百九十三話 裏切りは有効な戦法の一つですよね
交渉が物別れに終わってから、三日が経った。
お互いの陣営は、表立った動きのないまま、にらみ合いを続けている。
けど、その間に何もしていないということはない。
あちらも何かやっているように、俺も奴隷商経由の情報網から調略の策を巡らしている。
それで今日、一定の成果があったと報告が入った。
よしよしと喜んでいたとき、レッデッサー大将をはじめとする一行がまたやってきた。
仕方がないので、ビッソンと共に天幕の中でお出迎えをしてあげることにした。
レッデッサー大将たちの顔を見て、少しおやっと思った。
誰の目の下にもクマがあり、少し猫背になっているように見える。
堅物のレッデッサー大将ですらそうなので、痩せ型の文官の人なんて生気が抜けてゾンビっぽい顔色だ。
「なにやら、お疲れの様子ですね?」
声をかけると、レッデッサー大将が珍しいことに、うんざりとした顔になった。
「仕方がないだろう。先の交渉が失敗に終わった責任を擦り付けようとする、浅ましい者たちの攻防に付き合わされたのだからな」
「それは大変でしたね。あの条項を作成した人が割を食ってくれていたら、こちらとしては嬉しいのですけど」
「残念だが、責任はそいつの部下が被った。実質的な作成者だとしてな」
「そうなんですか。でもそれを踏まえて、貴方たちがここに来たということは、新しい条項を持っての停戦交渉と考えていいのですよね?」
「その通り。締結するしないに関わらず、さっさと済ませてしまいたい」
レッデッサー大将の言葉を受けて、俺は顔をビッソンに向ける。形だけでも、新王にお伺いを立てる必要があるからだ。
ビッソンはよくわかっていなさそうな顔で、話を先に進めろという身振りだけを送ってきた。
許しが出たので、俺とレッデッサー大将たちは交渉へと移る。
「それで、そちらから提示していただきましょうか」
「は、はい。ではお伝えします」
文官が書状を手に、書かれている内容を音読していく。
条件は前とほとんど同じだったけど、大きく違っている点があった。
「『反乱者の故郷の村および周辺地域を、ビッソン新王が作る国の土地と認める』ですか。なかなかに思い切った条項を入れてきましたね」
「それはもう。こちらが結べる、精一杯の条件を出させていただいておりますので」
文官はこれで、こちら側がが条約を結ぶと確信している顔をしていた。
たしかに、ちょっと聞いた限りでは、かなりいい条件だろう。
新しい国はできるし、反乱者たちの出身地がそのまま領地に組み込まれるしね。飛び地になる場所もあるだろうけど、それは前の世界にもあった国の形なので変ではないし。
けど、難癖をつける部分はある。
「それで。その停戦協定は、締結後に何年間有効なんですか? 一方的に破棄したときの罰則規定は、なにかあるのですか?」
「えっ?!」
思いもしなかったという感じで、文官が大声を上げた。
それを見て、俺はうさんくさい笑顔を全開にする。
「おやおや。この二点が含まれていないとなると、締結した後ですぐに破られてしまいませんか?」
「いや、まさか、そんなことはないと」
「こちらが停戦したと気を抜いたときを見計らって、飛び地を攻め落として土地を奪い返す。そんな計画は全くないと?」
「それはそのぉ――」
文官が助けを求める目を、レッデッサー大将に向けた。
「言葉を引き継ごう。そういう話がなかったとは言わない。だが、信義にもとると却下された話だ」
「それを聞いて、より一層信用できなくなりましたね」
「なぜだ? 国軍はそのような手を使わないと、そう決めたのだぞ?」
「国軍全体ではそうでしょうが、過激派な一人の将が部下を率いて攻め入ってくる可能性が残りますので。そして、土地の奪還に成功しようと失敗しようと、責任は全てその将に被せれば国軍としては傷がつきませんからね」
「……信用はしてくれないと?」
「できるとお思いですか? 少し前に、私腹を肥やそうとしていた将を、お互いに知っていたではありませんか」
ジャッコウの里の話を持ち出すと、レッデッサー大将は苦々しい顔になった。
「百の優なる将よりも、一の毒なる将の振る舞いが軍全体の信用を落とすとは、過去の将軍はためになることを言ったな……」
悔しげな顔のままで、レッデッサー大将は天幕から去ろうとする。
それを文官が急いで止めた。
「お、お待ちを! 今回で締結できなければ、戦争派に主導権を全て握られることになりますよ!」
「仕方があるまい。そこな神官が見抜いた通り、非戦派ですら企みをもって裏をかこうとしているのだ。この状況で締結を求めるのなら、力押し以外に方法はないのだからな」
「なら――」
文官がさっと天幕の中を見回す。
こちらは俺とビッソンの二名。向こう側はレッデッサー大将と文官と護衛たちで、六名。
人数で勝っているので、あちら側が俺たちを力で脅して、条文にサインさせることは可能だと考えたくなるよな。
でもそれをやったら、最悪の事態に突入だ。
「貴方たちは、私たちの陣内にいることを忘れないでくださいね。変な真似をしたら、その瞬間に囲まれますよ。そして新たな大義名分の下に、戦争が即時勃発しますね」
俺があっさり気味に言うと、文官は怯えた表情ながら言い返してきた。
「そ、そうなったら、お二人を盾に逃げれば」
「なるほど良い手ですね。けど、実現は不可能でしょうね。ビッソン新王も私も、自分の命惜しさに、貴方たちの手に落ちるのを良しとはしませんので」
俺の考えに追従するように、ビッソンは考えた様子もなく鷹揚に首を縦に振る。
でもきっと、複雑な言い回しをしたから、内容は分かっていないんだろうな。とりあえず頷けばいいんだろうとか思っていそうだ。
そうとは分からないあちらの文官は、俺たちの態度を見て、あからさまなほどに肩を落とした。
「やっぱりそうですよね。反乱者となったからには、己の目標のために命を捨てる覚悟はなされているのですよね……」
俺もビッソンもそんな心構えはしていないのだけど、勝手に変な風に納得をされてしまった。
指摘するのも変なので、俺はうさんくさい笑顔のままでいる。ビッソンも王っぽい尊大な態度のまま、じっと黙っている。
この態度が決めてになったかのように、あちら側はすんなりと天幕を出て、立ち去ろうとする。
けどそのとき、変なことが起きた。
レッデッサー大将たちが俺たちの陣地の外に出た瞬間、それを合図にしたかのように、国軍が一斉にこちらに向かって動き始めたのだ。
見送りに行っていて、偶然その光景を見た俺は、大慌てでレッデッサー大将たちを呼び止めた。
「貴方たちがまだこちらにいるというのに、戦いを仕掛けてくるなんて、国軍はなにを考えているのですか?」
「……停戦交渉する間に、密かに攻め出る準備を進めていたのだろう。要は、我らは時間稼ぎかつ、不意打ちのための囮に使われたのだ」
レッデッサー大将たちの様子から、本当に何も知らなかったのだと分かった。
なら彼らに構っている暇はない。
こちらは寄せ集めの人ばかりで、初動が遅いんだ。大急ぎで招集をかけないと、攻めてくる国軍に蹂躙されることになる。
俺は走って、ビッソンのもとへ向かった。
「ビッソン新王、国軍が動き始めました。人々に応戦のお声がけを!」
「な、なにぃ?! なんで、くそっ――わかった、すぐに演説をする!」
うろたえかけて持ち直し、ビッソンは天幕の外へ出て、大声を上げる。
「皆のもの、傾聴せよ! 国軍が迫りつつある! 武器を持て、防具をつけよ! 応戦の準備を急げ、しかし慌てるな! 我々は勝者だ! 国軍より強い存在だ! うろたえ、慌てふためく必要はどこにもない!」
同じ言葉を繰り返しながら練り歩き、ビッソンは人々に声を届けていった。
反乱者の多くは言葉に従って、戦いの準備をして、応戦の隊列を組んでいく。
中には寝ていたのか、即応できていない人もいる。けどそんな人たちを、周囲の人たちが世話をして、戦線につかせていく。
この調子でいけば、なにも準備がないままに国軍と当たることは防げそうだ。
けど、予想外の事態に、少し俺は焦っている。
事前にかけた調略が成果を生むのは、まだ少し先だ。
今回の国軍を退けないと、うまく機能しなくなってしまうんだよなぁ。
そして想定外の事態は続く。
国軍の中に、長い棒を持つ人の一団があった。
あちらも馬鹿じゃないので、こちらがやった長槍戦術を真似てきたらしい。
走って移動してきているので、運用法は滅茶苦茶に見える。けど、同じ武器があること自体が脅威なんだよな。あちらは訓練された兵で、こっちは一般市民上がりの付け焼刃だしね。
前に戦ったときよりも、今回の戦況は苦しくなりそうだ。
交渉を失敗に導いてしまったので、俺の情報を流した功績は無に帰しているだろうしなあ。いざとなったら、ビッソンどころか反乱者全員を見捨てて、仲間たちだけで逃げる手を打たないといけないよな。
ざわめく陣内で、俺は小声で呼びかける。
「エヴァレットとスカリシア。もしもの時に備えて、私たちはひとまとまりで動きます。みんなを集めてください」
二人は耳がいいので、この声量で十分に指示が伝わる。
現に、仲間全員を引き連れてきて、俺の前に整列させてくれたしね。
周りに人の目があるので、詳しい考えは伝えられないけど、指示は一つだけすれば事足りる。
「今度の戦いはかなり厳しいものになります。私の指示をよく聞いて動くようにしてくださいね」
「「「はい!」」」
「では、前と同じく他の神に仕える神官を集めて、前線に向かうとしましょう。魔法という便利な手で先手を打たないことには、勢いに乗る国軍を止められそうにないですからね」
「「「はい!」」」
元気のいい返事がきたところで、身振りで行動開始を告げた。
そうして大慌てで準備を終えると、国軍の先頭はもう目の前に迫っていたのだった。




