百六十三話 里長には舵取りの仕事があります
サウナから戻って少しすると、俺の部屋がノックされた。
「開いてますよ、どうぞ」
入室の許可をすると、やってきたのはやっぱりというかなんというか、薄手のローブ姿のキルティだった。
彼女もサウナ上がりなのか、上気した肌をしていて、手には酒瓶と木杯が二つ握られていた。
「やあ、トランジェさま。寝酒なんてどう?」
そう言われて、顔を窓の外に向ける。
山の稜線の上に、まだ夕日が顔を覗かせていた。
「寝酒って、まだそんな時間じゃない気がしますが?」
「ふふふっ。トランジェさま以外は、もうぐっすりですよ」
「……薬かなにかを飲ませて、眠らせたのですか?」
ここでキルティの謀反かと疑ったが、警戒し損だったらしい。
「いいや。湯あみ場で使用人たちによる丁寧な按摩を受けて、夢心地のまま夢に旅立ったってだけ。もう、ボクがトランジェさまに敵対するはずがないじゃないかー」
こんなにも慕っているのにと、こちらに体を寄せて頬を摺り寄せてくる。
猫耳をもつキルティらしく、猫っぽい親愛の仕草だ。
俺は彼女の頭を撫でつつ、ベッドの縁に誘導し、二人して腰掛ける。
そして、お互いに木杯を持ち、酒を注ぎあう。
「ふふふっ。それじゃあ、再開を祝して」
キルティの音頭で、乾杯する。
杯の中身を一口飲むと、不思議な味わいの酒だった。
白い酒なので、どぶろくみたいなものだと思っていたけど、ヨーグルトの味わいに近い。
「これはなんていうお酒ですか?」
「これはね、ジャッコウの里秘伝の製法で作った、牛の乳を発酵させて作ったお酒だよ。量が少なくて、なかなかの高級品なんだー」
そんな貴重な酒ならと、味わって飲むことにした。
酸味が強く、アルコール分は薄め。けど不思議なことに、チーズのような発酵臭はない。
元の世界にある、有名乳酸飲料の原液の匂いに近く、良い匂いと言える。
味も匂いも気に入り、ついつい二口三口と飲み進めてしまう。
半分ほど減ったところで、キルティが甲斐甲斐しく注いでくれた。
「貴重なお酒なんですよね。いいのですか?」
「いいっていいって。トランジェさまに飲んでほしくて、取って置いたお酒だからねー」
だから遠慮なくと言われたので、再び一口飲む。
このまま酔い潰す気なのかと警戒して、会話を差し挟むことにした。
話題はもちろん――
「――砦を制圧した後、キルティはこの里をどうしようと考えていますか?」
聞いておきたいことなので尋ねたのだけど、ぷくっと膨れられてしまった。
「もぅ、こんな場面でもお仕事の話? まあ、いいけどさー」
不貞腐れた様子のまま、キルティは頭を悩ませながら考えを語っていく。
「ボクや多くのジャッコウの住民にしてみたら、この窪地の中がボクたちの世界だ。この中が平和であれば、それでいいよ。他がどうなろうと、知ったことじゃないね」
「それなら、このまま鎖国するということですか?」
「鎖国??」
意味が分からないようなので教えると、キルティは頷いた。
「その鎖国ってので、いいんじゃないかな。衣食住に困ってないし、幸いここに来るには、主に二通りしか方法がないしね」
山を穿って作ったトンネルと、クレーター山脈の外へ通じる川が、この里と外を繋ぐ主な道だ。
エヴァレットと俺が通った、山脈の切れ目にある道も繋がってはいるが、主要とは言えない細く険しい道なので除外してもいいはずだ。
なのでトンネルと川を封鎖すれば、ジャッコウの里は外との交流を絶つことが可能だ。
けど、本当にそうしていいのかという疑問も残る。
「ジャッコウの里の人たちの中には、赤ん坊のころに外から連れてこられた人もいたのですよね?」
先祖返りで、体から異性を誘う匂いを放つサキュバスとして生まれた子が、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒に集められたことが、ジャッコウの里の成り立ちだった。
それは確か今でも続いていたはず。
そう確認すると、キルティは首肯した。
「うん、その通りだよ。それがどうかした??」
「鎖国してしまうと、外で生まれたジャッコウな赤ん坊が、この里に入れなくなってしまいますよ」
「ああー、なるほどね。ううーん、それはそれで困ったなぁ」
キルティは腕組みしながら続ける。
「ジャッコウの民って、特殊な製法で作る媚薬ほど強くはないんだけど、異性を引き付ける匂いを放てるでしょ。その特性を悪用されると、その赤ん坊がかわいそうだよねぇ……」
「この里が鎖国すれば、媚薬香水が手に入らなくなるので、ジャッコウの新生児に群がる人は多いでしょうね」
「だよねー。うーん、どうしようかなぁ……」
キルティが真剣に悩んでいる中、申し訳ないけど、少し聞きたいことができた。
「里とは関係のない親から生まれた子なので、見捨てるという手もありますよ?」
多くの人間は、自分と関係のない子まで心を砕いたりはしない。
だから鎖国してもいいと言うと、キルティは首を横に振った。
「いいや、ダメだよそれは。ボクらと同じ特性の体を持つ子なら、保護してあげないと。聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒がいままでやってくれていたけど、砦の件を見る限りじゃ、これからはボクたちがやらないといけないんだろうなぁ……」
「そこまで気負う必要はないと思うのですけど?」
「トランジェさま。ジャッコウの民はね、体を重ねることが好きな人ばかりだから、片親が違う子なんてのもザラにいるんだ。けど、子供はみんな可愛いから、里のみんなで手伝って子育てする。それは連れてこられた赤ん坊だって一緒なんだ」
「つまり、外で生まれたジャッコウの体質を持った赤ん坊も、慈しみの対象だと?」
「そりゃそうだよ。このまま外で育ったら、不幸になるって目に見えているんだから、手を差し出さないと。でも、いい両親に育てられているなら話は別かな」
そう言って、キルティは再び悩み始めた。
今までは聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒が、強制的に集めてくれていた。
なので、自分たちで保護をするなら、連れて行く行かないの線引きを、新たにどこにするか考えているようだ。
キルティの話と様子を知るに、きっとジャッコウの里の人たちも、話を聞けば保護に前向きに取り組むだろうな。
なら、こちらは手伝える方法を持っている。
「キルティがそう決めるというのであれば、私はもう何も言いません。けれど、この里を鎖国しつつ、外にいるジャッコウの赤ん坊を連れてくる、そんな妙案があります」
「えっ! ほんとうに!?」
「はい。というよりかは、私の知己の奴隷商がやろうとしている事業に、便乗する形なのですけどね」
知り合いの奴隷商ことクトルットは、邪神の残滓に囚われし子と言われる、先祖返りで異形で生まれた赤ん坊を回収する気でいる。
そこに、ジャッコウの特徴を持つ子も、回収リストに入れるだけの話だ。
そんな青写真を伝えると、キルティは目を輝かせた。
「それ、それにするよ! どちらもできるなら、文句なしだよー!」
嬉しそうにするキルティに、言わねばならないことがある。
「話した通り、奴隷商の仕事に便乗します。となると、相手も商売なのでお金が必要になってきます」
「うげっ。そっかー、仕事だもんねー。でも、里にはお金がないんだよねー」
媚薬香水を聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスと取引していたけど、物々交換だったのでお金がないらしい。
「なら、そのまま現物取り引きでいいでしょう。この場合は媚薬香水と赤ん坊とでですね。この牛乳のお酒も、交換品として扱えると思いますよ」
喉を潤すために飲んでいたら、杯の中が空になっていたので、お酒を自分で注ぐ。
改めて味わい、珍しさからも売れるだろうと確信する。
俺の提言を受けて、キルティは悩みに悩んだ様子だった。
けど、今までと大差ない生活だと分かったのだろう、最終的には納得してくれた。
「トランジェさまの提案通りにするよ。けど、完全には鎖国できないよね。しちゃったら、赤ん坊を連れてくる奴隷商が入れなくなっちゃうし」
「その通りですね。街道か川、どちらか一方の流通を残さなければいけません」
「となると、馬車での運搬のしやすさから、街道のほうかな?」
「いえ、ここは川でしょう。山に空いた穴は、出入り口の砦を壊せば塞げます。けれど、川は塞き止めたりはできませんから」
「そうだよね。川を止めちゃったら、この里が水浸しになっちゃうもんね」
すっかりとやる気になっているが、ここで少し釘を刺しておこう。
「今日明日にしなければならないことでもないので、里の知恵者と話し合って決めてくださいね」
「それはもちろんそうするよ。でもそうなると、明日から忙しくなりそうだなー」
嫌だ嫌だと肩をすくめてから、キルティはまた自分と俺の杯に酒を注ぐ。
そして媚びるような顔で、こちらを見つめてきた。
「難しい話は、これで打ち止めにしようようー。ここからは楽しく過ごそうよー」
「はいはい、分かりましたから」
苦笑いして、酒を口に含みつつ、キルティの頭を撫でやる。
すると、キルティはお返しのように、俺の頭を抱きかかえた。
彼女の独特の体臭である、柑橘系のような匂いが鼻の奥へと入ってくる。
これが男を誘う匂いだと分かっているので、酔って自失する前に、キルティの豊かになった胸元から顔を上げる。
こちらがつれない態度を取ったのに、キルティは笑顔になっていた。
「ふふふー。やっぱり、最後の一押しが必要だったみたいだー」
嬉しそうに笑いながら、こちらの股間に手を伸ばす。
その先には、既に臨戦態勢になって、ローブを内側から押し上げているモノがあった。
自覚なしだったので驚いている間に、キルティ―の手が到達してしまった。
「たくさん飲んだから、すっごい熱いや」
嬉しそうに撫でる手を止めようとして、キルティの言葉に眉を寄せる。
「たくさん飲んだ――このお酒はまさか」
「牛のジャッコウの民の母乳で作る、特性のお酒だよ。媚薬香水のように即効性はないけど、持続が長いんだよねー」
そう答えた後で、キルティはもう一度俺の頭を、胸元に抱き込んだ。
先ほどよりも濃い匂いがして、すぐに俺の体の一部が顕著に反応する。
あまりに反応してしまって、痛くなるほどだった。
そこに、キルティが甘い声を出して誘ってくる。
「トランジェさま。今日までボクを放って置いた分、たーっぷりと利子をつけて、満足させてね♪」
にんまりと笑い、キルティは俺の頭を抱いたまま、大きなベッドの上に横たわった。
俺が自制できたのはそこまでで、ここから後は自由神の神官らしく、心の思うままに行動した。
なにがどうしたとは言わないけど、翌朝に二人でサウナに入り、疲労困憊の体をメイドにマッサージしてもらったとだけは言っておきたいと思う。




