百六十七話 作戦を果たすには、待つことだって重要です
砦の方が喧しくやっている中、俺たちは静かに川に入る。
顔を川の上に出していたら、なにかの拍子で見られる可能性があるな。
念のために、水中呼吸の魔法をあらかじめ全員にかけて、水中を行くことにした。
「自由の神よ。水の中でも呼吸のできる力を、我々に密かに授けたまえ」
光量が抑えられた白い円が足元に現れ、そこから現れる光の粒が、俺たちの口と鼻に集まり浸透していった。
準備が完了したので、川の流れに従いながら、ゆっくりとした動きで進んでいく。
俺が平気で水中で呼吸する中、エヴァレットたちは長く息を止めている。
けど堪えきれなくなったようで、恐る恐る一回目の呼吸をしていた。
一回呼吸ができたら、あとはもう楽々と呼吸しながら水中を進んでいる。
程なくして、砦に続く桟橋の橋脚が見えてきた。
全員で手を繋ぎあい、誰かが流れて行かないよう防止しながら、橋脚を掴む。
その後で、桟橋の真下に顔を出した。
「さて、ここで少し待機します」
「少しとはどのぐらいですか?」
「矢を撃っても効かないと分かって、野盗たちが砦から打ちに出てくるまで待つので、彼ら次第ですね。あまりにも遅いようでしたら、待つことは諦めて砦の門を強襲します」
エヴァレットの疑問に答えると、次にアーラィが質問してきた。
「野盗たちが打って出てくるのを待つ間に、桟橋に繋がった船の底に、穴を開けておいたらいいのではないでしょうか」
「うん、それは良い考えだね。けど、桟橋から川縁へ行くにはすぐだから、意味は薄いかな。それと砦に残る人数を少し減らしたいから、船は健全に使える状態で置いておきたいな」
「そうなんですか……」
珍しく意見を言ってくれたのに、シュンとさせてしまった。
うーんでも、アーラィの意見を取り入れるわけにもいかないしなぁ。
悩んでいると、アフルンが身を震わせて喋りかけてくる。
「ねえ、トランジェさま。川の中にいるの、かなり寒いんだけどぉ。どうにかならない?」
「寒冷対策の魔法もあるにはあるのですけど――」
「じゃあ、それを使ってよぉ。このままだと、凍えて死んじゃいそうだしぃ」
「――あいにく、水中呼吸の効果が切れるまで、重ね掛けができないんですよね」
フロイドワールド・オンラインの設定では、回復魔法と同じく、体にかける補助魔法も再度かけるまでの待機時間が存在する。
そして、回復魔法と補助魔法の待機時間は重複する。
なので、肉体に魔法の効果があるときは、どちらも使えない仕様となっていたりする。
その説明に、アフルンは疑問を持ったようだ。
「あれぇ、おかしいわぁ。前に防御力を上げる魔法と、攻撃力を上げる魔法を、同時に使っていた気がするけどぉ?」
その指摘は正しい。俺は前に、補助魔法を重ね掛けしたことがあった。
けどそれには、ちゃんとした仕組みがあったりする。
「あのときは、体ではなく『衣服や武器』に補助魔法をかけていたでしょう。肉体にかけなければ、一つの物に対して一つずつ、補助魔法をかけることができるのです」
「なんだか、それだけ聞くと、ずるっぽいわぁ」
ズルと言われようと、これがフロイドワールド・オンラインの仕様なのだから仕方がない。
きっと開発陣も、補助魔法一つだけじゃ効果悪いだろう、って気が付いて変更したんだろうな。
なにせあのゲームの売りは、派手な魔法と剣技でバンバン敵を倒すことだ。補助魔法はその名の通り、戦闘の補助に使われるので、回復魔法と違って便宜が図られたに違いない。
さて、ゲームの話はおいておこう。
そんな仕組みなので、水中呼吸の効果があっても、寒さを防ぐ方法はある。
「そうですねぇ――この首飾りを装着してください」
「あらぁ。これってもしかして、寒さを防ぐ効果のある魔法の道具なのぉ?」
アフルンが輪だけのネックレスを首にかけるのを見ながら、俺は首を横に振る。
「それは何の変哲もない、鉄の輪の首飾りですよ」
「なら、寒さは防げないじゃないのぉ」
「いえいえ。その首飾りに、寒さ防止の魔法をかけるんですよ」
ためしにと、その首飾りに耐寒の補助魔法をかけてあげた。
「あらぁ、本当に温かくなってきたわぁ」
「本当に?! ご主人さま、こちらにも首飾りを貸してください」
「トランジェさま、あの、わたしにも……」
求められたので、ピンスレットとエヴァレットにも首飾りを貸し、耐寒の補助魔法をかける。
アーラィはどうするのかと視線を向けると、必要ないと首を横に振られた。
それならいいやと思っていると、アフルンがにやりと笑いかけてきた。
「ねえ、トランジェさまぁ。全員裸なのに、三人の美女だけ首飾りつきって、変態っぽくないかしらぁ?」
アフルンの発言に、俺は確かにと納得してしまう。
言っておくが、みんな裸なのは、川に入って泳ぐために仕方がないことだった。
ローブなんて着ていたら、水を吸って重くなり、濡れた布が体に纏わりついてしまう。水中呼吸で息ができても、うっかり桟橋を掴み損ねて、下流に流される恐れがあったのだ。
ちなみに、脱いだ服は全て、アイテム欄に収容してある。
俺がそんなことを考えていた一方で、アーラィがギョッとした顔をした。
さらに思わずという感じで、彼の視線がアフルンの慎ましやかな胸元へ向かう。
そのとき、お前に見せてたまるかという感じで、アフルンの手がアーラィの顔を押さえた。
「なによ、このむっつり。女性経験ができた途端に、女の体に興味がわいたってことぉ?」
「い、いや、違うよ。今のは首飾りを見ようとしただけで、アフルンの裸を見ようとしたわけじゃ。それに僕は、豊かな胸の女性の方が好きだから、アフルンは好みじゃないし」
誰を思い浮かべて、なにを口走っているんだと、アーラィを止めようとした。けど、川の中で動き辛くて一歩遅かった。
案の定、女性陣からアーラィは白い目で見られてしまう。
「うわー。言い訳した上に、注意したこっちの心を傷つけにくるなんてぇ、最低ね」
「そこは嘘でも、綺麗な体だったからつい、って言っておいた方が傷が浅かったのに」
「女性の体に興味を持つなとは言わないが、見たら責められる覚悟は持っておくべきだ」
女性三人から責められて、アーラィが青菜に塩のような状態に。
ごめんよ、俺が止めるのが遅かったばっかりに。
今更フォローはできないので、隠れているんだから静かにとジェスチャーして、エヴァレットたちを黙らせた。
その後で、不用意な発言をしたアーラィに、小声で釘を刺す。
「アーラィ。下手に取り繕うとするから、こうなるんです。女性の裸を不注意にも見てしまったら、男らしく非を素直に認めましょう」
「でも、トランジェさま……」
「男のサガだという事はわかっていますとも。であればこそ、自由の神の教えを思い出すべきなのです。そう、心の欲求に素直に従うというあの教えを。アーラィの心の奥底にある欲求がなにかを、よく考えましょう」
小声での説法を行いつつ、女性組には分からないように、後で一夜を共にしたメイドの人に慰めてもらえと暗に伝える。
アーラィは俺の言わんとすることが分かったようで、神妙な顔で頷く。
よしよし。これで統率者の俺が釘を刺したことで、エヴァレットたちの留飲が下がる。そしてアーラィは心の傷を、後でメイドに治してもらいにいく。
うん、不幸になる人が誰もいない、名采配だな。
なんて自画自賛していると、砦の方の音が変わった。
明らかに弓矢の音がやみ、かなり静かになった。
「トランジェ――」
エヴァレットが何か言いかけるが、俺は手でそれを制す。
そして全員に黙っているようにと、ジェスチャーする。
少しして、俺たちのいる場所に、扉が軋みながら開く音がした。
さらには、こちらに近づいてくる足音も。
きっと、草むらの中を逃げ回るスケルトンを仕留められないことに怒り、直接戦闘で倒しに向かう気なんだろう。
俺は身振りで、全員を水の中に戻るよう指示する。
水中呼吸の効果時間にはまだ余裕があるので、かけ直す必要はないはずだ。
俺たちが水の中に入り込むと、桟橋の橋脚を伝って、頭上の音が聞こえてきた。
どやどやと桟橋を走り、何度も小舟が揺れる光景が、すぐそばに見える。
「――げよ――んだ!!」
水越しにも聞こえる怒声の後、音の大きさと頻度が増した。
きっと急いで小舟に乗っているんだろう。
ここまで波紋が立つと、水上からじゃ桟橋の下の水中にいる、こちらの姿なんて確認できないな。
敵に見つかる危険が薄れたことに安心していると、小舟が川原へ向かって移動を始めた。
船が全て移動し、川原に乗り上げたことを、俺は桟橋の下に目から上を出して確認する。
その後で、エヴァレットたちに指示して、全員が急いで桟橋に上った。
「遠目で野盗に見えるよう、ボロの古着を着ます」
アイテム欄から古着を取り出し、濡れた体のままで何枚も重ね着していく。
これは、女性陣の体系を誤魔化すためでもあるが、戦闘になった際少しでも怪我を減らす狙いもあってのことだ。
急いで服を着た後、盗賊っぽい武器を選んで出し、全員がむき身で手に握る。
ここで防御と戦闘用の補助魔法をかけてもいいのだけど、砦に近すぎるので、魔法円を見とがめられる可能性がある。
なので補助魔法は使わず、急いで穿たれた巨石にある石段を駆け上っていく。
入口は目と鼻の先。
開いたままなら押し通るまで。
閉まっていたのなら、一発勝負のハッタリ劇場の開演だ。
 




