百七十二話 ひとまずは小休止とまいりましょう
砦の制圧と、兵士の洗脳が終わった。
変に使命感に燃える目をしている兵士に、俺は声をかける。
「それでは、この砦の中にジャッコウの人たちを入れて、野盗が生きているように装います。時期が来るまで、バレないように努めてくださいね」
「もちろんです。自由の神という偉大な存在を教えてくれた神官さまへの大恩に報いるため、誠心誠意補給隊を騙して御覧に入れますとも」
意気込み斜め上を見る目は、燃えているはずなのに奥底が濁っているような感じがある。
若干の不安を感じる。けど、この砦の守りはこの兵士に任せないので構わないかな。
俺は、頼んでいた作業が終わって佇んでいる、レッドスカルに近づいた。
「私が戻ってくるまで、砦の扉をくぐって中に入ってきた人は全て殺していいですから。しっかりと守ってくっださいね」
「カタタタタタ」
顎を鳴らして了承の意を伝えてくると、レッドスカルは扉のすぐ後ろに陣取った。
きっと、顔が見えて俺じゃないと分かった瞬間に、手の白い大剣で斬る気でいるんだろうな。任務に実直なことだ。
さてさて、とりあえず砦にいる用事は終わったので、俺たちは町に戻ることにした。
朝日が昇る中、川岸を歩いていき、船の脇でタバコを吸っている漁師と再会する。
「砦の制圧は終わりました。戻るので、船を出してください」
「はいよ。嬢ちゃん坊ちゃんがたは、おねむの様だな。船の中で仮眠をとるといい」
漁師に言われて振り向くと、アフルンが眠そうな目を擦っていて、ピンスレットは頭を揺らしている。
エヴァレットとアーラィは共に、生あくびをかみ殺して、目に涙が浮かんでいた。
この世界の人たちは、あまり徹夜をしないから、起きていることが全員辛そうだ。
「では、お言葉に甘えて、船の上で優雅に仮眠するとしましょう」
「毛布はないが、ムシロはあるからな。かけて寝れば温かいぞ」
全員乗り込み、船は櫂で川を遡上していく。
程よい揺れが眠気を誘発したのか、俺と漁師以外はすぐに眠りの国に旅立ってしまった。
俺も眠たいが、朝日を目にして変に目が冴えてしまったので、寝るに寝れなくなった。
ぼんやりと眺めていると、他の船がこちらに近づいてきて、船頭が声をかけてくる。
「よお、この先はどうだい?」
返事を返すのは、櫂を動かしている漁師だ。
「砦の心配はしなくてよくなった。あそこらも漁場にできる」
「よっしゃ。網かけてくるとするぜ」
一隻が川を下っていくと、他の小船たちも下り始めた。
どの船に乗っている顔も、大漁を期待しているように見える。
俺は後ろに顔を向け、漁師に尋ねる。
「あの砦の周辺って、いい漁場なのですか?」
「長年あそこらには網を投げられなかったんですよ。なので今回は調査も兼ねてってやつです。うまくすれば、大物がかかるかもしれませんよ」
逞しいことだと思いつつ、眠気でぼんやりと川面を見続ける。
朝日に煌めく川に、網を投げる漁師。木々が風に揺れ、跳ねた魚がまた川に落ちる。空は晴れて青いが、ところどころに雲がある空模様。
昨日砦で死傷者が出たとは思えないほど、長閑な光景だなぁ。
まったりと風景を楽しんでいるうちに、どうやら俺も寝てしまっていたらしい。
船が少し大きく揺れた衝撃で意識を取り戻すと、すぐ目の前に町の街並みが見えていた。
川渡を終えてキルティの屋敷に戻り、砦であったことを伝えた。
ちなみに、エヴァレットたちは寝足りないらしく、ベッドに運ばれてまだ夢の中だったりする。
「うっそ、一日であの砦を落としちゃったの!?」
キルティは信じられないという顔で驚き、気の抜けたような顔に変わった。
「先祖代々から、監視し続けられてきた砦だったのに……」
「今回の相手は兵士じゃなくて野盗でしたからね。今までで一番楽な相手だったというだけのことですよ」
「それいしてもさ。トランジェさまができるなら、ボクらやご先祖だってやりようはあったような気がするんだよね」
キルティは考え込むが、『もしたられば』なんて可能性に悩むなんて意味がないのにねえ。
仕方がないので、適当な慰めをいう事にした。
「できなくはなかったでしょうね。けれど、キルティの祖先は子孫を生き残らせるために。聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスに従う道を選んだのだと思いますよ」
「そう、かな?」
「でなければ、この里はもっと悲惨な状況で扱われていたでしょう。それこそ、媚薬香水を生み出すための牧場として、運営されていたかもしれません」
「そう考えると。ご先祖も頑張って、いままでの状況を勝ち取ったってことだね」
「そうですとも。いまキルティたちが平和に暮らしているのは、先祖が頑張ってくれた恩恵なのでしょう」
とりあえずいい話風にまとめてから、別件を切り出す。
「それでですね。あの砦は、私たちとキルティたちにとって、重要な拠点となります」
「トランジェさまは、里の外で偶然に生まれるジャッコウ体質の子を集めて連れてくる。ボクたちは媚薬香水をそちらに卸す。その作業に都合がいい場所ってことだね」
「はい。なので、ジャッコウの民に駐屯してもらって、保持し続けてもらわないといけません」
「それは当然だね。早速、有志を募って送り出すとするよ」
「いえ、それは待ってください。砦には私が作り出した魔物がいます。私が同行しないと、殺される可能性があります」
「うげっ。そんな危ない魔物を、放置しないでよー」
「大丈夫ですよ。命令に忠実な魔物ですから。もっとも、忠実であるがゆえに融通が利かないのが欠点なのですけどね」
という事情があるので、砦に駐屯する人を集めて、午後に出発することに決めた。
「砦に関して、もう一つ情報があります。どうやらあと二十日前後ぐらいに、砦に補給物資を乗せた人がやってくるそうです」
「えっ、それってまずいんじゃないの? だってほら、砦の野盗って殺しちゃったんでしょ?」
「いえ。一人生かしているので、彼に補給隊の受け答えをさせるつもりです。補給物資は定期的にくるそうですが、今後もその人に対応を任せればいいでしょう」
「なら、問題はないんじゃない?」
「能力が不明ですからね。最初の受け答えのときは、立ち会わないといけません。そして、何がきっかけでバレるかわからないので、駐屯させる住民の人にも警戒を促す必要があります」
「むむむー、なんだか難しい話だね。トランジェさまに任せるから、いいようにやって欲しいかな」
「そう言われるのであれば、微力を尽くさせてもらいますね」
「微力って、砦を落として置いてさ」
キルティは苦笑いをした後で、自分の唇を舌先で舐めた。
「駐屯する人を集めるのは使用人に任せればいいから、お互いに空いた時間があるよね?」
なにを狙っているのか丸わかりなので、手を突き出して拒否する姿勢を見せる。
「その時間で睡眠をとりたいので、遠慮させていただきます」
「ふーん。じゃあさ、湯浴みならどう? 体温まれば、ぐっすり眠れるでしょ?」
その提案は断れないほど魅力的だった。
元が日本人だけあって、全身が温まるという誘惑には弱い。
「……湯浴みだけなら、喜んで」
「ふふふー。じゃあ、伝えてくるねー」
キルティが何か企んでそうだなと思いつつ、出されていたお茶を飲んでサウナの用意が整うまで待つ。
やがてメイドが呼びにきて、俺を案内してくれる。
この時点で、キルティの姿がないことに、若干不安を抱いた。
服を脱いでサウナに入ると、その不安は的中していた。
「いらっしゃーい、お客さん。今日はたっぷり奉仕しちゃいますよー」
にこにこと笑うキルティが、たっぷりとオイルを塗った手で立っていた。
彼女の隣には、前に施術をしてもらったあのメイドもいる。
やっぱりかと諦め、俺は熱いぐらいのサウナの中を進み、段差に腰掛けた。
そしてキルティを見てから、助けを求める目をメイドに向ける。
あっ、目をそらされた。ちくしょう、助けはいないのか。
「ほらほら、トランジェさま。お互いにヌルヌルしあいましょうよぉ~」
オイル塗れの手を伸ばしてくるのを見て、俺は諦めて段差に腹ばいに寝転がった。
「ほえ?」
俺の行動が信じられない様子のキルティに、言葉をかける。
「按摩してくれるんですよね。お願いします」
「え、あ、はい。じゃあ、失礼しまーすー」
調子が外された様子で、キルティは俺の背中に手を当て、オイルを塗り広げていく。
「なんだ、上手じゃないですか。気持ちいいですよ」
「え、ほんと!? えへへー。実は、ちょっと教えてもらったりしてたんだよねー」
褒めると、キルティが機嫌よくなり、マッサージの手つきが真剣身を帯びてきた。
これは、なかなか、いい感じだな。背中のコリが、段々とほぐれてくる感じがする。
「ふうふう。トランジェさまって、背中が広いね。それに筋肉質で、揉みがいがある感じだよー」
「ありがとうございます。キルティの手の感触が心地よくて、ここで寝てしまいそうですよ」
「えへへ。じゃあ、もうちょっと、頑張っちゃおうかなー」
そうやってマッサージを受けてしばらくすると、不意にキルティの動きがぎこちなくなった。
「キルティ??」
振り向くと、キルティは赤い顔でふらふらになっていた。
きっと、温かいサウナで運動したせいで、熱中症気味になったのだろう。
俺は視線でメイドに伝えると、彼女はキルティを抱きかかえた。
「里長さま、張り切りすぎましたね。これ以上、ここに長居はさせられません」
「ええー、そんなー。これからトランジェさまと、いいところだったはずなのにー……」
ずるずると連れて行かれる姿を、手を振って見送る。
その後で、じっくりとサウナで温ってから出て、ぽかぽかとなった体で部屋のベッドに飛び乗った。
芯まで温まった体と、清潔なシーツと陽の匂いの枕のお陰で、秒を数える前に夢の中に入り込むことができたのだった。




