百二十四話 急報というのは、考えもしなかったことが理由でくるようです
小デブ馬鹿一行を追いかけるように、聖都ジャイティスへ戻る部隊が、前線陣地から出発した。
その部隊が行軍して、道中の村や町に食料面での迷惑を極力かけないために、食べ物を持たせたようだ。
減った分の陣地の兵糧は、森の中で採取することで穴埋めする予定らしい。
マニワエドが狩猟の当てにしたのは、俺たちが村で世話をした、あの元・傷病兵たちだった。
「獲り方を教えるのは任せてください」
「そうですよ。それこそ兵糧が減らないですむほど、連日で獲物を取ってきますから」
元・傷病兵たちは気前よく任務を受けて、狩りに不慣れな兵士たちとともに、森の中に分け入っていった。
彼らは有言実行を果たし、連日にわたって猪や鹿などの野生動物や、食べられる魔物を狩って、陣地にもどってくる。
連れて行かれた兵士たちも、何日かすると狩りに慣れてきて、自分で獲物を得られるようになってきた。
これでさらに、狩りで得られる糧の量が上がった。
肉に限って言えば、陣地の兵士たちに潤沢に行き渡るほどの量が、日々森から集められていった。
「今日も肉、明日も肉、肉、肉々で、嫌になりそうだな」
「肉に飽きたなら、草でも食っていろ。森中に生えてるぞ」
「オレさ、この任務が終わったら、故郷に帰って狩人として暮らそうかな」
「それいい案だな。寒村や辺境の集落だと、狩人ってだけでモテるしな」
なんて冗談を明るい顔で言えるほど、兵士間に不安はなくなった。
食料が十分にあることに加えて、頭痛の種だった総大将と取り巻きが消え、代わりにマニワエドという指揮官が上に立ったこと。
それと、狩りで森に入るうちに、ゴブリン相手に大敗したトラウマが、知らない間に治ったことのお陰だろうな。
そんな彼らの中で、俺とエヴァレットたちは、狩りや訓練で軽く負傷した兵士たちの治療をする日々を送っていた。
治療する神官が少ないからやっているという理由もあるけど、補充される兵士を待っているのだ。
なにせ、あと数百人の改宗で、枢騎士卿への試練が達成できる。
失った分だけ援軍にくるなら、その兵士を改宗できれば、クエストが達成できると踏んでいる。
そのため、今のうちに陣地内の兵士たちに恩を売っておいて、援軍の兵士たちに改宗を勧めてもらおうかなって、青写真を描いているわけだ。
順風満帆にことが運んでいることに、思わず微笑みを浮かべそうになる。
でも、ここで少し考えるべきだった。
森の中にいるゴブリンたちが、なぜ平静を保ったままなのか。
そして、兵士たちが森で食料を得るということの、影響力についてに。
今日も、昨日と全く同じように一日が始まる。
狩りに向かう兵士たちが、朝食後に、朝霧に煙る森に入っていく。
残る兵士たちは、陣地内と周囲の巡回を始め、森からゴブリンが出てきていないかを調べていく。
俺とエヴァレットたちは、使った食器の後片付けをして、休暇を割り当てられた兵士に説法なんかをしていく。
こんな調子が夕暮れまで続き、夜になれば夜警以外はテントで眠る。
そんな日常が、今日もまた行われると、陣地にいた誰もが漠然と思っていたことだろう。
巡回の兵士たちが、大慌てで陣地に引き返してこなければ。
「た、大変だ! ゴブリンだ、ゴブリンがいた!!」
「出入り口を閉めろ! 攻め入られるぞ!」
陣地に戻ってきた兵士たちは、大声で周囲の兵士たちに叫ぶ。
声をかけられた兵士と、たまたま居合わせた俺は、彼らの同様ぶりに共感できないでいた。
「おいおい。ゴブリンを見たからって、慌てすぎだろ」
「狩りのときだって、ゴブリンを見かけたことはあっただろ。出会っただけで恐れるほどの相手じゃないって、もうわかっているだろうに」
出入り口を守っていた兵が、巡回に出ていた兵士たちに飽きれ声をかける。
ここ最近の猟生活で、兵士たちの多くが、ゴブリンに対する苦手意識を克服し終えていた。
なので、巡回兵士たちの反応が、過剰に感じられたんだろう。
かくいう俺も、彼らが急いで逃げかえるほど、急を要する話じゃないと思っていた。
けど、現実を正しく認識できていないのは、こちら側だったらしい。
「バカ! オレだってな、ゴブリンが一匹二匹でいたなら、取り乱さねえよ!」
「森の側に展開していたゴブリンの数は、二十や三十じゃきかなかった! 百はいるかもしれない!」
巡回兵の必死な訴えで、ようやく話を聞いていた人が、正しく事態を理解した。
「そ、それはまずい! 陣地内の出入り口を封鎖しないと!」
「同時に、マニワエドさんに報告しないと!」
「ああ! 狩りに出ているやつら、どうするんだ!? 誰が呼びに行くんだ!?」
予想外の事態に混乱する兵士たちを見て、俺は自分の手を打ち合わせて、大きな音を出した。
近くの兵士たちが、ビクッと身動きを止めたことに合わせて、喋りかける。
「皆さん、落ち着いて行動しましょう。狩りに行った兵士たちをどうするかは、マニワエドさんが判断してくれます。なのでまず、出入り口の封鎖と報告する人にわかれます。貴方がマニワエドさんに、そこの貴方が陣地内の兵士たちに知らせに行ってください。他の人たちは出入り口の封鎖と、守備につきますよ」
すらすらと指示をだしていくが、いまいち反応が鈍い。
「なにか、質問があるのですか?」
「あ、いえ、失礼しました」
「と、とりあえず、この人の指示に従おう」
兵士たちは頷き合うと、俺の言ったとおりの行動を始めた。
どうやら、指揮系統にいない俺が指示したことに、従うべきかどうか悩んでいたようだ。
うむむ。マニワエドが行っている綱紀粛正が、とうとう命令系統の徹底にまで及んだか。
軍としてはまともになってきたと喜ぶところだけど、その中に間借りしている身としては肩身が狭くなるな。
身動きが十分にとれる段階で、陣地から離れることを考えないとな。
枢騎士卿への試練の達成狙いで補充兵を待つか、その前に離脱するかが悩みどころだな。
少し未来のことについて考えようとして、いまは百匹はいるというゴブリンのことが優先だって意識を入れ替える。
俺は陣地内を移動して、仲間たちが集まるテントに入る。
耳のいいエヴァレットとスカリシアが伝えたのか、ゴブリンが森から出てきたという知らせは、全員が掴んでいるようだった。
それなら話が早いと、これからの俺たちの役割を喋っていく。
「マニワエドさんとゴブリンの動き次第で変わりますが、基本的に私たちは後方待機になるでしょう。なにせ、私たちは回復魔法を使う神官です。安全な場所で傷兵の治療に回されるでしょうね」
全員が俺の言い分を理解している様子を見て、話を続ける。
「仮にゴブリンたちがこの陣地を襲う気なら、私たちは状況の推移を注意してみないといけません。兵士たちが負けそうなら、私たちだけで逃げ延びる必要がでてきます」
「ということは、わたしたちは逃げる準備はしておいたほうがいいのですね?」
エヴァレットの言葉に、頷く。
「はい、その通りです。陣地の塀が一つでも破られてしまえば、拠点防衛は限界です。そのときになって慌てて逃げる準備をしても、持っていけるものは限られてしまいます。なので今のうちに、私たちの馬車の中に逃げるのに必要なものの準備はしておいてください」
言い終わってすぐに、バークリステが手を上げる。
「ゴブリンが少し離れた位置に集まっているのが気がかりです。もしかしたら、この陣地を襲うつもりではないのかもしれません」
バークリステに追従して、リットフィリアも言う。
「大姉さまが言うように、ゴブリンたちは違う場所に行くかもしれない」
二人の言葉を受けて、俺はもう一つの可能性を告げる。
「二人の言う通り、ゴブリンたちは堅い守りがある陣地を狙わず、防備の薄い村へ攻め入る可能性があります。その場合、マニワエドさんのことですから、兵士たちに追撃を命じることでしょう。それは平地での野戦を行うことを意味します。防備のある陣地に比べて、多くの死傷者がでることでしょう。だからこそ私たちに、回復手として同行を求めてくると思います」
「ということは、どちらにせよ、馬車で移動する準備はしておいたほうがいいようですね」
「大姉さま。食料を多めに積もう。もしかしたら、陣地に戻れないかもしれない。ひもじい思いはしたくない」
リットフィリアが何気なく放った言葉に、俺はハッとさせられた。
いままで森の外に出てくることがなかったゴブリンたちが、いまになって出てきた理由について、一つ思い当たった。
もしかして、兵士たちが森の恵みを取り過ぎたせいで、ゴブリンたちが飢えて外に出てきたのか?
この可能性について考えついたのは、周囲の様子を見るに、俺だけのようだ。
バークリステをはじめとする、元・聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒の人たちは活動場所が人里ばかりで、森の資源について考えたことがないはずだ。
エヴァレットが思い浮かんでいないことが以外だったので、それとなく聞いてみたら、意外な言葉が返ってきた。
「森の恵みを獲り尽くすことなど、出来ないと思います。仮に一所の恵みが少なくなっとしても、他所に赴けば恵みは簡単に手に入るはずですが?」
森に住むダークエルフの一員ですら、こういう認識らしい。
そりゃあ、ダークエルフは森の中で遊牧民のような暮らしをしていたし、この世界の森は元の世界の日本のものより深くて恵みが多いから、そう考えてもしか名がない部分があるよな。
けど、ゴブリンたちは森の中に集落を作り、定住している。
彼らにとっては、『一所の恵み』が『森全体の恵み』と同意義なんだ。
だからこそ、ゴブリンたちの住処の近くで、兵士たちが獲物を乱獲を続けたら、ゴブリンたちの死活問題になる。
さんざん元の世界では、自然が少なくなって野生動物が人里に降りてきたとニュースが伝えていたのに、このことに気づけなかったなんて……。
フロイドワールド・オンラインだと、資源や魔物をどれだけ獲っても枯渇することがないからって、この世界もそうだと当てはめて考えていたのかもしれないな。
けど、今更起こったことをあれこれ考えても仕方がない。
現時点で気にすることは、ゴブリンたちと遠征軍が和解する道がないという、その一点だろう。
なにせ、お互いに森の恵みがなければ、飢えて死んでしまう。
自分が死んでまで、他種族を生きながらえさせようなんて聖人君子が、お互いにいるとは思えないしね。
異世界でも食料問題が付いて回るのかと、心の中だけで嘆く。
こうして少し悲観したからか、悪い知らせがエヴァレットからもたらされた。
「トランジェさま。村に残したアフルンが、早馬で陣地の前にきたようです。入り口を固める兵士と、押し問答をしているようです」
「アフルンが?」
「はい。どうやら、近くの村がゴブリンに滅ぼされ、乗っ取られたそうです。その村の食糧がつきたら次はこの村にくるのではと、村人が怯えているから助けてほしいのだそうです」
エヴァレットの口ぶりからすると、アフルンがそう言って、出入り口にいる兵士を説得しようとしているんだろうな。
とはいえ、アフルンは人を心地よくさせる匂いを、体から発する特技を持っている。
その特技を生かしても、村人たちの恐怖を止められなかったに違いない。
となると、滅ぼされたという村のありさまが、それほど恐ろしいものだったんだろうな。
さて、陣地近くに現れたゴブリンと、村を占拠したゴブリン、そのどちらをどう対処するか、決断のしどころのようだ。
 




