百三十九話 善の神が復活したことを、大いに利用させてもらいましょう
信徒化の魔法をかけ終わり、遠征軍の兵士たちが解散した後、マニワエドが満面の笑みで握手を求めてきた。
「トランジェ殿。貴方のお陰で、私の一族の念願だった、神の声が聞こえました」
「そうですか。航迅の神は、なんとおっしゃっておられたのです?」
「加護を授けるとの言葉とともに、信徒の使命を語ってくださいました」
マニワエドは、嬉しそうに握手した手を上下に振ってくる。
俺はうさん臭い笑みを浮かべたまま、彼に次のステップの提案をもちかける。
「それで、マニワエドさん。より神の加護を得られる、耳寄りな話があるのですが」
職業を得る方法を伝えようとすると、マニワエドに手で制された。
「分かっております。お話しになりたいのは、ある方面に自分を特化するための祈り――『尖職の儀』のことですね」
「――少し儀式名は違いますが、その話です」
マニワエドが職業のことについて知っていることに驚いて、少し間を空けてしまった。
不審には思われなかったようなので、セーフだろう。
「それで、その、尖職の儀式とやらの名を知っているということは、やり方もご存じなのですか?」
「もちろんです。戦いの神――航迅の神が復活を果たした際には、私の一族が真っ先に行おうと、秘伝し続けてまいりましたので」
むぅ。それは喜ばしいことなんだけど、俺の予定がちょっと崩れてしまった。
魔法で職業を与えて、さらに恩を売り、こちらの好むよう動いてもらうつもりだったんだけどなぁ……。
仕方がない。少し軌道修正しよう。
「分かりました。では、マニワエドさんはご一族に報告もありましょうから、私たちはこの辺で失礼させていただきます」
「トランジェ殿、重ね重ね、ありがとうございました。このご恩は、いずれ」
「はい。楽しみにしておきます」
挨拶を交わして、俺は天幕から出ると、イヴィガとアフルンを連れて陣地を後にした。
十分にマニワエドから離れたところで、二人にささやきかける。
「さて、イヴィガとアフルンには、ここから働いてもらいます」
「おーっと、暇な見学だけで終わりじゃなかったんですね」
「やっとご用命なのぉ。飽きて飽きて、眠くなっちゃったわぁ」
イヴィガはうきうきと、アフルンは目を擦りながら俺に頼られて嬉しそうな顔をしている。
そんな二人に、それぞれ指令を伝える。
「イヴィガは、遠征軍の兵士たちが、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスとは違う神の信徒に『堕ち』たと、町中に噂を流してください」
「お安い御用だね。航迅の神って名は出さずに、怪しげな神って感じで伝えていい?」
「その点はお任せします。そしてアフルンは、同じことを、町の偉い人にやってほしいんです」
「あら。そんなコネなんてないよぉ?」
「いえいえ、私は知ってますよ。情報収集とは関係ないところで、高級店に現れる紳士に声をかけているでしょう」
お見通しだと目で訴えると、アフルンはこちらに悪戯っ気が含まれた視線をよこしてきた。
「もう、嫉妬? けど、安心してねぇ。アナタを落とす練習を、堅物相手にしているだけだから」
これはからかってきているなと、ちょっと背伸びした雰囲気を醸し出しているアフルンを見て悟った。
なので、からかい返してやろう。
「そんな練習なんかしなくても、アフルンの可愛らしさは、十分にわかっているつもりですよ」
いいながら頬を撫でると、瞬間的にアフルンの顔が真っ赤に染まった。
「ば、な、なにを言うのよ!? もう、調子が狂っちゃうわぁ」
真っ赤な顔を背け、髪の先端を弄って、どうにか平静を保とうとしている。
ここで追撃の選択肢も思い浮かんだけど、やりすぎるとヘソを曲げられてしまいかねないので、自重することにした。
ぽんっと、アフルンの頭に手をのせて、子供をあやすように撫でてやる。
「ということで、よろしくお願いしますね」
「むぅ~。もう、わかったわぁ。ちゃんと噂を広めてあげる」
さあ行ってと、俺が身振りすると、イヴィガとアフルンはそれぞれ駆けだしていった。
要領がいい二人なので、うまくやるだろう。
さて、俺の方も、予定の修正を果たすために、行動するとしよう。
聖都ジャイティスの富裕層が住む一角へと、俺はやってきた。
その地区にある一軒の屋敷。
そこの門前にいる門番は、俺の顔を見るや否や、当たり前のように通用口を開けてくれた。
中に入り、巨大な本邸へ続く道を歩き、途中でこじんまりとした別邸へと向かう道に行き先を切り替える。
別邸に到着すると、決まった符号で扉を叩く。
叩き方で、誰が来訪したかがわかる仕組みにしているそうだ。
けど、門番が見て通しているので意味は薄いんじゃないかと、いつも思う。
ともあれ、俺が扉を叩いて少しすると、この別邸住みの家政婦が扉を開けてくれた。
「トランジェさま。中で、坊ちゃん――いえ、生粋黒白天使ノア・ハブ・クホワの指導者がお待ちです」
この女性は、いつもこうやって言い直す。
たぶん、子供のお遊びだと思いながらも、付き合ってくれているんだろうな。
「ありがとうございます。お仕事もあるでしょうに、出迎えまでするなんて、大変でしょう」
「いえ。意外と、こういう役割も楽しいものですよ。特に、旅の神官さまを出迎えられるなんて、家政婦には有り余る光栄ですもの」
「あはははっ。私は光栄に思われるほど、偉い人じゃありませんよ」
「うふふふっ。旅の神官さまは、身分が確かなのに謙虚な方が多いと聞きますが、毎度本当のことだなと納得してしまいます」
いえ、本当に偉くないんですよ。
むしろ、貴女の敬愛する坊ちゃんを、悪の道に蹴落とそうとしている悪者なんです。
なんて考えを、うさんくさい笑みに隠しながら、俺は別邸に足を踏み入れる。
そして、生粋黒白天使ノア・ハブ・クホワの指導者――要は俺が前に接触した、エセ邪神教の教祖がいる部屋へと向かった。
相変わらず扉が開いたままなので、ノックはせずに声をかける。
「入りますよ」
「どうぞ、トランジェさん。今日は急な来訪ですが、どうしましたか?」
接触してからたびたび、彼と彼のエセ邪神教にとって有益な情報を渡してきたため、この年若い教祖さまは俺に対して低姿勢になってきた。
いい傾向だなと思いつつ、彼の勧めに従って、席に腰を下ろす。
するとすぐに、さきほど出迎えてくれた家政婦さんが部屋に入ってきて、俺にお茶が入ったカップと、クッキーのようなお茶請けを出してくれた。
俺が頭を下げ、エセ教祖が手で追い払う仕草をすると、ごゆっくりとばかりに微笑んで部屋から出て行く。
教祖くんは、その後ろ姿に苦々しい顔を向けていた。
「全く。あの人は、こっちの真剣さがわかってないんだから……」
「あははっ。そう言わないであげてください。不理解な人に対して、寛容な心を持つことも、指導者として必要なことですよ」
「むむっ。いや、その通りですね。やっぱり、トランジェさんは、俗な神官どもと言うことが違い、ためになります」
おだてないでくれと身振りしてから、お茶を一口飲む。
いい茶葉を使っているのだろうけど、それにしても薫り高くて、満足のため息を吐き出したくなってしまう。
相変わらず、あの家政婦さんは、いい腕をしているなぁ。
さらにもう一口飲んでから、教祖くんに、今日来た要件を話すことにした。
「実は、近々噂になるであろう、重大な話を持ってきたのです」
「それは、世間にとって重要ではなく、ですか?」
「世間にも衝撃が走るでしょうが、特定の神を崇める人にとっても、聞き逃せない情報ですね」
こういう風に、隠語っぽく内緒話風で喋るのは、教祖くんが好きだからだ。
かくいう俺も、企んでいる風な演技は好きだから、喜んで付き合ってあげている。
さてさて、重要な話だと分かって、教祖くんは席を立つと部屋の扉を閉めた。
「これで、誰にも聞かれません。その話を、聞かせてください」
「では。ここ最近、森の中にいる魔物が、邪神を崇めて力をつけた話をしましたね」
「はい。近い将来に、また新たな邪神が、復活するかもしれないとも聞きました」
「今回の話とは、それに似たことなのですよ」
「もしや、別の邪神教に、自由の神とは別の、本物の神が降臨されたのですか?」
俺は首を横に振る。
「いいえ。今回は邪神ではありません。善の神が復活したようなのです。そして、今日演習中だった遠征軍を信徒にし、加護を授けたのだそうです」
俺がやったことなのに、伝聞口調で伝える。
教祖くんは、からかわれていると思ってそうな顔になった。
「……まさかー。トランジェさん自身が教えてくれたではありませんか。人の祈りは神に力を与えると。なら、善良な人々が願う先が、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスに一本化されている現在、善の神が復活するほど祈りが集まるはずがありませんよ」
その論調は確かに合っている。
けど、俺っていう、この世界の異分子がいることで、その理論は破たんしちゃうんだよなぁ。
そうと説明はできないので、もっともらしい説明をしていく。
「漏れ聞いた話では、遠征軍の中には、もともとその善の神を隠れ崇めていた人が何人もいたそうです。そして、森での大敗をした際に、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスを不運を理由に見限った兵士を取り込み、遠征軍を隠れ教団化していたようですね」
「なるほど。つまり、軍内部でエセ邪神教――いえ、エセ善神教が興ったのか」
「そして、つい先ほど、遠征軍の訓練場が光に包まれたのを、この目で見ました。あれは善の神の復活を示す光だと、私は確信しております」
そう締めくくり、少しぬるくなったお茶を飲む。
うん、ぬるいのはぬるいので、飲みやすくなって美味しいな。
俺がお茶を楽しんでいる一方で、教祖くんは真剣に悩み考えているようだった。
そして、どんな結論が頭の中で出たかしらないけど、こちらに質問をしてくる。
「なぜ、その噂を教えにきたのですか。生粋黒白天使ノア・ハブ・クホワ教団とは、関係のない出来事のように思いますが」
「ふふっ。なぜかわかりませんか?」
俺が意味深に笑うと、教祖くんはわからないと首を横に振った。
なら教えようと、講義するような口調で語っていく。
「いいですか。善の神が一柱、復活したということは、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの牙城が崩れたことを意味します。これから先、人々は表立って選択しないといけません。復活した神か、旧来の神か、どちらを信仰の対象にするかをです」
教祖くんはこの話に納得はしているようだけど、それがどうエセ教団にかかわるかまで、考えが及んでいないようすだ。
なら、もう少し踏み込んで教えてあげよう。
「そうやって、善なる神側が混乱している隙を、こちら側でもつくことができるでしょう。そう、これは、新たな信者を獲得する、絶好の機会なのです」
「そう言われてみると、その通りですね。でも、生粋黒白天使ノア・ハブ・クホワ教団は大分大所帯になってきました。これ以上は、隠れ教団としての立ち位置の保持が難しくなるとおもいますが……」
おや。教祖くんは、あまり教団をメジャーにしたくないらしい。
目立てば、その分だけ、他から目をつけられると自覚しているんだろうな。
もしかしたら、『隠れ』な部分に美意識を見出している――俗な言い方をすると中二病な人なのかもしれない。
それならそれで、説得の仕方があるけどね。
「なるほど。隠れ教団の教祖らしい、慎重な考えです。その意思を尊重しましょう。しかしながら、この機会を見逃してしまっていいのでしょうか?」
「……というと?」
「教団の入信者を増やさないことと、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒を切り崩すことは、分けて行えると言いたいのですよ――」
こっそりと教祖くんに、その方法を耳打ちする。
教祖くんはふんふんと聞いていき、やがて興味を抱いた顔になった。
「どうです。この方法なら、関係する誰もが不幸にならない上に、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒の数を減らせそうじゃありませんか?」
「すごいです! なるほど、こんな方法があったなんて。すぐに、教団の信者に指令を出します」
「まあまあ、待ってください」
俺は教祖くんを落ち着かせ、さらに耳打ちする。
「この方法、他の邪神教にも教えて、手伝ってもらいましょう」
「えっ、それじゃあ、他の教団も利益を得てしまいます」
「いえ、ここは考えようですよ。利益を分けるのではなく、こちらを探して押しかけてきそうな改宗者を、他の教団に押し付けるのだとね」
教祖くんは考え込むと、頷いて了承した。
どうやら本当に、これ以上新たな入信者が欲しくないみたいだな。
なにはともあれ、次なる作戦の発動といこうじゃないか。




