百四十話 偽善な行動をするのは、得たい報酬を望んでいるからです
俺の指示で、イヴィガとアフルンの手によって、街中の人々に航迅の神復活の噂が流された。
その反応は、大きく分けて二つ。
「善の神が復活なされたことは、吉兆に違いない」
と、手放しで喜ぶ人たち。
「いまさら復活されても、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスさまがいるしなぁ」
なんて、困惑する人たちだ。
聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官たちも、後者の意見が多いようだ。
「隆盛な我が神の牙城を崩すほどの、脅威にはなりえない」
そう考えているらしい。
このことは予想がついていた。
だからこそ、エセ邪神教に、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒を切り崩す作戦を授けたわけなのだ。
さてさて、その作戦とは、どういうものなのか。
やることは簡単で、誰にだってできるようなことだ。
なので、俺もその作戦を実行するべく、エヴァレットとスカリシア、そしてピンスレットを連れて、町中を移動している。
やがて着いたのは、裏路地の端にあるこじんまりとした家だ。
「エヴァレット。情報では、この家ですよね?」
「はい。この家に間違いありません」
それならと、俺たち全員がフードを目深に被りなおした。
そしてフードの上から、特徴的な形の護符を首にかける。
この護符は、昨日会った教祖くんの生粋黒白天使ノア・ハブ・クホワ教団のものではなく、別のエセ邪神教のものである。
なぜ、そんなものを首にかけているのかは、それが作戦の一部だからという理由だ。
準備を整えると、俺はその家の扉をノックする。
一度ではダメで、二度、三度と、ノックを繰り返した。
四度目を行おうとした直前に、扉の鍵が外れる音がして、扉がうっすらと開いた。
「ごほごほっ。あの、どちらさま、ごほっ」
現れたのは、青白い顔をした、体調が悪そうな中年女性だ。
よほど病気が長引いているのか、げっそりと痩せこけていて、死人一歩手前のように見える。
こちらを怪訝に見てくる女性に口を開こうとして、彼女の足元に動く影が見えた。
目を向けると、ふくふくと可愛らしい女の子が、女性の足元にしがみつき、こちらを威嚇するように見ている。
笑顔を向けると、さっと女性の後ろに隠れてしまった。
怯えられてしまったかなって苦笑いしてから、病人の女性に顔を向けなおす。
「こちらに、困っている人がいると聞き、助けの手を差し伸べるために参りました」
聖職者っぽく聞こえる言葉を選んで告げると、女性の困惑がさらに増したように見えた。
「……怪しげな薬を売りつけようったって、うちには払うお金すらありません。帰ってください」
言いながら扉を閉めようとするので、足を差し挟んで止めた。
そして、うさんくさい笑顔を全開にして、さらに言葉をつづける。
「薬が嫌いなのでしたら、神の奇跡で、その病気を治してごらんにいれます。なので、家の中に入れてはもらえませんか?」
「……嘘を言わないで。前に教会に頼みにいったとき、お布施を払えない貧乏人は帰れと、追い出されたんです。貴方たち、神官を装った物取りか何かでしょう」
女性は扉に挟んでいる俺の足を踏みつけて、どうにか扉を閉めようと頑張り始めた。
俺が危害を加えられているのを見てか、エヴァレットが剣呑な雰囲気を発しながら、一歩前に出てくる。
それを手で制して、俺は必死になっている女性に笑いかけた。
「貴女も噂で聞いたことぐらいはあるんじゃないですか。聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官とは別の、神の力を行使する存在の話を」
意味深に聞こえるように言うと、扉を閉めようとしていた女性は、ハッとした顔になった。
そして、彼女の目が、俺の胸元で揺れる護符を見る。
明らかに聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスのものではない印に、彼女は恐る恐るといった感じで問いかけてきた。
「もしや、貴方がたは――」
何を言う気かわかっているので、俺は自分の唇に人差し指を当てて、黙るようにと身振りした。
女性が口を噤んだ後で、俺は静かな口調で言う。
「我々には、貴方の病気を癒すことができます。ですが、必要ないとおっしゃられるのであれば、今すぐに退散しましょう。他にも、助けを求める弱き人は、まだまだいますので」
暗に、断れば見捨てると告げる。
すると、その女性は悩み考える素振りをした。
そして何かを口にしようとして、ぱっと後ろを向く。
きっと、後ろに隠れていた自分の子の姿を見たのだろう。
その後、口惜しげな表情になった顔を、こちらに向けなおしてきた。
「貴方たちが、どんな人かは知りません。ですが、どうか、この病気を治してください。お願いします」
どうやら、子供の存在が、こちらを受け入れる決め手になったようだ。
頭を下げる女性に、俺は微笑みかけながら、胸元に手を当てる。
「我が神に誓って、貴女の病気を治してご覧にいれましょう。なに、神の奇跡を使うので、すぐに全開しますとも」
安請け合いした俺とは違い、女性は藁にも縋るような悲痛な顔で、俺たちを家の中に招き入れた。
家の中は、女性が病で臥せっているという情報があった割には、整っているように見える。
いや、単純に物が少ないから、そう見えるんだろうな。
生活が苦しそうだなと思いながら、俺たちは女性の後についていく。
やがて、ベッドのある部屋に入ると、彼女は辛そうにそのベッドの上に横になった。
どうやら、俺との短い問答ですら、かなりの体力を消耗してしまったようだ。
状態を見ようと近づこうとすると、バッと女の子に立ちはだかられてしまった。
その表情は、母親を守る気概にあふれていて、見ていて微笑ましい。
けど、退かさないわけにはいかないので、俺はその女の子の頭に手を乗せ、撫でる。
「これから、お母さんの病気を、私は治します。大人しく、待っていてはくれませんか?」
優しく言葉をかけるが、女の子は頑なだった。
「ほんとうの神官さまなら、まほうを見せて! じゃないと、どかない!!」
「こ、こら。失礼な物言いを――ごほごほごほっ」
ベッドに寝た母親が、咳交じりにたしなめる。
けど、よほど別の神官に嫌な思いをしたのか、女の子は退かない。
少し対応に困ったが、魔法を見せて退くというなら、いくらでも見せてあげよう。
そう思って魔法の準備をしようとしたとき、女の子から可愛らしい腹の虫の音が聞こえてきた。
こちらが驚いた顔をすると、女の子は顔を真っ赤にしてうつむく。
けど、次の瞬間には、顔を上げて涙目で睨み付けてきた。
意地っ張りな腹へりっ娘なら、これで退くだろうと、俺はステータス画面を呼び出し、アイテム欄に指を這わせる。
タップして物質化するのは、大きなパンに野菜や燻製肉を挟んだサンドイッチ。
ステータス画面が見えない、この世界の住民である女の子にしてみたら、魔法で虚空からサンドイッチが出てきたように見えたことだろう。
女の子は、俺が本物の神官だと疑わない目になり、続いて俺の手にあるサンドイッチに目が釘付けになる。
反応が分かりやすいな。
俺は笑いを抑えながら、女の子にサンドイッチを差し出す。
「これを上げますから、食べながら、お母さんが治るのを待っていてくださいね」
「うん! ありがとう、神官さま!」
「もうそのパンは、貴女のものですからね。慌てず、ゆっくり、味わって食べましょうね」
「うん! ゆっくり食べる!」
女の子は嬉しそうにサンドイッチに噛みつくと、場所を俺に譲る。
ようやく女性の傍らにたどり着くと、こちらに驚いた眼を向けていることに気が付いた。
どうやら、サンドイッチを出したことで、彼女も俺が本物の神官だと確信を抱いたらしい。
俺が思わず苦笑いすると、今度は真摯に縋る顔になった。
「神官さま。どうか、どうか、この体を治してください。このまま働きに出られないままでは、わたしだけでなく、あの子も飢えて死んでしまいます」
「分かっていると思いますが、私は普通の神官ではなくて――」
「もちろん、わかっております。ですが、貴方さまに頼るほかに、もう手がないのです」
「――そうですか。安心してください。すぐに治してあげますから」
必死に頼む女性の額に手を当てる。
これは熱を測っているわけではなく、単純にこうした方が、病気を治している、っぽく見えるかなと思ってのことだ。
そして、病気か毒かを調べるのも億劫なので、どちらも治す回復魔法を使うことにした。
「我が神よ、この者の身を侵すものすべてを、退散させたまえ」
呪文が完成し、光の円が発生する。
そして円から飛び出てきた光の粒が、女性の体の中に入る。
すると少しして、彼女の体から黒いものが飛び出てきて、宙に拡散して消えていった。
これで魔法のエフェクトは終わりだ。
魔法が完了したので、俺は女性に手を差し出す。
「これで、病気は完治したはずです。どうですか、体の具合は?」
そう尋ねると、彼女は俺の手を取り、ベッドの上で体を起こす。
そして、喉や胸元をはじめ、体のあちこちを手で触り始めた。
「ほ、本当に、病気が治ってます。すごく体が軽く感じ――」
自分の状態を伝えていて、女性のお腹からお腹の虫の音が聞こえてきた。
あの子供の親らしい音に、俺だけでなくエヴァレットたちからも笑いが漏れた。
そのことに恥じ入る女性を見て、俺はピンスレットを手招きする。
「病み上がりですからね、これで美味しくて消化にいいものを作ってあげてください」
「え、そんな!? そこまでしていただくわけには」
「いいですから、今日一日は大人しく寝ていてくださいね」
俺は女性をベッドに押し戻すと、開きっぱなしだったステータス画面を操作して、どこででも手に入りそうな食材を出す。
それらを、ピンスレットに渡した。
「お任せください。ついでに、あの女の子の分も、作っていいでしょうか?」
ピンスレットの言葉に視線を移動させると、サンドイッチを食い尽くしたのに、まだ足りなさそうな顔の女の子がいた。
「はい。そこらへんはお任せします。材料を追加した方がいいですか?」
「いえ、これで十二分に美味しくて、二人が満足する料理を作ってみせますとも!」
張りきったピンスレットが台所を借りると、すぐに料理が完成した。
病気が治ったばかりの女性と、母親が治ったことが嬉しそうな女の子は、それぞれその料理を堪能していく。
その様子を見ながら、どうやらこの作戦ははまりそうだなと、俺は評価をつけていた。
そう、なにも善意から、彼女を治したわけじゃない。
そして、俺たちや作戦を伝えたエセ邪神教の信徒が、今日以降貧しい病人を治して回るわけじゃない。
聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官に治療を拒否された人を、俺たちが治すのは、貧しい人々を中心に、他の神を信じてもいいという気運を高めるためだ。
その気運が高まれば、自ずと人々は聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスから離脱するように動くはずだ。
そんな目論見はあるけど、治療に際して、決してこちらからは改宗の勧誘はしない。
完全に困っている人を救うという、善意からの行動に見せかけるためだ。
これで、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官よりも、エセ邪神教の信者の方が高潔だと誤解をさせる。
けど、治療された人たちが、改宗をしたいと望んだときのために、手がかりを与える必要がある。
そうしないと、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒をやめたいけど、改宗先が分からないなんて、間抜けな事態に陥っちゃうからね。
だからこそ、俺やエヴァレットたちの首に、エセ邪神教の護符が下げてあるってわけだ。
これには、こちらが誘うよりも、本人が自発的に探して見つけ出した方が、より邪神教にのめり込むはず、なんて思惑もあるけどね。
なにはともあれ、第一の病人の治療は終わったんだ。
女性と女の子が食べ終わるのを見届けたら、次の病人を治療しに向かわないとね。




