百十話 食糧難になった村で、軽く暗躍してみましょう
俺たちは、済むことに決めた村の人たちと、融和を図ることに成功した。
もともと、エヴァレットが聖女なんて有り難がれていたので、受け入れる土壌は出来ていた。
そこで俺たちが、草原にいる獣や野草を獲ってきて、無償で村に引き渡す。
遠征軍に食料を盗られて貧窮する寸前だったから、それはもうもう歓迎ムード一色となった。
遠征軍が前線陣地に到着して少しした頃には、ずっとこの村にいてくれと、村人たちから頼まれるようになっている。
ま、そんなつもりは、こちらにはないんだけどね。
あくまで、この村に滞在する目的は、遠征軍と森の中にいる悪しき者たちの顛末が、どうなるか知るため。
用が終われば、さよならだ。
けどまあ、多少なりとも見知った人を見捨てるのは、心苦しい。
だからこそ、こっそりと村人たちに、自由神への宗旨替えを促そうかな。
遠征軍なんてものが近くにいるので、慎重に、少しずつ話をつけていくことにしよう。
まずは、村長からだ。
エヴァレットと一緒に面会を求め、彼女が俺のことを主だと伝える。
とても驚かれた。
「そ、そうだったのですか。いえ、その、不思議そうな方だとは、思っていましたが……」
自分が聖女と崇めた存在が、俺の下に位置する事実に、村長は納得しがたい顔になっている。
彼の納得はどうでもいいので、用件を切り出すことにした。
「さて、貴方や村人たちに伝え忘れていた、話しておくべきことがあるのです」
うさんくさい笑顔で告げると、村長はいぶかしんだ顔をする。
「話すべき、ですか?」
「はい。なに、簡単な話ですよ。ただ単に、我々は聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒ではなく、自由の神という別神の信徒というだけの話ですよ」
「はぁ……はああぁぁぁ!?」
村長は気の抜けた返事の後で、驚愕したような声を上げる。
その後で、慌てて席を立つと、壁にかかっていた斧を手に取った。
「お、お前たち、邪神の僕なのか!?」
斧の刃を向けながらの言葉に、エヴァレットがナイフを抜いて警戒する。
俺はエヴァレットが斬りかからないように手で静止しながら、村長に向かってゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。私たちは、邪神の僕ではありません。自由の神は、邪神ではありませんので。そうですね、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスとは別の、普通の神とでも思ってください」
中立神なんていっても伝わらないだろうから、他の善神だと思わせるような発言を選んだ。
さらに説得力を持たせるために、この村にしてきた慈善活動を使う。
「私たちは、貴方たちに食料を供給してあげています。もしも私たちが邪神の僕なら、理屈が通らないのでは?」
「……それは、この村に潜入し、村人から信用を得るためでしょう」
へぇ、村長だけあって、馬鹿ではないらしい。
けど、そのぐらいの反論は、折り込み済みだ。
「貴方が言うように、もし私が邪神の僕だったのならば。食糧難で弱っていた貴方たちを抹殺した後で、ゆっくりとこの村を自分たちの物にしたほうが、楽ではありませんか?」
「そ、それは、その――」
「では、私たちが邪神の僕らしく、この村の人たちに悪く使った事がありますか? むしろ私たちが、貴方たちに使われている立場なのでは?」
「ですから、それは……」
聖教本に記されている邪神の僕のイメージと、俺たちの活動が結びつかなくなったんだろう。
村長は、言い返すことが出来なくなっていた。
そこで俺は、駄目押しをすることにした。
「このエヴァレットが持つ、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの偉い神官が発行した活動許可証を、貴方は見たことがあるでしょう。あれこそ、私たちの活動が、彼の名前によって保証されている証。ついては、私どもの自由の神の存在を、その神官が認めている証と思いませんか?」
俺が噛み砕いて説明するように語ると、村長は納得してくれたようだった。
「その通りですな。たしかに、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官さまが認めておられなければ、許可証など発行されませんでしょう」
そう言って、村長は斧を壁にあるフックに戻した。
ちなみに、先ほどの俺の発言は詭弁だ。
偉い神官から許可証を発行してもらったことと、俺たちが自由神の信徒であることは事実。
でも、その二つの間には、何の繋がりもないんだから。
さて、そんな詭弁による説明に、村長はまんまと騙され、こちらの言い分を聞く体勢に入っている。
「それで、なぜそのことを伝えにきたのですかな? 言い方は悪いですが、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒に扮し続けていれば、なんの問題もなかったはずですが?」
その言い分はもっともだけど、それだと困る。
主に、俺が枢騎士卿への試練をクリアーするために。
「いえいえ、そうはいきません。私たちの目的は、貴方たちを自由の神の信徒に替えることにありますので」
「なっ!? 我々に、この世に唯一残った神であらせる、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスさまを捨てろと!?」
「はい。ですが、唯一の神という認識は間違いですね。なにせ、私たちの自由の神が存在しているのですから。現に、私たちは神の力を使って、貴方たちの怪我や病を治していますよね?」
俺の反論に村長はぐっと息を詰まらせた後で、大きく首を横に振った。
「悪いが、我々の祖先からずっと教えを守ってきたのだ。生活の一部に入ってしまっている」
だから聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスから宗旨替えはできないと、言いたいようだ。
でもこちらには、その点を取り込める方法があるんだよね。
「なるほど、生活の一部であれば、切り離すことは難しいでしょうね」
「その通りです。分かっていただけたのでしたら――」
「なら、生活に密接している教えは、そのままで構いませんよ」
俺があっけらかんと言うと、村長はぽかんとした顔をして黙ってしまった。
「おや、どうしたんですか? なにか、変なことを言ったつもりはないのですが?」
「……てっきり、聖教本にある邪神教がされたように、生活を破壊されるのかと思っていたのですが」
「ははっ。まさか、そんなことはしませんよ。神の大戦直後の、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスじゃないのですから。私たちが崇めるのは、自由の神です。なので、貴方たちが何をするのも自由です。それこそ、生活の一部になっているというその教えを続けるのも、また自由です」
俺が笑顔で蛮行を否定し、自由神の教義について語ると、村長は難しい顔になった。
たぶん、今までの生活を変えずに済むと聞いて、どう反論して勧誘を断ろうかと考えているんだろうな。
けど、悠長に考えさせてやるつもりはない。
「なんでしたら、自由の神に宗旨替えをした後でも、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスに祈りを捧げたって構いませんし、再度宗旨替えをしても咎めません」
「そ、そんなことが許されるので?」
「はい。なにせ、私の神は自由を愛する神ですので」
一度言葉を切り、うさんくさい笑みを深めて、俺は村長に顔を近づける。
「遠征軍にやられたことを忘れたのですか? 聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティス教徒の偉い人にとっては、貴方たちは飢えようが死のうがどうでもいい存在なのです。それこそ、宗旨替えをしても、気に止めないほどにです」
「いや、そんなはずは――」
「はずはあるのです。邪神を崇めていたゴブリンに入り込まれた人里では、邪神の教義が水面下で広まっていたことは、貴方の耳にも入っているでしょう? あれこそ、聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスの神官が村や集落のことなど、どうでもいいと思っている証なのでは?」
「……いや、まさか」
「この村にも、神官は居ますよね。けど、あまり言い噂は耳にしていませんよ?」
閑職に追いやられたらしき神官まで持ち出して、連続で畳み掛けていく。
すると村長は、なにかの切り札を見つけたような目で、こちらを見返してきた。
「だ、だが、結局はゴブリンたちは見つかり、遠征軍を出すほどの大粛清を招いているではありませんか」
「それはゴブリンが反乱を起こしたために、発覚したのですよ。いまでもこっそりとしていたら、きっと気づかれずに、より広まっていたことでしょうね」
反論を間髪入れずに叩き潰してやった。
村長はもう手がないのか、頭を必死に悩ませているだけで、何も言ってこなくなった。
なので、耳打ちするように囁く。
「なに、いままでと生活が変わるわけじゃないんです。静かに信仰して、ばれなければ大丈夫ですよ。実は、他の村や集落にも、自由の神の信徒はいて。いまでも、元気に暮らしていますよ?」
悪魔の囁きに、村長は顔が真っ赤になるほど悩みに悩む様子になる。
けど結局は、俺の誘いに首を横に振った。
「申し訳ないが、提案は受け入れられん。聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスさまを裏切るなど出来ない」
あっそう。なら仕方ないよね。
「そうですか、分かりました。では、勧誘の話はなかったことにしましょう。そして貴方は、私たちがこれから村人たちに宗旨替えの話をしていくのも、知らなかったことにしましょう。それがお互いのためになります」
俺が意味深な言葉を使うと、村長が興味ありげな顔になる。
「……お互いのためとは、どういう意味なのでしょう?」
「そのままの意味ですよ。もしも、貴方が私たちを自由の神の信徒――いえ、邪神の僕だと嘘の告発を、この村にいる神官にしたとしましょう」
たぶん、俺たちが去ったら、いま言ったようなことをする気だったんだろう。
村長はギクッとした表情をしていた。
俺はそれに気がつかない振りをしながら、うさんくさい笑みを強める。
「そうなったら、きっと遠征軍の一隊がこの村に来て、略奪の限りを尽くすでしょうね。それこそ、貴方たちが略奪の日に死ぬか、翌日に飢えて死ぬかぐらいの、むごい仕打ちをするはずです」
「なっ!? な、なぜですか! 我々はなにもしていないのに!?」
「何もしてない? いいえ、私たちから食料を受け取ったではありませんか。それが、悪しき者からの施しだと、神官や遠征軍は思わないでいられるのでしょうか?」
「し、知らなかったと言えば」
「仮にその言い分を信じてくれたとしても、見せしめとして、村長さん、貴方は殺されるでしょうね」
青い顔になったので、十分だなと脅すのは止めにする。
「なので、黙っていてください。それだけでいいですから」
「は、はい。分かりました」
力なくうな垂れる姿を見て満足して、俺は席を立ち、帰ろうとする。
そこで、ふと思い出したかのように、振り返った。
「そうそう。宗旨替えしそうか、村人たちをこっそりと探っていたのですが、だいぶ聖大神ジャルフ・イナ・ギゼティスを捨てることに好意的なようでしたよ。恐らく、まず大半が。そして残りも次々と、自由の神の信者になるのではないでしょうか?」
大半はちょっと盛り過ぎだけど、それでも半数にやや届かないぐらいは、楽に宗旨替えに同意しそうな感じでいる。
それぐらいに、飢え死にしそうなほど食料を持っていかれた恨みが、根強かったんだろうな。
恐るべきは、食べ物の恨みってことになるだろうな。
そんなことを伝えると、村長は愕然としたような顔になった。
「も、もしや。大半が寝返ると知ったから、ワシのところに……」
「さあ、どうでしょうか? ああ、宗旨替えは、いつでも受け付けていますから、ご自由にきてくださいね」
うさんくさく微笑みながら、俺はエヴァレットを連れて村長の家から出た。
すぐ後で、エヴァレットが耳打ちしてくる。
「あの村長は、自由の神の信徒となるでしょうか?」
「うーん、なる気もしますが、ならない可能性もありますね。ですが、それはどちらでもいいことです。私たちが、この村の人たちに布教することは変わらないのですから」
「では、こっそりと、広めていきます」
「はい、こっそりとですよ」
そんな受け答えをしてから、今日から、この村で布教を始めることにしていくのだった。




