十話 村での暮らし、始まる
添い寝した効果なのか、エヴァレットはより心を開いてくれるようになったようで、表情が前よりも明るくなった。
「神遣いさま、食器の準備が整いました」
良い笑みでそう報告する姿を見ると、銀髪の頭に犬耳が、ローブの下にある褐色のお尻に尻尾を幻視してしまう。
ダークエルフなのに犬属性とは、というかエルフ耳と犬耳で耳がかぶっているし。
そんな益体もないことを考えつつ、並べられた食器があるテーブルにつく。
「食べ物をだしますから、エヴァレットも座ってください」
「はい、失礼します」
音もなく座ったエヴァレットだったが、昨日のサンドイッチがよほど美味しかったのか、そわそわと俺がステータス画面から食べ物を出すのを待っている。
その様子に苦笑しながら、ふと気になったことがあった。
ここは異世界だ。人間は食べられるけれど、エルフが食べると毒になる食材があったりするかもしれないことを忘れていた。
「そういえば、エルフは菜食主義者な印象がありますけど、ダークエルフは種族的に食べられないものとかありますか?」
そう聞くと、露骨なまでに嫌そうな顔をされた。
そんな反応が帰ってくるとは思わずに驚いていると、エヴァレットは取り繕って慌て顔になる。
「いえ、これは神遣いさまに起こったのではないのです。印象操作が上手な、姑息な白エルフに腹が立っただけで」
「白エルフ? 普通のエルフってことですか?」
「普通……ええ、白い肌のエルフのことです」
元の世界ではエルフと言えば白肌なので『普通』といっちゃったけど、ダークエルフ的には認めがたい部分だったらしい。
「えっと、それでどうして白エルフが姑息なんですか?」
失言を誤魔化すべく話を振ると、エヴァレットは何時になく食いついてきた。
「聞いてください、神遣いさま。白エルフのやつら、動物の肉を食べるなんて野蛮です可哀想です、って世間で通ってますけど! 森の保全という名目で動物を間引くし、そのとき獲った動物はこっそりと里の中で食べているんですよ! というより、虫とかカエルなんかもパクパク食べるから、完全な悪食ですよ悪食!」
聞いていて思わず、美形エルフが口に芋虫や小さなカエルを放り込むイメージをしてしまった。
うげっ……なんというか、ファンタジーの幻想がガラガラと崩れたよ。
「そ、それはなんとも、衝撃的な事実ですね」
「そうですよ。そんなやつらが善の者に区分されているなんて、絶対に間違ってます! きっと、神話の大戦中に姑息な手を使ったに決まってます!」
興奮するエヴァレットを、まあまあと落ち着かせる。
「主張は分かったから。それで、ダークエルフは食べられないものはあるの?」
「我々は貧していても高潔さを忘れませんので、虫やカエルは食べられません。けど動物の肉は食べられますよ。たぶん、人間が食べられる物はたべられますし、香辛料や香草だってドンとこいって感じです」
えっへんと胸を張って見せてきた。
そんな風に心を開いてくれるのは嬉しいけど、昨日の今日で色々とはっちゃけすぎじゃないか?
けど、変な物じゃない限り、食べれないものはなさそうだ。
じゃあと、顔大の硬めのパンに水、木皿に入ったバター、果物を数種類、アイテム欄から出す。
机の上にそれらを並べると、エヴァレットは不思議そうな顔になる。
「神遣いさま、パンと果物はわかりますが、この木皿にはいった固まった物はなんなのですか?」
「あれ、バターを知らないんですか? えっと、牛の乳から水気を取った油分のようなものなのですが」
「牛の乳……チーズではないのですね?」
「ええ、チーズの親戚みたいなものです。こうやってパンに塗ると美味しいんですよ」
この世界にはチーズはあってもバターがないのかなと思いつつ、パンをちぎって断面にたっぷりバターをつけ、頬張ってみせた。
毒ではないと分かったからか、エヴァレットは同じようにパンにバターをつける。
そして二、三回バターの匂いを嗅ぎ、意を決するように目を瞑りながらパンを口に入れた。
もぐもぐと口を動かしていき、少ししてくわっと目を見開いた。
「神遣いさま、このバターっていうの、すっごく美味しいです!」
「本当に初めてだったんですね」
「はい。ダークエルフは多少の畑の他は狩猟が中心なので、動物の乳をとったりしません。悪しき者とされる人たちにも売ってくれる闇商人も、チーズはあってもバターは扱ってませんでしたし」
「チーズと違ってバターは溶けやすいので、持ち運びが難しいですからね」
適当な相槌を打ちつつ、取引できれば宗教で悪とされた種族にも売るんだなと、商人の行動に感心した。
俺が捕まえたあの商人も、カルマ値が悪になるようなあくどい商いをしていたようだし。
この世界の商人たちと関わるさいには、もっと気をつけよう。
そこからは、二人してぱくぱくとパンを食べ進めて、果物に手を伸ばす。
出したのは、リンゴ、桃、オレンジ、マンゴーに似た形の、フロイドワールド・オンライン独自の果物を一つずつ。
もっとも、色味が少し違うだけで、味は元となった果物そのままなんだけど。
さて、どれを食べようかなと思っていると、エヴァレットが昨日俺が渡したあのナイフを手にしていた。
「切り分けるのは任せてください。均等に切るの、得意なんです」
「そうなのですか? なら、お願いしましょうか」
エヴァレットはバターを知らなかったので、ちゃんと切り分けられるか不安だったが、任せてみることにした。
だけど、これらの果物に似たものを見たことがあるのか、手馴れた調子でナイフを振るっている。
大きな種のあるものに関しては、ちゃんと取り除いている。
そしてパンを置いていた皿に並べらた、切り分けられた果物はというと、菓子職人が切ったかと思うほど均等かつ綺麗だった。
「神遣いさま、どうぞお一つ」
「ははっ、それじゃあ遠慮なく」
切り分けられた桃を一つ指で掴み、口に運ぶ。
「うん、美味しいですよ。ほら、エヴァレットもどうぞ」
「はい! ああ、どれにしようかな……」
「一人一つずつは食べられるんですから、悩まなくてもいいでしょう」
「それもそうなんですけど……よし、これにします!」
マンゴーを食べて、エヴァレットが幸せそうな顔をする。
それを見て思わず和んでいると、この家の扉が無遠慮にドンドンと叩かれた。
俺はステータス画面から装備を呼び出し、革鎧がローブの上に杖が手の中に現れる。
「エヴァレットは、この果物を持って部屋に。全部食べていいですから」
「あの、神遣いさまはどうするのですか?」
「もちろん、訪問者を出迎えます」
エヴァレットが部屋に入ったのを待ってから、俺は家の扉の閂と鍵を開ける。
「はい、どうちらさまですか?」
油断しているような口調を使いながら、襲われても対処できるように杖をしっかり握る。
しかし、この警戒は無意味だったようだ。
「おや、オーヴェイさんとアズライジさん。それと昨日診た赤ん坊のお母さんじゃないですか。どうしたんですか?」
首を傾げながら、友好的な態度を装って尋ねる。
すると、三人とも顔を見合わせてから、困った顔を向けてきた。
一番最初に口を開いたのは、オーヴェイさんだった。
「いえ。日が出ているのに、家の扉や窓が閉まりっぱなしでしたので。何かがあったんじゃないかって心配になりまして。それと食事に関しても、大丈夫か聞きにきました」
「ああ、そうだったんですか。ご心配をおかけしました。この通り、元気でおりますとも。食事も、旅のために用意したもので、どうにか済ませました」
だから心配要らないと伝えると、なぜか三人とも微妙な顔をする。
「どうかされましたか?」
「そのぉ、こっちのお嬢さんが」
「ええ、その。昨日助けていただいたお礼に、畑で取れた野菜を持ってきたんです……」
差し出して見せてくれたのは、編み笊の上に乗せられた、里芋っぽい芋と鉛筆のように細長いニンジンらしき野菜だった。
「これを、私にですか?」
「はい。治療費にならないようなもので、申しわけありません」
「いえいえ、大変にありがたいです。それと、困った人を助けるのは信徒として当然のことです。病気の子がいる村に私が来たのは、きっと神の思し召しだったでしょう。なので、治療費などは気にしないでください」
「ほ、本当ですか!?」
トランジェらしいうさんくさい笑みを浮かべながら頷く。
すると、野菜を編み笊を俺に渡してから、何度も礼を言われてしまった。
「ありがとうございます。本当に、本当に助かります」
「そんなに何度も礼を言わなくてもいいですよ。それよりも、お子さんについてやってあげてください。病み上がりで心細いでしょうから」
そう言いながら送り出すと、彼女は何度か振り向き礼を言いながら、去っていった。
ほっと一息つくと、オーヴェイさんとアズライジが微妙な顔のままだったことに気がつく。
「なにかまだ用件がおありですか?」
「いや、用件ではないし、足の古傷をもらった分際で言い難いのですが。慈悲をかけすぎるのも、どうかと思います」
「旅の神官さまには、村の事情はお分かりであるはずはないとは、重々分かっているのですけれど」
なにか意味深なことを言って、二人はこちらに別れの挨拶をしてから去っていった。
どういうことかと首を傾げつつ、家の中に戻って、テーブルに残された杯の水を飲む。
そこで不意に、フロイドワールド・オンラインのクエストで似た状況を体験したなと思い出した。
「あ、ヤバ……滞在しなきゃいけない村で無料診療するなんて言ったりしたら、病人が押しかけてくるじゃないか……」
嫌な予感を感じていると、玄関口に人の気配がした。
「あのぅ、ここで病気を治してもらえると、聞いたのですが」
振り向くと、杖をついた老婆が立っていた。
その背後には、こちらに向かってくる人影が、いくつもみえていたのだった。




