百十一話 遠征軍は順調(?)に侵攻中のようです
村人たちとの交流は、俺たちが自由の神の神官だと伝えても、平穏なままだった。
彼らが反発しなかった理由は様々あったようだったけど、大別したら二つになる。
「偉い神官さまのお墨付きがあるんだ。あんたらは、良い人たちに違いない」
「村の食料をほとんど持って行きやがって。ほとほと、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスさま――いや、その教徒を騙る奴らに、愛想が尽きた。けど、あんたらは食べ物を分けてくれる。ならどっちが良い人かは、すぐわかるだろ」
多くの村人たちは、こんな理由から、俺たちを追い出そうとはしないようだった。
そうそう中には、こんな珍しい意見を言う人もいた。
「自由はいいことだ。いいことを教える神さまなんだ。自由の神さんは、名を隠した聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスさまに違いねえ」
この意見を聞いて、俺はちょっと驚いた。
昔の日本でも、ある神とある神を同一視したりすることもあったらしいから、特に変なことではないと思う。
でも、一つの神しか世界に残っていないと、ずっと教えられてきた人が口にするには、とても珍しい意見だろう。
なにせ元の世界では、一神教は多神教を認めてこない歴史があった。
この村人のように、多神教の良い神さまは唯一神の別側面である、なんて考えが持てていたら、宗教戦争なんてなかったかもしれない。
とは、あくまで俺の考えだ。
この世界に住む人にとっても、彼の意見は異端に思えたんだろうな。
「あいつは、いつもながらしょうがない馬鹿だ」
って、失笑されていたぐらいだし。
何はともあれ、理由は違えど、村人たちは俺たちの説法を聞いてくれるようになった。
なので、日々の活動の合間に、布教をしていくことにした。
こうして大々的に活動を始めたのには、理由がもう一つある。
それは、この町にいた神官が、遠征軍の治療係として出向していったためだ。
「遠征軍で活躍すれば、聖都に戻ることが可能かもしれない。いや、もしかしたら、さらなる立身出世も!」
なんて夢見たことを言って、この村を去っていった。
村人たちから聞いたところだと、重傷は治せないぐらいの、それなりの回復魔法が使える人だったらしい。
遠征軍にいる治療係の腕次第では、あの神官の望みが叶うかもしれないな。
もしもそのときは、この村に神官が不在だと、村人が困ってしまう。
なので、仕方がなく、自由神の神官を置いてやることにしよう。
村長が適役かな。
最近では、村人たちが俺たちに好意的だと見て取って、こちらに擦り寄ろうとしてきているしね。
けどそのためには、村長が権力に酔っても暴権を振るっても、村人たちが対抗できるように、しっかりと自由神の教えを根付かせないといけないよな。
だからこそ、今日もまた、宣教を続けることにしようっと。
村人たちの自由神への改宗が順調に進み始めた頃、ようやくって感じで、遠征軍が森へ侵攻を始めた。
聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒たちが掴んでいた、ゴブリン集落の位置情報を元にして、進んでいるという噂が村まで流れてきた。
きっとこれは、意図的に流された情報だろうな。
『ゴブリンの位置は既に掴んでいる。すなわち、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒の目は、森の中にすら及んでいるのだ!』
って感じで、善人には安心を、悪人には不安を与える事が目的に違いない。
そして、森での戦況も、随時噂として流れてくる。
『森への侵攻は順調。兵の士気も高い。そう遠くない未来に、この世からゴブリンは居なくなることだろう』
『ゴブリン数十匹が襲ってきたものの、反撃し、快勝した!』
『何匹もの猪の魔物を発見! 瞬く間に倒し、その肉で大宴会を催した。兵士の士気は、更なる高みに押し上げられた!』
勇ましい戦況に、この村の人たちは表現の難しい表情になっている。
同じ人間が勝っていることを喜びたいが、食料を半ば無理矢理持っていかれた恨みは忘れられない。
そんな思いが渦巻いているようだ。
それと似たような表情を、俺の仲間たちもしている。
こちらは、より苦々しい顔だ。
特に、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスに恨みを持つエヴァレットや、その教徒たちに迫害を受けたバークリステは、より口惜しげな顔である。
「森は、ゴブリン側に有利な地形でしょうに。なのに簡単に負けるとは、情けない」
「遠征軍の兵は寄せ集めです。ゴブリンとはいえ、そんな相手に不覚を取るなんて」
辛らつな言葉を吐く二人に、俺は苦笑いを向ける。
「あの、二人とも。遠征軍が流している噂を、真剣にとらえる必要はないのですよ。むしろ、この噂の大半は嘘だと思っていたほうがいいです」
「「そうなのですか?」」
異口同音に聞き返されたし、子供たちも不思議そうにしているので、説明を入れることにしよう。
「軍と言うのは、負けたという話を流したがりません。それこそ大敗で壊走して、止める間もなく噂が広まるとき以外は、常に勝ち続けていると吹聴するような存在なのです」
その証拠を示すために、俺は先ほどの噂を例に出すことにした。
あの噂の大本は、負の状況を言い換えることで、正の情報として人々に流す手法だ。
元の世界では、どの国でも、戦時下では良くやる手だよな。
「森への侵攻が順調で士気が高いと言うときは、往々にして、侵攻が遅れていて士気が低迷しているときに使います。実際にその通りなら、もっと勇ましい表現を使いますね。『侵攻雷光の如く』とか『兵の士気高揚し疲れを知らず』とかです。
それと、ゴブリンが襲ってきたというのは、ゴブリンに奇襲を受けたという意味でしょうね。
猪の肉を食べて喜んだというくだりは、それほど兵士の食料が逼迫しているとも受け取れますよ」
俺の言い換えに、話を聞いた全員が、なるほどといった顔になる。
先ほど悪態を吐いていた、エヴァレットとバークリステも、それは同じだった。
「噂をよくよく考えてみれば、トランジェさまの言うことの方が、真実なような気がしてきました」
「その通りですね。聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒の上層部が隠蔽体質なのは、分かっていたはずでしたのに」
一定の理解が得られたようなので、俺は流れてきた噂の先を、予想してみることにした。
「話半分にしても、遠征軍は森を遅くでも進み、奇襲してきたゴブリンを倒し、猪の肉で腹を満たしたことは間違いないでしょう。そして、その手腕の高さから、実戦指揮を執っているのは、総参謀のマニワエドさん。そして前々から前線陣地で活動していた兵士たちが、戦いの中心になっているはずです」
俺の予想に、反論する人がいないことを確かめてから、続きを話していく。
「となるとです。マニワエドさんとその兵士たちは、手柄を立て続けに得ていることになります。バークリステ、このことに不満を抱く人は誰でしょうか?」
話を振ると、すぐに答えが返ってきた。
「それは簡単です。遠征軍の総大将。および、その腰巾着の人々です。彼らはこの戦いで、手柄を取りにやってきているのですから」
「その通りです。では、不満を抱いた凡愚な総大将は、次にどんな手を取るかは、分かりますか?」
「そうですね……活躍をしている部隊の指揮を、実際にはマニワエドに行わせ、見せかけで総大将と腰巾着たちがしていることにしますね。つまりは、手柄の横取りです」
バークリステらしい、確実で頭のいい手法だ。
けど、俺の予想は違う。
「素晴らしい方法ですが、総大将たちはその手法をとらないでしょうね。なにせ、マニワエドさんが活躍するのが嫌なのですから。きっと、マニワエドさんとその部下たちを、要所から外して後方部隊に組み込むのではないでしょうか」
「まさか、そんな!? 意味がないどころか、人的被害の出る悪手です!」
「凡愚な指揮官ですからね、末端の兵士がどれだけ死のうと、気にしないと思いますよ」
そして思うに、マニワエドがこのことを予想していないはずがない。
「きっとマニワエドさんは、総大将の考え方を理解しているはずです。なのに森に入ってすぐに手柄を取り続けたのは、その考え方を利用しようとしているに違いありません」
「ということは……マニワエドは、遠征軍が負けると思っているのでしょうか?」
バークリステの一足飛びの結論に、他の面々がついていけていない。
なので、補足を入れることにする。
「そうですね。マニワエドはあえて戦いが起き難い後方に、子飼いの部下ごと異動されるのを望んだのでしょうね。遠征軍がゴブリンや魔物に負けて逃げるとき、一番逃げ易い場所を確保するためにだと考えられます」
マニワエドの強かさに、周囲の面々が感心するのを見て、俺はあえて肩をすくめてみせた。
「とはいえ、遠征軍が負けると決まったわけではありません。人的有利は遠征軍にあるのですから、マニワエドがしたであろう判断は、消極的に過ぎるといえないこともないでしょう」
そう締めくくろうとすると、リットフィリアはすっと、ピンスレットはニコニコと、同時に手を上げた。
この二人。最近、仲が良い。
リットフィリアはバークリステを心酔し、ピンスレットは俺を主と定めている。その気持ちの形が似ているために、同士のような間柄になっているみたいだった。
「どうしましたか、リットフィリア、ピンスレット?」
「はい。少しお聞きしたいのですが」
「ご主人さまは、遠征軍に勝って欲しいのですか、負けて欲しいのですか?」
二人で分けた質問の言葉を受けて、俺はどう応えたらいいかと悩んだ。
事前にバークリステと語り合った予定では、遠征軍が勝利すると踏んでいた。
マニワエドの能力が高くて、子飼いの部下たちも実力者が多かったからだ。
けど、状況は変わりつつあるようだから、どう判断するかに悩むんだよなぁ。
とりあえず、二人が聞いてきたのは俺の願望なので、正直に伝えることにした。
「そうですねえ……遠征軍は敗走、そして森の中もメチャメチャになったら、私たちにとって一番有利な状況になるでしょうね」
核心部分を伏せた曖昧な答えでも、リットフィリアとピンスレットは、気が済んだ様子になった。
「それを聞いて安心した。てっきり、遠征軍の勝利を望んでいるかと思ったので」
「ご主人さまが、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒どもの勝ちを望むはずが、ないですよねー」
その言葉で、二人が遠征軍に悪感情を持っているらしいと、気づく事ができた。
いや、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒全般にかな?
そんな素振りはなかったように思えたので、ちょっと不思議に思った。
すると、二人の口からその理由が自然と出てきた。
「軍が食料を持っていったせいで、ご飯が沢山食べられなくなった」
「その通りです。小麦がなくて草と肉ばかりだなんて、ご主人さまに美味しいご飯を作って差し上げられないじゃないですか」
ぷんぷんと怒る二人に、俺は苦笑してしまった。
そういえば、リットフィリアは大食いだし、ピンスレットは俺の世話をすることを至上の喜びにしているんだったっけ。
ここでもついて回る食料の恨みに、それが怖いと評した先人の格言を、俺は再評価することにしたのだった。
入れ替わっているとの、多数のご指摘、大変ありがとうございました。
次からは、気をつけます。




