百二十六話 ゴブリン使節団と交渉中です
マニワエドは塀の上に立つと、近づいてきたゴブリンの使節団へ声をかける。
「使節に対して非礼とは十分に承知しているが、そちらとの交渉は塀を隔てて行いたく思う」
一方的な宣言に、ゴブリン使節団が困惑したように歩く動きを鈍らせる。
しかし、それはたった一瞬だけだった。
「ギギッ、了解した。話し合うのに、場所は関係ない」
使節団のゴブリンの誰かが返答すると、マニワエドのいる場所へと進行方向を変えた。
その足取りは堂々としていて、不意打ちや罠を警戒していないかのようだ。
けど、視線を使節団から、多くのゴブリンが集まっている場所へ向けると、それは違うのだと分かった。
あちら側のゴブリンたちは生活道具や武器を手に、殺気立っている。
恐らく、使節団に矢の一本でも打ち込まれたら、一斉にこの陣地へ突撃してくるだろうな。
『もし交渉前に死んだとしても、仲間が敵を討ってくれる』
それが分かっているからこそ、使節団は堂々としているに違いない。
マニワエドもこの予想はできたようで、兵士たちに指示を出す。
「いいか! 向こう側から攻撃を受けるまで、矢の一本、槍の切っ先一つ、陣地の外には出すな!」
マニワエドの厳命に兵士たちは従い、番えていた弓矢を外し、使節団に向けていた槍の穂先を空に向けなおす。
これで、こちら側にもただちに戦う意思がないと伝わったのか、使節団の歩みは大股になった。
やがて、大声で喋らなくても声が通る位置で、ゴブリンたちは立ち止まった。
そして彼らから、先に喋り始める。
「ワレワレの受け入れに感謝を。ニンゲンにも、理知的な存在がいることに、深く安心している」
「ワレラを攻撃していたら、今頃は、戦いになっていたことだろう」
聖教本では頭の悪い描写が多いゴブリンが、ちゃんと言葉を話していることに、陣地内の兵士たちの多くが驚いていようだ。
けど、マニワエドは表情を変えることなく返答する。
「こちらとて、それは同じこと。言葉を操り、交渉を持ちかける知恵者が、ゴブリンの中にいることに、私は深い感謝を神に捧げたい気分だ」
マニワエドは堂々と言い放った後で、交渉の主導権を握るためか、早速本題に入るようだ。
「単刀直入に聞く。貴君たちは、我々に何を求めて、ここにやってきたのだ」
問いかけに、使節団から一匹のゴブリンが前に出てきた。
「ここからは、ボクが交渉の相手となります。よろしいですね?」
そのゴブリンは、使節団の中で、もっとも身綺麗な衣服――ローブっぽいものを着ている個体だった。
麻で作ったと思われる厚い布地を、墨汁かなにかで真っ黒に染めている。
元の世界のラノベだと、悪役として出てきそうな井手達だ。
俺も似たような恰好なので、ちょっとだけ親近感が湧いた。
そのとき、横に立っていたエヴァレットが、俺の服を軽く引っ張ってきた
「トランジェさま。お気づきかと思いますが、あのゴブリン、トゥギャですよ」
……トゥギャ?
ってちょっと思い出すのに少し時間がかかったけど、ゴブリンの中で唯一、自由神の神官にしたヤツだって思い出せた。
「ほぅ、やっぱりトゥギャでしたか。恰好が私と似ていたので、そうではないかと思っていたのです」
しかし、彼が使節団にいるということは、あっちに集まるゴブリンの中に自由神の信徒がいる可能性があるな。
フロイドワールド・オンラインだと、理由なき戦いで同教の同士討ちを避けようと、神が罰則を設けていたりするんだよな。一時的なステータス低下とか、魔法が発動しなくなったりとかね。
自由神の教義は自由にこそあるので、そんな罰はないから、自由神のゴブリンがいようと、戦うこと自体には異存はない。
けど、俺がこの世界に来て、バークリステの次に、自由神の信徒にしたゴブリン。その彼が苦心の末に得たはずの信者たちだ。
できることなら、無事なままで帰してやりたいな。
さて、トゥギャは俺たちに気付いたようすもなく、マニワエドと交渉を開始する。
「ボクたちが望むことは、あなたがいるその場所に、ゴブリンの村を作る許可です。それを、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの名の下で保障してほしいのです」
おうっ、なかなか強烈な要求だな。
前半はまだしも、後半なんて叶える気がないってぐらい、この世界ではありえない話だ。
村を作る許可を出すということは、その存在を認めるということ。
ゴブリンは滅ぼすべき悪しき者と定める聖教本とは、決して相容れることのない要求だ。
それに、一軍の指揮官が、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの名で約束事なんて、そもそもできないしね。
なので拒否一択なのだけど、マニワエドは即答を避けた。
「そちらの要求は理解した。だが、なぜ村が必要なのかを伝え忘れている。今まで通り、森の中で勝手に住むのでは、いけないのか?」
マニワエドは、村の設立はこの世界の常識的に、認めることができない。
けど、ゴブリンたちの事情を知って、何らかの別の手を打てないかと考えたみたいだ。
返答で、トゥギャは語る。
「ゴブリンたちは、信仰を取り戻した。しかし、それは一つだけではありませんでした」
「ほう。ゴブリンが崇める邪神が、時期を同じくして、何柱も復活したと?」
「ギギッ。大まかに、そのように考えて、間違いはないです」
トゥギャは曖昧に肯定すると、マニワエドをまっすぐに見つめる。
「ここまで言えばお分かりでしょうが、ニンゲンを襲ったゴブリンは、ボクたちとは関係のない別の部族。なのに、ゴブリンだからと一緒にされるのは、迷惑なのです。ボクたちはニンゲンの強さを知っています。好んで争うつもりはないのです」
「……もしや、この場に村を作る理由は」
「はい。ボクたちが、悪いゴブリンではないと区別がつけば、攻撃される理由はなくなりますから」
道理を考えれば、トゥギャの言っていることは、筋が通っていることだ。
わざわざ敵対する気のない相手と戦うより、悪意を向けてくる敵と戦った方がいい。
けどそれは、人間という生き物について分かっていない発言だ。
特にこの世界では、聖教本という生きる指標に、ゴブリンは殺してもいいと書かれてしまっている。
これでは、トゥギャがどれほど真っ当な道理を説いても、人間側が聞き入れるはずはない。
――いや、トゥギャもその点は分かっているはずだよな。
ということは、この理由を話すことは、トゥギャが立てた策の一環なのか?
俺がどんな意図があるのか読み切る前に、マニワエドとトゥギャの交渉は続いていく。
「そちら側の理由について、しかと理解した。だが、それとこの陣地を明け渡せという要求とは、結びつかない気がするのだがな」
「それは暗に、あなたたちにこの森の近辺から、立ち退いてもらいたいと言っているのです。そして、せっかくの均された土地があるのなら、僕たちが有効活用しようと思っています。その二点を簡単に言い表すと、あなたたちの陣地を明け渡せ、となるだけのことです」
「つまり、我々がここから去ることが、主題の要求ということだな?」
「はい。こちらを殺す気のあなたたちがいては、ボクたちは平穏に暮らしていけません。それに、あなたたちは森の恵みを取り過ぎる。このままでは、この付近に動物がいなくなってしまう。そうなれば、ゴブリンだけでなく、ニンゲンの村だって困るはずです」
「ほうほう、森の食糧がそんなに減っているのか」
二人の交渉を聞いていて、俺はトゥギャが劣勢だと悟った。
トゥギャは誠意をもって交渉を行い、どうにか要求を通そうと頑張っている。
一方でマニワエドは、トゥギャの要求をオウム返しすることで、さらなる情報を引き出そうと試みている。
姿勢という意味ではトゥギャの方が立派で、マニワエドの方はあくどく映る。
でもこのままでは、トゥギャは胸の内を全て晒したのに、マニワエドは何の情報も与えていないという事態になってしまう。
そうなれば、情報量の差から、マニワエドが圧倒的優位になってしまうだろうな。
心情的にはトゥギャの手助けをしたいが、すべてを把握したマニワエドなら、上手い着地点を見つけるのではないかって思ってしまう。
俺が悩んでいると、マニワエドが交渉を強制的に一つ進めるような発言をした。
「そちらの事情は十分に理解した。なのでこちらから一つ問おう。この交渉が失敗に終わった場合、そちらはどうする気でいるのか?」
返答によっては、交渉が一発で決裂しかねない質問だ。
そのことはトゥギャも承知しているようで、少しの間、黙り込んだ。
そして考えがまとまったのか、ゆっくりと口を開く。
「ボクたちは、ニンゲンの怖さを知っていると言ったと思います。そちらが追撃してこないのならば、戦うことなく、安住の地を求めて違う場所へ向かうことにします。そこで、ニンゲンたちと悪いゴブリンたちが潰し合う様を、黙ってみていることにします」
トゥギャの返答は意外だった。
てっきり、あそこに集まっているゴブリンたちは、この陣地に襲い掛かる気でいると思っていたからだ。
それはマニワエドも同じようで、聞き返している。
「移動する最中に、人間の村を襲う気でいるのでは?」
「いいえ。あなたたちを含め、近くの村の人間の多くが、森に恵みを取りに入っています。襲ったところで、得るものはないと分かっていて、するはずがないですよね」
「そちらには人間と戦う意思はないと?」
「死ねば終わりですから、無意味に戦う気はないですよ。身を守るためなら、その限りではないですけれど」
「この場所に村を作るのではなかったのか?」
「それにこの場所に村を作るのは、良いゴブリンと悪いゴブリンを分けることが狙いだと言いましたよね。良いゴブリンとは、ボクたちだけでなく、ニンゲンと戦いたくない他のゴブリンも意味しています。けど、この交渉が決裂に終われば、ボクたちは自分たちが生き延びるために、他のゴブリンたちを見捨てるつもりです」
「……要するに、いまの君たちは、ゴブリンと人間の橋渡し役になる気で、こちらと交渉していたのか?」
「橋渡しなんて大それたことは言いません。手紙の配達員ぐらいに考えてください」
ここまでの話で、トゥギャが誠意を表し、特に企まずに交渉にあたっていた理由が分かった。
トゥギャは、人間に命乞いや援助を求めてきたわけではなく、遠征軍とゴブリン種族との戦いを止める気できたのだ。
でも、この交渉が成功しようと失敗しようと、トゥギャたちに不利益がないように仕組んである。
要するに、最初から人間側に、決断の権利を委ねていたわけだ。
だから決断する材料として、気前よくぽんぽんと情報を明け渡していたわけだ。
トゥギャの交渉手腕に、ちょっとだけ舌を巻く。
なにせ俺は、自分たちが無事で済む方策が付いたら、最大利益を狙って行動しがちだ。
けど、トゥギャは自由神の教えの通りに、自分に一番大切なこと以外、他はすべて余録だという思考ができているようだ。
自由神の神官として、ちょっと負けた気がする。
さて、俺は同じ自由神の信徒なので、トゥギャの考え方に理解を示せた。
けどマニワエドは、よほど自分が培ってきた常識に合わなかったようで、困惑した顔をする。
「同じゴブリンを見捨てるのか?」
「同じでも、違う神を祭っている者たちです。こうやって助けようと交渉しているのも、同種の義理を果たすためだけです」
「ずいぶん薄情に聞こえるが?」
「そうでしょうか。自分と密接にかかわる間柄以外に薄情なのは、ニンゲンだって同じでしょう?」
トゥギャの言葉に、俺は思わずウンウンと頷いてしまった。
一人だけ別な動きをして目立ったからか、トゥギャが俺に視線を向ける。
驚き、呆然とした顔になったので、俺は手を上げて軽い挨拶をした。
その行動を、マニワエドに見咎められる。
「そのゴブリンとお知り合いなので?」
「はい。以前に森の中で出会った、賢いゴブリンさんです。軽くお話して、お互い何事もなく別れましたよ」
言葉足らずだけど、全くの真実を告げてやった。
嘘がない言葉だったからか、マニワエドはすんなりと納得したようだった。
「なるほど。話が通じる相手なのは、確かなのですね」
マニワエドはじっと考えると、トゥギャに向きなおる。
「そちらの要求は分かった。こちらとしては、この陣地を明け渡すこともやぶさかではない。だが、そちらが悪いゴブリンではないと、証を立てないことには頷けない」
なぜだか、マニワエドはあっさりと要求を通すと約束した。
トゥギャは話が一気に進んだことに驚き、俺の仕業だと誤解しているように、キラキラとした目をこちらに向けてくる。
けど、そんなことをしている場合ではないと思いなおしたようで、トゥギャはマニワエドに真剣な目を向け返した。
「証とは、なんでしょうか?」
「簡単なことだ。いま、とある村がゴブリンに占拠された。このゴブリンは悪いゴブリンであると考えていいな?」
「はい、そう考えていただいて……まさか!?」
トゥギャが驚いたような声を上げるのと同時に、マニワエドは一つの要求を突き付けた。
「その悪いゴブリンを、良いゴブリンである君たちがやっつけてくれ。それで、そちらが良いゴブリンであると、我々は認識しよう」
「どうしてボくたちが、戦わないと――」
「おっと、断らない方がいい。悪いゴブリンと戦うのを嫌がるのならば、君たちも悪いゴブリンだと判断せざるをえない。そうなれば、我々は任務を果たさねばならない」
マニワエドが身振りで、兵士たちに攻撃準備を伝える。
兵士たちは少し困惑したが、指示に従って、武器を構えた。
ただし準備なので、武器の先を使節団に向けることはしていない。
これでマニワエドが戦う気になったのだと思ったのだろう、トゥギャ以外の使節団が慌て始める。
しかし、トゥギャは俺をチラリと見ると、マニワエドに返事をした。
「分かりました。村を占拠したという悪いゴブリンと戦いましょう。それで、この陣地を明け渡してくれるのですね?」
「現時点で約束はできかねる。君たちの戦いぶり次第だと言っておこう」
「そういうことでしたら、見届け人が必要になりますね。ならこちらは、そこにいらしゃ――いる、黒いローブの男に、同行を求めます」
えっ、俺!?
慌てて断ろうとするが、その前にマニワエドが了承してしまう。
「君と彼は顔見知りだときいた。見ず知らずの人を同行させるよりもやりやすいだろうな。分かった。同行させよう」
ぽんぽんと話が進み、俺がトゥギャと共に悪いゴブリンと戦う感じになってしまったようだ。
声を大にして、俺が祭る自由神にといたい。
――どうしてこうなったのですか!?




