百十六話 マニワエドは、恵まれた苦労人のようです
密教者だと告白したマニワエドを、彼の先祖が崇めていた、戦いの神とやらの信徒にしてあげようかなと考えた。
だけど、考えただけだ。
もしここで、俺がゴブリンやダークエルフにやったように、戦いの神を判明させて、マニワエドを信徒にしたとしよう。
たぶんだけど、マニワエドは一時は喜んでくれるかもしれないけど、すぐに俺に剣を向けてくることになるに違いない。
俺が戦いの神の信仰を蘇らせたように、ゴブリンに業喰の神を伝えたのだろうと、そう予想できる地頭をマニワエドが持っているのだから。
となると、安易に取り入る道は避けるべきだ。
ここは、同じ密教者という繋がりから、徐々に関係を深めるのが一番の得策だな。
「マニワエドさん。お互いの正体について認識が終わりましたし、今後のことを話し合いませんか?」
「ああ、その通りですね。つい、身内以外の『隠れ』な方を初めて見たことで、舞い上がってしまったようです」
マニワエドは気恥ずかしそうにしてから、スッと表情を真面目な物に変えた。
「兵士たちは、このまましばらく療養名目で、森や草原で食糧確保に動いてもらおうと思っています。その間に、私は撤退を掛け合おうと思います。きっと近日中に、ゴブリンたちが前線陣地を襲うはずですので。その前までには、安全な場所まで引き上げておきたいですね」
確定事項のように言っているが、ちょっと待って欲しい。
「ゴブリンたちが陣地を襲うと、どうしてそう思うのですか?」
その前提が合ってなければ、陣地を引き払う意味がない。
俺の指摘に対して、マニワエドはちゃんと理由があると言いたげに微笑む。
「実は、兵士たちの怪我の具合が変だったのです。治療してくださった、貴方には思い当たる節があると思うのですけど」
兵士の怪我?
どんなものがあったかと考えて、俺に思い当たるという言葉から、重傷者の者だけを思い返す。
「たしか……腕や足が深く傷つけられ、または腹が破れている人がいましたね」
「はい、その通りです。その傷の具合がどうも、致命傷をわざと外して付けられたようでして」
そこまで言われれば、マニワエドの考えがわかる。
「要するに、ゴブリンたちは逃げる兵士を追うことで、前線陣地の場所を発見しようとした。兵士の怪我が変だったのは、陣地まで案内してくれるまで、死なすわけにはいかなかったから。そう考えているわけですね」
「はい。この考えは、合っていると核心しています。なにせ、ゴブリンに追われたという兵士が一定数いますので」
そんな報告があるなら、ゴブリンたちが前線陣地の場所を把握していることに、間違いはないだろうな。
だからこそ、襲われないうちに陣地を引き払うことは、理に適っている。
理に適っているけど、感情に適っているかは別問題だ。
特に、遠征軍の総大将は凡愚なヤツと聞いている。
そういう人は、往々にして、やられたらやり返す思考に陥り易い。
もっと別の言い方をするなら、ギャンブルでスッた分を、ギャンブルで取り返そうと考えがちだ。
そして、状況にのめり込めばのめり込むほど、その考えから逃げられなくなる。
この考えを、遠征軍の状況に置き換えると、こうなる。
『ゴブリンから受けた多大な人的被害を、ゴブリンをその分だけ殺すことで補おう』
ようは、軍を復讐の道具として使うわけだ。
そんなことをしても、ギャンブルと違って、死んだ兵士は戻ってこないし、新たな死者も出てくる。
損ばかりで得はなく、自分の失態を広げるしかない行為ですらある。
けど、そんなまともな判断ができる人なら、凡愚なんて評価は受けないんだなぁ。
この点が分かっているのか、マニワエドに尋ねてみた。
すると、マニワエド自身は頭が良いからか、質問の意味を理解し切れていないようだった。
「うーむ。それは心配しすぎだと思いますよ。この町に来る前に会ったとき、今すぐにでも逃げ帰りたいような態度だったですし」
考えが甘い言葉に、そうじゃないと俺は首を横に振る。
「そうやって怯えているうちは、逃げることに賛成だったでしょうね。けれど、時が経てば総大将の心は変化していきます」
「変化ですか。どのような?」
「往々にして身の丈以上に誇り高い人は、自分に失態を味わせる原因となった相手が、許せなくなるものなのです。その気持ちは、安全な場所にいると、加速度的に膨らんでいくものなのです」
「気持ち的にどうしても許せなくなって、総大将がゴブリンへ復讐に走ると?」
「はい。きっと、今頃は反攻作戦とか練っていると思いますよ。総大将の周りに、諌める人がいれば、状況は変わるのでしょうけど……」
けど、その諌める役であろう人は、俺の目の前にいるんだよね。
そして、マニワエドが傷病兵を連れてくるとき、食料を持ってこられなかったことを考えると、遠征軍の偉い人の中に彼の味方はいないんだろうな。
ということは、前線陣地にいる人たちの中に、総大将の決定を止められるひとはいないということに繋がる。
「もしかしたら、マニワエドさんが陣地に戻ったら、森に総員突撃した後で、もぬけの殻になっていたりするかもしれませんね」
「そんな、ありえませんよ」
マニワエドは笑顔で否定した。
それは、総大将の性格からの判断というよりも、人はそれほど愚かではないと信じているようだった。
人の善性を心から信じられるなんて、よっぽど周囲の環境に恵まれて育ったんだろうなぁ……。
元の世界での自分との境遇差に、ちょっとだけ気落ちしてしまいそうになる。
でも、うさんくさい笑顔で、心の内を表には出さずに、話を続けていく。
「それでも、何かしらの暴挙に出るかもしれませんよ。わがままに食料を食い荒らしたり、森への無駄な哨戒を兵士に命じたりなどです」
マニワエドは顎に手を当てる。
俺が語ったことが、妥当かどうかを考えているようだ。
「……突撃はなくとも、陣地内で我がままに兵士を使っていることはありえますね。一刻も早く、陣地に戻る必要が出てきましたね」
マニワエドは席を立つと、移動しようとする。
どこに行く気かは、尋ねなくても分かる。
けど、俺は彼を押し止めた。
「少しお待ちを。もう一言、マニワエドさんに対して、助言があります」
「はい。なんでしょうか?」
気忙しい問い返しに、俺は落ち着けと身振りしながら、その助言を伝える。
「いいですか。もしかしたら、総大将はマニワエドさんのことを疎んじて、無い罪を被せて投獄や処刑するかもしれません」
「そんなことはありえません。いわれのない罪で断罪を行うなど、軍の規律が保てなくなります」
マニワエドは分かっていないなって、俺は肩をすくめた。
「そんな真似をするほど、総大将の心がゴブリン相手の大敗で壊れているかもしれない。その可能性を、頭の片隅に置いて下さるだけで構いません」
「……理解はできませんが、納得はしました。心が壊れた人間は何をするか分からないと、兵法書にも記述がありますから」
助言は受け入れてくれたようだ。
でも、前線陣地にいる兵士たちが心配なんだろうな。
マニワエドは、村に残っていた兵士にこの場所の守護を命じると、馬に乗って陣地へ向かっていった。
……兵士だけを残して指揮官が去るなんて、兵士に村を襲えと言っているようなものなんだけどなぁ。
その可能性に気が付かないあたり、マニワエドは軍の参謀として経験不足なんだろうな。
もしかしたら、兵士が聖女と崇めるバークリステの存在と、怪我を治した恩義から、兵士は乱暴を行わないと思っているのかもしれない。
ま、どちらにせよ、兵士が悪行を行えば、断罪すればいいだけだ。
その際は、バークリステに処置を頼もう。
異端審問官の助手だったから、手はずは良く分かっているだろうしね。
 




