百四十五話 望んだとおりになるとは、尊いものです
エセ邪神教を真の邪神教ないし中立神教にし終えた俺は、貧しく病を持った人たちを救いっていく。
これは、邪神教に入信させようという、前にやっていた理由からではない。
助けた人たちを、まだ復活していない神の、教祖にするためだ。
もちろん単純に、邪神の教祖となれ、なんては言わない。
「貴方と同じように、苦しむ方が大勢います。私はそれを救いたいのです。そして貴方も、その活動に参加してくれませんか?」
てなことを真摯に見える演技で語っていくわけだ。
大多数の人は、俺の回復魔法を受けて感謝や感動して、中には魔法の力を使えるならと、同意してくれる。
少数、貧困を理由に拒否しようとする人には、銀貨や銅貨が詰まった小袋を手渡す。
「この活動をしていればお布施が集まります――要するに、儲かりますよ?」
なんて言葉と共に、うさんくさい笑みを浮かべれば、ころっと騙されてくれる。
こうした俺の活動のお陰で、聖都の中は、大戦から蘇った善悪中立の神々の坩堝と化した。
さて、なぜ俺がこんな真似をしているかだが。
自由紳の神官の立場から言えば、崇める先の神を選ぶ自由を人々に与えるため。
そして、信者を一本化するための偽神――聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの仕組みを破壊することで、善の神の足並みを乱すためだ。
これで、この世界の宗教は聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス一色から抜け出し、様々な神の教えから、人々はいろいろな考え方を持つことが可能になるのだ。
――という建前は置いておくとしよう。
神官の立場を抜いた、俺としての理由は、それとは別にある。
理由は単純明快。
単に、面白くない世界を、面白くするためなんだよね。
だって、せっかく本物の神が存在する異世界なんだから、もっと神に対して敬虔であってほしいんだ。
聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスなんてお題目を掲げ、人々に正しい行いを説いているのに、トップが腐敗していて利益をむさぼっているなんて、看過できるはずがない。
とは言ったけど、勘違いしないでほしい。
腐敗体制は悪いことだと、俺は言いたいわけじゃない。
なにせ、ここは異世界だ。
元の常識を持ち出して、賄賂は悪いこと、不正は悪いこと、嘘や騙り、人殺しは悪いこと、なんて杓子定規な言い分を主張する気はない。
ただ、『聖を語るなら悪を許容するな』、『腐敗体制を保持したいなら、それに見合った神を崇めろ』と言いたいだけなのだ。
少し前までは聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス一択だったから、そんなことはできなかっただろう。
けど、色々な神が復活しているいまなら、自分の心が抱く欲望に合う神を見つけることができるはずだ。
その神を崇めた方が、我慢して聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスを崇めるよりも健全だ。
少なくとも、俺はそう思っている。
元の世界の日本を思い出してほしい。
無宗教だと多くの日本人は言い、実際に常に崇めている神仏はいないだろう。
けど、出産を控えた妊婦は安産祈願のお守りや帯を買うし、お盆に帰省して墓参りをするし、クリスマスにバレンタインだって祝う。
これは言い換えれば、そのときどきに、崇める神を変えているようなものだ。
そんな日本人みたいに、この世界の人々も、ある意味でファッション感覚で、崇める神を変えたっていいはずだと、俺は思う。
『うわー、二日酔いだわ。次の宴会のときは、酔いに効く酒の神に宗旨替えしておこう』
『職業変わったし、それに合った神さまに選びなおそうかな』
ってな感じにね。
こんな光景が広がるようになることは、実は人にとってとても痛快ごとなのだ。
なにせ、神が人を護る世から、人が神を選び捨てる時代になるということなんだから。
人が神を捨てる時代が来る、なんて思っていたのだけど、現実はそうそう甘くないらしい。
俺はいま、エヴァレット、スカリシア、ピンスレット、そしてイヴィガとアフルンを連れて、聖都を脱出したばかりだ。
なぜ脱出しないといけなくなったか。
それは、俺がやり過ぎたせいと、この世界の人々の常識を考えなかったせいだ。
長い間、人々は聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス一柱を崇めて暮らしてきた。
そのせいで、この神が正しく、この神以外は正しくない、という考えが身に染みついてしまっていたようなのだ。
そうだよな。
日本だって、大昔は神さまのことで争ったり、仏教の宗派でいざこざがあった。
そんな長い歴史の上に、国民が無宗教の集まりになった。
なのに、過程をすっ飛ばして、最終地点に導びこうとしても、うまくいくはずがないよな。
思い返していた俺が、御者台で少ししょんぼりとしていると、エヴァレットが横に座ってきた。
そして慰めの言葉をかけてくる。
「あの街で宗教紛争が起きたのは、トランジェさまのせいではありません。愚かな人間のせいです」
「あははっ。ありがとう、そう言ってくれて」
俺はエヴァレットの耳を撫でてやりながら、街で起きたことを回想する。
きっかけが何だったのかを、俺は見て知っているわけじゃない。
けど、話に聞いたところでは、近くで街宣をしていた二人が、真反対な言い分を披露したことで、どちらが正しいかと言い争いになったらしい。
口論は喧嘩に変わり、その二人が教祖だったせいで、魔法合戦に発展した。
ちょうどこのぐらいのときに、俺がその騒ぎを見つけたんだっけ。
『お前の祭る神は、ニセモノの神だ!』
『お前こそ、勝手に作った神を崇めているんじゃないのか!』
そんな言い合いをしながら、最低級の魔法を打ち合っていた。
見物人たちは逃げ惑い、近くの建物の壁に穴が開く。
この日は、街の警備がやってきたことで、決着つかずに別れたんだよな。
けど、この話が噂となって町に流れてから、雰囲気がガラッと変わった。
新しい教祖たちが、自分の主張に合わない他の教団を、実力をもって排除しようと動き始めたんだ。
それが一つ二つの教団だけの話なら、大した騒ぎにはならなかっただろう。
けど、この事件のようなことが起きないよう、自衛が必要だという建前で、ほぼすべての教団が実力行使を選んでしまった。
そこから始まったのは、どちらが正しいだなとという無意味な主張による、終わることのない宗教紛争だった。
まさに、枯れ草に落ちた火花が、あっという間に大火になるように、街中に紛争は広がっていった。
一応は、神々を無計画に復活させた責任を果たそうとは思った。
けど、すぐに俺の手に負えない状況になってしまった。
そして、正しい教えを広めるためには、闘争こそが必要だと考える人ばかりになってしまっていた。
仕方がない。
新しい教祖たちがそう願うのならと、正直面倒見切れないと、俺はエヴァレットたちを連れて脱出することにした。
そんな俺たちの周りには、同じように聖都から逃げる人々の姿がある。
俺たちが乗る馬車の中にも、行く方向が同じだからと、相乗りという形で乗せた家族もいる。
もっとも、俺たちが宗教関係者だと見て、当初は露骨なまでに怯えられてしまったけどね。
『私たち一家は、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスさま以外を、崇める気はありません!』
なんて、啖呵まで切られたんだよなぁ……。
ま、そう望むのならと、自由紳の心に従えっていう教義に則り、彼らはいまでも聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスを崇め続けてもらっているけどね。
というわけで、俺は失敗した。
すごく大きく失敗した。
ま、今までが、上手く行きすぎていたとも言えるよな。
終わったことを、いつまで考えても仕方がない。
ここは前向きに考えよう。
宗教間の諍いが起こるようになったことは、元の世界の歴史を顧みれば、人の営みの仕組みが前進したということでもあるはずだ。
争いの果てに棲み分けを覚え、分けられた宗教ができてから人々が選ぶ自由が生まれる。
そういう風に、俺の野望を組み替えればいいことだ。
うんうん。そういうことならいっそ、争いを劇化させる方法を考えるべきだろうな。
俺は御者台で馬を操りながら、静かに考えを巡らせていくことにしたのだった。
 




