百五十九話 なんだか各地が大変らしいです
ジャッコウの里を目指して、俺は馬車を操って進む。
目の前に広がるのは、延々と続いているかのように見える、道と草原だ。
世界情勢が混乱しているのに、この世界の自然はゆったりとした雄大さを披露し続けている。
のどかな光景に、思わずあくびが出そうになる。
その姿を見られていたのか、横に座るエヴァレットがそっと手を差し出し、手綱を握る俺の手に乗せてきた。
「トランジェさま。お疲れなのでしたら、代わりますが?」
「いえ、疲れてはいませんよ。少し暇だったので、あくびが出てしまっただけです。心配してくれてありがとう、エヴァレット」
「そんな、礼を言われるようなことでは……」
照れた様子のエヴァレットの頭を、俺は手で優しく撫でてやる。
すると彼女は、こちらの方に頭を乗せてきた。
珍しくエヴァレットが甘えてきたので、その長い耳を手指で弄んであげることにした
くすぐったいのか、エヴァレットの腰がくねり始める。
そうして軽くイチャイチャしていると、馬車の荷台から顔を出してくる人がいた。
「ご主人さま。エヴァレットだけなんて、不公平です。こちらの頭も撫でてくださいな」
ぷくっと頬を膨らませて、ピンスレットが抗議してきた。
俺は要求に苦笑いを返し、自分の手綱を握る手と、エヴァレットの耳を擦る手を交互に見て、手が空いていないことを伝えた。
すると、ピンスレットはより不機嫌な様子になる。
しかし次の瞬間には、なにかを思いついた顔になり、御者台に入り込んできた。
そして得意げな顔で、俺の太ももの上に座り、体をこちらに預けてくる。
「手が空いていないのなら仕方がありません。なのでお膝をお借りしますね」
にっこりと笑うピンスレットの体温が、ローブ越しに伝わってきた。
じんわりと体が温かくなってきた上に、鼻にはピンスレットの匂いがやってくる。
男の獣欲が刺激され、体のある一部が反応しかける。
自制して反応を堪えると、ピンスレットが座る位置を直すように、自身のお尻を俺の太ももの上で動かす。
いや、押し付けるような動きなので、誘惑するつもりなのだろう。
生意気な誘いをいさめるため、俺は自分の顎をピンスレットの頭の頂点に当てて、ぐっと押し込んだ。
「いたたたっ。ご主人さま、地味に痛いです、それ!」
「なら、大人しく座っていなさい。膝にいることは許しますから」
「むぅぅ。はーい、分かりましたー」
ピンスレットは両足をそろえて閉じると、いっそうこちらに体重を預けてくる。
腹筋に力をいれて受け止めてあげた。
そこで、呆れ果てたような声が、荷台からやってきた。
「まったく、三人でベタベタとぉ。見ているこちらが、暑苦しくなるわぁ」
嫌だ嫌だ、アフルンが言う。
そのことに、ピンスレットが前を向きながら反論する。
「アフルンたら、素直じゃないんだから。羨ましいって言ったらどう?」
「別に羨ましくなんてないわぁ。だって、トランジェさまって、御者台にいる間は誘惑に乗ってこないんだものぉ」
「……そういうことは、ご主人さまと一度でも寝床を共にしてから言ったら?」
「そうしたいは山々なのだけどぉ。一緒に寝る手伝いをしてくれるのぉ?」
「残念でしたー。ご主人さまが嫌がることは、絶対にやらない主義なので、やりませんー」
「なによそれぇ。わたしがトランジェさまに嫌われているって、そう聞こえるわよぉ?」
アフルンがピンスレットに噛みつき、二人で言い合いを始めた。
俺を間に挟まないで、荷台の中でやってほしいなと思っていると、二対腕のアーラィが止めに入ってくれた。
「ふ、二人とも、トランジェさまが困っているからさ」
おどおどと言葉をかける彼を、アフルンとピンスレットはギッと睨みつけてから、ふっと息を吐いて言い合いを止めた。
二人は根が優しいので、善意から制止したアーラィに、怒鳴る気になれなかったようだ。
俺はその様子を見ていて、次からは自分で止めようと決めた。
さて俺が、エヴァレット、ピンスレット、アフルン、アーラィを、ジャッコウの里に行くメンバーに選んだのには、ちゃんとした理由がある。
エヴァレットは詳しい里の場所がわかる上、里長のキルティ・エショットと顔なじみのため、連れて行かない選択肢はない。
ピンスレットは俺と絶対に離れないと宣言して、置いていってもついてきそうだった。なのでメンバーに加えた。戦闘力と家事能力が高いので、旅に連れて行っても利点しかない点も考慮に入れてはいるけどね。
アフルンは、彼女の体質により理由だ。彼女は体から、人を操る色々な匂いを発することができる。ジャッコウの里の人も同じような体質なので、連れて行けば何かしらの成長を得られるのではないかと思ってのいる。
アーラィについては、腕四本による多彩な攻撃を見込み、護衛役としてついてきてもらっている。あと、その目立つ見た目のお陰で、彼がバークリステの従者だと知れ渡っていることも大きい。
ジャッコウの里を守るのは、以前と同じなら、旧来の聖大神の勢力だ。
聖女の従者として知られるアーラィと、偉い神官のお墨付きの入った活動許可証があれば、街道から里に入れるんじゃないかと期待している。
これは他の皆には隠していることだけど、アーラィは自分の異質な見た目を気にしている節がある。
腕四本を使った戦闘を駆使してきて、だいぶ薄れてきてはいるけど、もう一押しが必要だと俺は思っていた。
なので、時間と機会があれば、ジャッコウの里の人にアーラィのお相手を頼む気でいる。
男は一皮剥くと、がらっと変わるっていうからね。
馬車の旅路は平和――かと思えば、ちょっと違ったらしい。
「おい、そこの馬車。止まれ!」
前に出てきたのは、野盗らしき人たち。
布教の旅をしていたときにも、こういう人たちにあったなと、ちょっと感慨深くなった。
けど、彼らの姿を見て、おやっと思った。
粗末な衣服を着て、刃物だけでなく日用品を武器に持っているのは、まあいいとしよう。
けど、男性だけではなく女性もいる上、年端もいかない子供すらもいる。
なんか、一家総出で野盗に落ちたような見た目だった。
俺は馬車を止め、突撃しようとするピンスレットを制止する。
そのあとで、御者台から彼らに声をかけた。
「なにかご用ですか?」
「用は、これを見ればわかるだろ!」
父親っぽい人が、包丁をこちらに突きつける。
俺はあえて、理解不能という顔をしてやった。
「包丁がどうかしたのですか? ああ、研ぎなおしてほしいとかでしょうか?」
「ふ、ふざけるな! 食べ物だよ! 食べ物を出せ!!」
余裕がないなと思いながら、もう一度彼らを確認する。
薄汚れているからはっきり確認はできないけど、なにか痩せこけているように見えた。
視線を子供に移すと、空腹で力が出ないという感じで、手にした麺棒をひどく重そうにしている。
彼らの様子を見て、俺はある提案を持ち掛けた。
「食料を渡してもいいですよ。ですが、脅されて渡す気にはなりません」
「な、なんだと! この状況を見て――」
「なので、貴方たちの身の上話を聞かせてください。話をしてくれるお礼に、食糧をお分けします」
俺の言葉に、彼らはひどく困惑した様子だった。
「な、なら、先に食べ物をくれないか。少しでいい。子供に食わせてやりたいんだ」
「分かりました。ではまずは少し、話が終わればさらに、食糧をお分けしましょう」
俺が身振りで支持すると、ピンスレットが荷台に置いてある分の食料を少し抱え、彼らに差し出した。
「おおー、まさか、本当に!」
感激したように受け取ると、子供に食べさせ始めた。
少量ずつ与えて、ゆっくり食べさせているのを見ると、空腹時に一気に食べる危険をしっているんだろうな。
ということは、飢饉の経験がある村の出身だろうと当たりがつく。
そんなことを考えているうちに、渡した食料が食べられて尽きた。
すると、もっと俺たちから食料を貰おうと、野盗になるまでの経緯を喋りだす。
「わ、私どもは、ここから少し遠い村で生活しておったものです――」
そう始まった話によると、この家族は出身村から逃げてきたらしい。
彼らの村では新しい神を祭るようになり、旧来の聖大神を崇める人を追い出した。
それでしばらくは平和だったが、問題が起こりだす。
簡単に言えば、新しい神から宣託を受ける神官が、暴走をし始めたらしい。
自らを村の長であると振る舞い、反抗する人には容赦なく神の名で罰を与えたそうだ。
その神官は元は奴隷だというので、見下げられた存在が神の声を受けて人の上に立つようになったら、暴走もするだろうなと理解する。
ただ、それだけなら耐えればいいと、村人たちは思っていたそうだ。
「従っている分には、いい神官さまでしたので。ですが、そうも言っていられなくなりました」
「それはまたどうしてです?」
「他の村の人たちが、私らの村に襲い掛かってきたからです」
驚いて詳しい話を聞くと、村で神官に虐げられた人が逃げ、別の村で話をしたのだそうだ。
『あの村にいる神官は、人を虐待する悪い神官だ。きっと悪の神に仕えているに違いない』
そんな話を真に受けて旗印にして、話を聞いた別の村の人たちが、この家族が住んでいた村に襲い掛かってきたそうだ。
襲う準備をした側と、襲われることを考えていなかった側との勝敗は、言わなくてもわかるだろう。
その争いの混乱に乗じて、この家族は村から逃げて、行くあてのない旅をする羽目になったらしい。
持ち出した食料を節約し、野草や虫なども食べてきたが、とうとうどうにもならなくなり、野盗行為に手を出したそうだ。
「そうだったんですか。それは、さぞお辛かったことでしょうね。お約束通り、食糧をお分けします」
俺はさも同情したかのように言って、荷台にある食料の大半を彼らに渡す。
もっとも、ステータス画面のアイテム欄にある、多くの食料に比べたら、いま渡した食料なんて微々たるものだ。
けど、荷台の食料をほぼ渡したことを見ていたのか、彼らは涙ながらに受け取ってくれた。
「ああ! まさか、こんなに良い神官さまが、この世にいるだなんて!」
「服装を見て神官だと知り。逆恨みにも、襲っても構わないと思ったことが、恥ずかしく思えます!」
感謝の言葉は良いからと、食糧を食べるように身振りで促す。
彼らは涙を流しながら、生の野菜や塩抜きしてない干し肉ですら、美味い美味いと食べていく。
その姿を見ながら、俺は彼らの村が襲われた理由を考えていた。
きっと、虐待話はきっかけに過ぎないだろう。
たぶん、復活した神に命じられて神官となったものの中に、分不相応な望みを抱いた人がいたのだろう。
その野望を持った神官が虐待話を聞き、村を手に入れる大義名分に使ったに違いない。
考えてみれば、真・聖大神の神官ハルフッドも、それと似た思想があったように思える。
となると、これと似たことは、きっと各地で起こっているんだろうな。
戦乱の気配に、俺はまずバークリステたちを置いてきた、あの村のことを思った。
けど、多くの戦える神官を残してきたので、簡単にやられたりはしないだろうと安心する。
次に、いま向かっているジャッコウの里についてだ。
長い間隠されてきた里なので、すぐさまどうこうという事はないように思えた。
けど、旧来の聖大神教徒の里の存在を知っていた人の中に、他の神を崇め変えた人がいないとも限らない。
そしてその人が所属する教団が、ジャッコウの里を悪いものとして、滅ぼしに行く可能性はある気がした。
これは少し急いだほうがよさそうだな。
そう決意しながらも、目の前にいる野盗もどきの家族の始末を忘れずに行わないといけないよな。
俺はうさんくさい笑顔で、彼らに喋りかける。
「皆さんは、行くところがないと聞きました。幸いなことに、私は人を募集している村に、心当たりがあるのですが。知りたいでしょうか?」
せっかく減った村人を増やすチャンスだ。
彼らにエヴァレットたちがいる村のことを教え、行く場所がないならそこに行ってみたらと語ったのだった。




