百三十八話 兵士を大量にだまくらかしましょう
マニワエドの話を聞いて、彼とその一族が祭る神が分かった。
フロイドワールド・オンラインでは戦神の一派である、『航迅』の神だ。
一応、有名な神の一柱ではある。
その名前が示すとおりに、移動を司る神で、加護を受けると敏捷性や体力が上がる。
この信徒は基本的な戦いの魔法やスキルを覚えられるが、強いものは取得できない。その代わり、移動の高速化――こと逃げ足にかけての補正は、他の神の追随を許さない。
なのでゲーム内では、プレイヤーなら斥候や盗賊、NPCなら輸送隊の兵が信徒であることが多かったっけ。
その特色から考えると、神の大戦のときも、善の神側の補給や偵察役をこなしながら、危険だと思えば素早く逃げて、どうにか生き残ったんだろうな。
けど、期待しまくっている顔のマニワエドに、そんな情けなく聞こえる憶測は伝えにくいよな――
「――ここまでの話を聞くと、航迅の神が、マニワエドさん一族の神で間違いないでしょう」
「おお! 判明したのですか!? それで、その神は、いったいどのような!?」
「落ち着いてくださいね。こほんっ。航迅の神とは、移動を司り、巧遅よりも拙速を貴ぶ神のようですね。私は軍事に明るくないので、この神の真なる価値はわかりません。ですが、マニワエドさんにならば、お分かりになるのではありませんか?」
悪く聞こえる部分を除いた情報を渡して、マニワエド本人に航迅の神の真価を決めさせる。
フロイドワールド・オンラインの知識がなく、先祖代々隠れ伝えてきた信者の彼なら、さぞやいい風に考えてくれるからな。
そんな俺の期待通りに、マニワエドは目を輝かせて、航迅の神と祖先のことを褒め始めた。
「戦において、一番多い時間は移動に他なりません。特に、軍で一番重要な兵站においては、糧食隊の移動こそ守るべきもの。そこに目をつけ、移動を守護する神を祭るとは、私の祖先ながら慧眼であったことでしょう」
「そ、そうなのですか」
「そうですとも。そして移動の守護において、次に恩恵があるのは騎馬や騎士でしょう。神の大戦が起こる前、恐らくその者たちも、航迅の神を崇めていたに違いありません!」
ふんふんっと鼻息荒く持論を展開されて、こちらのうさんくさい笑みが、危うくひび割れるところだった。
いけないいけないと笑みを立て直し、マニワエドを落ち着かせる。
「まあまあ、興奮するのはわからないではありません。ですが、まだ名が判明しただけですよ。それほどいきり立つのは、少々早いのではありませんか?」
「はっ!? ――いや、これは、お恥ずかしい。なにせ、神の復活は一族の悲願なものでして」
照れ笑いするマニワエドに、俺は微笑みを向ける。
「その悲願も、あと一歩で叶います。いえ、私が助力すれば、今日明日中にも達成されるでしょう」
「おお、では。私の祈りを、航迅の神へと届けてくださるのですね!?」
「もちろんです。今すぐに行いましょう。ただし――」
少し真剣な顔をして、じっとマニワエドを見つめる。
「――貴方の祈りを届けて、すぐに航迅の神が復活するとは思わないことです」
「そ、それは、なぜでしょう?」
「簡単な話です。人ひとりの祈りでは、神が牢を脱するほどの力を得られないからです」
「で、では、私の一族を呼び集めれば」
俺はその提案に首を横に振りった後で、笑顔を向ける。
マニワエドは、提案が却下されたのに、俺に微笑まれて、混乱しているようだ。
困惑につけ込むように、タイミングを計って、しゃべりかける。
「そんな呼び集めるのに日数がかかることは、しなくていいのです。なにせ、貴方には、貴方を慕う、遠征軍の兵士たちがいるではありませんか」
「なっ、まさか、彼らを使って!?」
「はい。明日にでも私が仲立ちとなって、貴方と兵士たちの祈りを届ければ、航迅の神は復活を果たすことでしょう」
威厳がある風に言ったあとで、俺はうさんくさい笑みを全開で浮かべる。
「それに、兵士たちの多くは、前に緊急措置として、我が神の信徒にしてしまいましたからね。兵士に合った神の信徒となってこそ、彼らも幸せになれると、私はそう思っています。特に、今は裁判中とのこと。出どころが不確かな我が神より、マニワエドさんの一族が秘し伝えてきた神であった方が、兵士たちの処遇にいい働きを起こすはずですから」
「おお。そこまで、私と兵士たちのことを……」
いえ、考えてません。
こちらの目的のために、口から出まかせで、それっぽいことを言っているだけです。
俺はそう思っていても表面には出さず、意味ありげに、マニワエドに頷いてみせる。
「航迅の神は、拙速を貴びます。ならば、祈りを捧げる儀式も、早い方がいいでしょうね。いつなら、準備ができそうですか?」
「そうですね……」
マニワエドは顎に手を当てて、必死に頭を動かす素振りをする。
そして、残念そうに肩を落とす。
「どう考えても、今日中には無理ですね。どうにか、明日の午後に、教練後の訓示として広間に兵を集めることができます」
「それが最短なのであれば、航迅の神は喜びこそすれ、咎めることはないでしょう」
「では、明日の午後。遠征軍の訓練場にて」
「はい。お邪魔させていただきます。話は通しておいてくださいね」
「もちろんですとも。その代わり、明日は是非とも」
「航迅の神の復活。そして、貴方と兵士たちの信者化は、お任せください」
俺たちは笑顔で、握手を交わし、グラスに残っていた酒を呷った。
その後、マニワエドは嬉しさと安堵がないまぜになった緩んだ顔で、酒の追加注文をする。
一方で俺は、相変わらずうさんくさい笑みを浮かべて、この店を辞することにしたのだった。
マニワエドと酒を飲んだ翌日、俺はイヴィガとアフルンを連れて、郊外にある遠征軍の訓練場にやってきた。
エヴァレットとスカリシアは、兵士の集まる場所に連れていくには目を引きすぎるので、お留守番をしていてもらっている。
さて、訓練場は、名ばかりの、広々とした草原だった。
訓練する軍を住民にも見せるためか、柵や堀などはなく、誰でも様子を見れるようになっている。
俺たちの視線の先で、遠征軍の兵士たちが、何班かに分かれて訓練をしている。
延々と外周を行軍する班、立ち並んだ棒の中で戦い合う班、方陣を敷いて動かずじっとする班、などなど。あっ、前線陣地にいた兵士の姿もあるな。
そんな、現代日本では見ることができない光景に、しばし俺は見入る。
しかし、連れてきたイヴィガとアフルンは、つまらなさそうにしている。
「二人は、兵士たちの訓練が、目新しく見えないようですね?」
「いやさ。訓練って、あまりいい思い出がなくってね」
「それにぃ、汗臭い兵士って、あまり好きなれないわぁ」
この世界の日陰で育った二人には、そう見えるんだなって納得する。
ま、兵士の訓練なんて、数分で見飽きるぐらいのものだから、ありがたがって観察する必要もないか。
俺は二人を引き連れて、訓練場の外周を歩いていく。
マニワエドはどこにいるのかと視線をさまよわせていると、こちらに一人の兵士が走り寄ってきた。
十代前半な顔つきの、小間使いが似合いそうな少年兵だ。
前線陣地では、この少年は見かけなかったな。
「あ、あの。なにか御用でしょうか、神官さま」
緊張している様子で聞いてくる彼に、微笑みかける。
「マニワエドさんと、この訓練場で会う約束をしているのです。案内していただけますか?」
「は、はい。マニワエド総代は、こちらにいらっしゃいます。ついてきてください!」
少年兵はその場でくるりと回れ右すると、まだ身についていない行軍の歩き方で、こちらを案内し始めた。
その様子に、俺だけでなく、イヴィガとアフルンも笑みを、彼の背中に向ける。
笑い声が聞こえてはまずいなと、俺は少年兵にしゃべりかけることにした。
「さきほど、『総代』とマニワエドさんを称しましたね。それは役職名なのですか?」
「い、いえ。マニワエド総代は、現時点では遠征軍の教官であらせられます。しかし、魔の森を兵とともに潜り抜け、見捨てることなく生還させた手腕を称え、そしていつしか自分たちの総大将に返り咲いてほしいと、先輩たちが総代と呼称を始めたのであります!」
「それが習慣化して、兵士全員が総代と呼ぶようになったわけですね」
「は、はい。その通りであります!」
ふむふむ、なるほど。
それほど兵士に慕われているのなら、マニワエドが頼めば、兵士全員が航迅の神の信者になることを受け入れるに違いない。
これは目論見通りに事が運びそうだと、ほくそ笑みそうになる。
それを抑えて、表情はうさんくさい笑みを保ちながら、歩いていく。
やがて、天幕の下で厳しい顔をして椅子に座っている、マニワエドが見えてきた。
彼の隣には、筋骨隆々の偉丈夫の兵士が立っている。
マニワエドが指を小さく動かすと、彼は容赦のない怒声を、訓練中の兵士たちに浴びせかける。
「兵士の気が抜けてきているぞ! そんなんで魔物が倒せると思っているのか!! 教官ども! たるんだ兵士を見つけ次第、ケツを蹴り上げて、活を入れてやれ!」
その偉丈夫の指示が訓練場の端まで届いた瞬間、兵士たちの痛そうな声が、そこかしこから上がった。
顔を向けると、教官らしき人に怒られる、尻に手を当てた兵士がちらほら見えた。
中には、いい場所に入ったのか、地面に額を押し付け尻を高く上げ、苦悶している人もいる。
よくやるなと苦笑いしていると、マニワエドがこちらに顔を向けた。
すぐに反応したのは、ここまで案内してくれた少年兵だ。
「マニワエド総代! お客様をお連れいたしました!」
「うむ、ご苦労。持ち場に戻ってよし」
「はっ! 失礼いたします!」
敬礼した後で、少年兵は可能な限りの早足で、この天幕から外へと飛び出していった。
マニワエドはその姿を見送った後で、俺に向かって少し待てと身振りする。
どうやら、少し早く来すぎたようだ。
所在なげに立っていると、厳つい兵士が、俺たちの人数分、展開式の椅子を持ってきてくれた。
「こちらのお座りになって、お待ちください」
「ありがとうございます。もしかして、事情を?」
「はい、伺っております。自分も、一族ですので」
何の、かは言わなくても分かった。
たぶんだけど、マニワエドとは知古の間柄なんだろうな。
そんな彼に、イヴィガはその背を羨んでいるような眼を、アフルンは汗臭そうなのが嫌そうな顔を向けている。
俺は二人を言葉でなく身振りで叱り、厳つい兵士に頭を下げる。
すると、子どもにそういった視線を向けられなれているようすで、いえいえと返事を返してきた。
怒鳴る声は怖いものの、元は優しい性格なのかもしれないな。
そんな人物観察を終え、兵士たちの訓練を眺めて、数十分が経った。
マニワエドは立ち上がり、集合の合図らしき身振りをした。
すると、即座に訓練は中断され、砂糖に群がるアリのように、一斉に天幕の前に兵士たちが駆け寄ってくる。
そして、きっちりと定規で位置を図ってあったかのように、整然と列を作っていく。
兵士の中には、駆けてきて息が弾んでいる人もいるが、意思の力で呼吸を抑え込もうと必死だ。
マニワエドと厳つい兵士は、その様子を見まわし、満足そうに同時に頷く。
兵士たちの間に、安堵の息が漏れる。
その瞬間を見計らったかのように、マニワエドが口を開いた。
「随分と上達した。今のお前らなら、どこに出しても、立派な兵士として通用することだろう」
手放しに誉めているマニワエドを見て、俺は役割分担だなと感づいた。
慕われているマニワエドは兵士に飴を、厳つい兵士は鞭を与える役で、この訓練を統括しているようだ。
兵士たちの多くはそうとは気づかずに、ゴブリン討伐で名を挙げた参謀の褒め言葉に、疲れを忘れてやる気をみなぎらせている。
ちょろいなと思ってみていると、マニワエドは本題――航迅の神の信者になるよう、勧誘を始めた。
「親愛なる兵士諸君。聞いてほしい――」
そんな言葉を最初に、マニワエドの演説が始まった。
内容は、俺が彼に伝えた偽り交じりのこの世界の真実をベースに、情緒的に感情に訴える感じの話になっている。
扇動者としての才能も有りそうだなと思いつつ、マニワエドの話を聞き流す。
俺にとって大事なのは、彼の演説の内容ではなく、演説を受けた兵士たちの様子だからだ。
じっと兵士たちの顔を見ていると、マニワエドの話に感情を揺さぶられ、表情が変わる姿が見て取れた。
あまりにも簡単なので、ちょっとおかしいと思いかけ、そういえば兵士たちは訓練で疲れていたんだと思い出して納得する。
疲労がたまった頭は、耳に入る言葉を、そのまま脳に伝えてしまうことが多い。
洗脳の手段の一つとして、対象者を運動で疲労困憊させた後で、延々と言葉を聞かせるというものもあるぐらいだ。
マニワエドは古い軍人の家系なようなので、この洗脳法を実測として伝えてきたんだろうな。
末恐ろしいなと思いつつ、マニワエドの演説が締めくくられるまで待った。
「――なので、諸君らに選んでもらいたい。偽りの神の下に居続けるか、私の一族が守り伝えてきた戦いの神に乗り換えるかをだ。もちろん、どちらの選択肢を選ぼうと、諸君らは私の兵士たちだ。贔屓や見せしめなどは、一切しないと固く約束するので、安心してほしい」
そう言われて、兵士たちは隣の人に顔を向け、がやがやと相談を始めた。
しかしすぐに、兵士の一人が手を挙げながら吠える。
「聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官どもは、森でオレのことを見捨てやがった! あんな神の下にいるのはまっぴらだ! オレは、総代の神の下に行くぜ!」
その人の言葉を皮切りに、前線陣地で見た顔の人たちが、次々に声を上げる。
「そうだ! 聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスなんて、ニセモノの神なんてもういらねえ!」
「オレは総代に、兵士として命を預けると決めたんだ! 祈るなら、戦いの神さまがいい!」
多くの兵士がそう声を上げることで、集団心理が働いたんだろう、拒否する兵士は全く出てこなかった。
マニワエドはそれを見まわし、満足そうに頷く。
「そう言ってもらえて、私は幸せものだ。では、偽神である聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスと決別し、戦いの神――航迅の神にくだるための祈りを、私と一緒に捧げてほしい。我々が一心に祈れば、呼びかけに応じて、この地に復活してくださるだろう!」
マニワエドの扇動で、兵士たちが思い思いの恰好で祈り始める。
そこで、マニワエドは俺に視線を投げてよこす。
この祈りを神に伝える――つまりは、俺にとって彼らを航迅の神の信者と化す魔法をかける機会が訪れたというわけだ。
さて、ではいきますか。
「我が神よ、数多の人の改宗を見守り給え――戦場を駆け報せを伝える航迅の神よ。いまここに信心を取り戻し、貴神の信徒とならんとする者たちが現れた。ついては、この者たちをその膝元へと召し抱え、厚く庇護したまえ」
枢騎士卿になって使えるようになった文言を加えて、信徒化の呪文を唱え終える。
すると、訓練場に整列した兵士たちすべてを囲えるほどの、巨大な光の円が生まれた。
そう、これが枢騎士卿になり、自由度が拡張されて使えるようになった、最大範囲化した信者化の魔法だ。
足元に表れた光の円に驚く兵士を包み込むように、円から光る粒の奔流が立ち上った。
やがてそれが円とともに消えると、訓練場に残ったのは、航迅の神の信徒となった兵士とマニワエドだ。
もっとも、彼らにとっては、改宗した実感は薄いかもしれないけどね。




