百九十六話 戦術の負けは、戦略で取り返す方針です
目を覚ますと、天幕の天井が見えた。
透けて入る陽の光がないので、恐らくもう夜になっているみたいだな。
刺し貫かれた腰と腹を撫で、傷跡すらない手触りに、回復魔法の偉大さに苦笑いする。
毛布を退かしながら上半身を起こすと、唐突に頭がくらっときた。
気絶で寝すぎたのかな。それとも怪我からの流血で、体の血が少なくなったままだったりするのかな。
軽く頭を振れば、意識がはっきりとしてきたので、きっと寝すぎの方だろうな。
立ち上がろうとして、俺が全裸でいることに気が付いた。
「……はぁ!?」
驚いて、慌てて毛布で下半身を隠す。そして、どういうことか考える。
そういえば、背と腹を撫でたとき、服の感触はなかったっけ。
左右を見て、裸の誰かが寝ているということもない。
ということは、怪我の具合を見るために脱がされてそのままたか、血染めになったので洗濯するため剥がされただな。
落ち着きを取り戻し、ステータスが面を呼び出す。アイテム欄から、インナーに着るものと黒いローブを呼び出し、身に着けていく。
用意が整ったので外に出ると、この天幕を守るように立つ、ピンスレットとマッビシューの姿があった。
二人はこちらを見上げて、驚いた顔をしている。
俺はうさんくさい笑顔になると、ぺたぺたと自分の頬を手で触れる。
「おや、どうして私の顔を見ているのでしょう。もしかして、顔色が悪かったりしてますか?」
「……いや、まったくいつも通りだから驚いたというか」
マッビシューが言いながら俺の全身を見てくる中、ピンスレットは涙を浮かべながら大喜びな顔になる。
「ご主人さま、よかったですよー! ほんと、死んじゃうかって、思ったんですからー!!」
胸に飛び込んできて、こちらのローブで顔を拭くかのように、ぐりぐりと顔をこすりつけてくる。
俺は対応に困って苦笑いしながら、ピンスレットの頭に手を乗せ、よしよしと撫でていく。
数分ほどそうしていると、湯気の立つ器を手にしたエヴァレットとスカリシアがやってきた。
耳の良い二人のことだ、俺が起きたと聞き知って、食べ物を持ってきたようだ。
俺は器を受け取りつつ、エヴァレットとスカリシアに礼を言う。
「ありがとうございます。それと二人にも心配をかけましたね」
「いえ。トランジェさまなら、大事はないと信じてましたので」
「ふふふっ。なんて言ってますが、エヴァレットったら酷く慌てていたんですよ。わたしのせいで、トランジェさまが血まみれになってしまったって」
「そ、それはその通りだったが、なにも言わなくたっていいだろう……」
恥ずかしそうにするエヴァレットを見て、俺はスカリシアと微笑む。
それから程なくして、自由神信徒の子供たちがきて、俺の体が無事か確かめてくる。
その中で、アフルンが濡れた黒いローブを差し出してきた。
「ある程度、洗っておいたわぁ。繕いは苦手だから、誰かにやって貰ってねぇ」
受け取って広げると、穴が開いているままだった。
それを俺の隣で見たバークリステが、手を伸ばしてくる。
「わたくしにお任せくだされば、明日には繕ってみせます」
「……申し出はありがたいですが、これはこのまま残しておきます」
「そのままにするんですか?」
「はい。自分の慢心が呼んだ不運の証拠ですからね。これがあれば、気を抜いたりはしなくなるでしょうから」
そう口では言いつつも、内心では戦争なんてこりごりだと思っていた。
集団戦なんて、フロイドワールド・オンラインではソロ気質だった俺には、荷が重すぎた。
多少有利になる戦術を、前世の真似をして実行しても、十全には扱いきれないと痛感した。
やっぱり餅は餅屋。戦術は、知識を治めてそれを活用できる戦術家の仕事だ。
俺のようなエセ神官は、エセ説法ぐらいが関の山ってことだな。
こう諦めたように考えているが、なにも戦いに負けることを望んでいるわけでも、反乱者たちを見捨てて逃げようとしているわけじゃない。少なくとも、現時点ではね。
俺は受け取った料理――豆と肉入りスープと分厚いクレープのようなものを食べつつ、エヴァレットに質問する。
「こうして料理がでているのですから、物資は十分に残っているのですね?」
「集積所の片方は丸まる無事でしたし、焼けた方からも燃え残った食材を発掘できました」
「……もしかして、この料理は燃え残った方を使っているのですか?」
「火が入ってしまったものは、長持ちしませんので、大盤振る舞いするようにとビッソン新王が。まずかったでしょうか?」
「いえいえ。彼にしては上出来な判断ですよ。戦いが引き分けに終わりましたからね。士気を維持するためにも、いい食事を出すのは理にかなってますから」
自分で言って、引き分けかって、考えたくなった。
人的被害が少なくて物資に痛手を負ったこちら側と、人死が多くでたけど物資が潤沢な向こう側。果たしてどっちが有利なのやら。
料理を食べきったころ、一人の男性が急ぎ足でこちらにやってきた。そして俺の顔を見て、安心したような表情になる。
「ああ、良かった。神官の皆さんが集まっていたので、もしやと思ったら」
「なにか起きましたか?」
「いえ。今後の戦いの相談をしたいと、ビッソン新王さまが言っておられるので」
「分かりました。すぐに向かいます」
俺は器をエヴァレットに手渡した後、その伝令くんの方に手を乗せる。
「きっと戦いは終わりでしょうから。安心して眠るといいですよ」
「えっ、それはどういう?」
「ビッソン新王の手腕が、発揮されたってことですよ」
意味深に聞こえる発言をしてから、俺はビッソンに会いに向かったのだった。
ビッソンの天幕に入ると、アルコールの匂いがした。
顔をしかめて先に視線を向けると、赤い顔で椅子からずり落ちそうになっている、酔っ払いがいる。
「ビッソン新王。お酒は駄目だと、あれほど言いましたのに」
「ふんっ。お前が怪我で倒れる姿を間近でみたのだ、これが飲まずにいられるか!」
「おや、私の身を案じて、深酒していると?」
「そんなわけあるか。血だらけで倒れたお前の姿が、明日の自分だとそう悟ったからだ!」
杯にワインを注いで、ぐっと煽るビッソンを見て、ため息をついてしまう。
急いでかけたせいか、王という鍍金が完全に剥がれてしまっているな。
こんな状況を反乱者の人たちに見せられない。指揮官の失態は、士気に影響するからね。
でも、俺が気絶している間に、すでに見られてしまっているだろうから、手遅れか。
ま、幸いなことに、見られたのが今日この時でよかった。
「ビッソン新王。心配なさらなくても、国軍とのもう戦いは終わりです」
「そうだな、終わりだ。国軍は戦うたびに、戦術を練り直して強くなってくる。明日戦えば、きっと負けるのはこちらだ」
「いえいえ。こちらが負けるのではなく、国軍の負けで終結するんですよ」
「……なんだ。お前が魑魅魍魎の大軍を呼び出し、国軍に突撃でもさせるとでもいうのか?」
「それができないとは言いませんが、その必要すらないですね。きっと明日の朝日が昇る頃には、国軍の姿も形もなくなっていることでしょうから」
「……俺は、お前が何を言っているのか、さっぱり分からん」
「お酒を飲み過ぎたからです。今日はこの辺にして、ゆっくりお休みください。戦い疲れと酒精で、毛布にくるまれば朝までぐっすりですよ」
「子ども扱いしないでくれ。まったく、もう――」
ビッソンはふらつきながら寝台に寝転がると、毛布にくるまってすぐ寝息を立て始めた。
深く眠っていることを確かめてから、俺は天幕の外に出た。
さてとっと、ビッソンの悪い噂が流れるのを防ぐために、たまたま目についた男性に喋りかけることにした。
「こんばんは、眠れないのですか?」
「自由神の神官さま!? あ、あの、ご加減はいいのですか?」
「はい、もちろん。とはいえ、病み上がりですからね。ビッソン新王みたいに、勝利の美酒で酔い潰れる真似ができないので、苦慮していますよ」
俺が苦笑いをすると、つられて男も苦笑いする。
その後で、ハッとした顔になった。
「あの、いま勝利の美酒って、言いませんでした?」
「はい、言いましたとも。策略が当たって、国軍との戦いはこちらの勝利となるめどがつきましたからね」
ここで俺は自分の唇に人差し指を当てて、秘密だよってジェスチャーをする。
男はウンウンと頷き返す。けどその目は、誰かにこの秘密をしゃべりたいと、雄弁に語っていた。
そのことに気づかないふりをして、俺は彼と別れて仲間たちのもとに戻る。
エヴァレットとスカリシアを呼び寄せ、俺の調略と策略が機能しているかを探ってもらうことにした。
「二人とも、国軍の様子を聞き取ってみてくれませんか?」
俺の指示に、長い二対の耳が小刻みに動く。
先に報告したのは、エヴァレットだ。
「なにやら、こそこそ動く音がしますね。こちらとは反対側から、少数ずつ人が出ていく足音もします」
「森を遠回りして、こちらに夜襲を仕掛けるつもりなのでは?」
スカリシアの質問に、俺は首を横に振る。
「夜襲じゃなく、夜逃げですよ。国軍がここで戦う意義が失われたので、後方に撤退するんですよ」
俺が断言すると、二人は不思議そうな顔をする。
「それはまた、どうしてでしょう?」
「言っては悪いですが、今の状況では向こう側が有利のように思うのですが?」
「簡単な話ですよ。私が調略を仕掛けた聖都に潜んでいた邪神教勢力に、『聖都ジャイティスを落とされてしまった』からですよ」
驚く二人に、さらに説明する。
「国軍が地方の反乱を鎮圧しにいったり、こちらに兵力を裂いたりして、聖都の防衛力は著しく低下していたんですよ。そこで、邪神教の教祖と配下たちに動員をかけて、主な公共施設を制圧してもらったんですよ。それが完了したという知らせが、つい今日の朝。国軍と戦い始める前にやってきたんですよね」
「話しは分かりましたが、どうしてそれが、国軍の撤退につながるのでしょう?」
「国軍にしてみれば、私たちと、聖都を落とした謎の勢力とで、挟み撃ちにされたくないんです。負けが濃厚ですからね。なので、安全な地域まで撤退して、各地に散った国軍部隊を呼び寄せ、反転攻勢に移る。これが常道ってものです」
「そういうことでしたら、今からでも人員を送って、追撃してみては?」
「いえいえ。多少の戦果欲しさに撤退を邪魔して、逆襲されたら大変です。逃げるというのなら、逃げさせてあげたほうが、被害が出なくていいんですよ」
俺が消極的なことを言うからか、二人は納得しがたい顔をしている。
それならと、俺はもう一つの秘密を明かすことにした。
「調略したのは、邪神教徒だけじゃないんです。遠征軍にも送ってあり、ある条件を達成したらこちらに手を貸してもいいと、確約してくれているのですよ」
なにせ遠征軍のマニワエドは、俺のお陰で先祖からの悲願である、航迅の神の信徒に返り咲けた。
その恩を感じ、新国家の樹立に相応しい拠点――つまり聖都を手に入れれば、遠征軍は国民を守る軍という立場で、こちらに味方すると約束してくれたのだ。
けど一方で、マニワエドは国軍にも恩を感じている。そのため、聖都を制圧するまでは一切手を貸さないなんて、手紙で伝えてこられたけどね。
そんなこんなの事情を話すと、エヴァレットは驚いた顔になった。
「よく、そんな調略が上手く生きましたね」
「その通りですね。いやぁ、情けは人のためならずとは、よく言ったものです」
国軍と戦いになりそうだからと、急いで行った割りには、上々な結果に終わりそうだ。
そして遠征軍がこちらに味方してくれるようになるなら、俺は得意でもない指揮役から解放されて万々歳だ。
何度も言うようだけど、戦争に参加するなんてもうこりごりだからな。




