百三十一話 報告が終わったとき、意外な事実を知りました。
業喰ゴブリンを倒し終え、俺とトゥギャたちは、遠征軍の前線陣地に戻ることにした。
そして、スカリシアと自由神信徒の子供たちは、占拠されていた村を空にするわけにもいかないので、警護として残ってもらう。
その別れの間際まで、昨日の夜に色々とヤリ合ったスカリシアは、ぴったりと俺にくっついていた。
「トランジェさま。また一旦のお別れですね」
「そういいながらも、寂しくはないのでしょう?」
「はい。私は貴方さまの、所有物ですもの」
スカリシアは手首にある、俺が強く握った際にできた手形を撫でながら、うっとりとした表情を浮かべる。
昨夜のあれやこれやで分かったが、どうやら彼女には、被虐趣味というよりか、被支配欲求に似た服従願望の気がある。
俺がつける印に、スカリシアはとても強い喜びを感じるそうだ。
なので、あの手首にある手形だけでなく、体の色々なところにキス痕をつけることになったんだよなぁ。
もっとも、真っ白な綺麗な肌に、俺の唇で赤く痕を残すことに嗜虐心がくすぐられて、ついつけすぎちゃったけどね。
なにはともあれ、キス痕をローブで隠して、涼しげな顔で手を振るスカリシアと別れる。
ちょこっとだけ、ピンスレットがうらやましそうにしていることが気になったけど、対応は先延ばしにしようと決めてながらね。
さてさて、前線陣地の戻った俺たちは、いったん陣地の外で待たされることになった。
少しして、俺とトゥギャだけ、中に入るようにと指示された。
言われたとおりに俺たちだけが陣地の中に入り、マニワエドのいるテントへ進む。
中に入ると、机に向かってなにかを書いていたマニワエドが、顔を上げる。
彼は作業の手を止めると、椅子の背もたれに体重を預けた。
「待っていました。では、報告をお願いします」
マニワエドの口調は、俺に対するものと、トゥギャに対するものが合わさって、微妙に丁寧な喋り方になっているように感じられた。
口調なんて気にするほどのことじゃないなと、村を占拠したゴブリンたちの顛末を報告する。
もちろん、俺やスカリシアたちが活躍した部分は、伏せたままだ。
報告し終わると、マニワエドは背もたれに寄りかかりながら、背伸びをする。
「んぅー! やっぱりそうなりましたか。まあ、トランジェ殿に同行をお願いしたのですから、村を占拠したゴブリンたちが滅されるのは当然の帰結でしょうね」
マニワエドの呟きを聞き、俺たちに監視役をこっそりとつけなかったことに納得がいった。
どうやら俺がトゥギャに手を貸すことは、考えの内だったようだ。
そして無事に帰ってくると確信していた。
だから、監視役なんて無駄な人員を裂くことを、マニワエドは止めたのだ
もっとも、俺が業喰ゴブリンたちに勝つと確信していた理由は、ちょっと予想がつかないけど。
けどそう確信していたっていうことは、トゥギャたちに陣地を渡す約束をしたことにも、理由があるはずで――
「――もともと、この前線陣地を放棄する予定だったんですね?」
俺が前フリもなく言うと、マニワエドは見破られたかって表情を浮かべた。
「予定、とは少し違いますが、引き上げ命令がくるだろうなとは、確信に近い予想をしてました」
マニワエドが机の上から一枚の紙を持ち上げて、こちらに差し出してきた。
受け取って中身を見ると、撤退を勧告する命令書だった。
撤退理由はいろいろとある。
遠征軍の再編成のため。行軍の際に村から食料を奪い取ったことの釈明。陣地から逃亡した貴族――小デブ馬鹿についての聞き取り。などなど。
思いつく限りの理由を、書き連ねたって感じだな。
どうやら、遠征軍をどうあっても引き戻したいという誰かの意思が、ここに投影されている気がする。
俺が読み終わった命令書から目を放すと、マニワエドが補足説明を入れてきた。
「私は国軍に籍を置いたままですから。そんな者が、代理でも長に収まっていると、貴族の肝いりで作られた遠征軍が国軍の下みたいではないかと、大物貴族が怒り心頭なのだそうです」
「ということは、新しい貴族を総大将に据えるために、一度戻ってこいってことなのですね」
「それもありますが、私を総参謀から罷免するそうです。その代りに、遠征軍での指揮を評価して、国軍での階級を一つか二つ上げてくれるそうです」
マニワエドは言いながら、二枚の紙を差し出してきた。
一枚は彼が先ほど言った通りの内容が書かれてあった。
もう一枚は、遠征軍が負った被害の全責任を、あの小デブ馬鹿に被せる気であると、暗に示されている内容だった。
こんなものを送ってくるなんて、貴族の派閥の間でパワーバランスの入れ替えがあって、小デブ馬鹿が所属する陣営の力が弱まったのかもしれないな。
「えーっと。昇進おめでとうございます、と言った方がいいのでしょうか?」
「そうですね、喜ぶべきことでしょう。もしかしたら、国軍で階級が上がったうえに、遠征軍の参謀に戻れるかもしれませんので」
「おや、罷免されるのでは?」
「ええ、その通りです。ですが、私が総参謀を止めると知って、いまいる遠征軍の兵士がどれだけ残るか、楽しみですよね」
ああ、そういうことか。
誰が罷免されようと、次に誰が上官にこようが、普通なら命令に従えといえば、服従を訓練された兵士は反射的に従うものだ。
けど、遠征軍の兵士たちは、寄せ集めでまともな訓練すら受けていない。
そして、兵士の間では、マニワエドは偉大で有能な上官として、深く認知されている。
そんな指揮官が、顔も知らない人の勝手な理由で離れると知れば、兵士たちが離脱しかねない。
特に、森の中で怖い思いをした兵士なんかは、あっさりと離れることだろう。
そんな彼らの行動を抑える特効薬は、マニワエドをもう一度遠征軍に戻すことだ。
次の総参謀がすでに誰かに内定していたとしても、その下の参謀にマニワエドを押し込むだけでも、兵士たちの不満は幾分解消されるだろうしね。
なるほどな。
考えれば考えるほど、マニワエドの遠征軍復帰は濃厚な線のように思えてくるや。
「となると、お土産は要らなくなってしまいますね」
「お土産、ですか? 村を占拠したゴブリンの首やら耳やらは、要りませんよ?」
冗談を言ってくるマニワエドに、俺はうさんくさい笑顔で首を横に振る。
「いえいえ。そのゴブリンから情報を引き出しまして。大本のゴブリンがいる集落の位置がわかったんですよ」
「なっ!? それは本当ですか!?」
椅子を蹴立てて立ち上がったマニワエドに、落ち着けと身振りしながら、得た情報を渡した。
「歩いて数日の距離にある、捻じれて絡み合う二本の大木と、その近くに小川が目印ですか。たしか、そんな地理情報がどこかにあったはず……」
マニワエドは机の上にあった紙束を取ると、一枚ずつめくり始めた。
盗み見すると、森の地形を地図ではなく、言葉で書き残したもののようだ。
マニワエドはまた一枚をめくり、動きを止めた。
「ありました――双子の大木があり、その横に小川が流れる。川の水は澄んでおり、飲み水として利用可能。ただし水量が少ないため、大部隊での行軍には不向き」
「そうですね、たぶんそこが目印の場所になるでしょう」
「本拠地が分かったのならば、潰すべきなのでしょうが……」
俺のお土産に、マニワエドは今後どうするかを考え始めた。
そのとき、トゥギャが俺の裾を遠慮気味に引いてきた。
「お師さん。なにが、どうなったのですか?」
どうやら、話の流れに置いて行かれて、内容を理解しきれていないらしい。
「えっと、遠くない未来に、この場所は貴方たちに明け渡すのだそうです。もしかしたら、そのときに、また何らかの条件が付くかもしれませんけど」
再編し終えた遠征軍がきたときに、場所を退いてもらうとかいう条件を、マニワエドなら出すかもしれないよね。
このことを黙ったままでいると、トゥギャは安心したような顔になった。
「そうですか。ここに住めるのですね。我が神に感謝を捧げます」
「感謝を祈るのもいいですけど、これからの生活で自由に暮らしていくほうが、神は喜んでくれると思いますよ」
「おお! それもそうですね。さすが、お師さんです」
そんな話をしている間に、マニワエドは考えをまとめ終えたようだった。
「では、この陣地を離れる際の最後の演習として、森の中の行軍をすることにします」
「その行軍中に、たまたま村を占拠したゴブリンの首魁がいる集落を発見してしまった、という筋書きですね」
「あははっ。言わないでくださいよ。あえて明言は避けていたんですから」
俺がお好きにどうぞと身振りすると、マニワエドは決意を固めた顔で、テントの外へと出て行った。
「兵士諸君、傾注、傾注! 今後の予定を話す! 集まるように!」
兵士にかける声が遠ざかることから、どうやら周囲の兵士たちに声をかけて回るようだ。
ここでの役目は終わったなと、テントを出ようとして、トゥギャに止められた。
「どうかしましたか?」
「はい。お師さんにお会いした後、あることをして差し上げたいと、考えておりました」
「あること、ですか?」
持って回った言い方に、俺は少し警戒する。
トゥギャは俺の態度の変化に気づく様子もなく、そのあることについて話し始めた。
「今まで集めた信者たちを、お師さんに預けようと思うのです」
「信者を預ける、ですか?」
「はい。お師さんは、信者の数を増やすことに、躍起になられていると聞きました。この陣地を手に入れるお手伝いをしてくれたお礼に差し上げるものとして、これほど有用なものはないと思っております」
「ちょ、ちょっと待ってくださいね」
俺はトゥギャを手で押しとどめると、フロイドワールド・オンラインの常識を引っ張りだす。
位階上昇のクエストで、他の紙を信じる神官職プレイヤーの信者を改宗して横取りすることはあった。
けど、同じ神を信じる神官職同士で、信者のやりくりをするだなんて、聞いたことがない。
「……そんなこと、できるのですか?」
「できるのでは、ないのですか? なにせ、我々の神は自由を愛しているのですよね。でしたら、そんな方法もできるのではないのですか?」
トゥギャの純粋な疑問に、頭を殴られたような気がした。
そうだよ。
フロイドワールド・オンラインとこの世界は、似ているようで違う世界だ。
なら、ゲーム内でできなかったことが、この世界ではできるようになっていても変ではないよな。
出来なくてもともとなら、試しにやってみてもいいよな。
「分かりました。トゥギャ、やってみてください」
「はい。我らが神よ。我が信者を、お師さんにすべてお預けしたく思います。どうか許可をしてください」
トゥギャが真摯に祈りを捧げる。
一分ほど経っても、なにも起きなかった。
でも、トゥギャは祈りを捧げることをやめない。
さらに二分が経過したとき、俺の足元に光る円が生まれた。
そして、ほんの一瞬だけ、キラッと光った。
まるで自由神が、『仕方がないなぁ、特別だよ』って言っているかのような光り方だった。
まさかと思ってステータス画面を開き、枢騎士卿への試練の進行具合を確かめる。
すると、パッと見で、カウントがかなり進んでいた。
達成に必要な改宗人数はあと数百人だったので、もしかしたらこれで達成しちゃったかと期待した。
けど、ちゃんと見ると、カウントが増えていたのは、『信徒の数を一万増やす』の項目だった。
ああ、そうか。
ゴブリンはもともとは無宗教だったし、トゥギャから受け取った信者は同じ神の信徒だから改宗扱いにはならないのか。
がっくりと肩を落とすが、ふとカウントの増え具合が異常なことに気が付いた。
信徒の数を一万増やすの項目は、あって数百といった具合だった。
なのに、一気に千を超える数がカウントされていた。
まさかと思って、トゥギャに顔を向ける。
「なにから、すごい数の信者を持っているように感じるのですが?」
「すごい数といわれても、ゴブリンの信者はいまつれているだけで――ああー。数が多いのは、きっと虫に信者となる魔法をかけたからですね」
「虫って、虫の亜人種を信者にしたということですか?」
「いえいえ。普通の虫です。そこらにいる蟻んことか、蝶々とかです。魔法の練習でかけてみたんです。蟻塚にかけたこともありますね」
トゥギャの発言に愕然としながら、もう一度項目を見る。
……うん。確かに『信徒の数を一万増やす』だから、人だとも魔物だとも、ましてや虫とも書いてない。
つまり、この項目を言い換えるのなら、『命あるものを一万、信者にしてみよう』ってことになるのかー。なるほどねー、こりゃあ楽な項目だー……。
――なんて、そんなこと分かるかーーー!!!
隣にトゥギャがいるので暴れるに暴れられず、想像の中で自由神へ向かって不満をぶつけていく。
けど、どんな言葉を放っても、自由神が俺を見て微笑んでいる姿しか、想像しかできなかった。
いや、笑いを大きくして爆笑の方面だと、楽に想像できたんだけどね。
なんだか、自由神に遊ばれているような気がして、どっと疲れが押し寄せてきたのだった。




