、他のゴブリンを自由の神の神官にしたのは、あのニンゲンはここまでの展開を読んでいたとでも?」
「そう考えていいと思う。そうでなければ、自分の信じる神を、こちらに信じさせようとしなかったことにも、説明がつく」
「まさか、ありえない。もしメギャギャが言うことが合っているなら、あのニンゲンは自分の息がかかったゴブリンだけを、ニンゲンの領域に住まわせるためだけに、他のゴブリンを犠牲にしたことになりますよ!?」
口に出しても、あり得ないと思う。そんなこと、一個人が想像できる範疇を超えている。
だが今の事態を見ると、メギャギャの考えが正しいようにも思えてくる。
もしかしたら、あの胡散臭いニンゲンは、ゴブリンの頭では理解できないほど、恐ろしい相手だったのだろうか。
愕然とする私に、メギャギャが問いかけてくる。
「それで、自由のゴブリンに対して、どうする?」
「どうするとは、なにをですか?」
「友好か、敵対かだ」
そのことも考えねばならないのか。
しかしながら、これ以上、選択を失敗できない。
もし失敗してしまったら、今度こそ、この集落は滅ぶだろう。
そう思うと、なにが合っていて、何が間違っているかがわからなくなってくる。
今まで、集落のためを思って選んできたことが、裏目裏目にでてしまっている。
かといって、逆に自分が間違っていると思う選択肢を、故意に選ぶこともできない。失敗だったとき、やっぱり間違いだったでは済まないからだ。
どうにも選べないのは、集落の知恵者も同じだった。
「……長老が進むべき道を選んでいただきたい」
「その役目を放棄するのならば、長老という地位を明け渡して欲しい」
彼らの目は、ここまでの失態を、私に償えと言っていた。
日数を呆れるほどかけて、悩みに悩み尽くした末に、私は神にすがった。初めて祈った。
賎属の神よ。私が進む道を教えたまえ。
ここまで不心得だった者の祈りは通じなかったのだろう。神の声は聞けなかった。
項垂れかける私に、家に入ってきていたらしいメギャギャが声をかけてきた。
「ギャルギャギャン長老、使者がきた」
「使者ですか。どこのです?」
「自由のゴブリンだ。用向きを聞いたところ、我々が望むなら、森の外にあるニンゲンから受け取った集落で、共に暮らさないかと言ってきている」
「……はぁ?」
理解できなかった。
なぜそんな提案をするのか。
これもまた、あのニンゲンが考えた、壮大な計画な一部なのか。
悩み疲れ、考え疲れていた私は、ここでとうとう考えることを放棄した。
「詳しい話を聞きましょう。知恵者たちも集めて、会議を開きます。ですが、きっと自由のゴブリンと共に暮らすことになるんでしょうね」
なにせ、私は共に暮らす選択肢はありえないと思っている。
だが、その選択を選べば、集落が滅ぶように感じた。
先ほどの祈りで、賎属の神が助言を与えてくれているような気さえしている。
そんな変な考えが浮かび、とうとう自分の頭は壊れてしまったのだろうと自嘲した。
だがこれでいいとも思う。
壊れた頭の長よりも、時流に乗った自由のゴブリンの長が、他のゴブリンたちも上手くまとめ上げてくれるだろうから。




