百八十八話 戦いの直前は、穏やかなものです
国軍の動きを知って、ビッソンたち反乱者たちは移動を開始した。
そして、俺が目星をつけていた場所で、国軍と対峙していた。
自ら打って出たことに反乱者たちは、ビッソン新王は勇敢な人だと持てはやしている。
たしかに演説したり行軍中に見せる姿は勇ましく、新たな王様という感じがしていた。
けど、人払いした天幕の中にいるビッソンは、そんな評判とはかけ離れた様子をしている。
「あ、あ、あああ、あの、本当に、勝てるんですよね」
戦いに怯えて、王様っぽい赤いマントを掻き抱き、ガタガタと震えている。そして、なんどとなく俺に同じ質問をしてくる。
その度に俺は、うさんくさい笑みで答える。
「はい、もちろんですとも。これから起こるのは、ビッソン新王の覇業のいわば前哨戦です。負けるはずがないじゃないですか」
「ビッソンさま。そう怯えにならないでくださいませ。トランジェさまにお任せしていれば、全て大丈夫に違いありませんから」
スカリシアも宥めたりするのだけど、効果は薄いようだ。
「そ、そうは言われてもな。あ、あの、酒。酒が飲みたい。飲まないと、気が狂いそうだ」
恐怖を薄れさせるためには、飲酒は有効な手だろう。
けど、俺は首を横に振る。
「ビッソン新王。反乱者の首魁が酔っ払っている姿を、集まってくれた人たちに見せられると思いですか?」
「だ、だ、だだ、ダメなのか?」
「もちろん駄目です。普段なら気さくさを演出できますが、戦いの最中で見せれば臆病にしか見えませんからね」
「お、お、俺は臆病に見られたって」
「そう見られたら、背中を誰かが刺してくるかもしれませんよ。情けない人には、ついていけないと思ってね」
俺が脅すようなことを言うと、ビッソンは仕切りに後ろを見始めた。
彼の後ろには天幕の布しかないのだけど、その向こう側に暗殺者とかが潜んでいるかのような怯えっぷりだ。
「そ、そ、そそそれは困る。分かった、酒は我慢する。だ、だが、このままだと寝付けそうにないぞ」
「平気です。夜がくれば、私が魔法で眠らせて差し上げます。きっと、朝日が昇るまでぐっすりですよ」
俺が使える眠りの魔法で、そこまでの長い効果のものはない。けど、一度寝に入ったら、心労からの疲労で起き上がれないことだろう。
ひとまず眠ることはできると安心したのか、ビッソンの震えがやや落ち着いてきた。
「そ、それでだ。確か明日は、まず大将とその供の返却からするんだったよな」
「その通りです。その役目は、私が行いますので、ご安心ください」
「平気なのか。返却後すぐに、なにかしてくるかもしれないぞ」
「心配はいりませんね。そういうことには、きっとならないでしょうから」
なにせ俺は、国軍に正誤入り混じった情報を流している。これはもちろん、反乱者側が勝つための布石のためだ。
けど、そうとは知らない国軍からすれば、俺は貴重な情報源だ。
あちらが無理に殺してくる可能性は少ないだろう。
というか、身柄引き渡しの段取りと殺さないでくれと嘆願を書いた手紙を、すでに渡し済みだしね。
これでも殺しにかかってきたら、そのときは腹をくくって、魔法を連発して逃げるしかないかな。
そんな思惑をうさんくさい笑みで隠しながら、ビッソンに違う言葉をかける。
「さてでは、日も暮れかけきました。戦争前の食事の時間です。前にも言ってありましたが――」
「わ、分かっている。皆と同じものを食べに行くのだろう」
「はい。首魁が下っ端と同じご飯を食べるのは、彼らの心の掌握に役立ちますので」
「……明日、死ぬかもしれないのなら、豪華なものを食べたかったな」
「ご安心を。できる限りに、豪華な食事をとらせています。もっとも人数が多いので、それなりに豪華な感じにしかできませんでしたけどね」
「……そうか、そうだな。明日死ぬかもしれないのは、他のみんなだって同じだったよな」
ビッソンは反省するような事を言うと、王様らしい態度で立ち上がった。
「では、皆の前に顔を見せてこよう。言葉も交わした方がいいのだろう?」
「はい、お願いできるのならば」
「承ろう。なに、食事をし終わるまでの間なら、演じ切ってみせるとも。それが、俺の責任なのだからな」
もっともらしいことを言って、ビッソンは肩で風を切り、マントを翻して、料理の匂いがしてきた陣地内を進んでいった。
彼の後ろに、天幕の側で待ってもらっていた、 マッビシューとマゥタクワが護衛として付き従う。
その姿を見送ってから、俺は入っていた体の力を抜いた。
「ふぅ。なんとかビッソンは、保ちそうですね。スカリシアのお陰です、ありがとうございました」
「いえいえ。トランジェさまのお願いですもの。叶えて差し上げたいと思ってしまいますから」
好意な態度を隠さずに言ってくるので、俺は少し鼻白んでしまった。
そうして返答せずにいると、スカリシアの眉がほんの少し不愉快そうに歪んだのが見えた。
愛想をつかされたかと思ったけど、彼女の長い耳が苛立たし気に揺れているので違う気がした。
「……もしかして、エヴァレットになにか言われているんですか?」
人間の俺には聞こえないけど、スカリシアの耳なら聞こえるだろう。
そしてエヴァレットにも。
なら、俺に気づかれないように、二人で会話することぐらいはできそう。
そんな考えからの質問だった。
でも、的中していたようで、スカリシアは嬉しそうな顔に一転した。
「はい、その通りです。トランジェさまを誘惑するなと、ぶちぶち言われているのですよ。いまも、告げ口するなって、しきりに言ってくるのですよ」
「そうですか……。エヴァレット、この言葉が聞こえているなら、口喧嘩は止めてください。私のスカリシアに対する態度が気に入らないのなら、私個人に直接言ってくださいね」
独り言のように喋ってから、視線をスカリシアに向ける。
すると、大丈夫という感じの身振りが返ってきた。
どうやら、エヴァレットは苦情を言うことを止めてくれたようだ。
けど、無理に黙らせちゃったからな。フォローを入れておこうっと。
「では私も、食事にでます。そうですね、エヴァレットを探して、一緒に取るとしましょうかね」
何気ない風を装って言うと、スカリシアが反論してきた。
「あの、私もご一緒してはいけませんか」
「申し訳ないですが、スカリシアはビッソンのお気に入りを演じてもらっています。なのに、私と仲良く食事を取っている姿を晒すのは、少しまずいと思うのですよ」
「……それもそうですね。申し訳ありませんでした」
少し面白くなさそうな顔をしているな。
仕方がないなと、俺は誰も見ていないことを確かめてから、スカリシアの頬と耳を撫で、唇に触れる程度のキスをしてあげた。
音のない行為なので、きっとエヴァレットにも聞こえなかっただろう。
俺は悪戯が成功したような顔つきで、自分の口に立てた人差し指を当てて内緒と示す。
スカリシアは、不意打ちを食らって赤くなった顔のまま、何度も頭を上下に動かす。
じゃあと身振りして、俺は天幕の外へと出た。
すると、タイミングよくエヴァレットがやってきた。
澄まし顔だけど、耳が小刻みに動いているのを見ると、俺との食事が楽しみなようだ。
ならと、こちらから誘うことに決めた。
「エヴァレット。久しぶりに、二人きりでご飯を食べませんか?」
「はい。喜んでお受けします」
色気のない返事に苦笑しつつ、俺はエヴァレットと並んで、料理が配られている場所へと向かっていったのだった。
翌日の早朝。
俺はレッデッサー大将とその配下を連れて、両軍がにらみ合う間の空間を歩いていた。
付き添いは俺だけだし、捕虜には手だけにしか縄をかけていないので、逃げようと思えば逃げられる体勢ではある。
けどレッデッサー大将は、振り払って逃げようとする素振りはない。
その理由の一つに、彼に俺が託した手紙の存在があるからだろう。
レッデッサー大将は歩きながら、ぽつりとこちらに問いかけてきた。
「……本当に、この手紙を渡してしまっていいのだな?」
「はい、構いません。というよりも、前もって知らせてあるので、渡してくれないと困ってしまいますね」
俺がうさんくさい笑顔で言うと、レッデッサー大将は訳が分からないという顔をする。
「貴君は、反乱者の統率役の一人であろう。なのに――」
「布陣とビッソン新王がいる場所を記した情報を敵方に渡すなんて、信じられませんか?」
「――そうだ。勝つ気があるとは思えない」
「おや、大将ともあろう方が、その情報が嘘だとは思わないのですか?」
「思わないな。なにせ、こうして引き立てられる際に、布陣をそれなりに確認した。我が懐にある手紙に書いてあったことは、ほぼ合っていた」
「抜け目ないですね。そんな貴方だからこそ、生かして引き渡すのですけどね」
口から出まかせで褒めると、訝しげな顔を返されてしまった。
「貴君は、いったい何がしたいのだ?」
「その問いに、答えるつもりはありません。ですが、なんだと思いますか?」
「分からん。ただ状況を楽しんでいるように見える。いや、そうこちらに見せようとしているとしか分からんな」
「そうですか。その判断は、おおむねあっていますとだけ、答えておきますね」
なにせ見せかけているんじゃなくて、本当に俺は楽しんでいるだけだしね。
俺は仲間と共にジャッコウの里まで逃げる手はずを整えてあるので、もしこの戦いに負けたとしても逃げ切る気まんまんだし。
でもまあ、戦いに負ける気はない。
大将さんに情報を託したのだって、作戦の仕込みの一つだしね。
鵜呑みにして、敵方がこちらの思惑通りに動いたら万々歳。
思惑通りじゃなくても、こちらが散々渡した情報が相手の手を誘導してくれるので、素の状態より戦いやすくなる。
要はあれだ。『俺はグーを出すぞ!』と宣言して、じゃんけんするのといっしょ。
宣言を受けた時点で、宣言した人の思惑に相手は半分は乗っかってしまっているんだよね。
さらに、送り返す堅物のレッデッサー大将が、情報は本物っぽいと伝えれば、相手の手は決まったも同然になる。
相手の手さえ分かれば、後だしでどうにかなるのは、じゃんけんも戦いも同じことだ。
元の世界でキャラ作りのために読んだ、とある本にそう書かれてあったから間違いないはずだ。
まあ、後は仕上げを御覧じろってことで。
俺はレッデッサー大将たちを迎えに来た人に託すと、警戒していない風を装って背中を向けて自陣に引き返していく。
背中から伝わる敵陣の雰囲気から、俺が襲われたときのために作った作戦は使わなくて良さそうだと、胸をなでおろす。
そうして無事に俺が戻ると、陣内ではビッソンが王様っぽい態度で、皆を鼓舞していた。
「――このように、伝えた作戦の通りに動けば、必ず勝てる! そして勝てば、国軍の手からお前たちの故郷を取り戻し、我々の新たな国に入れることだって可能となる!」
「「故郷を取り戻せ! 新しい国を作るぞ!」」
いい感じに士気が高まっているようで、何よりだ。
さてさて、国軍側はレッデッサー大将の話を聞くだろうから、両軍の衝突はもう少し後になるかな。
そんな予想をしつつ、俺は自分の持ち場に向かうことにしたのだった。




